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あの鈍臭そうな女の話を聞いた効果なのか、蔵書が増えた。
ただ、どうやら増えたのは精霊と精霊術に関するものだけのようだ。
一冊くらいは魔術書もあるだろうと探すも、見慣れたものしか出てこない。ぬか喜びさせられた。
気は進まなかったが、新たな文献にも目を通しておくことにした。
精霊術は、どうやら魔術の才能が無くても精霊と契約さえできれば使えるようになるらしい。
ただしどんな術を得られるかは契約する精霊次第だ。上級の精霊であれば相応の術が使えるようになるが、下級ならばそれなりのものとなる。
精霊は気に入った人間とだけ契約を結ぶらしい。どういう人間を好むのか、法則なども特にないらしく、才能よりも運の要素が強い。
精霊と精霊術には謎めいた特徴が多い。
まず魔術に比べると、術の威力が劣る。
同じ術を使っても術者の力量によって威力に差が出るのは魔術も同様だが、そういった力量や才能の話ではなく、精霊術そのものの特徴のようだ。
その劣化を『女神の加護』と呼ぶらしい。……それは加護ではなく呪縛だろう。
また、威力の劣る理由の一部になってもいそうだが、契約できる精霊の多くは『数種類の属性が混ざっている』。
純粋な六属性の精霊もいるようだが、契約できたという記録はほとんどないようだ。これは以前倒したスピリットの特徴とは真逆だ。奴らは一属性に特化していることが多いらしい。
精霊とやらを実際に見たことがないので、一体どういう状態なのかはわからない。
だが属性を混ぜると術の威力が落ちるのは魔術と同じだ。そのせいか、精霊術は攻撃よりも回復や支援効果のある術を得意としているらしい。
そしてこれが一番理解し難い特徴だ。精霊は『名』を与えられたものの方が強力になるという。
勝手に好きな名を付けて呼べばいいというものではないらしく、精霊自身が与えられた名を認めることでそういった変化が現れるようだ。
契約した精霊が契約者の付けた名を認めない場合もあれば、逆に新しい契約者を得ても以前の契約者に付けられた名を名乗り続けるという例もあるらしい。
名前ひとつで強くなるなら、最初から自分で好きなものを名乗ればいいだろうに。面倒な奴らだ。
精霊術は魔術の衰退以前から廃れて久しいようだが、それも当然だろうな。
精霊とかいう稀少な存在とどうにか契約出来たところで、属性も術の種類も選べず、魔術の劣化版の威力しかない。こんなもの誰が使いたがるんだ?
有り難がるとすれば魔術の才能が無いコハルのような奴だけだ。あいつの場合は魔力も無いのだから、もし契約する精霊がいればそいつの負担が大きすぎる。コハルにとっては丸儲けだが。
それにしても、肝心の瘴気を退ける術とやらが見当たらない。
精霊が契約者に『邪悪を退ける加護を与える』という曖昧なものはあるが、風属性のそれで魔物や瘴気を回避できるとまでは書かれていない。
精霊石というのは、結局は精霊術と相性が良いというだけの物だ。この町で購入した銀製品と似たようなものだろう。あれは闇属性の魔術と相性が良い。
思った通り、精霊術からは望むものを得られそうにない。
……ただこうして蔵書が増える可能性があるなら、試しにあの女の依頼を引き受けてもいいだろう。
俺は読んでいた本を棚へ戻し、魔術書を読むためその場を移動した。
ふいに意識を引き戻される。見ると、目の前のコハルが俺の手を掴んで、開いた書庫の鍵の白紙に押し付けていた。
「……何をしている」
「あ、起きちゃった?」
手を本に押し付けたまま、続ける。
「昨日言ってたでしょ、俺の望みを叶えろって。魔本に望みを叶えてもらえるように、試しにアメジストの手を魔本に食べさせてあげたらどうかなと思って」
でも食べないね。アメジストの手は美味しくないのかな?
