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「そんなに警戒しないで。無理に奪ったりはしないから」
そう言って、視線を奪う微笑みを浮かべる。
私は緩みそうになる気持ちを叱咤した。
「そもそも奪うって表現がおかしいんだけど。私じゃなくて本人に直接ききなよ」
「断られるにきまってるじゃないか。時間を浪費するのは嫌いだな」
「なぜそこは自信満々……」
「コハル、私は君のことも気に入っている。だから君達には悲惨な結末を迎えてほしくない」
黒騎士の視線が遠くを見つめるものへ変わる。
望遠で実際にどこかを見てる、ってわけじゃないだろうけど……。それともまさか、“悲惨な結末”がこの人には見えているのだろうか。
ついまた見入ってしまった私に視線を戻し、続ける。
「信頼も絆も、壊れる時は一瞬だ。だけど本当に厄介なのは、裏切った方は得てして自覚がない。それどころか正しい選択をしたと心から信じている……」
「そんなことにならないよう、時には立ち止まり、“当たり前”を疑ってみるのをお勧めするよ」
なんだか呪いみたい。
どこか不吉な警告を終えると、微笑む黒騎士の姿が歪み、消えた。
いつの間にか鐘の音もやんでいる。
しばらくの間、私はその場に立ち尽くしたまま動けずにいた……。
◇◇◇
謎の倉庫から無事脱出した私達は、少し移動して魔の山の麓に立っていた。
少し待つと地面に翼を広げた大きな影が落ちる。あの魔の山の鳥(たぶん旦那さん)が私達の前に舞い降りた。感動の再会。
それからアメジストに向かって何度かうんうん頷くと、一度高らかに鳴いて飛び去っていった。
「ノーチェがこのあたりに現れた時は、エミーユ側の土地まで送ってやるように頼んだ。放っておいても自力で帰れるだろうけどな」
ノーチェと捕まっていた変異種達は、教わった術でパワーアップしつつ、皆で協力しながらそれぞれの場所へ帰る途中だという。
たぶん一番家が遠いだろうノーチェには、事前に魔の山を目指すよう言っておいたそうだ。
「ありがとう、アメジスト」
行き届いたフォローにお礼を言うと、頭を撫でられた。
……最近これ多いな。まだ慣れなくて、鷲掴みとは違う意味でヒエッて言いそうになる……。
今回はリチアもいない。なので面倒なことになりそうな関所には向かわず、魔の山を南下し、両国の境界線になっている山脈をアメポートを駆使して越えた。
今日はやっとエミーユ側に戻ってきて、小さな町で一休み中。
宿の窓からうっすら山の連なりが見えたので地図を確認すると、方術士の総本山だった。前は南側から入ったけどここは北側なので、山の見え方が違って面白い。
黒騎士――隠者の主との会話は、アメジストにまだ詳しく話していない。
書庫から戻った時にでも話そうかな、と思っていた私の口の中は今、とんでもない事態になっていた。
……痺れるほど濃厚なえぐみがお口いっぱいに広がって……。
それはまるで丹念に絞った草の汁を、職人が根気強く煮詰めたような……。
いやなにこれ?? 地獄みたいな味がするんですが???
いつものように読書中を狙って懐の飴をいただいただけなのに。一体私は何を食べてしまったのか。
口の中で渋みと苦みが暴れ回って、味覚が滅ぼされていくかのよう。草のアクだけで人を殺せる飴? でもアメジストが私を殺そうとするはずは……!
とりあえず出そう。お行儀が悪いとか言ってる場合じゃない、このままじゃまじで死ぬ。
悶絶しながら魔本をベッドに放り投げ、殺人飴を受け止めるため口元に持ってきた私の手は、すかさず動いた手によって遮られた。
「吐き出すな。健康状態を良好に保つという薬草で作った飴だ」
この殺人的えぐみが薬草!? 良薬は口に苦しの範囲を軽く超えてますけど!?
ってこの飴、自作かよ!!(スキルアップの速度までえぐい。)
今日も今日とて膝抱っこの姿勢のまま、もう片方の手が肩に回され、抱き寄せられる。
それからその手で私の口を塞いだ。鬼だ。
「コハル。二度と妙な症状にかからないよう、必ず俺がま……ぶはっ……守る」
今、もだえ苦しむ私の表情見てふいた???
