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以前ならこの状況に歓喜していただろう。
本気を出さなければ死ぬような強敵と、全力の魔術、能力を存分に駆使して命のやり取りをする……。
そんなものを求めていた頃が、失った過去のように遠く感じた。
俺には守りたい者がいる。
別れ際にまた不安な顔をさせてしまった。
早く戻って安心させ、あの気が抜ける笑顔を引き出す。今の俺がやるべきことはそれだけだ。
――余計な遊びはしない。一度で確実に仕留める。
俺は慎重に魔力を錬り上げながら骸竜を観察した。
お互い手の内を晒さないまま、相手の出方を窺う。向こうは痛い目に遭ったばかりだ、もう安易に仕掛けてはこない。
闇属性は俺の方がわずかに上回っているはずだ。
だが相手は瘴気の使い手。そのうえ漆黒の骨になってからは、瘴気を奪いにくくなった。
吸収しようとすると身軽になった姿で素早く距離を取り、牽制の炎を吐く。
骨になってからは速度だけでなく力も上がっている。懐に入ろうとすれば、瘴気を纏った長い尾を鞭のように振るった。半端な障壁では紙も同然の威力だ。
さっきのような相手の力を利用した反撃はもう通用しない。
最大威力の一撃で、再生不可能なところまで塵にする必要がある。
それを成功させる力があるのは闇属性のみ、と奴も見抜いているだろう。
強力な闇の術がくると分かれば、防御に集中されてしまう。瘴気吸収が難しくなった今、持久戦になればこちらが不利だ。
タイミングを見極めたうえで切札を叩きこむしかない。
それも成功するかどうかは賭けの切札を……。
だが熟考している暇もない。骸竜が砂を蹴った。
肉を着ていた頃とは比較にならない動きで距離を詰め、一回転して尾を振るう。
後方へとんで避けた瞬間。頭蓋骨の暗い眼窩が俺を捕捉した。
黒い影が一気に迫る。左腕に痛みがはしり、鮮血が散った。
「……反則技ばかり使いやがって」
首の骨との間を瘴気で繋ぎ、頭骨だけを伸ばしてきた。
回復術で軽く止血する。あと少し避けるのが遅ければ、腕を食いちぎられていたかもしれない。
瘴気は不自由な肉体を捨てた方が扱いやすいようだ。速さに変則的な動きまで加わり、より攻撃の機会を計りにくくなった。
今度は腕を伸ばした後、間髪入れずに地術を発動する。いくつもの岩石が空から降りそそいだ。
岩の雨を一つ一つ避ける俺をその場でただ眺める。
この程度なら闇で吸収できる。だがこれは誘い水。
さっさと俺に闇の攻撃術を完成させて、万全の状態で防ぐつもりだ。
……いや、それだけじゃない。
高威力の術をあえて使わせ、瘴気を発生させる――それも目的の一つか。
こうして敵に使いこなされると、つくづく厄介なものだと実感するな。瘴気に裏切られた気分だ。
愚痴を吐いても状況は好転しない。
だったら誘いに乗って、一気にけりをつける。
闇の攻撃術が完成した。
それを保ったまま、低い姿勢で俺を待つ骸竜へと駆ける。
再び岩が落ちてくる。牽制ではない、先程よりも格段に弱い。
望み通り、闇で吸収して術の足しにした。
俺が目前に迫ると、骸竜が漆黒の鎧を纏った。
全ての瘴気を障壁に編みこみ、自信をみなぎらせて俺を迎える。
その鼻面に馬鹿正直に叩き込むわけがない。深く身構えた頭を跳び越え、背骨の一部を蹴り、尾の付け根近くの地面に着地する。
俺は骸竜の背後から、限界まで威力を高めた術を解き放った。
轟音を響かせ、瘴気を生む砂嵐が吹き荒れる中。
身を翻し、水の魔力を全て投じた障壁を張る。数秒差で障壁が黒い炎を弾いた。
間に合うか……!?
