34
夜明けと共に宿を出た。
町を出てからは風の術で移動する。
一人だと術の制御も容易い。到着までに最大値は上がらないだろう。
気付くと、いつの間にか鳥型の魔物がやや後方の上空でついてきていた。
距離は離れているものの、しつこく追ってくる。見た所、倒しても手に入る瘴気は無いも同然の雑魚だ。
相手をするのも面倒で速度を上げると、引き離されてやがて見えなくなった。
以前も似たようなことがあった。襲っては来ないが追跡だけはする魔物……確か、魔術士ギルドという奴らを捕まえた時か。
珍しい行動を取る魔物だが、相手をしてやる気にはならない。
街道を避け数時間ほど走ると、遺跡に辿り着いた。これで三度目だ。
もう飽きてしまった同じ罠を潜り抜け、最深部まで進んだ。
今回は荷物がないせいで集中が切れず、魔力を無駄に消費することもない。これでは修練にならない。
この感覚に慣れてしまうのは危険だな。
部屋の奥に置かれた台座の前で足を止める。
遺跡内の他の部分と比べると、この台座だけ明らかに異質だった。
数十年、それか百年程度は経過しているかもしれないが、せいぜいそのくらいだ。少なくともウルゼノスの生きたという千年前からここにあったとは思えない。
誰が何の目的で置いたのか。
台座の上に置かれた小さな銅像は、多少魔力を込めてあるようだがゴミ同然の代物だ。
台座を置いた奴の仕込みなのか。運よく辿り着いた、価値を判断できない後続者が持ち帰ることを期待したのだろうか。目的がわからない。
台座を動かし、探知を使う。
しかし何の反応もない。俺の弱い光属性では暴けないか。
今度は術の構成はせず、闇の魔力を引き出し身に纏わせた。ひたすら魔力を練り上げ、全身に巡らせる
足元で何かが軋むような音がした。弱い地響きと共にあたりに砂埃が立つ。
俺の魔力に反応するように、目の前に墓標のような物が姿を現した。
石の正面には遺跡の入口同様、古代文字が彫られている。
最初にここへ来た後、書庫でこの文字について調べた。古代文明で使用された文字だという。文明の詳細は制限がかかり読めなかった。
だがその文章を解読する必要はないらしい。
更なる地下への入口が開いた。墓標の前に人一人分ほどの穴が開いている。階段などは無い。
そこから今までとは比べ物にならない量の瘴気が立ち昇っていた。
今回コハルを置いて来たのは、こうなることが予想できたからだ。
この先の瘴気を吸えば、数秒と経たずにまた倒れ、目覚めなくなるだろう。
闇の身体強化をかけ、俺は瘴気を吐き出す穴の中へ飛び込んだ。
そこは想像通り、濃厚な瘴気が充満する暗闇だった。
どこかには壁があるのかもしれないが、少なくとも降り立った場所からは見通せない。
数歩進むと、辺りに異様な気配が湧き上がった。
闇の中に白い破片が浮かび上がる。それらは独りでに動き始め、集まってひとつの形を生み出した。
人骨だ。白骨の手に剣を握っている。骸骨の戦士といったところか。
至る所で武器を手にした骸骨たちが次々と生み出され、骨を擦り合わせる音を立てながらこちらに向かって歩き出した。
面白い。あの操作と似たもので動いているようだ。
この空間に立ち入った者を排除するように命じられているのだろう。
一番近い場所にいた一体が武器を振り下ろしてきた。こいつは斧のような物を握っている。
腰のあたりの骨を蹴り砕く。一度は全身の骨があたりに飛び散ったが、それぞれの欠片が再び元の姿に戻ろうと収束していく。
やがて腰の周囲だけ空洞になった姿で復活した。再び攻撃を繰り出してくる。
今度は頭蓋骨を粉砕した。多少動きは鈍ったが、また欠片が集まっていく。
背後から近付いてきた別の個体が、身の丈ほどある巨大な剣を両手で持ち、腰を落として横薙ぎに振るった。
それを避け、まだ近くにいた頭と腰を失った個体を蹴って後方へ跳ぶ。振り下ろされた大剣の軌道に躍り出ることになったそいつが、粉々に粉砕された。
全身が粉砕されてしまうと、もう再生できないようだ。
次の一閃も、近くにいた骸骨の頭を掴んで振り回し、大剣にぶつける。同じように一瞬で砕かれた。
同士討ちすることに抵抗はないらしい。死んでいるのだから思考力はなくて当然か。
