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「さて、どうやってもてなすべきか。踏み潰そうとすればこちらの足も無事では済まぬようだ」
精霊が薄笑いを止め、俺の力を測りながら首を傾げた。
「お前が俺達を呼び出したんじゃないのか」
「何……? 我輩は主よりここの番を仰せつかっている。君のような危険な虫を招き入れるほど、我が忠誠は脆弱ではないぞ」
契約者を得ているという精霊が視線を檻へ向けた。目を合わせたノーチェが小刻みに震える。
この狼の力は強大だ。六属性を備えた魔力は強く、安定している。大精霊とみて間違いないだろう。
「アメジストにコハル、だったかね。我が主は無益な血が流れるのを好まない。いかなる理由で入り込んだにせよ、今すぐ立ち去るならば目を瞑ろう」
こちらに視線を戻して言う。
提案を受け入れるか否か。俺達を転移させたのが監視者なのであれば、ここで果たすべき何かがあるということだろうが……。
ここまで強力な大精霊がいるとは聞いていない。もし戦いになればコハルを守るので手一杯になりそうだ。
「ノーチェは、この檻の中にいる子達はこれからどうなるの?」
悪い予感の通り、コハルは捕まった生物の行く末が気になるようだ。
頭痛が増した。どう楽観的に考えても、質問者が納得して帰る気になる答えとは思えない。
大精霊が勿体をつけて首を振った。
「さあ。購入者が商品をどう扱うかなど、我輩に見通せるものではない」
「商品……?」
改めて檻の中を見る。ノーチェ同様、変異種らしき生物ばかりだ。
こうした者達を表立って売買するといった話は聞かない。だがどこにでも物好きはいるのだろう。
「大方、地下競売場の倉庫といったところか」
大精霊が無言で肯定する。それを見上げていたコハルが振り向いた。
言いたいことは予想がつく。だがこの状況で好きに喋らせるには、情報が不足している。
術で口を塞ぐと、俺の足を何度も踏みつけた。怒る気力があるのはいい傾向だ。
「……うらやま……」
「?」
「いや何でもない」
小さな呟きにコハルが動きを止める。大精霊が咳払いして続けた。
「商品の中には君達の仲間がいるようだな。見殺しにはできぬというわけだ。ならば我輩とひとつ勝負をしようではないか」
そう言い、天井を仰ぐと高く吠える。
大精霊が変化した。頭だけ狼のまま、黒服に身を包んだ人間の姿になる。
「ぶっちゃけ暇なのでな……」
◆◆◆
「我輩のことは“隠者”とでも呼んでくれたまえ」
大精霊――隠者が転移した先は、魔動の光に照らされる通路だった。
片側は広い室内に通じる扉が等間隔で並んでいる。中から騒々しい笑い声や音楽が洩れてくる。
反対側にある窓には、灰色の雲が流れる夜空が映っていた。
コハルが窓に近寄り外を眺めた。
術を解除する。強い街明かりの夜景に黒い瞳が輝くのを期待したが、何も言わずに戻ってきた。
隠者が歩みを再開し、俺達もそれに続く。
「ここは魔動飛行船『ネルヴァーダ』。魔力によって浮遊する一大娯楽施設だ。飛行船といっても同じ所を回り続けるだけで、自由な航行は不可能だがね」
この下は確か、王都よりも力を持つと言われるポロットの都市だ。大陸内で最も魔動を利用し、謳歌している場所だろう。
「君の予想通り、一部の貴族と富豪向けの競売も行われている。金さえあればどんなものでも手に入る、という謳い文句でな。まあ意味合いとしては地下で間違いではなかろう」
隠者が一つの扉の前で足を止め、それを開く。
広い空間に様々な器具が置かれていた。多くの者が真剣な表情でそれらを囲み、遊興に耽っている。
遊びには見慣れない硬貨が使われていた。賭博場のようだ。
隠者の姿を目にした者達がざわめきだした。
だがそれが広がる前に、室内にいる全ての人間が一斉に眠りに落ちた。すぐさま起き上がると一列に並び、部屋を出ていく。
どうやらこいつも操作を使えるらしい。
最後の一人が退室すると扉が閉まり、隠者が俺達に向き直った。
「ここの遊具を使って我輩と勝負だ。何を使うかは君達で決めていい。勝てば望み通り仲間をお返ししよう」
「お前が勝った場合は?」
「君の魔力をいただく。その深淵なる闇の力をな」
ここには瘴気がない。魔力、特に闇属性を失うのは痛手だ。
もしこの大精霊の気が変われば、他の属性だけで対処するはめになる。今はコハルもいる、危険は避けたい。
だが断れば、いずれノーチェは競売にかけられる。
あいつが勝手に捕まったんだ。俺の知ったことではないが……。
「……分かった」
表情のないまま小さな手が服の裾を掴んでくる。
