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「後ろー!!!」


 喚く子供が指差す方向を振り向く。また魔物か。少しは歯応えがあるといいんだが。


 それにしても、拾って正解だった。本はこいつ以外の者では“開けない”。

 所有者権限というものらしい。

 子供が本を読み始めると微弱な魔力の流れを感じた。それを追っていき、妙な場所に辿り着いた。

 俺はどうやら意識だけをそこへ飛ばした状態だったらしい。不安定な状態で調べるのは苦労した。次は本体ごと行けるか試すことにしよう。


 叡知の書庫、とでも呼ぶべきだろうか。


 本の魔力を辿った先は、広い円柱型の空間になっていた。壁側は全て本で埋まった本棚になっている。

 壁に沿って螺旋階段が走り、途中に二つほど踊り場のような空間がある、およそ三階建ての書庫だ。

 俺は魔力を使ってどうにか手だけ具現化し、本を読み漁った。


 目録のようなものは特にない。本はある程度主題や内容ごとに分類されているようだが、読んだ本を閉じ、また開くと内容が変わることもあった。

 そうすると大抵は、以前読んだ本の内容よりも段階が上のものに変わっている。読み手の知識量によって内容が変化するのかもしれない。


 魔力や魔術といったことも、ここに来て初めて知った。

 今まで名称すら知らずにやっていたことは、まだまだ幼稚な使い方だったと理解した。なかなか奥が深そうだ。


 初歩的なものから上級向けのものまで魔術書を何冊か読破した頃には、この書庫がどうしても欲しくなっていた。

 ……あの子供から所有権を俺へ移す方法はないだろうか。

 次はそれについて調べようとした時、視界が歪み、意識が強制的に引き戻される。


 気が付くと、背後に魔物が迫っていた。

 今まで現れたものよりはかなり大型で、その分動きはそれほど速くない。

 観察していると、魔物が口から粘液のようなものをこちらに飛ばしてきた。

「んぎゃー!」

 叫ぶ子供を抱え、跳ぶ。さっきまで居た場所にばしゃりとそれがかかり、植物が焦げる臭いが辺りに漂った。


「うわっ草溶けた!? 毒? 酸?」

 魔物から離れた場所に子供を降ろし、一応確認する。

「お前、魔術は使えるか?」

「えっ? ……ま?」


 首を傾げて見上げてくる。どう見ても戦力にはなりそうにない。あの本の扱い方を見るに、全く期待はしていないが。

 今ので本を落とさなかっただけましか。

 本を両手で抱えて座り込む子供に、先程書庫で知った魔術をかけた。

 子供の周囲を包み込む、不可視の障壁が生じる。この中にいればあの程度の攻撃は防げるだろう。


「終わるまでここを動くな」

 子供が頷く。それを確認してから鎌首をもたげている魔物の前まで戻った。

 魔物は粘液を吐いた場所からは移動せず、こちらを窺っている。


 書庫から得た知識を試すため、なるべく威力を抑えた術を用意する。

 まずは、さっきの戦闘で何度も使った魔力の塊を放った。

 魔物が再び粘液を吐いて、俺の魔術に当てる。粘液に絡めとられるように包まれて、闇の塊がその中で消滅した。

 そのまま地面に落ちた粘液は、先程よりも勢いよく辺りを焦がす。……成程な。


 魔術には『属性』というものがあると知った。俺が無意識に使っていたのは闇属性らしい。

 そしておそらく、この魔物がさっきから放っている粘液は水属性だろう。


 闇属性は水属性より上位の属性だ。

 地、水、火、風の四属性の上位に光、闇の二属性がある。


 本来なら、闇属性攻撃は水属性攻撃に打ち勝つ。だがそうはならず、逆に向こうに押し負けたようだった。

 今回は相手の威力がこちらよりも大きく上回っていたということだろう。だが敢えて力を抑えたからこれは想定内だ。

 次々飛ばしてくる粘液を避けながら、一旦距離を取った。


 相変わらず魔物は同じ場所から動かない。何か動けない理由でもあるのだろうか。

 もしそこから動かないのなら、術で強化した身体で直接攻撃すればいいのかもしれないが、それはさっきの戦闘でさんざんやったからな……。

 とりあえず、探ってみるか。


 俺は術で身体強化を施し、攻撃ではなく回避や防御に集中した。これも闇属性だ。

 身体能力が全体的に向上する。だが闇の特性なのか、能力を向上させる効果は平均的なものに留まり、こちらの動き次第では相手の感覚機能を低下させやすい、といった効果が生まれる。


