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鉄塊のマギア  作者: 佐倉。
9章
97/138

9-8

「大切な家族を奪われたとしても。それでもあたしたちは、恨まずにいるべきだったのかな」


 姉弟の泊まる宿を後にして数時間後。

 転がり込む様に店に駆け込んできたヴィルジニアは酷く動揺していた。接客をレイシアに任せどうにかなだめ話を聞くと、目を覚ました時には弟の姿と彼の装備一式が消えていたのだと言う。急ぎギルドを訪れると、彼が表層での採集を目的とした侵入申請をしたとの確認が取れたのだった。


 ──それから、迷宮へと続く門を潜ったのが三時間ほど前の事。

 地面に黒々とした闇を湛える穴が穿たれた、一階層のとある袋小路で。一人の冒険者と一体の機械人形が、周囲の様子を伺いながら腰を下ろしていた。


「あたしたちはさ、小さい頃にお父さんを迷宮で亡くしてるの。あたしとロルフは、二人きり。…ここだとよくある話でしょ?」


 顔を埋めたまま膝を抱える様に座っていたヴィルジニアが、ぽつりぽつりと語気も弱く言葉を吐く。

 確かにこの街と周辺地域では、迷宮遺児という存在は特別珍しくは無かった。魔物が蔓延る場所に足を踏み入れる以上、危険が付き纏うのはどうしようもない。この街が出来ると同時に噴出した昔からの問題でもあった。


「…大変失礼ですが、ご親族の方やお母様を頼ることは出来なかったのですか?」

「頼れる親類はいなかったし、お母さんは…あたしの小っちゃかった頃に家を出て行っちゃってね。ロルフはまだ赤ん坊の頃だったかなぁ…だから、あの子はお母さんのことも全然覚えてないの」


 微動だにしなかったヴィルジニアが僅かに顔を上げると、柔らかそうな髪が一筋、白い頬に張り付いていた。


「家のどこにいても、一人分の空白があるの。何をしてても寂しくて、お父さんが奪われた事実にただただ心が追い付かなくて。どこにぶつければ良いのか分からない憤りでぐちゃぐちゃで。…あたしたち二人、これからどうすれば良いんだろうねって途方に暮れてた」


 幼い二人だけで出来ることなんて、きっと多くは無かっただろう。

 アイザックが亡くなったと知った時、私も頭の中が言い表せない空白で満たされどうしようもなく呆然としたことを覚えている。


「そんな時にね?ロルフが言ってくれたの。魔物を殺せるようになって、あたしたちみたいな子を少しでも減らそうって」

「…幼いお二人に、戦闘の心得があったのですか?」

「ううん、元々冒険者になるなんて考えてなかったんだもの。…本当に出来るかなんてどうでも良くって。きっと心に空いた穴を塞ぐ何かが欲しかったのよ。だから、二人で支え合いながら必死に訓練したわ」


 過去に思いを馳せるヴィルジニアが口元を微かに綻ばせる。常日頃明るかった彼女がここまで弱弱しく笑うのかと、余計心配になる。


「細々とした依頼をこなしながら装備を整えて、目に付いた魔物を殺すの。今までずっとずっと、文字通り地道な作業の繰り返しだった。…でもそんな日々を繰り返してた時に、ふと思ってしまったの。あたしたちがやってることに、終わりはあるのかなって」

「…終わり、ですか?」


 二人で結んだ約束を疑ったという彼女の言葉に自然と疑問が漏れる。

 私が覚えている限り、間違いなく二人は常に寄り添い信頼し合っていた筈だ。少なくとも、今この問題が発生するまではそうとしか見えなかった。


「今でも、たまに夢に見るくらいには魔物は憎いのよ?…でも、それでもさ?大昔から数えきれない程の冒険者が迷宮に潜ってるのに、表層のスライムすら駆除出来ていないのよ?底にすら辿り着いていなくって、むしろ新しい階層が見付かる始末じゃない。…ここに一体どれだけの魔物が残ってるかなんて、想像もつかないわ」


 成程。彼女の言い分にも尤もな部分があるだろう。

 際限なく、いつ終わるのか誰も分からないまま走り続けることが出来る人間なんてどれだけいるのか分からない。目に見えて実感が得られない以上、一体どれだけの効果があったのかと問われればそれに疑問を抱くのも仕方ないだろう。


「…それでも、きっと意味が無かった訳ではないと思いますよ」

「それは、うん。決して無意味では無かったと、あたしもそう思うわ。あたしたちが魔物を殺したことで助けられた命があったかもしれない。…でも、それだけじゃ駄目なんじゃないかって。もっと違う方法でも、心の穴を埋めることも出来るんじゃないかって。そう思ってしまったの」

「それが貴方が諦めたこと、ですか」


 彼女が無言で頷く。

 親を殺された"恨み"に救われはしたものの、それを抱え生きる道にきっと果てが無いと気付いてしまった。だから彼女は、それだけを生きる糧とすることは諦めてしまったという事なのだろう。


「この街は沢山のもので溢れてるから。あたしだけじゃなくって、ロルフも楽しさや幸せを感じられる…夢中になれる何かがあるかもしれないって。血生臭い物事以外で心を満たすことも出来るんじゃないかって。…でも、あの子は一人でもまだ走り続けようとしてる」

