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※ちょっと流血・痛い表現があります※
視界の歪みがおさまると、景色が一変していた。
足の下が砂じゃない。周りには岩石が多く、少ないものの植物も生えている。
見覚えがある。ここは砂漠の入口だ。
荒涼とした風景の中、正面には驚いた顔のジオがいた。
一回のハルポートでターゲットに会えた。なんか最近の私、覚醒してる!?
ってそんなこと言ってる場合じゃない。
「ジオさん! アメジストがゾンビになる前に助けてください!」
「ゾンビって何だ!?」
いきなり現れた私の言葉に戸惑うジオに、砂漠で遭遇したものについて話す。
でも見たのは一瞬だったし、あれが何なのかは分からない。
要領を得ない私の話を静かに聞いた後、ジオが真剣な顔で砂漠の先を見た。
「おかしな気配を感じたのはそれか。……これはまずいな」
「その辺の魔物なんかよりずっとやばい強敵みたいだけど……。アメジストと一緒に戦ってもらえないかな。お願いします」
私は深々と頭を下げた。
アメジストはジオを私の護衛にしようとしていた。きっと見た目通り、いやそれ以上に強いってことだ。
あの場では素直に従っておいたけど。やっぱり心配になってきた。
今すぐ身の危険が迫っているわけじゃない私の護衛よりも、魔王が認める腕前で、あの竜?を倒すのに協力してほしい。
しばらく私をじっと見下ろしたあと、ジオが深く頷いた。
「わかった。コハル、ここから南西にある町まで転移できそうか? それを見送ったら加勢に行く」
「それだと時間がかかるよ。まずは私の転移でジオさんをアメジストの近くまで送る。そうしたらすぐに離脱して、町へ向かうから」
「だめだ。お前には魔力がない。どういう理屈か知らんが、万一アメジストの魔力が尽きれば転移できなくなるんだろ。まずはお前の身の安全を……、」
ジオが言葉を切り、彼方へ鋭い視線を向ける。私も同じ方を見た。
望遠はコピーされてなかった。遠くの景色が見えるわけじゃない。
それなのに、何か嫌な感じがする。
見上げると苦々しい表情と目が合う。どうやら似たような感覚を、私よりも強く感じたようだった。
ジオが指を口にあてて指笛を吹いた。
音が響いたあと、しばらくして空に小さな影が舞う。私たちの頭上をぐるりと一周し、ジオの差し出す腕にとまった。
それはムササビとかモモンガに似た姿だった。でも普通の動物じゃない。身体が少し透けていて、ほんのり光っている。
「デンショ。オアシスまで行ってガーニャたちを誘導してくれ。もう気付いて出発しているかもしれんが……。できれば砂河馬を一頭多く連れてきてほしい」
デンショと呼ばれた半透明のもふもふがコクリと頷く。
ジオの腕から飛び立つと、空中で完全に姿を消した。
「今の子、精霊?」
「ああ。……コハル、おそらく転移はもう無理だ」
「え……」
なんで? と口にしかけて、言葉を飲み込む。
アメジストの魔力が尽きた。そう言いたいのだろう。
なんとなく、試してみなくてもそれはわかった。そもそもコピー能力自体が消えている感じがする。
急に寒気を感じた私の肩をジオが両手で掴んだ。
「歩いていては間に合わない、奥の手を使う。少しの間、目を閉じてじっとしててくれ」
真剣な顔に頷いて、目を閉じる。
私達のまわりで空気が歪む気配がした。
転移の時に似ているけど違う。何か大きなものに包まれて、それがうねりながら動いている感じだ。
不思議なうねりに運ばれていく感覚が止まった。
目を開けると砂の景色に戻っている。砂漠の奥まで一気に移動したらしい。
遮るもののない風景を見渡して――視界の端に引っかかったものに、全身の血が凍りついた気がした。
それでも足は勝手に走りだしていた。
たぶんきっと、いきなり睡魔に襲われただけ。
いつの間にか体質が変わって、昼間眠る夜行性の動物みたいになったのかも。闇属性だから。
砂に足をもつれさせながら走る。
近付くにつれはっきりしてきた光景は、私の楽観を大きく裏切るものだった。
「アメジスト!!」
ゆるやかで巨大なすりばち状にへこんだ砂地の一番下に、黒い姿が半分近く砂に埋もれた状態で倒れている。
見える部分はすべて、目を覆いたくなるほど酷い傷だらけで、服も初めて会った時よりボロボロだった。
その下の砂は、広い範囲が赤く染まっている。
何度名前を呼んでも、固く閉じられた目は私を見ない。
追ってきたジオに腕を掴まれた。
それを思い切り振りきって、私はアメジストの傍へ倒れ込むように駆け寄った。
「うそ。やだ、なんで……アメジスト! 起きて、アメジストっ」
「コハル、落ち着け!」
「早く回復……! ジオさん、さっきの子と契約してるんだよね!? 精霊術で回復を……!」
振り返り、期待を込めてジオを見上げる。
すると辛そうに歪ませた顔をそむけ、視線を落とした。
「……すまん。俺は、術は使えないんだ」
絶望感で真っ白になりそうな心を叱咤して、私は鞄から魔本を取り出した。
アメジストを助ける方法を。
禁術でもなんでもいい。私にもし力があるなら、根こそぎ使っていいから。
まさかここまで強いものがいるなんて、教えられてなかったはずだ。知っていたら準備のうえで、もっと警戒しながら進んだと思う。
書庫の本を使ってアメジストをここへ連れてきた奴。責任取ってよ。
私が所有者だっていうなら、こんな時くらい言うこと聞けって。
今すぐ何とかしてよ――!!!
視界が滲んでなにもかもぼやけていく。
いつまでも白紙のままのページに、次から次へと雫が落ちた。
しゃがみこんで泣きながら魔本に願う私を、ジオが何も言わずに見守っていた。
「…………ん?」
ふいにジオが私の反対側に回りこんだ。砂に埋もれていた左肩あたりを掴んで、そっと持ち上げる。
しばらくそのあたりを眺めると、アメジストの胸に耳を当てて目を見開く。
「生きてる……! それに自力で回復術をかけているのか!?」
「本当っ!?」
魔本を鞄にしまいながら顔を上げると、ジオが信じられないと言いたげな顔で返した。
「ああ。眠ることで多少回復しつつある魔力を使い、昏睡状態のまま術を使っているようだ。もうわけがわからんが、これならなんとかなるかもしれないぞ」
「わけがわからんのは元々の仕様だから大丈夫! ジオさん。アメジストを休ませて、手当ができそうな場所まで運ぶのを手伝ってください。お願いします!」
土下座に近い恰好で頭を下げる。
ジオがアメジストの身体を慎重に砂から引き出し、肩に担いだ。
「それはもう手配した。もう少し待てばきっと……」
言葉の途中で笑顔になる。
「さすがガーニャ、それと手塩にかけられた砂河馬たちだな。コハル、行くぞ! 最初はちょっと酔うかもしれんが、我慢しろよ」
立ち上がってジオが指差す方を見ると、遠くにうすく砂煙を上げる影が見えた。
だんだん近付いてくるそれらに、ジオの先導でこちらからも近寄っていく。
ひょっこり大きな顔だけ出して砂の中を泳いで(?)いたのは、鮮やかなピンク色のカバたちだった。広い背中に付けられた鞍の上には人が乗っている。
そのピンクなカバに乗る一団の先頭にいた人物が、駆けよる私達を見て、ほとんど布に覆われた顔で盛大なため息を吐いた。
「ジオ。あんたは本当に、救世主なのか疫病神なのかわからない男だよ」