この大剣の奴は他の個体よりも動きがいい。大剣の破壊力も抜きん出ている。
どういう構成かは見ているうちに粗方理解できた。この術を真似て、逆にこいつを操作してみよう。
大剣の骸骨に、俺以外の全てを排除するように設定する。操作を始めると、素直に従い周囲の同族たちに襲い掛かっていった。
大剣の働きを眺めながら、むせ返るほどの瘴気に浸る。
濃厚な瘴気の中にいると、それだけで力が増していくようだ。魔力と体力が常に回復するせいで、そう感じるだけなのかもしれないが。
俺は身体強化を解除した。
他の骸骨に襲い掛かられたとして、素手でどこまで戦えるか試してみるのも悪くない。
早速剣を持った骸骨が飛び掛かってきた。振り下ろされる剣筋を眺めて、そこに片手を差し出す。
剣は片手で易々と受け止めることができた。力を込めると、刀身が砂のようになって崩れ落ちていく。
そのまま手を伸ばし顔面を掴むと、同じようにそこから砂になっていき、やがて全身が跡形もなくなった。
下手な魔術を使うより、素手の方が強力だな。
だが、おそらくこの力はこの空間にいる間だけのものだろう。
瘴気の無い、もしくは薄い場所で同じことが出来るとは思えない。
その後も数体襲い掛かってきたのを砂に変えた。
そろそろ骸骨たちの相手も飽きてきた。あとは大剣の骸骨に任せることにしよう。
俺は奥へと足を進めた。
しばらく歩くと、暗闇の中で何かが浮いていた。
あのコハルに与えた物と似たような腕輪だ。素材も銀に似てはいるが、全く違う。銀よりはるかに強靭な物のようだ。
それを手に取り、眺める。
強大な闇の力を感じた。
触れた指から灼けるような魔力が伝わってくる。瘴気で強化されていなければ、本当に火傷くらいはしたかもしれない。
あの台座を置いた奴は、ここまで到達できなかったのだろうか?
てっきり目ぼしい物は既に持ち去られていると思ったが。ここの骸骨のうちのひとつは、そいつの成れの果てだろうか。
俺は腕輪を握りしめ、深く集中した。
腕輪にかけられた鍵を解除する。あっけなく解放された力が一挙に押し寄せ、それを取り込む。
全身の血が沸くような感覚の後、闇の魔力が力を増した。最大値も上昇している。
――――当たりだ。
これがウルゼノスの遺産で間違いないだろう。闇属性の最大値まで上がるとは、期待以上だ。
力を失った腕輪を手放すと宙に浮き、また同じ場所に留まった。
来た道を戻ると、闇の中に大剣の骸骨だけが佇んでいた。
他の骸骨たちの気配は無い。思った通り、こいつが一番強い戦士だった。
「よくやった」
強者の肩の骨に片手を置く。白骨の身体が、そこから砂塵となって暗闇の中に消えた。
地の術で生み出した足場を登り、俺は瘴気の間を後にした。
◆◆◆
ウルゼノスの遺跡を出て、再び移動する。
ある程度まで来たら風の術は解除し、探知をしながら歩くことにした。
今の俺の光属性では厳しいかと思ったが、案外あっさりそれは姿を現した。
地下へと続く長い階段。さっきまでいた遺跡と似たような造りだ。
長い階段を降りた先は、白い石造りの広間になっていた。
広間に足を踏み入れると、壁に設置された数台の燭台に勝手に光が灯る。
正面の壁には大きな絵が描かれていた。
中央に大きく描かれた人物は手に錫杖のようなものを持ち、白い貫頭衣を纏っている。その背後からは幾筋かの光が差し、周囲に額づく者、両手を合わせて跪く者などがいる。絵の下には『救世の大賢者』と題してあった。
しかし中央に描かれた人物、大賢者の胸のあたりの壁は抉られていた。形から剣戟の痕のように見える。
偶然こうなったようには見えない。狙って付けたような角度だ。
魔力の流れを感じ、壁画の錫杖部分に触れると、目の前に壁の奥へ続く通路が現れた。
進んでいくと、似たような小部屋に辿り着く。奥に一段高い場所があり、壁には文字が刻まれていた。
『穢れなき魂を救世の旅路へ』
それ以外、この空間には何もない。
おそらく奪われたのだろう。あの壁画に痕を刻んだ主だろうか。
この遺跡が造られた頃には、ここには大賢者メトラが力を込めた術具――光の遺物があったはずだ。
だがウルゼノスの遺跡と違い、罠も瘴気もない。これでは盗掘し放題だろう。
