-幕間-3-3
正直に言うと、迷宮に潜るようになれば多少なりとも何か変わるかも、と。
心のどこかでほんの少し期待していたところはあったのかもしれない。けれど、やはりそれは気のせいだったらしい。
場所が地上から地下に移っただけで、黙々と仕事をこなす日々は変わらず続いていた。
目に付いた一階層の収集依頼へとにかく申請し、数をこなして細々と稼ぎを上げる日々を繰り返す。
忌々しくも冒険者の血を引く為か多少マナは扱えるものの、魔物と戦うなんぞ無駄であり、リスクが高い行為でしかない。逃げて逃げて、採取が可能な収集品を掻き集めていた。
宿を取り、食事を取り、採取用具や消耗品の手入れや補充をし。そこから僅かばかり貯蓄に回したらもう殆ど手元には残らない。カツカツな生活。
それでもスラムに帰らずに生活が出来る様になっていたし、何より生活は幾分満たされていた。
冷気を感じる事無く脚を伸ばして寝れるのが。しっかりと身体を受け止めてくれるベッドで眠れることが。縁が欠けたり、くすんだりしていない小奇麗な食器で食事が出されることが。何の心配もなく安心して差し出された食事を飲み下せることが。
何もかもが新鮮な感覚で。周囲にソレを悟られないように必死だったが、溢れる一つ一つに小さく感動していた。
──ただまぁ。
同業者になったとしても、やはり冒険者と言う人種が好きにはなれなかった。ギルド登録の際に、その費用の一部が迷宮孤児の為にも使用されていることが説明されている筈、なのに。
異性に色目を使う奴も勿論、憚る事無く楽しげに女遊びを語る奴も居て反吐が出る。そも無理に好きになる必要も無いのだろうが。
それもあって、迷宮の中で他冒険者とすれ違った時に挨拶を交わす慣習だけは面倒で仕方ない。
大抵は気付かない振りをして無視をする。仕事をしに来ているのであって、馴れ合うために潜っている訳ではないのだ。
直近だと、二人組の見覚えもない冒険者と遭遇した際に挨拶をされたことがあったか。言う迄も無く無視したが。片方、ブロンドの奴は育ちの良さそうな顔立ちで、妙に活き活きした表情で。あぁいう奴は気に食わない。
誰かと組むこともせず、一人自由気ままに潜る日々は平坦で。苦痛も無く快適だった。
───
──
変わらない一日が始まった。
もう既に宿と迷宮を往復する生活に慣れ始めているのに、自分が一番驚いているかもしれない。
今日受領出来た依頼は鉱石と甲虫の皮翅収集。何度もこなした内容だ、特段問題も無いだろう。
大きく欠伸をしながら門を潜ると、地下へ続く下り坂を歩いていく。ふと、一本道の前方にぼんやりと浮かぶ灯りが二つ見える。歩を進めると、脚を止め何やら話している二人組の冒険者と眼が合った。
確か、覚え間違いじゃなければ前回も挨拶されたか。あのブロンドの髪色には見覚えがある。
「あぁ、こんにちは!どうぞお気を付けて」
「……どうも」
お決まりの常套句。実際にそんなこと思っているかは分からないのに、本当にくだらない習慣だ。
…ただ、残念ながら無視出来る状況でもない。朝っぱらから溜息の出る状況に辟易してしまう。当たり障り無く適当に呟くと、足早に追い越して先を急いだ。
───
──
相も変わらず、その日も収集依頼を受領した僕は迷宮に潜っていた。
それなりに数をこなしてきたお陰か、近頃は申請を断られることも殆ど無くなった気がする。それはとてもありがたい事、だったのだが。今日は経過があまり芳しくなかった。
いつも向かう方角にいくつか良い場所を見付けていたのだが、流石にあらかた取り尽くしたのかその近辺で殆ど採れなくなっていたのだ。こうなると流石に新規開拓するしかない。
注意を張り巡らせつつ歩を進めていると、前方からずるずると這う様な微かな音が聞こえてくる。
恐らくはスライムだろうか。武器はある。──が、魔具の類も用意せずアレを一人で相手するのは面倒臭い。
「…違う道から行くか」
溜息交じりに呟くと早速引き返す。
別の分岐を進んだ、その先の十字路で。いつか迷宮の入り口で遭遇した、二人組の冒険者と鉢合わせた。
「あぁ…お久し振りですね!こんにちわ」
前回の僕の態度を意に返さない実ににこやかな対応に少し面食らう。こういう手合いは何を考えているか本当に分からない。
「今日も採取依頼ですか?精が出ますね」
「…別に、仕事だからな。やることやってるだけだろ」
「はは、まぁ確かに。依頼を確実にこなすのは良い冒険者の証ですね」
無駄に親切な輩とは関わらない方が自身の為だ。後々何かに巻き込まれたり要求される場合もある。面倒なことになる前に先へ行こう。
「…それじゃ、お先」
「あ!要らぬ世話かもしれませんが…この近辺にスライムが大量にいたという情報がありました。お気を付けた方が良いかもしれません」
「……どうも」
何なんだこいつら。
