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「コハル、ありがとな!」
隣を歩くラズに笑いかけられて、戸惑う。
「え、何が?」
「何って、アメジストの説得だよ。大変だった?」
「…………ああ」
ラズから視線を外し、前を並んで歩く二人に目をやる。
相変わらず乙女のような表情で隣に話しかけるトルムと、ごくたまに頷いて返事らしき反応を返すアメジスト。
あらあら。仲のよろしいことで……。
「説得なんてしてないよ。そして気付いてしまったの……」
「へ?」
ラズが不思議そうに振り向いた。もう耳元で内緒話しなくてもいいだろう。だって目の前で堂々としてるもんね。
「あのお二人は、両想いのようです」
さすがのラズも、目を見開いて絶句する。
温かく見守ってあげようね。
そう言ってみたけど、絶句したまましばらく固まっていた。
◇◇◇
昨日、水責めからの暴風ドライヤー攻撃でさんざん弄ばれた私は、当然ながらブチ切れた。
「ちょ、本当にいい加減にしてくれる!? 宿の部屋に水死体とかお店の人にも迷惑でしょうが! ふざけんな!!!」
「死体? 擦り傷ひとつ作ってない」
どこか得意げな無表情(って変な表現だな。)で言うのを睨みつける。
「傷はなくても溺れかけたし、汚れは落ちたし、服も綺麗になってるけど! ……って綺麗になってるなぁ!? あ、肌つるつる」
腕のあたりを触ったらなかなかの仕上がりだった。自分で体を洗った時より汚れが落ちているかもしれない。
服も土埃や草の汁なんかでどろどろだったのが、元の着古し程度になっている。
溺死の危険性さえなければ優秀な洗濯機だ。だけどそもそも洗濯機に人間を入れてはいけません。
「攻撃術でも回復術でもない状態を操るのは、なかなか苦労した」
ふふん、と言わんばかりに(無表情で)腕組みするアメジストを見上げる。
「へえ、すごいね」
なんか褒めて欲しそうな顔(しつこいがあくまで無表情。)をしていたのでそう言うと、ゆったりと頷いた。
多分、本当にすごいことをやったんだろう。話に聞く魔動具より、よっぽど精密な家電だ。
……あー。不本意だけどとりあえず体はすっきりした。服もなんかもうこのままでもいいかなって気に……。
私よりもアメジストの服の方が穴だらけだ。それにお風呂、いや洗濯機にも入ってないんじゃない?
「今のすごい術、アメジストも体験してみなよ。この宿にはお風呂も無いし」
内心、私と同じ苦しみを味わうがいい……と思って言うと、アメジストがベッドに腰掛けて目を閉じた。どうやら集中しているらしい。
するとその足元からコポコポ、と水音がしだした。
洗濯機スイッチオン!
わくわくしながら眺めていると。コポコポ、サラサラ……みたいな、春の小川かな?程度の水流が足元を包み込み、徐々に頭の方へと上っていく。水流は最後に長い髪をすーっと通って、そのまま消えた。
全身どこも濡れていない。暴風なんてなかったのに、何故か乾いている。
「……え、終わり!? なにそれ、ずっる! 自分だけずるーっ!!」
なんで私の時は大容量水流ゴシゴシ洗いで、自分だけ春の小川!? しかも瞬間乾燥機付きとか、高機能搭載型かよ!?
「自分に術をかけるのと他人では勝手が違う」
いや、勝手のレベルが違うな。ここまで格差が生まれるのはおかしいと思うな。
「次は私もそっちのにして。……でもまあ、ありがとう」
礼儀は大事だから。扱いは不満でいっぱいだけど。アメジストが鷹揚に頷いてみせた。ちっ。
気を取り直して。
ラズの依頼の件を私はぼちぼち話し始めた。
ヴェンの母親の病気だとかは、情に訴えてもどうせ無駄だから軽い説明で流し、報酬の方を強調しておく。
「だってほら、一文無しで目的地のはっきりしない旅をするなんて無理があるでしょ? この話は渡りに船ってやつだと思うんだよね」
滞在費がラズ持ちのことなんかも話しつつ、前払いの入った袋をポケットから取り出して見せた。袋が水責めのせいでしっとりしてる。硬貨でよかった。
「あの灰頭の子供も来るのか?」
「え? トルムのこと?」
アメジストが頷く。名前覚えろよ。
「来ると思うけど。いつもラズと一緒みたいだし」
仲良しの幼馴染なだけでなく、立派な戦力だろうから当然来るだろう。
「わかった。引き受ける」
あっさり了承した。いい意味で拍子抜けだ。
……けど今の、妙な話の流れじゃなかった?