俺は再び長い階段を登り、遺跡を後にした。
書庫の叡智は本物だ。今回またひとつそれを証明した。
遺跡は書庫の文献にそのまま載っていたわけではないものの、いくつか関連するものを読み解いていくうちに、ある程度場所の見当をつけることができた。
この世界には魔の森や山のようにわかりやすい瘴気の溜まり場が存在するが、そこまで顕著ではないにしろ土地によって属性の強弱がある。
遺跡の発見に、書庫から得るこうした知識も役に立った。それらの助けなしに、短期間でここまで辿り着けたとは思えない。
今後も方針を大きく変える必要はないだろう。
闇の遺物を追い、コハルを守護しながら所有者になる方法を探る。
そして闇の遺跡を探索する間だけは、瘴気に弱いコハルを安全な場所や相手に託しておくほかない。
今回リチアにコハルを預けたのは、信用に足る人物と判断したわけではなく、単なる実験だ。
リチアの有する魔力は高く、魔術の才能もある。
俺と違い使えるのは風属性のみのようだが、少なくとも今の俺の風属性を大きく凌いでいる。
そうした自覚がない態度を取っているが、それが本当なのか、周囲を欺く嘘なのかまでは見抜くことができなかった。
もし正体を隠した魔術士なのであれば、俺たちに近付く理由は書庫とその鍵くらいしか思い当たらない。それなら所有者になるまではコハルを殺す理由はない。俺同様、守ろうとするはずだ。
鍵を盗まれたなら、後で取り返せばいい。もしも所有者になる方法を知っていれば、ついでにそれも吐かせる。
もっと別の理由でコハルの命を狙われた場合、今頃残念な結果になっているかもしれないが……。
少なくとも行動を共にする間、リチアから殺意は感じなかった。
しかしこうやって必要以上に疑心暗鬼になるのも馬鹿らしい。
万一の事が起きるなら渡した腕輪の実験にもなると思い、預けることを決めた。
あの銀は闇属性と相性がよく、耐久性も高い。俺の服に付いている鎖もどうやら同質の物のようだ。
強い術であるほど、それを込める物の素材を選ばなければ耐え切れずに崩壊してしまう。
買った腕輪には、コハルに渡す前に強力な闇の障壁を込めておいた。もし害を成そうとする気配があれば、自動で発動するように設定してある。瘴気の間で骸骨たちが勝手に動き出したのも、似たような仕組みだ。
たとえリチアが風の攻撃術を使ったとしても、俺の闇の障壁を上回ることはない。
もしもの時に冷静に逃げられると豪語したのだから、後はそれを信じるしかない。全く当てには出来ないがな。
ついでに探知しやすくなるよう、腕輪には印をつけておいた。
その効果が出ていれば、今までより遠距離からでもコハルの位置を確認できるはずだ。書庫の鍵よりも強い反応を示してくれることを期待している。
遺跡を出てしばらく風の術で走ったところで、探知を始める。
すると、腕輪の反応だけ返ってきた。
ライカースまではまだ距離がある。探知しながら移動を続けていると、町に近付いてきたあたりで書庫の鍵の反応も返ってきた。
なかなかいい結果だ。やはり自分の闇の魔力は感知もしやすい。
町に入る手前で、腕輪と鍵の反応が同じ場所から返ってきた。
一応、言いつけ通りにしているらしい。風の術を切り、歩いて宿に向かう。
腕輪と鍵の反応から、コハルは俺たちの部屋にいるはずだ。
しかし近付くにつれ、違和感が大きくなる。
妙に静かだ。……静かというよりも、気配を感じない。
音を立てて扉を開き、部屋の中を確認する。思った通り誰もいなかった。
隣の部屋も確認するため踵を返そうとした時、備え付けられた机の上にある物が視界に飛び込んできた。それを見た一瞬、思考が停止する。
そこには白紙を開いた書庫の鍵、銀の腕輪、そして腕輪の下に一枚の紙切れが置かれていた。
探知の反応はこの部屋から返ってきた。二つともここにあって然るべきだ。
問題は、持ち主の姿がないということだ……。思わず片手で頭を抱える。
腕輪の下の紙切れを手に取る。そこには虫がのたくったような汚い文字が残されていた。
『リチアときょうかい。ちかい。すぐかえる。 うでわ、かえす。 コハル』
…………誰だ、この幼児は。