13
「ありがとう……ございます……っ」
しゃくり上げながらヴェンが何度も頭を下げる。その度に両手いっぱいに抱えた大根の葉っぱ――仙霊草の束がわっさわっさと揺れた。
「泣くのは母ちゃんが無事治ってからにしろよ」
その肩を軽く叩き、ラズが天使スマイルを向ける。ヴェンの涙で濡れた頬がほんのり赤く染まった。
「……はいっ! ラズさん、皆さん、ありがとうございました!」
「子供たちを救っていただいた上に、こんな……。このご恩は一生忘れません」
深々と頭を下げるヴェンの父親に、ラズが気まずそうに顔をそむけて呟いた。
「やめてくれよ。……オレの力じゃねーんだから」
その視線は、少し離れた所で完全に我関せずな無表情をしているアメジストに注がれている。
ヴェン親子の涙ながらの感謝に、一切興味はないらしい。
飽きたのか立ち去ろうとしたので腕にしがみついて止めると、睨まれたけど一応足は止めた。
◇◇◇
「……あいつ、本当に何者なんだろうな」
昼食をあっという間に平らげたラズがぽつりと呟く。
宿の一階に併設されている食堂で、私たち三人はいつものテーブルで食事を取っていた。
昼には少し早い時間のせいか、私たち以外の客はいない。アメジストもいない。
昨日、無事に仙霊草を十束ほど収穫した私達は、キレそうになった大根を宥め、感謝してあの場を後にした。
真ん中の大根以外の草の下には、大根ではなく細長い根っこがあるだけでちょっと安心した。トルムが依頼品の仙霊草そのものだと言うのできっと大丈夫だろう。
あの感じなら、放っておいてもあそこはしばらく大根畑……仙霊草の群生地として存続するんじゃないかと思う。
女神の恩寵の雨がやんだ後も、あの広場は何か空気が澄んだというか、瘴気が減ったような感じだった。
色々とイレギュラーなことが起きたので、ラズは私達……というより事の元凶であるアメジストにも、傭兵ギルドまで同行してほしいと言った。
猿蛇魔物を勝手に倒しちゃってた件とか、大根(仙霊草)を増殖させた件とかの報告のためだ。
ということで、宿の食堂で昼休憩をしてから出発ということになった。
帰ってきたばっかりでまた歩くのかー。早い段階で回復術のお世話になる予定。
「本当にね。私、アメジストがご飯食べてる姿を一度も見たことないんだよ」
ラズの呟きに、私はパンにバターらしきものを塗りながら深く同意した。
怪奇現象だよね。ってわりと本気で言ったら、いやそっちじゃねーよ……そっちもおかしいけど。と返される。
「魔動具持ってる様子もないし、魔術士なのはわかった。でもあんな規格外の奴聞いたことねーよ。ダヌマンティルってのも、どうやって倒したんだ?」
ラズの質問に、記憶を探る。最初に会った日の中でも、一番やばそうなあの猿蛇魔物の時か。確か……、
「離れた所で待ってたから目の前では見てないんだけど。昨日大根の所でもやってた暗雲を呼んで、そこから真っ黒い稲妻みたいなのがズドーン! ……で終わりだったよ」
「え……まさか、あのダイコンの植わった陥没した地面って……」
勘のいいトルムに頷く。稲妻が落ちたのはまさにあの辺りだったはずだ。
森の中にクレーター作るとかおかしいよね、引くよねーと言おうとしたところ。
「すごい……アメジストさんはきっと、伝説として語り継がれる魔術士だ……」
うーん。トルム以外で奴のことを語り継ぎたい人っているかなぁ。元の世界でも、伝統的な仕事とかの後継者不足は深刻な問題だった。
トルムがまたあらぬ方をキラキラした忠犬の瞳で見つめているので、私は言葉をスープと一緒に飲み込んでからパンを頬張ることにした。
正面のラズを見ると、トルムを呆れた顔で……と思ったら、何か複雑な表情で見つめていた。
私の視線に気付いたラズが、何事もなかったように明るい調子で言う。
「まーなんであれ、依頼を達成できたからいいけどな! 本来なら銀等級向けの依頼だから、今回でオレ昇級できるかも」
白銅飛び越えて一気に青銀までいけねぇかな~。といつものように元気に笑うラズだけど、私はなんとなくもやっとした気持ちでパンを咀嚼した。
宿の入口あたりにいたアメジストと合流して、私たちは村を出て街道を進んだ。
行き先が町なので、今回はちゃんとした道を歩ける。元の世界の舗装された道路とは違っても、今までより格段に歩きやすくて有り難い。
アメジストはさっきまではトルムと並んで歩いていたけど、今は一人で先頭に立っていた。
……なんで記憶喪失なのに一番前で風切って歩いてるんだろうな、あの人は。
