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野生のバレンタインチョコを拾ったらひそかに思いを抱いていた幼馴染に本命チョコを渡すことになった話

作者: おさむ文庫

バレンタイン向けの短編を書きました。(もう日付が過ぎているって? 朝になってないからセーフです)

 2月14日。天気は晴れ。何事もない普通の平日の登校時間。

 そう、今日は普通の平日なのだ。


 それなのに、こんなに今日という日が憂鬱なのは、お菓子会社のせいだ。奴らはいつだって自分たちの会社を儲けさせるために私たちの何でもない日常を壊そうとしている。


 今日だってそうだ。

 登校中の女の子たちはみんな浮かれ顔をしながら学校へと向かっている。ただの平日だというのに何をそんなに浮かれている。

 私たちの本文は勉強だ。バレンタインなんかに浮かれているんじゃない。


 今日くらい正門で持ち物検査でもしてくれればいいのに。

 私の装備は完璧だ。かばんをどれだけ漁られようとも、危険物1つ出てくることはない。


 そんなものを渡す相手なんて……いないからね。


「ねえ、さっきのチョコ見た?」

「あの道端に落ちてたやつ?」

「そう! あれ、絶対本命だよね」

「落とした子、かわいそー」


 すれ違ったJKが何やら話しているのが聞こえた。道端に落ちている本命チョコ。何とかわいそうな響きだろう。

 チョコの作り主は、今どんな気持ちでいるのだろう。まだ気づいていないのだろうか。それとも、絶望に暮れているのだろうか。彼女の(おそらく)徹夜の頑張りとドキドキは崩れ去ってしまったという訳だ。


 ……なんてことを考えながら歩いていたら、見つけてしまった。


 チョコは確かに道端に落っこちていた。

 何もない歩道にぽつんと落っこちているチョコレートは異様な存在感を払っていた。

 道行く人たちは誰もそのチョコには触れようとしない。あまりの寂しさに同情しているのか、それとも触ってしまったら不幸が移るとでも思っているのかもしれない。


 ピンクの装飾が施された、ハート形のチョコレート。包み紙の上には「HAPPY VALENTINE」とつづられている。あまりに手のこもった作りが、かえってその哀しさを増長させていた。


 私はそのチョコレートを手に取ってみた。別に拾う必要なんてなかったのだけど、不思議と手が伸びてしまっていた。

 本当ならバレンタインの華やかな主役になるはずだったのに、その雰囲気から排除されてしまった憐れなチョコレート。そこにどこか親しみを覚えてしまったからなのかもしれない。


「おい、お嬢さんよ」


 どこからか声がした。

 背筋がびくっとする。チョコの持ち主が来たのだろうか。それにしては男の声のような気がしたけど。


 私はとっさに振り向いてみるが、そこには誰もいない。

 おかしいな、と首をかしげてみると、奴の声がもう1度聞こえてくる。


「こっちじゃ、こっち」


 声はやはり私の近くから聞こえてくる。しかし、声をかけてくる人はいない。

 となると、声の主は……


「そうじゃ、お前の目の前にいるだろうが!」

「うわあああ!」


 思わず叫んでしまう。

 通り過ぎていく人達が一斉に私に視線を向ける。

 何でもないふりをして彼女たちに軽く頭を下げる。


 もう1度声のした方を向く。

 明らかに拾ったチョコレートから声は聞こえてきていた。

 チョコは拾った時から何も見た目は変っていない。何よりしゃべり方とギャップがすさまじいんだが、本当にこいつか?


「なにを疑っておるんじゃ! わしの声が聞こえているのじゃろう?」

「……」


 心が読まれてしまっていた。ここは黙っておこう。


「無視か。まあ良い。わしの名前はバレンタインの本命チョコレートト。この日のために生まれ、そして無念にもその願いをかなえることができなくなってしまった悲しきチョコレートじゃ」


