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鉄塊のマギア  作者: 佐倉。
9章
92/138

9-3

 ──甘い、甘い香りを放つ、ソレの前で息を呑む。


 人間の形と樹木の境目。その肩口に、ナイフの切っ先を向ける。

 息苦しいほどに早鐘を打つ心臓を落ち着かせようと、一度小さく息を吐くとその甘い香りが肺に満ちるようで。きゅっと唇を横に結ぶ。


 震えて手先が狂わぬよう、きちんと突き立てられるよう。両の手で細い柄を力いっぱいに握り込む。

 薄緑色に淡く発光する艶の無い肌は、生物らしさが感じられない"作り物"の様に見えた。まるで薄い膜を皴一つ寄らぬように張り付けたその肌に切っ先を突き当て、力を込める──筋や骨を切る抵抗感すら無く切っ先は沈み、応じるように傷口からじわりと琥珀色の粘液が染み出してきた。

 飲み込まれるようにナイフは沈む。肌を裂き、甘い甘い粘液を零しながら。遂には樹木部分と肩口が切り離された。


 頭の芯が緊張と甘い香りで埋め尽くされたまま、もう片方の肩口に琥珀色の血液が付着した切っ先を押し当てる。同じように力を込めると、透明感のある甘やかな色に塗れたナイフが再び菓子を切り分けるように皮膚を裂いていく。


 手にしたナイフが、腕の中頃まで沈んだ時。

 自重を支えきれなくなったその細い身体が、まだ僅かに繋がっていた皮膚を千切りながら前のめりに勢いよく倒れ込む。

 首から滴る透明な血液が勢いのまま飛び散り頬に付着すると、緩やかに垂れ落ちた。温度を感じさせないソレが、より一層甘ったるく命の匂いを放っているような気がして。


 喉の奥からこみ上げてくるものを堪えるのに、必死だった。


 ───

 ──


 この時依頼を共にした他三名とは、終始比較的良い関係を結べていた、とは思う。

 皆が初対面かと思っていたのだが、話を聞くとどうやら彼らは元々面識があったらしい。お陰で誰かが輪を乱すようなことも無く、向かう最中には依頼に関するあれこれや何でもない話題を交わし、踏み込み過ぎない適度な距離を維持し続けることが出来ていた。

 私の覚える限りでは、険悪でも親密でもない。実に当たり障りのない間柄を築けていた自信はあったのだ。


 目的の階層に着いた私たちは、そこから下へ向かう階層経路とは真逆へと足を運んだ。効率的に樹液を確保する必要があるからこそ、少しでも群生地の残る確率が高い方向を探そうという算段だった。

 しばらく進んだ先で柵の切れ目を見付け、皆が遮音装置を装着し始めたその時。哨戒役を兼ねる射手(シューター)の少女が手を振りながら近寄ると、得意げな顔をしながら話しかけてきた。


「ここに来るのは初めてって言ってたから、お姉さんたちの為にアタシが狩りをお見せします!」


 この一党で最も幼く誰よりも背の低い少女は満面の笑みを浮かべ、跳ねるような足取りで楽し気に狭路に足を進めていく。

 肩掛けに半身程もある無骨な銃を携える後ろ姿は、どこかアンバランスで。その背中が年相応に微笑ましく感じたのを覚えている。

 ──この時までは。


 音と光の無い世界が、どれくらい続いたか。

 微かな甘い香りが満ちる狭路のその先が、薄明の様に鈍く明るくなっていた。先を行く少女が振り返ると、"見付けた!"と言わんばかりの笑顔で一度大きく頷く。

 誘われるままに歩を進めると、その先には弱光を放つ一体のマンドレイク。そして周囲を硝子細工の様な琥珀色をした蝶がちらちらと舞う、どこか幻想的な景色が広がっていた。


 ──遠目には、まるで人間にしか見えない。

 今から少なくない数のマンドレイクを狩る事となるが、採集補助となれば遺骸に触れる機会があるだろう。状況次第では効率的に体液を採集するため、更に傷を付ける必要もあるかもしれない。そんなこと、本当に私に出来るのだろうか。

 そんなことを考えながら、マンドレイクの顔が判別出来るかどうかという距離に差し掛かった辺りだったろうか。少女が手を上げ皆に"その場で止まれ"と指示を出す。


 膝をつくと慣れた手付きでその身体に不釣り合いな大きさの武器を構え、微塵も躊躇うことなく一発、二発と。小さな身体を衝撃で揺らしながら、少女は立て続けに引き金を絞っていた。

 甘やかな香りに混じり硝煙の香りが漂う頃には、樹木に磔にされた人間のようなソレはぐたりと頭を垂れ微動だにしていなかった。


 少女は片手を上げると、下ろした銃を再び肩掛けに持ちながら誰よりも先に標的に向け歩を進めていく。先程と同じく、まるで友人とどこかに遊びに行くかのような足取りで。

 最中、するりと腰に手を回したかと思うとその手には鈍く光る短剣が抜かれていた。

 一歩一歩と距離を詰めるごとに漂う甘さは熟れた果実の様に強くなり、魔物の全貌が細部まではっきりと姿を結んでいく。

 手の届く距離まで辿り着くと同時。少女は流れるような動作でマンドレイクの髪を掴み上げ、喉元に短刀を突き刺すと力一杯に首を薙いだ。

 首を裂かれ琥珀色の粘液で身体を濡らす人の姿をした魔物の前、ちらちらと仄かに反照する蝶の群れの中で。少女が私たちに、屈託のない満面の笑みを浮かべた。


 "お姉さんたちの為にアタシが狩りをお見せします!"


 先程の光景が頭を過る。

 一発だけでなく念押しに弾を打ち込んだのも、真っ先に喉を切り裂いたのも偏に"声"を聞かぬ為の行為には違いない。私たち姉弟以外の二人は特段何も反応を示していないのが証左だろう。

 ただそれでも、目の前にいるのは同じ少女の筈なのに。人懐こい、天真爛漫な笑顔の筈なのに──

 言い表せない感覚を抱きながらふと横を見ると、曖昧な表情を浮かべたロルフと視線が合った。


 ──本当に、私に出来るのだろうか。

 今から、そしてこれから当分はここで採集活動をするしかない。それは分かってはいるがどうしても戸惑ってしまう。

 言葉を交わすことは出来ないが、私の気持ちを察したのだろう。ロルフは私の背中に優しく手を当て、不器用に微笑んで見せる。


 "姉さん、大丈夫?無理はしないで"


 耳慣れた弟の声で、そんな言葉が聞こえた気がした。

 一度大きく深呼吸をして、この場に漂う甘やかな空気で身体を満たす。短く、目を瞑る。腹を括れと言い聞かせて。


 狩りを見せてくれた先輩たちと共に採集に取り掛かる為、私たちは遅れて一歩を踏み出した。

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