25
傭兵ギルドの建物の壁にもたれて、暇な私は鼻歌を歌っていた。
曲は大根とデュエットした女神様を讃えるやつだ。
アメジストはギルドの中で、倒した魔物の証拠品を鑑定してもらっている。
そうした戦利品は、何かの素材として使える物なら換金できる。と以前ラズに教わった。
なので面倒臭そうにするアメジストを説得して、黒い靄をすする前にそれらしい部分を集めておくようにしている。
はじめのうちは私も隣で眺めていたけど、なんせ数が多いので時間がかかる。
その上レアな素材があったようで、受付の人が仰天してもっと専門的な鑑定人を呼んできたりと、ちょっとした騒ぎになった。
魔物の牙だの皮だのをためつすがめつ、専門用語をまくし立てる鑑定のプロ。なんだかんだそれを興味深そうに聞くアメジスト。
ちょっとついていけないなと思って、外の空気でも吸うことにしたのだった。
だんだん日が傾いてきた。それほど規模の大きい町ではないようで、行き交う人はまばらだ。店仕舞いを始める様子なんかもちらほら見える。
茜色に染まり始めた通りをぼんやり眺めていた時。
足音が聴こえる。と思ったとたん、すぐ脇の横道から人がとび出してきた。
一瞬、太陽がそのまま目の前に現れたのかと錯覚しそうになった。
西日を受けて輝く金髪に、アメジストを見慣れた私でも思わず唖然としてしまう整った顔。身長も年頃も、だいたいアメジストと同じくらいだろうか。
服装は地味な旅人風だけど、なんというか正統派の王子様って感じだ。
その王子っぽい人が道の真ん中で、どことなく厳しい顔つきで辺りを見回す。
鼻歌を止めて眺めていると、こちらに視線を向け――不自然に動きを止めた。
それまでどこか張り詰めた空気と表情だったのに、呆然としている私と負けず劣らずの呆然顔になっている。
何故かぽかんとした表情のまま、私に向き直ると明るい水色の瞳で見つめてきた後、小首を傾げた。
「君、――精霊さん?」
…………なんて?
せいれい? ってファンタジー小説とかに出てくる、妖精さんみたいな?
「……いえ、人間です」
「……そうだよね」
とりあえず人類と主張すると、あっさり認めた。なんで質問したの。
出会い頭に不思議なことを言ってすぐ撤回し、にこっと爽やかな笑顔を浮かべる。たとえ妙な発言をしても、この世の真理のように感じさせるキラキラなオーラが逆に怖い。アメジストとはまた別の方向にやばい人かも……。
「驚かせてごめん。君のような不思議な人に、はじめて会ったから……」
ふ、不思議な人!?
いやいや、完全にこっちの台詞ですから!!!
自分を思いっきり棚に上げた発言に不服を申し立てようとしたら、不思議さん(と呼ぶことにした)が笑顔を引っ込めた。切り替えの早さに思わず言葉を飲みこんでしまう。
「それより、ここは危険だ。すぐに離れた方がいい。……魔物が出るかもしれないんだ」
「えっ!? こんな平和そうな街中に魔物!?」
真剣な表情と言葉は、冗談を言っているようには見えない。
私に警告すると、腰に下げた剣に手を添え、再び周囲を警戒するように見渡した。それをオロオロ見守り……はたと我に返る。
いや、うちには魔物大好き戦闘狂がいるじゃないか。頼まなくても喜んで狩りにくるであろう変態が。
私は少し冷静さを取り戻して、目の前の不思議さんを見上げた。
「あの、それなら大丈夫だと思います。今ここのギルドの中に、魔物退治が得意な変た――」
突如視界がブレて、最後まで言い切ることはできなかった。
どん、と後頭部が背後にいたものにぶつかる。私の肩のあたりには見慣れた腕が回っていた。
「それ以上近寄るな」
いつの間にか背後に立っていたアメジストが、普段よりも更に低い声を出した。
いきなり現れた相手にいきなり威嚇され、不思議さんが目を見開いて驚く。
初対面の人への態度じゃない。……ただ初対面の私に謎発言をかましてきた人だから、ちょっとお互い様かも……?