そういえば、この道を歩き出してからは障壁をかけられていない。
「この辺りは魔物は出ないんだね」
私が言うと、ラズが呆れた顔をした。
「生息域以外でそうそう出てこられたら、傭兵ギルドは大儲けだぜ」
「……でも、近頃はそうした“異変”が起こることもあり得ます」
トルム曰く、魔の森とか魔の山とかいう生息域以外は、魔物は基本的には外に出て来ないらしい。
たまに生息域の外に数匹程度が迷い出てきたりすることは昔からあったようだけど、ここ数年はそれの大規模なものが何度か起こっているらしい。
魔物以外にも、仙霊草の群生地が無くなったりだとか、今までにないような自然環境の変化も観測されているのだそう。
そしてあの瘴気も、どうやら世界規模で増えているらしい。突然瘴気が吹き出て、移住を余儀なくされた土地などのケースもあったとか。
「だからトールは否定派だろうけど、オレたち傭兵だけじゃなく一般人も、最近は魔動ギルドに一目置いて期待する奴が多いんだぜ。なんたって、瘴気機関が瘴気を吸ってくれるんだからな」
別に、否定派ってわけじゃないけど……とぼそぼそ言うトルム。
「ほら、そろそろ見えてくるぞ…………あれだよ」
ラズの指差す方を見ると、遠くに白い建物が見えた。
近付くにつれ、風車小屋のようなものだとわかる。それが街道から離れた先、小高い丘の上にいくつか並んで建っていた。
元の世界の外国にあるような牧歌的な風車小屋というよりは、すらっとして無駄なものが付いていない、近代的なデザインという感じだ。
建物の上部分に、どちらかというとプロペラに近いものが付いており、それほど風もないのにぎゅんぎゅん回っていた。
「この辺には瘴気、無さそうだけど。めちゃくちゃ変換してそうな勢いだね」
「魔の森にあった白い塔を覚えてますか? あれは送気塔といって、ここまで瘴気を送っているそうですよ」
あの電柱に似てるやつか。電線みたいなものは見当たらないけど、一体どういう仕組みで送っているんだろう。不思議だな。
ここで変換した魔力は、さらに各地に置いてある魔力の補充装置に送られるのだそう。傭兵ギルドの支部には大抵その装置が置いてあるそうだ。
少し先で立ち止まっていたアメジストに追いついた。興味深げに瘴気機関を眺め……ていない。
丘の方に体は向けているけど、目を閉じていた。
今度は私が、がっ、とアメジストの腕を掴む。本当は頭を鷲掴み返ししてやりたかったけど。
「盗魔力、だめ」
絶対。
「…………」
目を開けて、アメジストが私の手を外した。そのままスッ…と何事もなかったように歩き出す。
知らんぷりしたってわかるぞ。絶対試してただろ、盗魔力。
街道を歩き続けて、(一度回復術をかけてもらって、)日が沈みかけた頃、私達は隣町ルマーヌに辿り着いた。
ちなみにここはスロシュ王国という所らしい。何か察したトルムが丁寧にあれこれ教えてくれた。ラズがまたかわいそうな子を見る目をしていた。
…………異世界人だから仕方ないんだってば!
傭兵ギルドには明日の朝イチで行こうということになった。
町の入り口で、ラズが報酬の後払い分を渡してくれた。なかなかの重み。
……ん? でもこれって、アメジストのお金(報酬)だよね。なんで私が受け取ってんだろ。
右も左もわからないので、ラズ達の泊まる宿に一緒に連れていってもらった。
一部屋一泊10カラト。なんとなく日本より物価が安そうで少しほっとする。
でもお金が勿体ないから当然一部屋しか取らなかった。宿屋って、大抵はツインルームが多いみたいだし。そうしたら二人が何かもの言いたげな目で見てきた……またトルムの顔が赤い。
「……護衛ですから」
「そうですね、護衛ですもんねぇ」
揶揄ってくるラズに何か言い返してやろうと思ったら、背後から当たり前のようにフードを掴まれた。そのままずるずると連行される。
「ごゆっくり~」
……ちっ。だが大人な高校生は、中学生の子供っぽい揶揄いなど華麗にスルーだ。あとフード掴まれてるから喋れない。
部屋に着いて早々、ベッドに連れ込まれた。
怪しい意味ではない。でも別の意味で怪しげなことをするつもりなのは確かだ。
「ようやく少しは本を扱えるようになったな?」
またもや膝の上。あれよあれよと魔本を私の両手にセットして、顔を覗き込んでくる。長い髪がいくつか、魔本や私の体の上にさらりと乗ってきた。
まるで前回の授業の復習してきたよな? みたいな言い方。なんで教師面なん。