黒炎の集中砲火を浴びながら、次の手を一気に編み上げる。
闇の攻撃術を受けた骸竜は、幻惑術で作られた偽物。
本物は気配を消して潜み、俺が力を使い果たした時を狙って攻撃する。
そうくるだろうと思い、こちらも策を立てはしたが。
正直に言えば、あの金髪の力が妬ましい。
水の障壁をぶつけて相殺させながら、炎の中を歩く。
前進してくる俺の意図を読めない骸竜が、焦ったように砂嵐から瘴気を吸い寄せると炎の勢いを強めた。
ひときわ激しい蒸気を立てた後、水の障壁が消えた。
開いた巨大な口腔で次の炎が生まれる。
その火種と、周囲で燃え盛る黒炎を吸収し――俺は光り輝く一振りの槍を完成させた。
ようやく悟った骸竜が、瘴気を全て乗せた爪を振り下ろした。
防御を捨てた懐へ滑りこむ。
他の部分よりも更にどす黒く染まっている肋骨を、光の槍で貫いた。
◆◆◆
粉々になった骨片が砂の上に散る。
虚空に取り残された瘴気を吸収した。魔力が回復する。
最大値に変動はない。スピリットの時のように上昇しないか期待したが、倒せただけで僥倖か。
光属性が弱点なのは分かっていた。
しかし俺の光だけではどう足掻いても勝ち目はない。その力不足を、相手の火属性を吸収することで補った。
今の実力では不可能な吸収ができたのは、炎に瘴気が混ぜられていたお蔭だ。
「瘴気に頼ると代償を支払わされるそうだがな」
興味深い瘴気の使い方を教わった。
だが俺が手に入れるべきはコハルを守る力。瘴気からの守護も含めてだ。竜のそれとはおそらく対極、相容れない。
やはりまずは地道に弱い属性を鍛え、精霊の力を得ていくのが最善だろう。
吸収しきれなかった瘴気をその場に残し、踵を返す。
コハルの気配を探りながら、砂漠の入口へ向かいかけたその瞬間。
背後で闇の魔術が発動した。
振り返り、術の構成を確かめる。
強大な魔力。骸竜の闇が全てつぎ込まれている。
だが問題は費やした魔力量ではない。
禁術だ。
理解できたのはただそれだけだった。
「……嘘だろ。あり得ない……」
全身に深い虚脱感が生まれる。
理解不能な術を目撃しているせいじゃない。
俺の魔力、六属性全てが徐々に削り取られていく。
奪われた魔力の行く先は、砕けた骨の山を呑み込むように発動した禁術だった。
闇の術に水、地の魔力が吸収されるだけならまだ理解できる。
だが火、風、そして上位属性である闇と光までもが、少しずつ禁術の中へ吸い取られていった。
さらに周囲の魔素が魔力化し、俺の魔力とともに流れていく。
理を横暴なまでに無視した、禁忌の極み――。
一体何が起きる?
俺を一撃で葬る攻撃か? まさか塵も同然の骨を蘇生させる回復?
骸竜が復活し、俺だけを狙うのならまだいい。
もし無作為かつ広範囲の攻撃術だった場合。軽く見積もっただけでも、この砂漠東部の地形が変わる程度の威力になる。
おそらくまだ砂漠の入口付近にいるコハルも、確実に巻き込まれる。
悩む時間はない。魔力を奪い尽くされる前にどうにかしなければ終わりだ。
完全に発動するより先に、この場で潰すしかない。
強大な禁術相手にそんな無茶が通るのかは分からないが……、このまま黙って見ていても事態が悪化するだけだ。
禁術から目を離さないまま距離をとる。
意思ある相手ではないと信じて、単純な構成の闇の攻撃術を用意し、ひたすら威力を上げた。
『あんなものに力を渡すな。どうせ闇になるならこっちに協力しろ』
魔素は本来の性質を無視し、無理矢理闇属性に変化させられている。
無意味だと知りながらもそれらに言葉をかける。精霊ではない俺に魔素を魔力化する力はない。だが願わずにはいられなかった。
俺の魔力が増えることはない。しかし中には禁術に抵抗する魔素がではじめた。
『この砂漠のどこかにいる精霊達、傍観していないでこの地を守れ!』
感知できる範囲に精霊の気配はない。これだけ瘴気の多い土地では、一体すら存在しないのだろうか。
諦めかけた時、近くでかすかに精霊の気配を感じた。
奇妙に薄い気配。弱いのではなく、力を隠して窺っているように思える。
不思議な直感があった。――強力な闇の大精霊だ。
『頼む。力を貸してくれ……!!』
闇の魔力が尽きた。
予想以上の速度で奪われ、攻撃術の威力は最大まであと一歩届かなかった。
闇の大精霊からの応答はない。
懇願する俺を冷笑するように、気配が遠ざかった。
…………だめか。
土地であれ人であれ。コハル以外はどうなろうと構わない俺の呼びかけでは、説得力にも欠けるしな。
未完成の闇の剣を握り直し、砂を蹴って禁術の中心部へとび込む。
勝算が全くないわけじゃない。
骸竜の戦い方に驚嘆しながらも、心のどこかではこう思っていた。
「俺の方がもっと上手く瘴気を扱える」
禁術の核に、闇の剣を深々と突き立てた。
術同士がぶつかり合って激しく火花を散らし、瘴気が勢いよく噴き上がる。
やはり広範囲の攻撃術のようだ。伝わってくる魔力が荒々しい。
俺は瘴気で染めた手を禁術の核に伸ばすと、それを握り潰した。
『……この愚か者が……』
意識が途切れる前。やけに近い場所で舌打ちが聴こえた。