 闇属性の術は、相手の身体機能や能力を低下させる性質が強いらしい。

 攻撃や防御、速度上昇などのわかりやすい物理面の強化は、四属性の方が得意だそうだ。

 ……やはり他の属性、特に四属性は早く扱えるようにならなければ。


 魔物の粘液を避けながら、森の奥――尾に近い方へ少しずつ移動していく。

 粘液を飛ばすのは諦めたのか、胴体を鞭のように動かして牽制してくるようになった。木や茂みをなぎ倒し、押しつぶそうとしてくる。

 攻撃を避けて奥へ進むと、急に視界が開けた。


 低木の多い、ある程度開けた空間に出る。その中央に、小さな沼があった。

 魔物の胴体の先はそこで途切れている。頭側よりはかなり細くなってきたが、尾の先はまだ見えない。沼の中に入っているのだろう。


 水面は黒く濁っており、底はまったく見えない。近付いて覗き込むと、中から槍のようなものが飛び出してきた。

 そう来るだろうと思って事前に張っていた障壁を、それは貫いてきた。だがお蔭で動きはかなり落ちた。片手でそれを掴む。

 漆黒の槍の穂先のような、円錐型のもの。多分これが尾なのだろう。


 だが尾はその一本だけではなかったらしい。同じようなものが次々と水面から飛び出し、こちらを狙ってくる。

 一旦手を離し、尾の連打を避けて沼から離れた。尾は全てまた沼に戻ったようだ。頭や胴体と違って動きが格段に速い。

 さっきよりは多少、強度の高い障壁を張る。一斉にかかってこられたらそのうちまた壊れるだろう。尾は全部でいくつあるのか知らないが。


 だが尾を掴んだ時の感覚といい、この沼といい、こいつは間違いなく水属性に特化した魔物だ。

 ならば試してみたいことがある。俺は意識を集中させた。


 闇の力を深く掬い、大きく錬り上げる。辺りが一段暗くなり、闇の気配が濃く漂い始めた。


 また沼から飛び出してきた尾がこちらに向かってくる。その攻撃を数回弾いた後、障壁が壊れた。

 黒い槍が俺の頭のあたりを狙ってきた。見てはいないが、おそらく背後からもいくつかこちらに向かってきている。


 だが間に合うだろう。尾が眉間の手前あたりでぴたりと止まる。そしてその先端が徐々に溶け始めた。尾が慌てた様子で全て沼に戻っていく。

 術が完成した。


 黒雲が空を覆う。この空間の上空だけだが。

 黒い火花のようなものが雲の周囲に生じ、明滅する。丁度沼の真上にひときわ分厚い雲がかかると、沼の水面にさざ波が立った。

 水面から勢いよく水蒸気が立ち上り、それを吸って雲が一気に発達する。火花も数が増えて激しくなっていった。


 魔物の胴体がずるずるとのたうつ。焦って逃げようとしているらしいが、水面から尾は出てこない。

 きっと出せないだろう。術の影響でそろそろ溶けて沼の一部になっているはずだ。

 一瞬、すべての音が止む。

 直後、黒雲の中から漆黒の槍――あの尾に似ている巨大なものが顔を出した。

 そのまま真下にある沼へ落下する。


 巨大な稲妻のように、轟音と共に槍が沼の中心に突き刺さった。


 爆風で周囲の樹々が音を立ててなぎ倒れていく。

 槍が消え、しばらくして地響きも収まると、そこにもう沼はなかった。

 代わりに陥没した地面と、焼け焦げた魔物の体だけが残されている。


 属性の力関係の一つに、闇は下位の地・水の力を吸収できる、というものがある。


 これは火・風には適用されない。火・風を吸収できるのは光属性だ。

 つまり上位属性二種は、それぞれ下位属性二種に基本的に力で勝るだけでなく、力を無理矢理奪い取れる。

 ただしこれは術者の力量や術の威力などが、相手のそれよりも上回っていればの話だ。

