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『お兄ちゃんは……好きな子はいますか?』
不意の質問に思わず首を捻った。
好きな子……???
言葉の意味自体はおおよそ理解できる……ような気がする。
だがそういった感覚について考えだすと、思考が行き詰っていく。俺には無縁の事柄だとしか思えない。
『お兄ちゃんの闇の魔力は、正直オエッて感じです……。好きな相手ができたら、も少しましになるんじゃないかなって……』
好きな相手とやらができると、魔力の質が変わる??
もし変質したとして、どんな効果があるというのか。
『どうでもいい。それより魔力を返せ』
俺の言葉にしばしの沈黙の後、声が続ける。
『「魔力を提供して世界平和に貢献するなんて、偉~い」……みたいに褒めてくれる子を……好きになればいいと思います……』
……言うか? ……まあ概ね近い内容なら……、
いや。今はコハルの発言を予想している場合ではない。
『何が世界平和だ。お前が付近の魔素を狂わせた原因だろう』
『……』
姿なき声が再び沈黙した。
◆◆◆
コハルに課題を言いつけ、源泉を目指す。
この山に魔物の気配はない。……あの鳥魔物二体はいるが、奴らの攻撃ならたとえ狂暴化しても障壁で防げる。
先々の不安要素を減らすためにも、コハルには早めに転移を習得させたい。
俺がいれば真面目に取り組まないのはわかっているので、敢えて少しの間離れることにした。
カルシンという方術士見習いが後をついてきた。
火属性のみの魔力はそれなりの強さだが。護衛をする気はないだろう。コハルの傍に置く意味もないので放っておく。
蒸気の立ち昇る泉の前まで来ると、魔素の乱れを強く感じた。
魔素を見るのにも慣れてきた。火属性の魔素が暴れている。
他属性よりやけに数が少ない。その偏りを埋めようというのか、魔素よりも魔力と呼ぶべき力を溜め込み、無理が生じて消えていく。
時折、火の力を有した熱湯が噴き上がる。しかし火の魔素は増えるどころかわずかに消失した。
火属性の魔素の生成が消失に追いついていない。時間が経つほど状況は悪化していくだろう。
ここで眺めていても原因は分からない。中へ潜って調べるしかないか。
「お、おい馬鹿やめろっ! 全身火傷じゃ済まねーぞ!」
障壁をかけて飛び込む直前、背後から腕を掴まれた。
振り向き、手を振りほどく。
「この程度で火傷などするか。お前こそ火の魔素を刺激しないよう、未熟な魔術の使用は控え――」
言い終える前に、カルシンが目をみはって俺の足元に視線を移した。
何かが足に絡みついている。
そう気付くのと同時に、俺は煮えたぎる泉の中へ引きずり込まれていた。
『……ととのった?』
泉の底で意識が戻る。
周囲の魔素に乱れはなく、意外なほど穏やかだった。
問題は俺の魔力がほとんど空になっていることだ。
闇属性は半分に減り、他の五属性は1割程度しか残っていない。
最大値に変化がないのがせめてもの救いか……。
姿はおろか、気配すら感じ取れない何者かが語りかけてくる。
『たまには魔力をごっそり減らすと、デトックス効果があるとか……ないとか……』
『俺の魔力を奪ったのはお前か』
『えと……ごめんなさい。お腹空いたな~と思っていたら、ちょうど魔力持ちのお兄ちゃんがいたので……』
俺を引きずり込み魔力を奪った声の主が、どこか漠然とした調子で続ける。
『魔力なんていっそない方が、悪いものの影響を受けなくて済むとかいう説も……あるようなないような、です……』
『……』
聞いたこともない仮説だが……。
コハルは魔力を一切持たない。
あるいはそれが“女神の加護”なのだろうか。
あの稀有な体質が、瘴気の悪影響を抑える役目をしているのなら……。いくら何でも楽観論に過ぎるか。
その後も声はのらりくらりと話を続けた。
妙な知識は、書庫の隠し部屋とは別種の深淵を感じさせる。だが好きな相手がどうとか、結局は無駄話に終始した。
確証はないが。こいつが異常の原因だろう。
鎌をかけるとしばらく沈黙し、
『わざとじゃないよ。でも今のぼくは、ちょっぴりエネルギーが不足しがちで……。規則正しい食生活って大事だなって思いました……』
『お前の魔力不足が、このあたりの魔素に影響を与えるのか?』
『まー、そう受け取られても仕方ないのかなぁ……』
『お前は一体何者なんだ』
『ぼく……? ぼくは…………何だっけ??』
……これ以上まともな情報は得られそうにないな。
この空間は外界から遮断され、望遠が使用できなかった。
どのくらい意識を失っていたのかも分からない。魔素の異常を解決するより先に、一度外へ戻ってコハルの様子を確認するべきだろう。
水面に向かって浮上していくと、声が追いかけてきた。
『……もう大丈夫。ぼくがととのったから、この山もととのうよ』
どうやら奪った俺の魔力で回復したようだ。
周辺の魔素の乱れも収まるという。
『それならそうと早く言え』
『だって今まで忘れてたんだもん……。ぼく、意外と偉大な力の持ち主だったね』
『お前は、大精霊か?』
『精霊……そんな気もするし、違う気もするし……』
『わけのわからない奴だ……』
浮上を止めた俺の周囲に魔素が集まる。
姿は見えないものの、声の主の視線を感じた。魔素を通して俺を眺めているのだろうか。
『お兄ちゃんは、なんだか懐かしい感じがする……。闇の魔力はクセとエグみが強すぎて……もう絶対食べたくないけど……』
どんな魔力だ、俺の闇は。
『瘴気のにおいと、その血のせいかな……。じゃあ、そろそろ寝るね……』
『俺の血? どういう意味だ』
『なんだっけ……忘れちゃった。きっとそんなに大事なことじゃないんだよ……おやすみなさい……』
まどろむように呟いた後は、奇妙な声が呼びかけに応えることはなかった。
◆◆◆
『――あ、やっと通じた。やあアメちゃん、久しぶり』
泉を出た途端、通信が入った。
『くそじじいか』
『悪意が増してるのナンデ?』
望遠でコハルの姿を探す。
別れた場所からはやや離れていたが、無事な様子を確認して一息つく。
……何故かカルシンが傍にいるのは気になるが。さっさと合流して状況を把握しよう。
『また面白い所に行ったものだねぇ』
『この泉にいる妙なものは、一体何だ』
こちらの居場所も、何が起きたかも大体見当がついている口ぶりに問い質す。
予想通り『さあ、何だろう』とはぐらかされた。くそじじいと呼ぶにふさわしい。
『本当に分からないんだってば。まあ伝説の秘湯の主、ってところかな。交信できたなんてさすがアメちゃん、さらに力が上がってるね。なんかいいことあった?』
風属性の魔力はあとわずかだ。
余計な詮索をされる前に通信を切ろうとすると、マガタが口早に続けた。
『ここでアメちゃんに良い話と悪い話があります。どっちを先に聞きた……』
『両方いらん。じゃあな』
『あ~~待って。わかってるって、良い話からだよね。ハルちゃんと関係を大進展させるのに最適な場所を、老婆心たっぷりでご紹介します。じじいだけど』
…………。
『場所だけでは成果が上がらないのは知っているだろ。策だ。何か効果のある策をよこせ』
『お任せあれ』