でもここで言いなりになる気は、ない! 勇気を奮い立たせて毅然ともの申す。
「お腹すいた! 先にご飯!」
……子供か。いやでも大事なことなので……。
私の言葉を援護するように、丁度良くお腹も鳴った。
アメジストが眉間に皺を寄せる。……奮い立たせた勇気がもう逃げ腰。
「一日に何回食えば気が済むんだ」
はあ? 三回ですが何か。それが無理でもせめて二回は食べたい。10代の胃袋を甘く見てはいけない。
「普通の人は朝昼晩とご飯を食べるものなんです。記憶を失う前はきっとアメジストだって三食食べてたはずだよ」
知らんけど。そうであって欲しい。
「過去のことなどどうでもいい。……だったらさっさと済ませろ」
舌打ちまじりに言うと、ぺっとゴミを払うような動作で私をベッドに転がした。
本当に私のことなんて魔本のオマケとしか思ってなさそうだ。
こんな奴にわざわざお節介を焼くのは腹立たしいけど……でもこのままでいいわけないだろうし。
「アメジストも一緒に食べよう」
◇◇◇
「うわー、いろんなお店がある。ねえねえ、何が食べたい? ってどこに何があるのか全然わかんないけど」
部屋での提案を秒で断ってきたアメジストをなんとか無理矢理連れ出して、私はきょろきょろ通りを見回した。
隣を見上げると、不機嫌さを滲み出す無表情で無視された。でもまだ周囲の気温は下がっていない。
並んだ建物のそこかしこから、賑やかな声と食器が触れ合うような音が漏れてくる。それと、食欲をそそるいい匂いも。
村には多分あの宿の食堂しか無かったようだけど、この町は町というだけあってそれなりに栄えているみたいだ。
この目抜き通りのような場所には、飲食店以外にもいろんなお店がありそうだった。夜なのでもう閉店している所もあるけど、まだ明かりがついている店もある。
可愛い魚の看板がぶら下がっている店を覗いてみた。少し塩っけのあるいい匂いが漂ってくる。看板からも魚介系のお店だろう。
あ、今運ばれてきたパエリアみたいなやつ美味しそう!
ここでいいか聞くと、「どうでもいい」と返ってきた。よし入ろう。
アメジストを引きずって入店すると、カウンター席に案内された。
メニューを見る、しかし文字は読めても何が何やらわからない。私はさっき他のテーブル席に運ばれていたパエリア風のものを指差して、二つ注文してみた。
しばらく待つと料理が運ばれて来た。
……んん? なんかアメジストの皿の盛り付けが、こっちより豪華だ。さっき見た他の客のは、私と同じだったはずだけど……。
ウェイトレスのお姉さんが料理を置きながら、アメジストにウインクした。だけど綺麗に無視されて、名残り惜しそうに見つめた後で仕事に戻っていった。
異世界でさっそく理不尽体験。
私はさり気なく、隣の皿から海老らしきものを一つ盗んだ。こっちは一つしかないのに、二つも乗っている。
普通にそれを目で追っていたアメジストが、もう片方も私の皿にぺっと寄越す。
「いや、食べなよ」
「いらん」
盗んでおいて言うのもなんだけど、少しは栄養取らなきゃ、と一つは返す。それを皿の脇に避けると、心底面倒臭そうにパエリアをつつき出した。
一応、普通に食べてる。よかった。あの魔物から絞り取るやつ以外は受け付けない体だったらどうしようかと思った。
じっと見ていると睨まれたので、私も自分の分を食べ始めた。……うまーい!
あっさりした塩味で、パエリアというよりは炒飯に近いような。所々にあるおこげがいい感じ。
海老っぽいものの殻をむいて食べると、味や食感はどちらかというと蟹だった。美味しい!
美味に気分を良くした私は、アメジストの海老もむいてあげた。絶対放置すると思ったから。予想通りありがとうの一言もない。
私がきれいに食べ終えた時には、アメジストの皿も空になっていた。嫌々だったわりにはちゃんと完食している。よしよし。
お会計の時もあのお姉さんだったけど、私がまとめて支払いをしたので残念そうだった。……次はどんなアピールをするつもりだったんだろう、試しにアメジストに支払わせてみればよかった。
「あー美味しかった!」
店を出て、鼻歌交じりに宿への道を歩く。隣は相変わらず無表情だ。あんなに美味しいご飯を食べてもその顔か、別にいいけどさ。
アメジストが立ち止まった。でもそれはほんの一瞬で、すぐまた歩き出す。
「何かあった?」
「……いや」
一瞬だけ、どこか遠くを見ていたようだったけど。
お腹いっぱいの私は、それを特に気に留めることもなく鼻歌を再開した。