 こうした属性の力学は他にもあるようで、まだ全てを理解しきれてはいない。また書庫に渡った時に、もっと詳しく学ぶ必要があるだろう。


 今回、水属性に偏った魔物だったため、俺の闇属性の術で力を吸収できるのかと試すことにした。

 どうやら成功したようで、思ったよりも威力の高い術になった。

 魔物の死骸の損傷も大きくなってしまい、そのせいか、黒い靄は少ししか吸い出せなかった。術の直後はむしろ大量に靄が出ていたが、爆風で流れてしまったようだ。


 魔物から出るこの黒い靄を吸収すると、何故か魔力や体力が回復する。この謎の現象についてもいずれ調べるとしよう。


 つまり、まだあの子供が必要だということだ。


 俺は僅かに残った魔物だったものの残骸を踏み、元いた場所まで戻った。



   ◇◇◇



「あの、何度も助けていただいちゃったみたいで、ありがとうございました。私、……コハルっていいます」


 猿顔の蛇を真っ黒な稲妻らしきもので倒して平然と戻ってきた黒い人に、ちょっと悩んでから、私は名前だけを名乗ることにした。

 今まで読んだファンタジー小説なんかだと大抵、異世界ってファーストネーム呼びだった。黒い人の風貌もどことなく西洋風な感じだ、いかにも日本人なフルネームを名乗って、どれが名字でどれが名前?的な混乱が起こっても困る。


 正直に言えば、この人にフルネームを教えることになんらかの抵抗感を覚えました。

 だって絶対やばい人だもの。やばさが「異世界だから。」っていう言葉じゃ誤魔化しきれないレベルなんだもの。


 とはいえ命の恩人だ。

 こちらの話を全然興味なさそうに、私が触ると中身(?)が浮き出る魔法の本、略して魔本を手に取り、いろんな角度から眺めたりめくったりしている黒い人に、ここは聞いとくべきだろうと思って名前を尋ねる。

 すると、「知らん」と返ってきた。

 知らんのか、自分の名前。超人的なこと連発しといて意外と基本的なこと知らないんですね。……。


「ええっ、名前が無いんですか!?」


 さすがにつっこむしかない。じゃあ今まで周りになんて呼ばれてきたの? やっぱ黒いの吸う人? 愛称はくろす君とか?

「さあな。覚えてない」

 お、覚えてないだと。最初から無いわけじゃないけど、忘れたってこと?

 その方が逆にすごい……いや待てよ。


「もしかしてそれ、記憶喪失とかいうやつですか……?」

「かもな」

 さんざん本を眺めて気が済んだのか、黒い人が私に魔本を返してきた。


「そんなことより、この本を絶対に失くしたりするなよ。それと俺以外の者には見せるな。服の中にでも隠しておけ」


 自分の記憶喪失の件をそんなことって言ったよこの人。

 にもかかわらず、魔本にはあからさまな興味を示してくるのがとても恐ろしい。


 私の頭の中で警鐘が鳴り響く。こいつ……間違いなくこの魔本欲しがってる。獲物を狙う猛禽類みたいに。

 でもこの人なら私なんてあの猛獣たちと違ってデコピン一発で即死……冗談じゃなくガチで即死だわ、怖い想像はやめよう。

 つまり私から魔本を奪うのなんて簡単だろうに、なんでそうしないんだろう? やっぱりあの謎の浮き出たり消えたりするシステムのせいで、私から奪っても意味がないってことなんだろうか。

 本に優しく接して安心させてあげるとかじゃ駄目なのかな。いや私もそんなのやった覚えないけど……。


 ……もし、もしもだよ。万が一、私だけにしか使えない魔本なんだとしたら。

 この人どうするんだろ? その時は諦めるのかな。……諦めてくれますよね……?


