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「こんなこと続けてたら捕まるよ。まじで」
見下ろしてくる無表情を、私は怨念を込めて睨み上げた。
そこに反省の色は一切見えない。今日も魔王は通常運転だ。
だるくて重い口をなんとか動かし、私も通常通り教育を開始する。
「一つ、この国は魔術の使用は禁止です。二つ、盗掘は犯罪です。三つ、人を瘴気漬けにするのは法律で禁じられています、絶対にやめましょう」
たとえそんな法律は無かったとしても、こういう奴を野放しにしていいとは誰も思わないはずだ。そうであって欲しい、でないと本気で人間不信になりそう。
片手を上げて言葉に合わせて指を動かすと、それに軽く視線を向けてきた後ゆるゆると首を振ってみせた。
「魔術を使ってもそれに気付く者がいないのではな……。方術士という奴らも全く見かけないが。どうやって取り締まる気でいるんだろうな」
呆れているというよりは若干残念そうな声で言う。
この感じ、もし本当に強い人が逮捕しに来たら大喜びしそう。こんな変態を人格改造する気でいるわけなんだけど、ちょっと心が折れかけてる今日この頃です。
「知らないの、魔王。世の中には内部告発というものがあるんだよ」
額のあたりに置かれた手を払いのけ、私は上半身を起こした。
最近はこの処置を受けすぎて、最後の一滴(?)を吸い出される感覚までわかるようになってしまった。体の中から瘴気が取り除かれて、やっとまともに動けるようになる。ただし全身のだるさはまだしばらく続く。
「あのさー、本当にやばいってこれ。アメジストには瘴気はただの飲み物なんだろうけど、普通は毒なの。吸い出しゃいいってもんじゃないよ。絶対そのうち変な後遺症とか出てくるって。いいの? 私が死んだら書庫も消えちゃうんでしょ?」
表情は動かさないまま、再び私の頭へ向けて伸ばされた手を両手で払う。
何度かその攻防を繰り返したら渋々手を引っ込めた。
「だからこうして思いつく限りの術を試している。もう少し辛抱しろ」
その人体実験をやめろと言っているのだよ。
数日前、アメジストはまた新たな隠しダンジョンを発掘してしまった。
それからというもの、術をかけられて連行される→倒れる前に地上に戻って瘴気を吸い出される、という地獄ルールのシャトルランが開催されている。
瘴気を避ける術は書庫の本にも載っていないらしく、何回往復しても今のところ効果を実感できるものはなかった。
「そもそも私を連れて行かなければいいだけだよね」
もう何度言ったかわからない、至極もっともな意見は、面倒臭そうな溜息と共に流された。
「……わかった、今日はもう町へ戻る。好きな物を食え」
いやだからお腹減って機嫌悪い子、みたいに話をまとめるんじゃない!!
「嘘つき。何でも願いを叶えてくれるって言ったのに……」
腹立ちまぎれに(多少脚色して)呟くと、わずかに首を傾げてみせた。
俺一台あれば他の家電なんて必要ない。今ならお得な護衛のサービスもついてくる、ストーカーだけに。……みたいな営業トーク披露してたくせに。
「俺の魔術で大抵のことは解決する、他のカデンの営業トークを聞くのは時間の無駄だという意味だ。それとお前の護衛はサービスでやれるほど軽いものではないからな。……ストーカー? ついてくる……追跡されると言いたいのか」
なんか地味に解読が進んでいる。どうせわからないと思ってこの世界には無さそうな言い回しを使ったりしてるけど、そろそろ下手なこと言うと本当にまずいかも……。
今日はこれでお開きにするのは本当のようで、マンホールのような蓋を閉じると私を抱えて歩き出した。
いくら楽だからって、たまには自分の足で元気に歩きたい……健康にもよろしくないし。
「エルラント大聖堂に戻ろう。多分まだリチアがいるはずだよ。アメジストがお宝取って戻ってくるまで、大聖堂でリチアから離れないようにして待ってるからさ。ね、そうしよ」
肩にかかる長い髪を掴んで軽く引っ張りながら、私は必死に提案した。
ここはまだエミーユ皇国内だ。大聖堂からもそれほど離れていないはず。
魔術が使える頼もしいリチアの傍にくっついていれば、命の危機なんて起こるはずがない。あとリチアに会って癒されたい。(こっちが本音。)
万一リチアがもう次の旅に出てしまっていたとしても、エルラント大聖堂は他の教会堂より何倍も広くて立派な建物だった、あそこならきっと安全だろう。
しかし私の提案は即座に斬り捨てられた。
「だめだ。あの大聖堂には……魔物がいる」
真顔での言葉に、私は思わず吹き出してしまった。
だっていくらなんでも無理がありすぎ。異世界人だからって、そんな嘘に騙されると思われては困る。
笑っていると頬を片手で掴まれ、引っ張られた。これ普通だったらただのじゃれ合いで済むけど、魔王にやられると本気で顔面引きちぎられる恐怖と隣り合わせだから。まじで。
「冗談ではない。金の毛並みのいけ好かない奴だ」
金の毛並み……ライオンとか?