とはいえ今は正しい挨拶の仕方を教えている場合ではない。
「アメジスト、このあたりに魔物がいるかもしれないんだって」
真上を見上げて言うと、予想以上にきつく相手を睨んでいた紫の瞳を少しだけ緩めた。
「魔物? ……気配はないようだが」
その言葉に少しだけ安心する。少なくともすぐ近くにいるわけじゃなさそう。
顔を前に戻すと、不思議さんが最初に見た時よりも険しい表情でアメジストを見ていた。
それを受けて、アメジストも再び鋭い視線を不思議さんに送る。
妙な空気を醸し出しながら、無言で見つめ合う二人。
……いや、なにこれ? どういう現場?
馬鹿みたいに顔のいい男同士が熱い視線をぶつけ合う、なんかつい変な妄想をしてしまいそうな場面にいらない具として挟まれた私は、一体どうすれば……!?
「……すまない。どうやら俺の勘違いだったようだ」
怪しいにらめっこを先に降りて、不思議さんが表情を緩めた。手も剣の柄から離れている。
魔物はいないらしい。謎の緊張感漂う空気も終わったみたいだ。私はいろんな意味でほっと胸を撫でおろした。
目が合うと、にっこりと輝く笑顔を向けられた。
「またね。精霊さん」
あれ? 人類って認めてくれたはずじゃ……。
それにまたねって何だ。また会うの? それとも社交辞令的なやつ??
……いや、深く追求したら負けな気がする。不思議ワールドで迷子になりそう。
夕焼けの中を去っていく後ろ姿を呆然と見送っていると、真上からぼそっと呟きが降ってくる。
「……なんだあれは。魔物か?」
それも棚に上げすぎ。
モンスター級の不思議さんとはいえ。アメジストにだけは魔物扱いされたくないだろうな。
◇◇◇
朝、目が覚めるとまた膝の上だった。
膝の上というより膝枕? 地面に座るアメジストの膝に、でろーんと私が横たわっているという謎のスタイルだ。もちろん手には魔本がセットされている。
魔本修行したいなら一人で勝手にやればいいのに。なんでいつも寝ている私まで巻き込むかなー。
あと膝枕するならもっとちゃんとやってほしい。なんか雑なのよ。
今更だけど、私はアメジストが本当に寝ているのを一度も見たことがない。
睡眠時間が少なくても平気なタイプなのだろうか。いきなり魔物の生息域で寝不足で倒れたりしないか、たまに心配になる。
起きたらまたひたすら歩く。
女神様を讃える歌を口ずさんでいると(表情はないけど微妙に嫌そうにされる)、見晴らしのいい丘の上に着いた。
魔物さえ出なければ、なかなか景色のいい場所だ。まあここへ来るまでさんざん魔王が蹴散らしてきたので、今は襲撃も止まっている。ゆっくり景色を堪能しても問題なさそうだけど。
しばらくそこでうろうろしていたアメジストが足を止め、なにやら集中しだす。
するとその足元から一瞬、ぶわっと黒い風が吹き上げて、それが収まると地面に丸い鉄板のようなものが現れた。
やや大きめのマンホールの蓋みたいだ。何か模様が描いてある。この世界の文字に似ているけど、読むことはできなかった。
膝をついたアメジストがそれを動かすと、地下へと続く階段が出現した。
……うげ。これ、アレじゃん。ゲームとかでよくあるやつ。
いわゆる隠しダンジョン。
ついにこの手のやつ来ちゃったかー。
いかにもアメジストが好きそうな感じ。魔物がうじゃうじゃいたりして、戻って来た頃にはレベルアップしてるんでしょ。
一番奥には魔のつくお宝があったり、それを強そうなボスが守ってたり……。
……はぁっ! それか! 魔のつく記憶の手掛かり!
