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 泣いちゃだめだ。頭が働かなくなる。

 私は必死に涙を堪えた。幸いにも、アメジストにかけられた術がそれを助けてくれている。感情とは裏腹に頭のすっきり感は持続していた。


 トルムの意識は魔物に奪われ、操られているらしい。

 アメジストは私が同じようになってしまうのを危惧していた。それなら余計に混乱していないで、言われた通り意識を強く保っておかなくては。

 私はゆっくり深呼吸をした。膝の上に乗せていた頭が小さく身じろぎする。


「…………うぅ……」


 ラズが呻いて、ぼんやりと青い瞳を開いた。


「ラズ! よかった……」


 このまま目を覚まさなかったらどうしようと思っていたから、少しだけ安心した。

 回復術でも完治しなかった痛々しい身体には酷だろうけど。私はラズの頬を両手で挟んで顔を覗き込んだ。


「ラズ、もう少しだけ頑張って。寝ると魔物に意識を乗っ取られるかもしれない」


 ぼうっとした目を向けて、ラズが小さく口を開く。


「……トールは……?」


 一瞬言葉に詰まったものの、起きていろとも言ったんだし、どうせすぐに知ることになるので答えた。


「トルムは魔物に乗っ取られちゃったの。でも今アメジストが何とかしてくれると思うから……」

 途中で頭を動かしたラズが、離れたところで戦う二人に気付き目を見開いた。


「……ール、トールっ……!」


 傷だらけの身体でもがく。慌てて覆いかぶさるようにしてそれを止めた。

「大丈夫だから! きっとすぐ元に戻ると思うから……」

 本当は何の根拠もないのに、私はアメジストが何とかしてくれると繰り返した。完全に他力本願。

 ……さっき聞こえた不穏すぎる呟きは、意識して記憶から追い出す。


 私の腕の中で、ラズの大きな青い瞳からぼろぼろと涙が溢れた。

「ごめ、なさい……悪いの……全部……たし……お願い、トールを助けて……」


 ……ラズ。やっぱり……。

 鮮やかな色の頭を抱きしめながら、なんとなく今までの態度が腑に落ちたような気がした。

 昇級やら家出やらで焦っていたのもきっとある。だけどラズは、トルムが離れていってしまうことが一番不安だったんじゃないかな。

 アメジストに懐いて忠犬の目をしてたし、確かに弟子入り希望と受け取られても仕方ないかもしれない。


 幼馴染の二人はたぶんいつでもどこでも一緒だったのだろう。

 なのに別れが迫っていると感じたなら、それは14歳の女の子の心を乱すには十分だったのではないだろうか。


 さらしみたいなもので胸元を隠しているようだけど、ラズは女の子だった。

 ……改めて見ると、どうして今まで気付かなかったのか不思議なくらいの美少女だ。意識して男っぽい仕草と口調にしていたとはいえ、先入観とは恐ろしい。


 トルムの名前をうわ言のように繰り返して、静かに涙を流すラズの頭を撫でた。

 自分で考えろ。アメジストの冷ややかな低音を思い出す。

 この世界に来たばかりの頃なら……いや今だって、本当はこんな状況考えるまでもなく今すぐ逃げたい。

 でも、今は。ラズとトルムがまた笑顔で再会する未来しか見たくない、と思ってしまった。


 そのためにどうすればいいかなんて全然わからない。

 あのアメジストですら見てる限り防戦一方みたいなのに、私がこの状況を打開できるなんてさすがにそこまでの妄想家じゃないけど。

 どれだけ頭を捻って捻って絞り尽くしても、今の私に出来ることなんてどうせひとつだ。


 私はラズの頭をそっと浮かせて、ポケットから魔本を取り出した。

 アメジストの真似をして目を閉じ、魔本に願う。なにとぞなにとぞ……。

 ……あ、目を閉じたら文字が出てこなくなるんだった。何やってんだか。

 と思ったのに、本が光り出した。驚いて目を開けると、開いたページにはまた簡潔な一行だけが浮かんでいた。


『《ルミナスグロリア》……女神を讃える音色を奏でる。聖なる賛歌は聴く者の心にひとときの楽園を創造し、邪悪を祓う』


 おお!? なんか、良さげだ。女神様シリーズだ。


 ……いや、効果は良さそうだけど、アメジストがやるとまた邪神を讃えてしまうかもしれない。魔王は女神様に嫌われてる気がする。魔王差別なのか。

 くうーっ。せっかく試す価値がありそうなの出せたのに。

 でもダメ元でもいいからまずはアメジストに伝えてみよう。あーあ、ここに大根がいてくれたらなぁ……。


 …………ん?