妙に具体的な特徴に、私は笑いを引っ込めた。頬を引っ張られて既に笑えなくなっていたけど。
まさか本当に魔物がいるなら、リチアは大丈夫だろうか。
心配が顔に出ていたようで、アメジストが私の頬から手を離して続けた。
「どうやら信者の護衛をしていたようだからな。教会で飼われているんだろ」
へえー。魔物使い的な人がいるってことかな。それなら安心。
……うん?
「だったら別に危なくないよね。私も見てみたいなー、その魔物」
あわよくば、金の毛並みをもふもふしたいです。
そう言ったら、今度は冷気を出しながら再び頬をびよんびよん伸ばされた。どう考えてもこっちの魔物の方が危険。
◆◆◆
精霊術に関する文献を読み直している。
瘴気を退けるという精霊術を探しているが、これだというものは見つけることができない。
ただ精霊についてある程度理解が進むにつれ、それは術ではなく精霊の能力――または性質のようなものだと分かってきた。
精霊は、契約者を常に守護しようとするものらしい。
そうした精霊の守護には、瘴気や魔物を退ける効果がある、という説がある。
精霊の属性や特徴などとはほとんど関係ないようだ。
契約者と精霊の間の信頼関係が強固であるほど、守護の力も強まるという。
聖浄石は、この精霊の守護をどうにかして石に込めているのかもしれない。
聖穏教会には精霊と契約した者がいるのだろう。少し話を聞いてみたい気もするが、間違いなく部外者は門前払いだろうな。実際に聖浄石を使う司祭にすら、まともな説明をしないくらいだ。
それにしても、付けられた名を気に入れば強くなり、信頼を築けば守護も強力になる……。
精霊というのはどうも感情的な奴らのようだ。
気に入ったからといって人間と契約し、力を与え、守り、そんなことをして精霊側に一体何の得があるのだろう。
強くなるため、良い名を付けて欲しいのか? 自力で思い付かないのか。
名に執着するということは、気に入って契約した相手にも似たような感情を持つのだろう。もし面倒な精霊と契約すれば鬱陶しい思いをさせられそうだ。
精霊についてはある程度理解できた。
瘴気を避ける術を新たに生み出すため、あとはこの知識をどう魔術に応用するかだ。
今までも魔術書にはない術を使ったことはある。要は魔力を操り、欲しい効果が得られるような構成を自力で編み出せばいい。
ただ言うほど容易くはなく、ここ数日取り組んではいるもののまだ成果は出ていないが……。
本を閉じる。直後、今までにない現象が起きた。
視界が一度白い光で覆われ、それが晴れた後、手の中の本が中心から淡い光を灯していた。
ゆっくりと光を明滅させながら、微弱な魔力を纏い始める。
望遠でまず本体側の様子を確認した。コハルは何事もない様子で、書庫の鍵に転写した内容を読んでいる。俺の本体にもこれといって異常は見られない。
望遠を切り、改めて奇妙な反応を始めた本を眺める。
本棚に並ぶ他のものと何ら変わりのない一冊だ。それが今、まるでコハルが鍵を起動する時のように光を発し、魔力を纏っていた。
怪しい。以前思い付いた仮説が頭をよぎる。
この書庫に関わる何者かが俺の行動を監視し、場合によっては所有者となるための審査を始めている。その可能性がより高まってきた。
これはそいつの仕業なのではないか。
明滅を続ける本を開く。そこには精霊に関する記述があった。
『《スピネリス》……陰陽蝶の女王、大精霊。生息地:ガンラル下流域アゴラ大森林』
俺の意思で引き出した記述ではない。
監視者――もしくは審査官がこの現象を起こしているのなら、この精霊を探せということだろうか。
目的は何だ。こいつをコハルと契約させ、守護させようというのか?