 何か急に自己紹介を始めた。自分で本命とか言ってて恥ずかしくないのかな? まあチョコだしその辺は甘々なのか。


 私はチョコをそのまま地面に戻そうとする。こういうのに関わるとろくなことがない。


 しかし、チョコは私の手から離れようとしてくれない。


「な?!」

「わしを手放そうとしても無駄じゃぞ。もうわしとお前は運命共同体じゃ」


 必死に手からチョコを取り外そうとするけれど、全くチョコは離れようとしてくれない。謎の力で手にしがみついている、というよりかは

 張り付いていた。


「はなれろ……っ」

「無駄だと言っておるじゃろうが」


 渾身の力を込めても全くチョコは離れようとしてくれない。

 おかしい、握力はそこら辺の女の子たちよりはあるはずなのに。


「無駄じゃ。お前が、わしの願いをかなえるというまで手から離れないぞ」

「なによ、それ」

「うむ、やはり聞こえているじゃないか」


 やってしまった。得体のしれないチョコと交流をしてしまった。

 最大限の力を込めてもチョコは手から離れないので、もう諦めることにした。


「それで、願いって?」

「ふむ、簡単なことじゃ。わしをお前の思い人に渡してほしいのじゃ」

「はあ?!」


 また声を荒げてしまった。

 周りの視線をお得意のスマイルもどきで乗り切る。


「なによ、それ。嫌に決まっているでしょう」

「なぜじゃ。せっかくのバレンタインなのに、チョコを渡せないなんて、もったいないじゃろうが」

「……思い人なんかいないわよ」

「寂しい奴じゃのう」


 私はチョコを投げつけてしまいたくなる。どれだけ手を動かそうとしてもやはりチョコは離れない。

 ……いっそのこと叩き潰してやろうか。


「やめろ! 残酷なことを考えるでない!」

「だったら早く手から離れなさい。チョコ野郎」

「無理じゃ。お前には願いをかなえてもらえないと成仏もできない!」


 成仏って、やっぱり悪霊の類なのでは……


「言っておくがな、もしお前が今日中にチョコを渡せなかった場合、お前には一生恋人ができない呪いがかかるぞ」

「なによそれ! 勝手に変なことしないでよ」

「私の願いを聞いた時点で、もう条件は揃っていたのじゃ」


 やっぱり、この悪霊は早く叩き潰した方がよさそうだ。

 私はチョコを持った手を振り上げる。チョコの悲鳴が聞こえてくるが知らない。


「千代子。何してるの?」


 突然かけられた声に、私の攻撃は中断されてしまった。

 私のことを「ちよこ」と呼ぶ人間は家族を含めても数少ない。その中でも、若い男の声になると、一人に絞られる。


「きょ、キョウキ」


 噛んでしまった。


 振り向いた先には幼馴染の()()()が立っていた。

 朝からさわやかな笑顔で私のことを見ている。私と同じ通学路で高校まで通っている。

 まさか、こんなタイミングで出会いたくなかった。


「そんなところにしゃがみ込んでどうしたんだよ」


 コウキが私の顔を覗き込もうとして来る。


「な、なんでもない!」


 私はとっさに立ち上がって、チョコを背中に隠す。チョコを持っているところなんて見られたくない。

 心拍数が上がっている。顔がほてっているように思うけど、これは突然声をかけられて驚いているんだ。

 そうだぞ、自分。


 手から離れないチョコを何とかしなければ、と思っていたがチョコは案外簡単に手から離れて、かばんの中に収まってくれた。

 その代わり、チョコから「ほう」という声が聞こえてきてしまった。


「ただ、靴紐結んでいただけ」

「ふーん、そうなのか。まあ、いいや。一緒に行こうぜ」

「……うん」


 こうして、私は悪霊チョコ野郎と一緒にバレンタインを過ごすことになってしまった。


*****


「高崎くん、これどうぞ!」

「ありがとう」

「コウキくん、私も作って来たんだ」

「ありがとう」


 教室の中でコウキは人気者だった。

 クラスに入るなり、待ち伏せていた女の子たちに囲まれていた。

 同じクラスの子、他クラスの子、はたまた先輩までも1年のクラスに乗り込んできてコウキにチョコを渡している。


 コウキはそのチョコを1つ1つ笑顔で受け取っている。嫌がる様子を見せないコウキの態度は、取り巻いている女の子たちをさらに喜ばせていた。

 あのチョコの中にどれだけ本命が紛れているのだろう。


