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鉄塊のマギア  作者: 佐倉。
9章
98/138

9-9

 ──ゆっくりと、ゆっくりと。

 ぼやけた世界が像を結んでいく。

 目に映ったのは見たことの無い高い天井。胸に空気を通すと、微かに消毒液の匂いがした。


 ───頭が、ぼうっとする。

 意識と身体の感覚はバラバラで、水底に深く、深く沈んでいる様で。全身が、頭が、重い。


 ──視界の端で、ふわりと何かが動いた。

 眼球で、それを追う。日光を受けたレースのカーテンが、眩い程の清潔な白色を主張しながら緩やかに揺れていた。柔らかに流れる空気が頬を撫で、窓の外から人の声を運んでくる。こんなに穏やかで心安らぐ空気が、とても久しく感じる。


「お目覚めになられましたか」


 ゆらゆらと差し込む光に視線を奪われていると、枕元の辺りから平坦な声が聞こえた。物音一つしなかったが、近くに誰かいるのだろうか──動かすのも億劫な程に重い頭を、時間をかけてようやくそちらに向ける。そこには表情の無い顔でこちらを見つめるマギアさんの姿があった。


「おはようございます、ロルフ様。二日振りにお目覚めですね」

「…ぁ、ぇ…?」

「貴方は第三階層で倒れていたのです。ニキア様と共に発見した我々が病院にお連れして、二日程経過いたしておりました」

「…びょ、いん…?」


 口内が乾いて、上手く言葉が喋れない。

 やっとのことでその一単語を返すと、重い頭が緩やかに回りだす。倒れていた?二日振り?何故?──いや、ともかく病院なんかで寝ている暇は無い。早く動かなければ。俺はまだ、十分に動けると証明しなくては。

 上半身を起こそうと腕に力を込める。しかしながら、意識と反して身体は未だ寝ている様に重く鈍い。まるで脳と身体の繋がりがちぐはぐになってしまったのではないかと錯覚すら覚える程だ。


「…今はまだ、あまりご無理なさらないでください。ニキア様も起こしてしまいますので」


 諫める様な平坦な声を他所にそれでも何とか身体を起こそうと格闘していると、見かねたのかマギアさんが手際よく背中に枕を挟み込む。少しばかり視界を高くすることが出来ると、足元で突っ伏したまま穏やかな寝息を立てる姉の姿が視界に入った。

 姉のことだ、自分自身も疲れていただろうに今まで容体を看てくれていたのだろう。俺の我儘に付き合わせたせいでこうして余計な迷惑をかけてしまった。

 燻る罪悪感に、自然と眉間に皴が寄ってしまう。確かにいつまでもこんなことを続けられる訳ではない、そんなことは気付いていた。分かってはいるけれど──不意に。視線の先、見慣れた柔らかな赤毛の頭が突っ伏す場所とは、反対側。シーツのかかった半身部分に釘付けになる。自身の左脚が投げ出されている筈であろう場所が、不自然に平坦になっていることに気が付いた。


 先程聞いた声で一度、自分の名前を呼ばれた様な気がしたけれど。まるで頭に入ってこない。

 自らの脚に意識を集中し、動かそうとしてみる。

 それでも、何度試しても。もどかしく不快なだけの鈍重な感覚すら左の脚からは返ってこなかった。


 ───

 ──


 目を覚ましてから、しばらく経っただろうか。

 病衣に身を包んだロルフは確かめる様にゆっくりと脚を動かしていたが、今ではそれを止め失った左脚部分にただただ視線を向けていた。

 無言のまま目を瞑り、一度だけ大きく息を吐く。


「もう、続けられそうにないですね」


 その声はあまりにも抑揚が無く、とても落ち着いていた。


 ──正直意外だった。

 言う迄も無く人間(彼ら)には機械人形(私たち)の様に身体のスペアなど存在しない。義肢は確かにあるだろうが、自らの脚を失えば冒険者業は疎か日常生活にも多大な影響を及ぼす。だからこそ自身の姿に気付いた時には、もう少し取り乱すものだろうと思っていた。