なんかトルムが来るなら俺も行く的な…………、
うん深く考えるのはよそう。
「よかった。ラズが帰ってきたら、また詳しい話をしてくれると思うから。じゃあそういうことで」
そう締め括って、私は鼻歌まじりに立ち上がった。
そのまま歩き出そうとしたら、伸びてきた手に腕を掴まれた。
「……どこへ行くつもりだ」
もう片方の手には、さっき私から掠め取った魔本がしっかりと握られている。
えええ……こいつ、朝イチでさんざん朗読させといてまた……?
だが断る! 私はこんなこともあろうかと用意しておいた言い訳を使った。
「私、今からお店を見に行くから読書は無理。着替えを買うつもりなんだけど、よさそうなのがあったらアメジストの分も一緒に買ってくるよ」
「別にこのままでいい」
「だめだよ。今度行く場所は、めちゃくちゃ強い魔物の近くなんだって。もちろん遭遇しないように気を付けるとしても、万一ってことはあるでしょ。そんなボロボロじゃ危ないよ。もっと頑丈な服に替えないと」
あなたのためを思って言っているのよ作戦だ。手も足も出まい。
なのに黙ったまま、いつまで経っても私の手を放さない。仕方なく空いている方の手で掴んでくる指を外そうとしたら、腕を引かれた。
あっという間にまた膝の上に乗せられる。
この野郎、私の鉄壁の言い訳を無視するとは……。
「……ひゃ!?」
魔本を持たされるのかと思ったら、片手で足首の辺りを掴まれた。反動で頭が落ちる。
片足だけ握られて、アメジストの膝を背中に敷いて仰け反る不思議な体勢になった。
「ちょ、なん……」
抗議をしかけた時、掴まれた足のジャージの裾あたりがチリチリと小さな音を立てた。なんかくすぐったい。
音のするあたりは、大きく裂けたり穴があいていたりする。アメジストもじっとその部分を見ていた。
すると、裂けたところの繊維がにゅーっと伸びて互いにくっついた。他の穴も同じようにして塞がっていく。
今度は反対側の足を握られ、同じく破れや穴がみるみる消えていった。
なんだ、また奇跡か。
魔王の魔術が、もはや家電の域を超えている……。
よく考えたらあの筋肉痛に効く回復術は怪我も一瞬で治してた。とっくに超えてました。
「……思ったよりも簡単だな」
私の服を全体的に修復し終えて、なんとなく残念そうに呟く。確かにさっきの洗濯機に比べたら、作業自体は単純かもしれない。
というか元の世界の家電っぽいことをするのは難しいのに、バカ強い攻撃や奇跡の治療の方が簡単だとかいうこの人の異常さよ。
私の足をぽいっと放して、今度は自分の服を修復し始める。
ボロボロ具合が私の服以上だったのに、ほんの数分で終わってしまった。
ただ装飾的な部分まで忠実に直す気はないらしい。
気付いた時には、元のものより少しシンプルな黒尽くめになっていた。所々に銀の鎖の飾りだけが残っている。
「ねえ。ボロ……いやマントは? 新しいのは作らないの?」
消えた部分には、生き別れた私の親友(一晩のみ。)とセットのような装飾があったはず。あいつ元気にしてるかな。
「必要ない」
マント君…………。
お互いの服がまともな古着程度に再生した後は、なし崩しに読書タイムに移行させられた。
しかし浮き上がった文章を読もうとしたところで、注文をつけられる。
「声を出さずに集中して読め。本の力を引き出すような感覚だ」
なにそれ。どんな感覚だ?
どうせ抵抗しても無駄だろうし、言われた通りにやってみる。集中して文字を目で追いかけた。
浮かび上がったのは、いつもの子供向け雑学書だ。内容は『楽しいお祭り』。
ある国では年に一度のお祭りの時に、子供たちが白い布をかぶって通りを練り歩き、「お菓子をくれなきゃ力を吸い取るぞー」と言って大人たちからお菓子を貰う、というイベントがあるらしい。
ほぼハロウィンだ、楽しそう。17歳は参加できるのかな? この世界の成人年齢っていくつなんだろう。お菓子欲しい……。
ほのぼのと黙読していると、また頭を鷲掴みされた。
「集中しろ」
……いや、してたと思うんだけど。
「本の力を引き出すって、具体的には?」
「……そうだな。例えば……」
――中略――
わかったか、と聞かれて、私はしっかりと頷いた。
ひとつもわかる部分がない、ってことがわかりました。
心の声は飲みこんで、私は再び黙読を始めた。
しばらくそうしていたら、アメジストが目を開けた。
「……ひとつも理解してないな?」
そうですけど?
完全に開き直って(心の中で)認めると、眉間にうっすら皺を寄せる。
じわじわと部屋が冷えてきたので、私は布団を引っ掴んで体に巻き付けてから、無言で魔本を読み続けた。
謎の注文をつけられた読書タイムは陽が沈む頃まで続き、私はお昼を食いっぱぐれるはめになった。