 クラスの端で、そんなコウキの姿を見ていると、彼と私の住んでいる世界はやっぱり別のものなのだと実感させられた。


 コウキの周りにはキラキラ輝いているオーラが漂っている。私と幼馴染でなければ、絶対に関わることなんてなかった人種だ。


 事実、幼馴染という関係性をもってしても、クラスの中では私はコウキに話しかけることはできなかった。

 日陰に住んでいる私じゃ、輝いているコウキの周りには近づくことすらできなかった。


「相変わらずモテモテだね。コウキ君は」


 恵があきれたように話して来た。

 学校の中の私の唯一といっていいほどの友達だ。友達のおおいコウキとは違い、私はクラスの端っこで恵と2人でいつもひっそり暮らしている。


「住んでいる世界が違うのよ」

「ねえ、あの先輩って今年ミスに立候補してた人だよね。やっぱりきれいだなあ」


 コウキに対してチョコを渡しに来るのは、みな学校の中で可愛いという自信を持っている人たちだけだ。少しでもコウキと釣り合うという自信を持っていなければ、彼のもとに来ることなんてできない。


 私だって、顔だけ見ればそこそこ整っているとも思うけど、それでも彼女たちと並んでしまえばすべて持っていかれてしまう。

 何というか、人間として違うのだ。

 彼女達と私では立っている世界が違う。それが全てだった。


「千代子もチョコ私に行ったら? 幼馴染なんでしょ」

「私はいいよ。あの輪の中には入りたくないなあ」

「あはは、確かに」


 恵もコウキの周りの様子を見て笑ってくれる。

 彼の周りでは、まだ途切れることなく女の子がチョコを渡しにやって来る。


「そうじゃぞ。チョコを私に行けばよいではないか!」

「彼のことが好きなんだろ? わしの目はごまかせないぞ!」

「せっかくのバレンタインなんじゃ。自分の気持ちに正直になればいいのじゃ」


 チョコ野郎がずっと訴えかけてくる。

 かばんの中に押し込んでいるはずなのに、直接頭に訴えかけてくる。彼の言葉はどうやら私以外には聞こえないようで、それだけが救いだった。


「早く思い人にチョコを私に行くのじゃ! この群衆に紛れて、そっと渡せばいいのじゃ!」

「おい、聞いているのか? 千代子よ、返事をするのじゃ」

「わしの声が聞こえているのだろ? おーい千代子や!」


 もう耐えられない。

 私はかばんを持って立ち上がった。


「千代子?」

「ごめん、ちょっとトイレ行って来る」

「え、でも、かばん持って……」


 恵の声も最後まで聞かず、そのまま1人きりになれる階段の踊り場までやって来た。


「どういうことなの!」


 開口一番私は叫んだ。


「それはこっちの台詞じゃ。思い人なんていないとか言いながら、ちゃんといるではないか。さっさとわしを渡しに行かんか」

「コウキは単なる幼馴染なの」

「出会っただけでどぎまぎして、顔が赤くなっちゃうのが、ただの幼なじみなのか? わしの目はごまかせんぞ」

「……あなたも見たでしょ。コウキの周りに群がっている女の子たちを」

「あれがどうしたというのじゃ。問題は自分の気持ちじゃ」

「彼と私じゃ生きている世界が違うの。こんな日陰女は彼の周りに居ちゃいけないの」

「そんなの勝手に自分で言い訳しているだけじゃ。告白してから考えればいいじゃないか」


「うるさい、うるさい、うるさい!! 勝手なことばかり言わないでよ。彼はよくたって、私は彼と一緒には居られない。彼と私は絶対に同じ世界には居られない。それはどうしようもない事実なの!」


 熱が入って叫んでしまった。

 言うつもりのなかったことまでも口から零れ落ちてしまう。

 誰かが通りがかっていたら、私は1人でかばんに向かって叫ぶやばい人だ。


「……ああ、そうかい。わしが間違っていたようじゃ。お前は一生恋人ができないのがふさわしいようじゃ」


 チョコは静かにそう言い放った。

 それきり、彼の声はぴたりと止んでしまった。急に静かになってしまった踊り場は静寂に包まれた。


 私はどうしようもなくて、かばんを抱きしめて、チャイムが鳴るまでその場にうずくまっていた。


 まさに最悪のバレンタインだった。

 チョコなんて拾わなければ、いつも通りのちょっと嫌な2月14日で済んだのに。周りを女の子からチョコを渡されて、にこにこしているコウキを陰から「すげー」って見守るイベントで済んだはずなのに。

