渋滞中のエッセイ
渋滞中のエッセイ
この世界に
言葉という歴史があり
数字にまつわるエトセトラ
や科学があり
その内容は
有る無しではなく
ただ在るので或る。
科学が発展し
人はとても便利になった。
コミュニケーションも発展し
固定電話ができた。
そしてポケットベルが出来た。ポケットベルの頃には数字を使って会話した。
まだ、その頃には
個々それぞれ数字に思いをのせたオリジナリティがあった。
さらに便利になり
携帯電話が出来た。
そして、世界のコミュニケーションはSNSが主流になった。
とても、便利になった。
異国の人とでも
すぐコミュニケーションが取れるようになった。
コミュニケーションという言葉の意味も変わりつつあるのかもしれない。
便利なった。
しかし、何か「もやっと」
するのである。
便利になった分
不便だった事を忘れてるような気がする。
言葉を他人に向けて簡単に放つようになった。
顔をみずネット空間に放たれた言葉。
人と人のコミュニケーションが人と空間と人とのコミュニケーションに変わって。
それは、まるで伝言ゲームのそれのような。
何か抱えなくていい
もやもやを抱えているような。
それなのに、世界は未だ
手と手を取り合えない。
こんな簡単にコミュニケーションが取れるのに。
未だ各国は世界を一つに出来ずにいる。
言葉の中に
「神」や「仏」や「阿頼耶識」などが有る。
有る以上何処かに在るのだろう。
例えば、人それぞれの中に
在るのだとしたら。
コロナは人の心が病んでいるから顕れたのでしょう。
色々な矛盾を突きつけられ。
人々の心が病んでいるのでしょう。
振り挙げた拳で未だ
頭を掻けない大国。
武力で威嚇など
恐喝となんら変わらない。
自然に手をだし
科学の粋で歪みあい
修整できないのなら
戦争がまたおこるのなら
それは共食いとなんら変わりないように思える。
コロナが戦争を回避してくれたのかもしれないね。
人は十人十色。
私は過去も大切にしていく。
私は今を一生懸命に生きる。
私は頑張って未来を描く。
私は至って、すっきりしている。
あー。運転つかれた(笑)