言葉の途中で顔をそむけ、また無表情で戻した。だけど時々、微妙に肩が揺れている。
非常に珍しい魔王の爆笑(に等しいレベルの反応)。ただしこっちにそれを面白がる余裕なんてない。
耐え難い苦痛を早く終わらせるため、飴を一気にかみ砕く。
えぐみも一気に口内で爆発した。あああ……大人しく舐めていた方がまだましだったかも……。
私はこの地獄みたいな飴を『ジスト飴』と命名した。
そして金輪際、口にしないと心に誓った。
――という事件が起きたので、私はいろいろと深く反省することにした。
「ほら、どれにするんだ? これとこれ、それからこれも、お前好みの味だろう。全部頼んでもいいぞ。食べ切れない分は片付けてやる」
店のメニューを片手に、隣から顔を覗き込んでくる。
アメジストが指差した品は全部おいしそうなデザート系だ。いつもならその提案に一も二もなく食いついただろうけど。
私は顔を背けてグラスの水をちびちび舐めた。
「草に味覚を滅ぼされたからいらない」
「だから口直しを……」
「いらない」
甘味に心は惹かれる。だけど反省中の私の決意は固い。
「そろそろ機嫌を直せよ」
声には呆れが滲んでいる。だけどほんの少し眉尻を下げて、どこか困ったような顔だ。
そんなレアな表情を横目に、私はますます警戒を強めた。
「私の機嫌がナナメだろうとまっすぐだろうと、アメジストには関係ないでしょ」
「そうでもない」
「なんで? 信頼に関しては、飴を勝手にとった私も悪いからお互い様、据え置きってことで解決したよね。信頼パワーが減ったわけじゃないんだし、どうでもいいじゃん」
「いや、どうでもよくはない……」
「だからなんで??」
「それが説明できなくて困っている。……こういうのはお前の方が得意なんじゃないか? どうして俺はお前の機嫌が気になるのか、試しに分析してみろ」
腕を組んでしばらく思案した後、諦めたように息をついて言う。
一切他意のなさそうな瞳と目が合い、私の警戒センサーがマックスになった。
「な、なにそれ。そんなの私にわかるわけないでしょ」
「そうか。まあ何か思いついたら教えてくれ」
頼んだ料理が運ばれてきた。変な動悸を落ち着け、栄養面を考えて選んだ食事と向き合う。
だけど隣から注がれる視線のせいで、いまいち集中できなかった。
アメジストがおかしいのは当たり前のことで、むしろおかしくないとアメジストだと証明できない。もはや自然の摂理である。
とはいえ最近のおかしさは少々目に余る。
魔王様、私に構いすぎじゃありませんか??
新技欲しさに隙あらばハグしようとするのは相変わらずだ。
それ以外にも、ほっぺびろびろしたり頭なでなでぽんぽんしたり、なにかとスキンシップが多い。書庫に行ったとみせかけて、気付くとじーっと凝視されていることも(そのせいで最近飴がとりにくい。)
今日みたいに限りなく実験台に近いものの、私の健康管理に余念がないし……。
なんかさあ……、なんか……まるで私のこと……、
いや違う! だから魔王にそういうのはない!!ないんだ!!!
あーもうっ……こんな風に思考がおかしな方へ暴走しそうになるの、絶対隠者の主に変なこと言われたせいだよ!
アメジストの言動、その動機は1000%「力が手に入りそうだから。」他の何かなんてあるわけない。
なのに最近の私は、おかしな勘違いをしそうな瞬間があったりなかったり……。
反省だ。反省をしよう。魂が風邪を引いた(?)のも、なんだかんだ快適な異世界生活で気持ちが緩みっぱなしだったせいだ、きっと。
今一度本来の目的を思い出し、気を引き締めようではないか。
えーと、そもそも私がアメジストと一緒にいる理由は……、
「お待たせしました。闇豆のファファとバナップルケーキ盛り合わせです」
ん? 頼んでないけど?
目の前に置かれた皿(さっき見たメニューの中で一番気になってたやつ……)を見て首を傾げる私に、アメジストがさっとスプーンを手渡してくる。
……いつの間に。
今更返品するのも申し訳ない、仕方なくいただくことにした。
…………とろとろふぁふぁ。シロップがちょうどいい。バナップルもねっとり甘酸っぱくてクセになるなぁ。
あ~~、草に滅ぼされた味覚が蘇っていく~~。
やっぱり魂の健康のために、たまには甘味も必要だね。
――はっ!!
絶品スイーツに思わず頬がユルユルになる私を、隣からニヤニヤ眺めてくる奴が……。
いやだって、自分は食べないくせに勝手に頼むから。勿体ないから仕方なく処理しているわけで。
……でも口の中が幸せ。だからもうどうでもいいか~~~。
私は反省をそのへんに放り投げ、緩めた顔と心で美味を堪能した。