どこでどうなろうとそいつの勝手だろう。危険を感じたら逃げる、それが出来なかったらそれはそいつの責任で、そこまでだ。本当にお人好しで調子が狂う。
逃げるように視線を外すと、その場を後にした。
───
──
小動物や植物を狩りながら進んだその先には、袋路が広がっていた。
足元をしっかりと照らしながら侵入すると、眼前には掘り進めた痕のある壁面にちらちらと鉱床が露出して見える。先程の男達の話だと、スライムがいたという話だが…しかしながら、這う時に出す独特な低い音は一切聞こえない。
"スライムがいた"という表現であったから、時間もいくらか経過して散ったかもしれない。戦闘行為に困らない様な装備をいくらか整えていたし、彼らも多少なりとも狩っていた可能性もあるだろう。
耳を澄まし注意を払いながら、いつもより間隔を開けつつ槌を振るう。薄暗い空間に高く澄んだ音が反響し、ゆっくりと吸い込まれていった。聞こえてくるのは、同じ様に遠いどこかで鉱床を叩く規則正しい甲高い音だけである。
何度か振り降ろすと手を止め、振動を聞きつけたスライムがいないかその都度耳を澄ませ辺りを見渡す。
繰り返し、怠らずに。
今のところは安全に採取出来ている。安堵しつつ鏨を当て、もう一度槌を振りかぶる。直後──
「避けろ!!」
後方で地面を蹴る音と野太い声が響いたかと思うと、次の瞬間には衝撃で身体が吹き飛ばされていた。
強かに背中を打ち付け、肺に残った空気が無理矢理に吐き出される。痛みに眉をしかめつつ身体を起こそうとした、その時。
落とした採取道具を覆い隠す様に。粘液状の塊が、視界の上から落ち爆ぜた。採取用具の木製の取っ手は、蝋細工の様に一切の抵抗も無く容易に捻れ折れた。
咄嗟に頭上を見上げる。
天井を覆い尽くすほどにびっしりと。てらてらと、生き物の内臓の様に。カンテラの明かりを照り返す粘液状の魔物──スライムの群が一面に蠢き張り付いていた。コイツらがこんな狩り方をするなんて、聞いたこと──
「セス!急げ!!」
──もう一人。袋路の入り口から張り上げられた声で我に返る。
体当たりをしていた大柄な冒険者は、僕の首根っこを捕まえるようにして無理矢理に立たせ駆け出そうとする。
「立て!急いで逃げろ!」
そんな分かりきってることを言うな。というか──
「クソッ!他人の心配してる場合かよ!あんたこそ急げよ!」
毒づくと身を翻して地面を蹴った。
途端、先程まで座り込んでいた場所で粘液質な水音がまた破裂する。
雨のように叩きつけるスライムを避けながら必死に入り口に走る。先程のブロンドの冒険者がこちらに声を張り上げながら手を差し出していた。あと少し、あと少しで届く。
精一杯伸ばされた手を掴む──次の瞬間。待ち構える男の瞳が一瞬上を見たかと思うと、その手は僕を突き放した。
何が起きたか理解出来なかった。何故、ここまできて──
ゆっくりと、ゆっくりと。呆然としながら背中から落ちていくその目の前で。僕を突き飛ばした男の片手に粘液の塊が降り注いだ。
「アルマン!!」
一歩後を着いて来ていた大柄な冒険者が僕を抱き止めると、目の前の光景に悲痛な叫び声を上げる。
「がっ!?…ぁぁっ!!」
粘液の中に取り込まれた腕部の金属製のプレートが、みしみしと音を立て歪んでいく。
「待て…!!待ってろ、今外してやるからな…!!」
それぞれの指は無理矢理捻じ曲げられあらぬ方向を向いていく。手の先端部分を覆う粘液が徐々に血の色に染まっていった。
──馬鹿かコイツ。なんでこんなことを。
セスと呼ばれた男は、痛みに悶える冒険者を無理矢理に引き摺り袋路から遠ざける。僕は困惑する頭のまま、ベルトから短刀を取り出すと張り付くスライムの核をなんとか割った。
張り付いていたスライムが一度ぶるりと震えると、ぼたぼたと地面に落ちていく。全てが落ちた後には、手指のひしゃげた片腕が残っていた。
「お前!!なんて無茶を…と、とにかく直ぐに戻るぞ!!」
「はは…大丈夫、大丈夫だよ…セス」
大男が今にも泣きそうな声で叫ぶ。こんな怪我を負って大丈夫な訳が無い。ブロンドの冒険者の額には玉の様な脂汗が浮かび、明らかに顔色も悪くなっている。
何でコイツは見知らぬ相手の為にここまでするんだ。意味が分からない。意味が分からないけれど。
「おい、オッサン」
「おっさ…あ?!俺のことか?!」
「アンタ以外誰がいるんだよ。…最短で、僕が先頭を走る。引きつけるから何があっても止まるなよ」
「…ぁ、あぁ。…ありがたい。頼んだ」
自分のせいで誰かが嫌な思いをするのも、傷付くのもまっぴらごめんだ。
それが目の前で起きちまった以上は見ない振りをするのは、もっと後に良くないものが残る。だから。とにかく今はこの物好きを助けることに集中しよう。
そう心に決めて駆け出した。