立ち上がり、アメジストがこちらを振り返る。私は爽やかな笑顔を浮かべて片手を上げた。
「いってらっしゃい」
上げた手をふりふりして見送る。
おかしいな? さっさとダンジョンに入ればいいのに、こっちにずかずか歩いてくるぞ。おいやめろ……!
踵を返して逃げようとしたら、やっぱり無駄だった。
長い階段を降りた先は、ほどほどに暗い地下空間が広がっていた。
明かりもないのになぜか周囲のものがギリギリ見える明るさが保たれている。
狭い通路を抜けると、そこそこ広い部屋に出る。そのパターンが何度か続いた。
このダンジョンは一体誰がどうやって作ったんだろう。
石でできた壁はかなり古いような、それほどでもないような……。異世界の建築知識なんて1ミリもない私では全然わからない。(元の世界でも建築の知識なんてなかった。)
最初の広間にはやっぱり魔物がいた。そして瞬殺された。
次の広間は、入る前に何かに気付いたらしいアメジストが私を通路で待たせて、一人で入っていった。
アメジストが広間の中央あたりまで行くと、目の前にいきなり壁が現れた。部屋の入口を完全に塞がれてる。
続いて、ゴゴゴゴ……と地響きのような音が壁の先から聴こえてきた。だけど私のいる場所には変化はなく、揺れたりもしない。
部屋の中だけ、地震!? それとも地響きがするくらい巨大な魔物とか!?
今頃アメジストは部屋の中で潰され……!?
怖い想像をしかけた時、壁が消える。
目の前には普通にアメジストが立っていた。入った時と同じようにピンピンしている。
「い、今ものすごい音がしたけど……」
「ああ。地属性の罠だな」
どんな罠をどうやって回避したのかはわからない。でもそんなの知るより早く帰りたいので、何も聞かずに後に続いた。
その次の広間には魔物が三体。また秒で終わった。
流れ的にさっきよりは強いやつだったんじゃないかと思うけど、早く帰りたいから結構結構。
この通路と広間はあと何回続くんだろう。
前を歩くアメジストの顔は見えない。でも背中からなんとなく楽しそうなのが伝わってくる。
この状況を心底楽しむ奴を情操教育しようとか、我ながら狂気の沙汰だな。
――実を言うとこのダンジョンに入ってから、体の調子がおかしい。
最初は気のせいだと思った。でも進むにつれどんどん悪化していく気がする。
寒気がして全身のだるさが尋常じゃない。めまいもしてきた。
風邪を引いた時とはなにか違う。それよりもっとやばそうな感じだ。
気を付けないと意識が飛びそうになる。本来の意味で。
四番目の広間はまた壁の前で待たされ、またすぐ開いた。少し空気がむわっとしていたから、今度は火の罠だろうか。
熱気の残る部屋に足を踏み入れたら、さらに体調が悪化してしまった。
何もないところで足がもつれそうになる。転ばないように気を付けていると、そのうちもつれることすら出来ないくらい両足が鉛のように重くなった。
それでもなんとか足を前に動かす。
だけど気が付いたら、いくつもの手で抑え込まれているかのように、全身がぴくりとも動かせなくなってしまった。
視界が何かノイズのようなものに邪魔される。
前を歩く背中が、実際の距離以上に遠く感じた。
待って。
淡い紫の髪を掴もうとした両手が空をかく。
アメジストは私の状態に気付かず、ちょうど広間を出ていくところだった。手が届く距離じゃない。それにだいぶ前からもう両手は動かない……なんだ、幻覚か。
乱れ、霞んでいく視界の中で、嫌な音の耳鳴りまで始まった。それがだんだん誰かの笑い声のように聴こえてくる。
ぷつんと電源が落ちるみたいに、私の意識はそこで途切れた。