相変わらず何がしたいのか不明だ。呟くコハルの手を振りほどき、膝の上から降ろす。
「昨日のことは忘れろ。……お前に何かを期待するのはやめた」
少し冷静になってみると、馬鹿馬鹿しい気分になってきた。
近頃は、コハルの守りを固めようと必要以上に焦っていた気がする。
俺の目的は力の増強だ。コハルを守ることではない。
書庫の消滅を避けたいのは、あくまで目的のために有益だからだ。
いくらコハルという不安要素が大きいとはいえ、優先順位を見失うほど没頭しては意味がない。
もっと本来の目的を重視して動くべきだ。
「生きろ。もう課題はそれだけでいい」
半ば諦観して言うと、コハルが頬を膨らませた。
「起き抜けにひとを馬鹿にするのが挨拶代わりと思ってるのかな? 朝は『おはよう』と言ってはじめるものなんだよ。ちゃんと覚えようね」
「あの女の依頼を受けに行く。さっさと支度しろ」
不満げにまだ何か言い続けていたのが、一瞬で表情が変わる。何がそんなに嬉しいのか、満面の笑みを向けてきた。
「ありがとう、アメジスト! この調子でどんどん人助けして、真っ当な人間になろうね!」
俺よりも先に、本に人の手を食わせようとする奴を真っ当にするべきだと思うが。
部屋を出て、階段を降りていたところでコハルが転んだ。
とっさに抱き込んでから、気付く。落ちても死ぬほどの高さではない。後で回復術をかけるくらいでよかった。
焦りを感じたことに無性に腹が立つ。
「何もない所で転ぶ方が難しいと思うんだがな」
反省しているとは思えない態度で謝った後、何かに気付いたような顔をする。
「もしかしたら今の、悪い精霊さんのいたずらじゃないかな……! 人を転ばせる専門の奴とか、そういうの本当にいそうじゃない!?」
……いっそこの手で、確実に死ぬような場所で転ばせてみるか……?
俺は湧き上がる殺意を押し殺し、まだ何か言っているコハルを置いて先に進んだ。
◇◇◇
朝食後にリチアの泊まっている宿の部屋を訪ねると、もう顔色も戻って元気そうな様子で平謝りされた。
気にしないで、と手をひらひらさせながら続ける。
「それより、今度こそ依頼の詳しい話を聞かせてくれるかな? 力になれるかはわからないけど、こう見えてアメジストはかなり強い魔……」
そこまで言って、思い出す。そういえば、リチアの所属する聖穏教会ってところは魔術士を毛嫌いしているのだった。正体を伏せておいた方がいいんだろうか?
「えっと、アメジストは……強い……魔王です」
「まおう、ですか?」
こてん、と愛らしく小首を傾けるリチアに、私は急ごしらえの魔王設定を説明した。
魔王とは、世界征服を目論んだり、お姫様を攫ったり、魔物だらけの魔王城でのんびり勇者が来るのを待っていたりするような生き物なんだけど、アメジストは今のところまだそういう悪事は働いていないから安心して依頼してくれて差し支えないかと……
必死に解説していると、後ろから頭を鷲掴みされて冷気をガンガンに放出された。
凍死させられる前に、私はリチアに素直に謝ってアメジストの正体を明かすことにした。でも真の正体は魔王だと私は今も確信を持っている。
私たちは宿を出て、また適当な喫茶店に移動した。
念のためメニューをじっくり確認し、お酒がないことを確かめる。リチアも全く同じことをしていて、目が合ったらちょっと恥ずかしそうな笑顔を見せた。
うふふえへへと笑い合う私たちの空気を切り裂いて、魔王がリチアに話の続きを促した。
依頼は基本的には昨日聞いた通り、失くした聖浄石を取り戻したい、というものだった。
場所もだいたい見当がついているという。魔物が生息する魔の山という所らしい。
魔の山はここから南東の方角あたりから始まって、東のスロシュ領の先まで長く広がっているそうだ。怪しい場所は一日くらいで行ける距離らしい。
……アメジェットならもっと早く着くだろうから、アメジスト一人で行ってきてくれないかなあ……。
「それにしても、旅司祭って魔物の生息域まで行かなきゃいけないの? いくらその石が魔物を退けるっていっても、やっぱり危ないんじゃない」
「いえ……実際に魔の山に立ち入ってはおりません。近くを通った時に、奪われてしまったのです」
リチアが言うには、魔の山に近い道を歩いていた時のこと。突風が吹いてうっかり持っていた聖浄石を手放してしまったら、それを巨大な鳥が空中で見事にキャッチして咥えていってしまったのだという。
「え、魔物を退ける石じゃないの? その鳥魔物には効かなかったのかな?」
「わかりません……。ですが魔物ではないようにも見えました」
私たちは注文した飲み物が届いたので、まずアルコール臭がしないか念入りに確認した。また顔を見合わせて微笑み合う。うふふ……。
石を奪ったやつは、ただのでかい鳥ってことなんだろうか。
しかし鳥の飛び去った方向は、魔の山の頂上付近だったという。
魔物に負けないくらい強い鳥ってことなのかな?
