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アメジストに異世界人だとバレていた。
まあ帰るのを手伝ってもらうために、いつかは教えるつもりだったから、その日が少し早まったということで別にいいんだけど……。
ただ、本気で信じてもらえた気はしない。というか間違いなく私の妄想だと思ってる。
魔術だの精霊だのが存在する世界の中でも、トップクラスのおかしさを誇るアメジストから頭のおかしい奴と思われていそうなのが、まことに遺憾であります。
でもこれはアメジストの人格のせいだけにはできないかな。普通はなかなか信じてもらえない内容だし。
私だって元の世界で普通に暮らしてた頃に、誰かに同じことを言われたらすぐには信じられないと思う。
ともかく、バレたものは仕方ない。本気にしてもらえないのも。
問題は、私の魔本レベルが上がった!→アメジストは魔本(真)を手に入れた!→私が無事帰宅する感動のエンディング(の可能性がある。)っていう謎の図式になっているらしいこと……。
もう、意味がわからなすぎて頭の中が宇宙だよ。
どうして私の魔本レベルがそこに組み込まれてしまったのか。一人で魔本の進化でもなんでも勝手にやってほしい。私たちほど共同作業に不向きなコンビもそうはいないっていうのに……。
「コハルさん? どうかしましたか?」
思考に没頭して拳を握りしめていたら、目の前に座るリチアが小首を傾げていた。
「……あ、えっと。このお菓子があまりに美味しくて、つい力が入っちゃった。これ、なんていうお菓子?」
リチアはにっこり笑顔でテーブルに広げたお菓子の説明をしてくれた。
クッキーやビスケットに似たもの、それにパウンドケーキ的な焼き菓子もある。甘いものだけじゃなくほんのり塩味のものもあって、どれも本当に美味しかった。
淹れてくれた紅茶風の飲み物は、鮮やかなオレンジ色でこれも美味しい。
日持ちするお菓子なんかは、前に立ち寄った町で買ったようだ。旅生活なのでそういう情報は是非欲しい。
私はお菓子以外にも色々と、主に旅関係の知識を授けてもらおうと、またあれこれ質問責めにしてしまった。
相変わらず丁寧にひとつひとつ、優しく教えてくれる。
やっぱりリチアは女神だ。教会が女神様を認めなくても、私は女神リチアを信奉するぞ。
ちなみにこのお茶会はリチアの部屋にお邪魔して行っている。
私たちの部屋で開催して、万一アメジストが早く帰ってきたら嫌だから。リチアとの癒しタイムをノックもなくバーンと現れてぶち壊してくるだろうからね、あいつは。
旅知識の質問が一段落してきた頃、微笑みを絶やさないリチアに私はおずおずと切り出した。
「ねえ、リチアさん。よかったら私のことは呼び捨てにして、敬語も使わないでもらえると嬉しいな。私はほら、田舎者だから敬語ってあんまり得意じゃなくて。私たち、年齢も多分同じくらいだと思うし」
元の世界でも、敬語は学校の教師くらいにしかほぼ使わない生活だった。
だから得意じゃないのは嘘ではないけど、リチアとはもっと気兼ねなく接したい、欲を言えば友達になりたいとか思ってたりする。
リチアとは今日が終わればお別れなんだろう。でもお互い旅をしていれば、またどこかでばったり会うなんてこともあるかもしれないし。……なんて期待しすぎかな?
それにたとえ再会するのが難しくても、できることならリチアと友達になりたい。
これはもう、理屈じゃない。だって本当に素敵な娘だから。
リチアはちょっと驚いた顔をしていたけど、目が合うとふんわり微笑んでくれた。うふふふ……。
「でも私があまりコハルさんに馴れ馴れしくすると、アメジストさんが拗ねてしまわない?」
無防備にデレていたら、思わぬカウンター攻撃が返ってきた。
珍しく冗談っぽい言い方で、今までより気さくな態度には思えるんだけど……。ちょっと耳を激しく疑う内容だ。可愛い顔してよくそんな口にするのもおぞましい表現できるな。
「……あ、あのーリチアさん? なんか私たちのこと誤解してない? 私とあいつはちょっとした事情があって仕方なく一緒にいるってだけの赤の他人、友達どころかよくて知り合い程度の浅くて冷えきった関係なんだけどね?」
「えっ……恋人同士ではないのですか?」
ほらまたこれだ。あの距離感ぶっ壊れ魔王のせいで……!
「ないないない! 全然、一切、このお菓子よりもっとずっと糖分ゼロの関係だから!」
私はそう言って、クッキーに似たほんのり塩味のお菓子を掴んでリチアの顔の前に持っていく。
「うーん……じゃあアメジストさんの片想い?」
はああぁぁ!!?
ちょ、女神の発想怖い! 魔王とはベクトルが違う方向に怖い!!!