「ロルフ様。目を覚まされたばかりで急ではありますが、少々お伺いしても宜しいですか?」

「…どうぞ。俺に答えられることなら」


 どんなに落ち着いていると言っても脚を失ったのだ。調子も気分も良い訳が無いだろう事は確かめる迄もない。それならば、せめていつも通りの態度で接する方が気も紛れるというものだろう。


「お一人だけで三階層を探索されたこともそうですが、ここしばらくは随分無茶をしていたとニキア様から伺っています。何故、そのような行動をとられたのですか?」

「…理由は前回お話ししたじゃないですか。約束の為だったんだって。それに俺はもう迷宮には行けなくなりました。無茶な行動どころか、二度と門を潜ることすら出来ないでしょうね。…だからもう、終わったんです。もう何も心配することは無いでしょう?」


 彼の返す口調は変わらず穏やかではあるが、しかしその顔には自嘲の笑みとも取れる表情を浮かべている。


「はい。理由については承知しておりますし、ニキア様と交わされた約束の内容もお伺いしております。しかしながらその上で、腑に落ちないことがあるのです」

「…何が、ですか?」


 ロルフが目を瞑り一呼吸置いて言葉を返すのと同時に、風に煽られレースのカーテンがふわりと舞う。差し込む光の筋が形を変え、姉弟の上を静かに撫でた。


「"魔物を殺す事(約束)"が理由だったとするのであれば、それならば数ある魔物の中で何故マンドレイクという種に対してのみ固執したのかが理解出来ないのです。スライムやラットでも良かった筈ですが、しかしロルフ様はある時点から三階層へのみ足繁く通われていたとニキア様は仰られておりました。そこは強い執着があったように感じられます」


 もう一度。自身の脚を受け入れた時と同様に、大きく息をする。双眸が薄く開かれると、縁取る長い睫毛が微かに揺れた。


「勿論、私の勘違いである可能性も否めません。その場合は一笑に付していただいて結構なのです。…しかしながら、ロルフ様のご家族の事情と、極端な行動の変化。そしてマンドレイクの特性と、それに関わったが為に精神的に不安定な状態に陥った事例が過去にあったという事を考えると、どうしても考えてしまうのです」


 私の間違いならそれで良い。それに越したことはない。

 しかしそうでないのであれば、二度と迷宮へ行けくなったからとこのまま放置もしておけない。根本的な解決になっていない以上、今後も何かしらの無茶をする可能性は大いにある。それこそ次は命を落としかねない。


「改めてお伺いします。最初に三階層を訪れた際に、ロルフ様は遮音装置を外されたのではないですか?」


 一度否定はされたものの、状況を鑑みるにそうとしか思えなかったのだ。

 私の問いを聞いた彼は黙り込んだまま、背後の枕へ体重を預けながら身体を沈めていく。


「…仮定のお話、ですが。万一にもそうなのだとしたら、私には話し辛いこともあるかもしれません。言いたくないことであれば、私に包み隠さず話せとも決して申しません。…それでも、可能なのでしたら。ニキア様にだけはお話しいただきたいのです。本当に、心配されておりましたから」


 私の言葉にそうですね、とだけ短く返すと、ロルフは足元で静かに寝息をたてる姉に憂いを帯びた視線を向ける。

 数分か、十数分か。

 しばらく眉間に皺を寄せ逡巡していたが、ゆっくりとした動作で彼は私と視線を結んだ。


「……いえ、いえ。すみません。今回は二人に本当に迷惑をかけしました。今更ですが、せめて姉さんとマギアさんの二人にはちゃんとお話しするべきなのかもしれません」


 それは憎悪か、落胆か。それとも諦念なのか。彼は形容できない表情を浮かべながら口を開いた。


「俺はただただ、あの魔物が存在することが許せなかったんです」

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