「精霊術程度なら、それを凌ぐ力のある魔物くらいいるだろうな」
アメジストは聖浄石の効果の方を疑っているみたいだ。
持ち主の前で平気でそういうこと言うんだから、まったく……。
リチアが座ったまま姿勢を正すと、アメジストに向き直った。
「聖浄石を取り戻していただくことが依頼内容になります。それともし可能であれば、私も同行させてください」
私は思わずジュースを飲むのを止めてリチアを見た。真剣な表情でアメジストの返事を待っている。
えー。なんでわざわざ危ないところへ? アメジストに任せておけばいいのに……。
「護衛も兼ねろということか。それなら報酬の額も上がるぞ」
「はい、もちろんです」
リチアが頷く。ええー、そのくらいオマケしてあげろよ。魔本相手なら私込みでタダで守るくせに。
私は黙ってられなくて、隣に座るアメジストを引き寄せ、耳打ちした。
「私、二人が戻ってくるまで絶対に宿から出ないで大人しく待ってるから。だからリチアさんと二人だけで行ってあげて。あの風の術で飛ばせば、すぐ行って帰って来れるでしょ?」
あのアメジェットは、さすがに私とリチア二人を抱えたりしたら危ないだろう。冗談ではなく交通事故が発生する。
正直アメジストの護衛代を傭兵ギルドの銅等級レベルまで安くするのは無理があっても、その分日数を縮めれば額も抑えられるはずだ。
アメジストが横目を向けた。そうしておやんなさい、とアイコンタクトを出す。
「護衛代の方は相場より安くしてやる。その代わり、依頼を達成した後で一日こいつを預かれ」
私の言葉を無視して、妙な提案を始めた。
はあ? 私をリチアに預ける? なんだそのペットか何かみたいな扱い。
「俺が戻るまでの間、宿の部屋で共に過ごし、こいつがフラフラと出歩かないように見張っているだけでいい」
本当にペットを知り合いに預ける飼い主のような物言いだ。おかしいだろ?
「え、ええ……? それは一体……」
リチアも完全に困惑顔だ。
「ちょっと、アメジスト。いい加減にしてくれる? そんなのリチアさんに頼まなくても私一人でできるから」
というかまともにお留守番すら出来ない17歳、という事実と異なるレッテルを張られるのは看過できない。しかもたった一日。ナメとんのか。
睨む私を無視して続ける。
「条件を飲むなら護衛代は、傭兵ギルドの最低額でいい」
え!? ……傭兵ギルドの最低って、確か銅等級の人たちは一日50カラトくらい、ってラズが言ってたはず。
私は思わずリチアの方を振り向いた。ぽかんとした顔でアメジストを見ていたけど、私の視線に気付くと、きりっとした表情に戻して言う。
「それは私ではなく、コハルさんの意思を尊重してはいかがでしょう? 私の目にコハルさんは、アメジストさんのおっしゃる幼い子供かのような方には見えません。一人前の女性に対し、本人を無視してそのような提案をなさるのはいかがなものかと思います」
リ、リ、リチアさあぁぁ~~~ん!!!
私は思わず胸の前で手を組み、毅然とした態度でアメジストに向き合うリチアに崇拝の眼差しを送った。
見た目も天使もしくは天女なら、リチアは心までも本物のそれだ。さすが聖職者いや、女神。リチアこそが女神様だった……!
そんな女神の有り難いお説教を賜ったはずの魔王が、いつもの無表情で口を開く。
「そうか。だったら相場の通り――」
「私、リチアさんとお留守番したいな!」
リチアが驚いてこっちを向いた。それに笑顔で頷く。
「旅のお話とか色々聞きたいし。もちろん、リチアさんの都合がよければだけど。それとも何か急ぎの用事とかある?」
「い、いえ。ありませんが……」
「じゃあ決まり。アメジスト、銅等級の護衛って一日50カラトだから」
私は返事に窮するリチアを制し、半ば強引に話を進めた。アメジストが頷く。
リチアの言葉で、ペット(それか頭悪い子。)扱いへの怒りは浄化されてしまった。と同時にリチアの金銭的負担を少しでも減らしてあげたいという気持ちでいっぱいになる。
リチアのお給料がどのくらいかはわからないけど、アメジストが推定金等級以上の超高額商品とは思ってない可能性がある。もし借金なんかするはめになったら大変だ。この町には悪質な金融業とか本当にありそうだしな。
「帰って来たらリチアさんといっぱいお喋りできるなんて、今から楽しみだな。それじゃ、さくさくっと聖浄石を取り返しに行きましょー!」