「一人でも、ですか?」

「あの子は…魔物を殺すことに繋がるのなら、何だって嬉々としてやってるような節があるの。だから……きっとあの子は、あたしがそういうことを口にしてしまえば一人でも頑張れてしまう。あの子を一人にしてしまいそうで。…遠くに離れて行ってしまいそうで、言い出せなかった」


 恨まずにいるべきだったのか。

 魔物へ対する感情も、冒険者という道を選んだ切っ掛けも全てはそこからだ。そうでなかったなら、それ以外の道を提示出来ていれば。そんな今更どうにもならない後悔があるのだろう。


「…憎しみや恨みという激しい感情を心の内に抱き続けるには、多大なエネルギーを消費し続けなければならないと耳にします。前に歩む為、心の支えとする為に消費し続けていては、擦り減り続けいずれ消尽してしまう事もあるかもしれません」


 何を以て善しとするのか、悪とするのか。

 何を以て幸せと定義するのか。


 人の心は実に曖昧で分かりづらい。

 仮に深く触れることが出来たとしても、第三者が理解、判断しようとすればそこには間違いなくそれぞれの角度や尺度が入り込む。それは避けようのない事で、必ずどこかに本人の感覚とは乖離した何かが発生するのだ。

 私とこの姉弟の間にも、きっとある。気付いていないだけで、レイシアやセスとの間にもそういう溝があったのかもしれない。


「さはさりながら、様々な事由や状況が作用することで物事への評価は多様に変化します。偏に感情や動機という不確かなものを正誤の基準で判断すべきか、私には分かりかねます」


 他者を真に理解するということは、恐らく難しい。それが私の経験不足によるものなのか、私の性能故かは分からない。分からないけれど──烏滸がましくも、私の手の届く範囲の人に対して思わずにいられない。


「……私には、分かりません。それでも、どんな形であったとしても、最後に振り返った時にお二人が幸せだったと想える道を歩めることを、ただただ願っています」

「…うん。頑張ってみるよ」


 僅かに顔を緩ませたヴィルジニアがはっと目を見開くと、そろそろ行きましょうかと腰を上げる。小休止を終えたらしい周囲に居たいくつかの一党が、階層経路へと進み始めていた。

 行先を共にする冒険者を募集しそれを待つ、という暇も無かった私たちは今回二人だけで侵入していた。他の冒険者たちの後を付けていくことで出来るだけ戦闘を避ける狙いだったのだ。敵対的な挙動の魔物が多い二階層さえ抜けてしまえば、あとは比較的安全に探索も出来るだろう。焦る気持ちを抑え、注意しながら先を目指した。


 ──三階層へ到達するや否や、私たちは休憩も取らず人気のない方角へと足を向ける。

 ヴィルジニアが言うには、ここ最近ロルフが率先して向かっていたという隘路があったらしい。安全圏を示す柵を越えその小さな洞に踏み入ると、入り口付近にも関わらず微かな甘い香りが漂っていた。


 二人は一体、今までどれだけの個体を狩ってきたのだろう。

 枯れ果てた魔物の死骸を横目にしながら、先へ先へと小径を急ぐ。腐敗する死骸のものか流れ出た体液なのかは定かではないが、どこまで行っても果実が腐ったような濃密な甘い香りで満ちていた。


 暫く進むと、打ち捨てられた死骸の列の様子が徐々に変化を見せる。

 枯れ果て萎んでいたものの中に、若芽色をした肌の色を保ったものが混じり始めたのだ。深く刻まれていた肌の皴も少なくなり、今なお傷口から溢れる体液を啜る為に蝶の群れが出来ているものも目に付いて。ついには、比較的真新しい傷跡の残るものばかりが立ち並ぶようになった。

 そして。ほんの先程まで生きていたのだろう、頭部が繋がったままではあるが念入りに頸部と顔面を傷付けられたマンドレイクの死骸が目に入った。


 気が気ではないのか、走り続け息も絶え絶えになりながらもヴィルジニアは先へ進む足を止めようとしない。

 そこからほんの少し進んだ先。月光の様に柔らかな淡光で岩壁を照らし出すマンドレイクの根本辺りに、見慣れない琥珀色の塊が横たわっているのが視界に入った。


 目の前の不思議な物体に怪訝な表情を浮かべるヴィルジニアと一度視線を交わすと、注意深い足取りでにじり寄っていく。

 甘い香りと、弾むような彼女の呼吸音。植生を掻き分ける静かな音だけが薄闇に響いている。

 見慣れない"何か"の細部が徐々に見えてきた、その時。


「ぅぁ…ぁああ…ぁあぁぁ!!」


 ヴィルジニアが声にならない叫びを上げながら走り出す。

 乱れ転びそうになりながら足取りで近寄ると、眼前のマンドレイクも他所に塊の横に膝を着く。わなわなと震える手で琥珀色の塊に手を伸ばすと、途端ぶわりと光の粒が舞い上がった。それが、横たわる何かに群がる蝶の大群なのだと理解するには、今しばらく時間がかかった。

 殻が剝がれていく様に、蝶に覆われていたものの姿が露わになっていく。


 そこにあったのは、遮音装置を付けたまま横たわるロルフの姿だった。

 惑乱する姉が弟を抱きかかえる。見慣れた筈の青年の左脚部分は不自然に平たく、裾口から眼前の魔物の体液と同じ色をした粘液が地面に流れ出ていた。

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