 今はコウキの顔をまともに見ることすらできない。


 彼の後姿を見るだけで、涙が出てきそうで、心が苦しくて、もう何も集中することができなくなっていた。


 昔はただのかっこいい幼馴染で済んでいたのに、今は彼との間に果てしない壁がある。

 壁の上にいる彼は、簡単に私の方までおりてくることができるけど、下にいる私は彼の足元にも及ぶことができない。

 そんな差を1日中見せつけられているようで、とにかくただ早く帰りたかった。



「千代子、今帰るとこ?」


 帰りの昇降口まで無事にたどり着いたところで、呼び止められてしまった。

 そこには、大きな紙袋を携えているコウキの姿があった。本当に彼とはタイミングの悪いところで会う。


「うん。コウキも帰るの? 部活じゃなかったっけ」

「今日はパスかな。早く帰りたいし」


 そう言ってコウキは持っている紙袋に目をやって苦笑いする。彼も私とは違う意味で早く帰りたいようだ。

 人気者は大変だ。


「一緒に帰ろうぜ」


 コウキは何ともなく言ってくる。


「……いいけど」


 そっけなく答えてしまうが、心拍数はどんどん上がっていく。


 どうせ彼にとって私は単なる幼馴染だ。

 今だって、他の女の子から自分を守るための番犬程度に思っているのだろう。

 それでも、番犬でもいいと思ってしまう自分がなんとも情けなかった。


「やっぱりバレンタインは大変だよ」


 コウキは笑いながら言っている。言葉と裏腹に表情はまんざらでもないようだけど。


「コウキがモテ過ぎているだけでしょ。すこしは断ればいいのに」

「せっかく作ってくれたのに、そんなことはできないよ」


 コウキは屈託のない笑顔で言っている。

 きっと本心から言っているのだろう。今更私に対する好感度なんて上げても意味ないし。


 2人でいつもの通学路を歩いていく。いつもと何も変わらない帰り道のはずなのに、今日はやけに足が重い。

 彼と一緒の歩幅を歩いている、私の足が遅くなっても、彼は私の歩幅に合わせて歩いてくれる。そんな彼の何気ない優しが嬉しくて、心苦しかった。


 彼はこれからその優しさを他の誰かに向けることになる。本命チョコをくれた誰かのハートに寄り添う。

 その候補の中には決して私は含まれない。


「そういや、千代子も昔にチョコをくれたよね」


 家も近くなってきた付近で、コウキは急に昔の話を振って来た。


「そ、そうだっけ?」

「確か、小学生くらいの時だっけ。手作りのチョコをくれたよね。あの時のチョコおいしかったなあ」

「そういえば、そんなこともあったっけ」


 嘘つき。本当は鮮明に覚えている。


 まだ彼と、良好な幼馴染であった時、だけど、彼に対してほのかに恋心を抱いていたあの時、私はチョコレートを渡した。

 その時も彼は今と変わらない笑顔でチョコを受け取ってくれていた。


 いつの間にか、チョコは渡せなくなっていた。

 彼にチョコを渡す資格なんて私にはない、そうやってあきらめて、傍観者に徹するようになっていた。


「もうチョコは作ってくれないの?」


 コウキは何気なく訊ねてくる。こんなことを普通に聞いてくることができる彼がうらやましい。


「コウキにはチョコはもうお腹いっぱいでしょ」

「そんなことないって。千代子のくれるチョコなら全然飽きない」


 彼の笑顔はやっぱり変わらない。気を使っているわけではないと分かるだけ、どうすればいいのかわからなくなる。


「……渡すのなら、今ではないのか?」


 ――でも、彼に渡しても振り向いてなんかもらえない


「そんなもの、渡してみてから考えればいいのじゃ」


 ――渡してしまったら、もう今までの関係ではいられなくなるかも


「彼のことが好きなんだろ? ここで渡さなければ、一生その気持ちに嘘をつくことになるぞ」


 ――でも、


「彼は私の思い人。その気持ちだけに素直になってみるんじゃ。大丈夫、きっとうまくいく。今日はそういう日なのじゃ」


 もう私の家は目の前になっている。

 そこまでついてしまえば、一緒に歩く言い分もなくなってしまう。

 また、いつも通りモヤモヤした気持ちに変えることになる。


 そして、家の前までたどり着く。


「じゃあ、ここで。また明日ね」


 コウキはいつもと変わらない笑顔で手を振ってくれる。

 夕焼けに染まるその顔はうまく表情が読み取れなくなっていた。彼の顔が前を向き、先を歩こうとしていく。


「待って」


 とっさに声が出た。コウキが立ち止る。

 言ってしまった。心臓の音が頭の奥まで響き渡る。過去最大級の心拍数をたたき出していることは間違いなかった。


「どうしたの?」といいながら、コウキが私の前まで戻ってきてくれる。

 なんて言葉を切り出したらいいかわからなくて、唇だけをパクパク動かす。

 近づいてきたコウキは、不思議な表情で私のことを見つめていた。


 ――もうどうにでもなれ!