だが見つけたところで、思惑通りコハルが気に入られるとは限らない。
それとも契約ではない何か別の目的があるのか……。
どうもこの審査官は、遺跡にコハルを連れて行くこと自体を阻止する気はないようだ。瘴気を避けるための方策を練っていたところにこの現象だ、行けば何か手掛かりが掴めるのかもしれない。
審査官もコハルが瘴気を退ける手段を持つこと、そして俺が遺物の力で強化されることを望んでいる。
今のところはそう解釈していても構わないのではないだろうか。
もし予想外の罠が用意されているというのなら、切り抜ければいいだけだ。
「……いいだろう。踊らされてやる」
ページをめくり、更に詳しい記述を読み進める。
一通り読み終えると本から光と魔力が失われた。それを閉じ、俺は本体へ意識を戻した。
「さっきの、やっぱり嘘だよね」
本体に戻った矢先、コハルが書庫の鍵を開いて見せてきた。
「エルラント大聖堂にいるのは魔物じゃなくて、聖獣でしょ。こういう小さくて可愛い動物」
開いたページには小動物や鳥の挿絵とその説明が載っている。それらは聖穏教会の庇護下、一部の聖堂や聖区にのみ生息する種だという。他地域の野生下では見られないと書かれていた。
それらの稀少な小動物を総称して聖獣と呼ぶらしい。コハルが挿絵の一部を指差す。
「アメジストが見たのはどれ? このハムスターみたいなやつ?」
「いや、こいつらじゃない。大きさは俺と大差なかった、あれは魔物だ」
大聖堂で見たのはいつか立ち寄った町でコハルに話しかけていた、あの金髪男だった。
いい加減、泣き喚くコハル達を眺めるのに飽きて聖堂内部を望遠していると、他の信者たちよりも派手な出で立ちの者につき従う姿が見えた。
その直後、男と目が合った。実際に合ったわけではないが、望遠に勘付かれた。
そして驚いたことに、その後どれだけ試しても聖堂内を見ることが出来なくなった。
あの金髪の光属性は、力、魔力量共におそらく俺の闇に匹敵する。六属性の素質も持っているようで、魔術の才に関しては底知れないものを感じた。
魔物かどうかは知らないが、あれがただの人間とは思えない。俺の望遠を遮断したのもその膨大な光の力によるものだろう。
コハルを精霊だとか呼んでいたが。魔力の一切無い精霊など存在するとは思えない。
何を考えているのか全く読めない、気味の悪い奴だった。敵意がないからといって、あんなものをコハルに近付けさせる気はない。
「アメジストと大差ない大きさ!? それきっと、本にも載ってないレアな聖獣だよ! 見たい!」
意気込むのを黙らせるため、飴玉を取り出してその口に放り込んだ。
……服の内側に入れているそれらが、明らかに減っている。どうやら俺が書庫に渡っている間、抜き取られているようだ。
盗まれるのには気付かない奴が、盗む技術はそれなりにあるとはどういうことだ。
開かれたままの書庫の鍵に写し出された、小さな挿絵が目に入る。
「お前に似ているな」
木の実を頬袋に詰め込む鼠を指差すと、飴を含んだ頬を膨らませた。