「あり得ないから! あいつは基本、私のことなんて無関心だよ。話しかけても無視か雑対応かのどっちかだもん。あと密着してる時はただの護衛だから。護衛の距離感がわからない残念な奴ってだけ」
「そう? コハルに構うのが楽しそうに見えるけど……」
ほら、魔の山の時だって珍しく微笑んでらしたし……と言われて何のことかと思ったら、あのドS障壁実演ショーのことらしい。
「いやあれはどう見てもそういうんじゃないでしょ!? 虫けらをいたぶって楽しむただの異常な性癖の表れでしか……っ」
…………あれぇ?
必死の弁明に気を取られてしまったけど、なんか今、コハルって呼ばれたような。それに敬語じゃなくなっている気もする。
思わずリチアの顔をまじまじと見てしまうと、目が合って、少し照れたような微笑みが返ってきた。
……あ、もうどうでもいいや。アメジストとの関係なんて、誤解されようと捏造されようと実に些細な問題でした。
私は弁明を放り捨てて、思いっきり崩れた顔でリチアと微笑み合った。
そこからは勘違いではなく心の距離が縮まったように思う。
私も食に興味大アリだけど、実はリチアは思わずその道の師匠と呼びたくなるレベルで、各地の食べ物の話では大いに盛り上がった。
食道楽は司祭の趣味として大きな声で言える内容ではないらしく、内緒にしてね、とちょっと恥ずかしそうに教えてくれた。
またお喋りに花を咲かせているうちに、私も今までの旅の間のこと、特にルマーヌでのことなんかを話したりもした。
リチアなら信用できると思い、魔本についても少し話した。
やっぱり誤解を解けるなら解きたい、ということで。アメジストがこれを買い取る時まで、本と一緒に護衛してもらいつつ、ついでに故郷まで送ってもらうつもり、的な関係だと簡単に説明した。もちろん異世界というのは伏せて。
大根の話だけでも驚いていたリチアだったけど、魔本のことはもっと驚いていた。
一応このことは誰にも話さないで欲しいと言うと、神妙な顔で頷いてくれた。
「もしよければ、その本を少し見せてもらえる?」
「もちろんいいよ」
私は手を後ろに回して腰の鞄を開け、魔本を抜き取った。
――カララン。
何かが床に落ちる音が部屋に小さく響く。下を見ると、あの銀の腕輪だった。魔本を取る時に引っかけてしまったらしい。
うげえ……。忘れてた。落としてヒビが入ったりしてないよね?
不思議そうにこちらを見るリチアに、気にしないで、と言って腕輪を拾い上げる。
ったく。だから自分の物は自分で持てって言ったのに。なんで私がこんなの預かっておかなきゃいけないんだよ。
とりあえず腕輪を机の端に置いて、私は席を立ってリチアの隣に移動し、魔本の実演をしてみせた。
さっき食べたお菓子について。と念じると本が淡く光り、お菓子の説明や作り方などが開いたページに浮き出てくる。
目をまん丸にして驚くリチアに、ちょっと得意げに開いたページを見せた。
「何か出して欲しい内容はある? まだ行ったことない場所の料理とか……」
言いながら少し身体を寄せたら、とん、とリチアの肩に私の肩がぶつかった。
その直後――ごん、と鈍い音が響く。
何故か、リチアが机に突っ伏していた。あの間違ってお酒を飲んだ時のように。
「……えええ!? り、リチア!?」
まさかまた酒!? ……いや、自分で淹れたんだから間違えるわけないよね?
念のためリチアのカップを確認すると、私のものと同じお茶の香りがした。アルコールは感じない。
「…………え? ……あら……?」
リチアが気付いた。頭を起こしてきょろきょろ辺りを見回す。
「だ、大丈夫? ほんの少しの間だけど、倒れたんだよ?」
「えっ、本当……? 今、何か不思議な場所にいたような。本が沢山あって……。夢だったのかしら……」
まだ少しぼうっとした目で言う。
本が沢山の不思議な場所? でもそんなことより、リチアの体調が心配だ。
「リチア、山登りもしたし疲れてるんじゃない? もう休んだ方がいいよ。私も部屋に戻って大人しくしてるから」
「……ううん、平気。疲れているわけじゃないの。ごめんね、ちょっとうたた寝しちゃっただけだと思う」
そう言って笑ってみせる顔色は、確かに悪いようには見えない。それでも心配で様子を窺っていると、リチアが机の上に置いた魔本をじっと見ていた。
「コハルが許してくれるなら、一人だけ、この本のことをお話ししたい方がいるのだけど……」
だめかな? と真摯な眼差しで見上げてくる。
全然オッケー。と即答しそうになるものの、アメジストの冷房(強)付き氷点下の瞳が脳裏に浮かび、少し迷う。
「えーと。それは何のために?」
「私が旅司祭を志願したのは、気ままな旅が向いているというのもあるのだけど。世界の異変を調べるためでもあるの」
旅をしていればそれだけ各地の異変の話も耳に入る。場合によっては遭遇してしまうこともあるかもしれないけれど、それでも自分の目で確かめたい。
真剣な顔でリチアはそう語った。
そうやって異変を調査し、気になるものがあった時は上司にあたる人に報告しているのだという。
調査メンバーは他にもいるらしいけど、その上司以外には誰にも話さないと約束する、と続けた。
私は別に、他の人にも話してもらって構わないんだけどね。面倒な魔王がいるもんで。
「……うん、わかった。リチアを信じるよ」
頷いてみせると、リチアが過去最高の笑顔を向けた。
「ありがとう、コハル!」
ま、眩しい……!!! デレることすら不可能な輝き……!