 何も言わずにかばんの中に手を突っ込む。

 かばんの中には、荷物に押しつぶされながらも、まだしぶとく形を残しているチョコ野郎が確かに存在していた。

 そのままチョコ野郎を取り出して彼の前に突き出す。もう、ほとんど勢い任せだった。


「こ、これ。久しぶりにチョコレート用意したからあげる」


 緊張していて、どこまでろれつが回っていたのかわからなかった。顔の温度が急上昇していく。

 恥ずかしくて、手がプルプル震えていて、コウキの顔なんてとても直視することなんてできなかった。


 やがて、手もとにあったチョコはいなくなる。


「本当に! 嬉しい。ありがとう!」


 彼の声を頼りに、ようやく私も顔を上げる。そこには数年越しでも変わらない、コウキの笑顔があった。


「そ、それじゃあ、また明日ね! バイバイ!」


 チョコを渡してしまうと、コウキの言葉も言わせないままに家まで駆けこんだ。

 後ろからコウキがバイバイといってくれていた気がしたが、ちゃんと聞きとることはできなかった。


 ドアを閉めて、靴も脱がずに、そのまま座り込む。


 ミッションコンプリート。形はともあれ、私はチョコ野郎の願いを聞き届けた。

 不本意ではあるが、思い人にチョコを渡した。もう呪われることなんてないのだ。


 ドアに背を凭れたまま、かばんを抱いて座り込む。どこに吐き出したらいいかわからない感情をまとめてかばんに抱きしめた。


 いくらチョコを渡したところで、私が彼と釣り合う条件になったわけではない。

 きっと、彼の周りにはこれからも、私みたいな日陰女じゃなくて、きらきら輝く女の子が集まることになるのだろう。彼にはそういう環境が似合っている。


 でも、それでもいいと思えた。


 たとえ釣り合わなくても、私は彼のことが好きなんだ。今ははっきりと言うことができた。

 次に会うときは、もう少し素直に自分の気持ちを伝えてみよう、そう思えた。


 かばんを抱きかかえたまま、いつまでもおさまらない熱を私は味わっているのだった。


*****


 家に帰ってから、僕は1人で悶えていた。


 バレンタインには多くのチョコをもらう。

 それら1つ1つに愛情が込められていて、とても断ることなんてできなかった。本命チョコもいくつももらう。


 でも、本当にもらいたい人からはいつまでたっても、もらうことはできなかった。


 どれだけ一緒に居たいと思っても、周りに集まって来るのは、僕の見た目に惹かれてやって来る、外見だけが取り柄の女の子のみ。

 そんな女の子といくら一緒に居ても、千代子と一緒に居る時間には勝ることはなかった。


 正直、彼女からチョコなんてもらえなくてもいいと諦めてもいた。

 チョコをもらえなくても、彼女と一緒に居る時間を大切にできればそれでいい、そう思っていた。

 そのはずだったのに、彼女は今年チョコをくれたのだ。


 ハート形のチョコというだけで、気分は最高潮だったのだが、包みを開けた中に書かれていたのは、小さく書かれた「大切なあなたへ」という文字だった。


 チョコをくれた時の千代子を思い出す。顔を真っ赤にして恥ずかしがっている彼女はこれまでに見たこともないくらい可愛かった。

 他の女の子からもらったチョコなんてどうでもいい。今年は間違いなく最高のバレンタインだ。


「なぜ、その思いは彼女に伝えないのじゃ!」


 どこからか声がした。部屋に人などいるはずがない。

 声がするとすれば……

 僕は眼の前に掴んでいるチョコレートを見つめた。


「早くその思いを千代子に伝えんか。バレンタインはまだ終わっていないんじゃぞ」


 僕はチョコに言われるがままに、スマホを手に握るのだった。


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