 とはいえ今は未来の恐ろしい想像をしてても仕方ない。あんな猛獣、いや魔物たちがうろうろしてる森なんだから、早く脱出しないと。


「あの……それで、どうしたらここから出られますかね」


 言われた通り服のポケットに魔本を収納しつつ尋ねる。

 ギリギリだけど多分外からは見えないはず。いわゆるカンガルーポケットなので収納力が高い。

 制服じゃなくてよかった。もしスカートのウエストに挟んだりしたらいつ落ちるか心配だしね。あと食後は本を入れる隙間がなくなる恐れが。


 あ、ちなみに私、女子高生ってやつです。

 でも今の姿は、着古したゆったりめのパーカー(ポケットに魔本入り)+下は部屋着ジャージ+中学の頃から履いてる年季物スニーカーという、お家でごろごろ兼近所のコンビニ訪問着です。

 何故だ、どうしてこんな服の時に限って……。

 それはともかく。記憶が無い人に道を聞いてどうにかなるのか、とも思うけど、今はこの人に頼るしかない状況だ。


「……そうだな。そろそろ出るか……」


 無表情だけどなんか残念そう。魔物ごろごろの森だよ、名残惜しまないで?

 黒い人、記憶喪失なのに何故か妙に自信ありげに歩き出した。慌てて追いかける。

 どっちにしろ、また魔物が出たら私一人じゃどうにもならない。自信があろうがなかろうが、今はこの人についていく以外にないのだ。


「あのー、差支えなければですけどー。何かお名前付けてもいいですか?」

「名前?」

「はい、……あなたの」


 振り返った黒い人に言う。

 こういうのは早めの方がいいはず。タイミング逃すとなんとなく言い出しにくくなりそう。

「記憶が回復するまでのとりあえずの呼び名っていうか。名前が無いとやっぱり不便かなーと思うので……」

 毎回黒い人って呼ぶのもな。他の人に腹黒い人とか黒社会で生きる人って思われたらいちいち訂正するのも面倒だし。そのうちそんなに間違ってない気がするから訂正しなくていいやってなりそうだし。


「……勝手にしろ」


 ぼそっと興味なさそうに呟いてから、黒い人が前を向く。

 歩幅がかなり違うので必死についていきながら、頭の中で名前の候補を挙げていく。

 クロス、クロウ、ラクロス、クロッカス、ミクロ、ノドグロ…………

 いや黒から離れよう自分。

 でも私の中ではもう黒はこの人のアイデンティティそのもので……と思うものの、よく見たら服は黒いけどこの人自体には黒い色がない。

 肌は男の人と思えない白さだし、髪は淡い青紫だし、瞳は―――― あ!


「アメジスト! ……ってどうですか?」

「好きにしろ」


 今度は振り向きもしない。はい、好きにします。


 頭の中に天啓のように閃いた名前。これって何だっけ? とよく考えてみたら、そういう名前の紫色の石があったことを思い出した。

 そう、この人の瞳の色は、髪よりも濃い紫なのだ。髪は青みがあるけど、瞳はもっと赤の割合が多い色合いで、ザ・紫色だ。アメジストってこんな感じの色だったはず。

 我ながらなかなか良い名前を付けた気がする。


「アメジストさん。しばらくの間よろしくお願いします」


 たとえ相手がどんな人であろうと、礼儀は大事だよね。と一度立ち止まってお辞儀した。……でも完全に無視された。酷い。








 しばらく歩いたところで、私はまた天啓のように閃いてしまった。正確には、あることを思い出した。


 魔本で途中まで読んだあの物語。姫と竜の恋愛小説。

 そこに出てくる姫の騎士であるイケメン竜の名前が、『アメジスト』だった。


 …………ああー。やっちまったー。


 人との会話でふと思いついて言った良い感じの台詞が、好きな作品の中のものだった。とか、無意識に影響されてるやつのあるあるだ。

 記憶喪失と聞いて、きっと潜在意識があの物語と結びついたんだろう。竜は怪我で記憶を失う設定だから。

 顕在意識で気付けよ自分。さっき読んだばかりの話だぞ。私の記憶喪失っぷりの方が重症かもしれない……。


 でもこの人の瞳の色、石の方のアメジストに似ているのも確かだから、セーフだよね?

 飼ってる猫に好きなキャラの名前付けたって言ってた友達とかいたし。これはごく普通のことなんじゃないかなーうん。

 …………猫じゃなくて人間だけど。

 いや、強さが尋常じゃないから人間じゃないかも。そんな気がしてきた。むしろこの人が人間であるわけがない。

 だからオッケーってことにしよう。


 私はそれ以上深く考えないようにして、知らない間に謎のキャラの名前付けられちゃった人――――アメジストの背中を追うことに集中した。


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