 そういえばここ、あの白い電柱みたいなやつがある場所だ。大根畑ってこの先だったよね。

 抱えられての高速移動だったから距離感が掴めない。でも間違いなくこの奥だし、大根はまだ畑にいるはずだ。

 とにかくアメジストにこれを見せよう。後のことはきっと何とかしてくれるはず。私はポジティブ他力本願を発動させた。


 戦っている二人の方を見てぎょっとする。

 トルムの身体に、あの黒いアメジストの好物がまとわりついていた。

 しかし案の定、吸われてみるみる剝がされていく。そりゃそうだよー、なに敵に塩与えちゃってんだか。

 でもお蔭でアメジストは元気満タンだ。気持ち悪いけど、なんだか戦況はこちらにいい風吹いてきてるぞって感じ。気持ち悪いけど。


 私は慎重にラズの頭を地面に降ろし、立ち上がって声をかけた。

 よく見えるように本を掲げてみせると、アメジストにもどうやらこちらの意図が伝わったようだ。


 すぐに魔物が操るトルムの身体に向き直る。アメジストの手に特大サイズの闇の塊が出現した。

 それが分裂し、四本の剣の形になって宙に浮く。切っ先が魔物トルムにぴたりと固定される。

 アメジストが闇の剣を放った。向かってくる四振りの剣戟を全てかわして、その勢いのまま魔物トルムがアメジストに攻撃を仕掛けようと走りだす。


 しかし空振りした剣が上空で集結すると、くっついてまた丸い塊に戻った。それが一気に落下して、魔物トルムの頭上でアメーバのように大きく広がる。

 闇の投網が魔物トルムの全身を一瞬で包み込み、大きな闇の塊になった。


 人一人をすっぽり包み込んだそれは、まるで真っ黒な巨大蓑虫だ。蓑虫はしばらくじたばた暴れていたけど、アメジストが闇の蓑を追加すると動かなくなった。

 ……それ、呼吸は出来るよね? 身体はトルムのものなんだから、助ける前に窒息させるのはやめてほしい。


 黒蓑虫から一本、手綱のようなものを引き出して握るアメジストの無表情がどことなく得意げだったので、私はおざなりな拍手を送っておいた。



   ◇◇◇



 視界が開けて、風に揺れる大根の葉が目に映った。

 畑は元気にしていたようだ。やっぱりここは空気が澄んでいる。

 肩を貸していたラズをゆっくり木の根元に座らせて、私は畑の中心にいる大根へ駆け寄った。


 黒蓑虫を作ったアメジストはラズに回復術をかけると、森の奥へ続く道とは別の方向へ歩いていった。

 しばらく生い茂る木々の前でうろうろした後、おもむろに術を放つ。例のブルドーザー術だ。

 また地図に無い道が開通した。完全に自分の都合のいいようにインフラ整備をしている。でも今は緊急事態、近道を有り難く使うことにした。


 黒蓑虫を引きずるアメジストの後に続いて、立ち上がれるようになったラズを支えて歩く。

 以前の道よりも相当な時間短縮をして、私たちは大根畑に到着した。


 他の葉を踏まないように大根のもとへ行くと、地面からにゅっと触手を出した。軽く握手を交わすと頭の葉を揺らす。

 大根と私はもうすっかり友達だ。多分。


「来て早々なんだけど、大根にお願いしたいことがあるんだ。この魔術をやってもらえないかな?」


 私は上半身を屈め、もう一度魔本を開いて呪文を見せた。大根が地面からさらに頭を出す。

 きゅー、と鳴いて頭を少し傾けた。

 なにか悩んでいるみたいだ。大根にも難しい術なのかもしれない。……他力本願すぎたかな?


 祈るような気持ちで見守っていると、触手を伸ばして開いたページに触れた。

 そのままずぶずぶと触手が本の中に呑み込まれていく。ちょ、大丈夫か!? そういえば前に夢の中で私も吞み込まれたけど!?

 どうやらたまに雑食になるらしい魔本に両手を埋め込み、時々頭の葉を揺らす。

 中でぼりぼり食われてない? いっそすり下ろされてるかも。次は醤油とか要求されたらどうしよう。


 はらはらしながら待つことしばし。

 呑まれていた触手の動きが止まった。続いて元々ほんのり光っている大根の全身が輝き出す。

 銀だった光は、いつの間にか金になっていた。黄金大根に進化した!?


 るー るーるるー 

 きゅるー るるー きゅきゅー るー


 黄金大根が本に手を埋めたまま歌い始めた。辺りに金色の光の粒がきらきら舞い始める。

 眩しい。でも温かくて優しい光だ。

 魔術っていうか普通に歌ってる。大根の声、本当にどこから出てるんだろう。


 歌で女神様を讃える大根を感動しながら眺めていると、こちらを見て葉っぱをくいくい、と動かした。

 ヘイ、カモン。ジョインミー。多分そんな感じ。

 私は大いに照れながらも、黄金大根の待つステージに上がった。(妄想)

 大根が持つマイクに私も片手を添えて、コーラスする。時々目を合わせて頷き合うのも忘れない。(妄想)


 るるー きゅるー きゅるるー るーきゅるー


 元の世界に帰ったら一人でカラオケに行こうかな。そしてこの日の思い出を胸にこの歌をアカペラで歌おう。店員が入って来ないタイミングで。


 私は完全にアメジストとラズ(と黒蓑虫)の存在を忘れて、黄金大根とのデュエットに没頭した。



 最後のフレーズを長めにハモって、ステージは幕を閉じた。

 良い時間だった。女神様と黄金大根に乾杯。……あ、もう銀色に戻ってる。


 振り返ると大根畑の端の方に立つアメジストが、無表情でこちらを眺めていた。

 いつもの無表情ではない。無の境地だ。多分悪い意味で。……頑張って歌ったんだからもう少し気を遣ってほしい。


 大根畑の上、岸のあたりに寝かされていたトルムの腕が、ぴくりと動く。

 隣に座り込んでその顔を覗き込んでいるラズが声を上げた。


「トール、トール!」

「…………あれ……ラズ……?」

「っ……トールうぅー!!!」


 もう一度アメジストの方を向くと、無の表情のまま頷いた。

 成功したんだ! やった~!!!

 こんなに上手くいくとは思わなかった。この数日間、いろんな奇跡を体験してきたけど間違いなくこれが第一位で優勝確定だ。


 私は魔本をポケットにしまい、膝をついて触手の短くなった大根をハグした。葉っぱが顔にわさわさ当たる。痛痒いけど、喜びの方が大きく勝っている。


「ありがとう大根! 救世主よ!」


 煮てよし生でもよしで、庶民の食卓を救うだけじゃない。意識を乗っ取るやばい魔物から人を救うことまでできる。


 上半身を起こしたトルムも、泣きじゃくるラズをしっかりと抱きしめていた。


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