それを眺めていた狼の顔が、俺の返答に人間じみた薄笑いを返した。
「どれにする? 私達のどちらかが一勝すればオッケーなんて、隠者は太っ腹なんじゃー」
コハルが遊具を一つ一つ確かめる。
異世界にも似たような場所や物があるらしい。とはいえ実際に体験したものはほとんどないようだ。
隠者がどんな条件を出そうと、こちらが有利になったとは言えない。
奴はこの船を知り尽くしている。当然、ここでの勝ち方にも詳しいはずだ。
場合によっては自分に都合のいい小細工を仕掛けてくる可能性もある。
「スロットはどうかな。魔王の眼力にかかれば止まって見える、なんてことは」
隠者に許可を取り、試しに動かした。
この程度の速度なら絵柄を揃えるのは難しくないが。
俺に出来ることが、あの大精霊に出来ないとは思えない。
勝利条件は“隠者に勝つこと”だ。最悪、どちらも最高配当の絵柄を揃えて勝負がつかない事態もあり得る。もし有利な台などがあればこちらが不利だ。
どうせ不利なら能力よりも、運の要素が強いものの方がましだろう。
方針を伝えると部屋の片隅を指差した。小さなテーブルにどこか見覚えのある生物の頭蓋骨が載っている。
「だったらあれは? 『ガブガブガビアロドン』。交互に歯を押して、ハズレを押すと噛みつかれるっていうアレ。罰ゲームとかがあると盛り上がるやつ」
「おお、それは我輩の一押しだ。噛む強さも変更できるぞ。小鳥を包み込むような甘噛みから生前同様のガチの一撃まで、自由自在なのだ。しかし何故か人気がなくてな……」
「却下だ」
そんなものに触らせるか。障壁で防げるとしても俺の神経が持たない。
結局、役の強弱を競う無難なカードゲームを選択した。
まずはコハルを対戦させて様子を見る。先に三勝した方が勝者だ。
「これってポーカーだよね。海賊船で観戦したからだいたい知ってるよ。でもあんまり期待はしないでね」
「ああ、全くしていない」
「一対一の真剣勝負だ。余計な疑いを挟むのもつまらない。ディーラーを呼ぼう」
隠者が指を鳴らす。席につき向かい合う二者の間に下級精霊が現れた。
人の輪郭を作るのがやっとだ。コハルの目には精霊がはめた手袋しか映らず、それが動くたびに目で追っていた。
「お前の配下だろう。充分疑わしいが」
「これ以上力の弱い者はいないのでね。思考力はほとんどなく、単純な動きしかできないので安心してほしい」
「たぶん大丈夫でしょ。カードの切り方も、私の方が上手いくらいだし」
「どうだかな……」
「ん? 今のどっち? 安心の方、それともカードの切り方??」
隠者がテーブルに銀の首飾りを出現させた。負けた時の魔力の注ぎ先らしい。
限界まで込めた場合、闇なら総量の五分の一程度だろうか。予想よりは少ない出費だ。
「では始めようか。精々楽しませてくれたまえ」
隠者の挙動を観察する暇もなく、コハルは三敗した。
「いくら何でも早すぎないか。ディーラーが哀れみの目を向けているぞ」
「ぐぬぅ……今だけは見えない人でよかったような……」
思考力の乏しい下級精霊にまで同情されながら、コハルが席を立つ。
「ごめん。でもアメジストならきっと勝てるよ。魔王様の御力を信じて、勝利をお祈りしてますので」
アコ・ブリリヤを取り込んだペンを出し、両手で握りしめてみせる。
調子のよさに呆れつつ、返事代わりに黒髪へ伸ばしかけた手を止めた。
「絶対、ノーチェを助けてあげようね」
……俺は何故、こんな場所にいる?
少なくとも大精霊と馬鹿げた遊戯に興じたり、以前知り合った変異種の危機を救うためではないはずだ。
やや首を傾け見上げてくる感情の抜け落ちた顔に、急に抑えがたい怒りが湧き上がってきた。
「そんなことのためにここにいるんじゃない……!」
コハルが小さく息を飲んだ。それでも表情は動かない。
「俺は……っ、お前以外の奴が死のうが生きようが、どうだっていいんだよ!!」
コハルに怒りを向けたところで状況は変わらない。不毛だ。
そう自覚しながらも、俯き起伏のない声が返ってくるのに苛立ちが募る。
「……そういうこと、言わないで……」
「彼の気持ちを察してあげたまえ、お嬢さん。不安なのさ。魂の翳りとともに、君がこのまま消えてしまうのではないか、と」
また感情のままに口を開きかけた時、隠者が静かな声で割って入った。
振り返ると組んだ両手に狼の鼻面をのせ、あの薄笑いで牙を覗かせる。
「伊達に長く精霊をやっていないのでね。彼女の魂を元に戻す方法は、なくもない。教えてやっても構わんよ……ただし、」
隠者が指を鳴らす。テーブルの首飾りが消え、代わりに銀に輝く腕輪が現れた。
「価値に見合う財をベットしてもらうがね」