「あ。でも魔本が何か異変に関係していたとしても、没収するのだけはやめてほしいな」
私というよりも、魔王が怒り狂って大変なことになるだろうから……。
「ええ、もちろん。約束する」
うふふ~とまた微笑み合ってから、私は魔本を鞄にしまって自分の席に戻った。
リチアがふと机の端に視線を向ける。
「素敵な腕輪ね。見てもいい?」
「どーぞどーぞ。って、これ私のじゃなくてアメジストのだけどね」
リチアに渡すと、手に取ってじっくりと眺めた。
「何か……不思議な力が込められて…………あっ!?」
「ど、どうしたの? まさかヒビでも入ってた!?」
急に声を上げたリチアに、さっき落としたのを思い出して聞くと、腕輪からこちらへゆっくり視線を動かした。
驚いているみたいだけど、どうもそれだけじゃない微妙な表情だ。
「これは……婚約腕輪じゃないかしら」
婚約腕輪? 指輪じゃなくて?
リチアが言うには、国や地域によっては、婚約者に腕輪を送る風習なんかがあるのだとか。
「私が聞いた話では、銀ではなく金……といっても、めっきだけれど。金色の腕輪を男性が女性に贈るという話だったわ。でもそこを敢えてめっきではなく銀にしたところに、アメジストさんの拘りを感じる……」
ゴクリ……って感じに神妙な顔で言うリチアだけど、私はそれよりもアメジストの全てに呆れていた。
そういう相手がいる、というか思い出したなら早く言えばいいのに。膝の上だって、その人のためにももっと強く拒否してお説教してやったはずだ。
「あいつ婚約者とかいるなら、全体的にもっとまともな行動できないのかな。結婚してもすぐ相手に逃げられそう。しかもその大事な腕輪を自分で管理しないとか、本当にどうしようもない奴だよ」
私の言葉に、リチアがまた可愛く小首を傾げた。
「何言ってるの? コハルへの贈り物に決まっているじゃない」
ん? …………んー。
「やだな、さっきも言ったでしょ。私たちはそういう関係じゃないんだって」
笑って流すも、リチアは真面目な顔のままだ。
「コハル。ここを見て」
腕輪を受け取り、リチアが指差す先を見る。
内側の部分に、小さく『コハル』という文字が刻まれていた。
………………………………ん???
見ているうちに文字が揺れ出した。……私の身体が震えているせいだった。
「ひいっ!? ななな何これ!?」
思わず机の上に腕輪を放った。カシャンと軽い音を立てて、腕輪がお菓子の小山の上に落ちる。
「だめよ、コハル。執念……いえ想いが込められた逸品よ。大事に扱わないと……」
「やめて、ほんとやめて!!!」
なんなんだ。怖い。こんやく……? いや、そんなわけない。絶対にどう考えてもそれだけはあり得ない。
だとすれば何だ。奴がこんなことする理由……そんなの一つしかないじゃないか。
人体実験だ……。また魔術でなんかしてるんだ、これ……。
名前まで刻んで明らかにターゲットは私…………呪い? 呪いの腕輪?
きっと興味本位で私がこれを着けたら、呪われて外れなくなるんじゃないだろうか。
それか捨てても捨ててもいつの間にか私の鞄の中にいたり……。
……だめだ。こんな物を持っていたら私のメンタルが数日と持たない。どんなやばい実験かもわからないんだ、早くなんとかしないと。
「――返そう。今すぐ」
「コハル!?」
私の決然とした呟きに、リチアが慌てる。
「なんてことを。そんなことしたら……」
「怒って冷房きかせてくるかもしれないけど、それでもいい。こんなの持ってる方が体調悪くなる」
「そんな、だめよ……せめてアメジストさんが決心するまで待ちましょう? そんなことしたら何か言う前にフラれちゃった感じになってしまうわ!?」
え、いいんじゃない? フラれちゃったらいいんじゃない?
その後しばらく、部屋に戻って腕輪を置き(捨て)に行こうとする私と説得するリチアの攻防が続いた。