8-6
──燐光の導く先に広がる一室には、青白い清澄な瞬きが満ちていた。
今は、この部屋にある物は何も稼動していないのだろう。
室内灯は落とされ、聳え立つ"壁"とも表現出来る程の巨大な装置からは時折低く唸る様な振動音が響いてくるだけであった。
無骨な見た目の装置に組み込まれた、荒削りの原石の様な結晶体は非常灯に露光して、周囲に弱々しい光の粒子を飛び交わせている。
そして。その青白い瞬きの舞う中に、見慣れた機械人形は一人静かに佇んでいた。
「何か、御用ですか」
いつから気付いていたのか。こちらが話しかけるより前に、滑る様な動作で振り返りながらナインが口を開く。
ぴったりと閉じられた瞼の奥にあるであろう緑色の大きな瞳を思い出し、自然と私の視線はそこに寄せられていた。
「…そう遅くない内に出発となります。そろそろ戻られた方が宜しいかと」
「そうですか」
一言だけ。
感慨も無くナインはそう答えると、開いているのか分からない程に薄く、瞳を開ける。
「貴女は、これを見ても特に思う所はありませんか?」
──そう続けると、彼女は視線を後ろの装置に向ける。
彼女の言う対象は、正面に聳える下降装置であろうことは間違いない。
機械の火は落とされ、今はただ静かに再稼動を待つだけのその装置。それを見て何を感じるというのだろうか。
「…申し訳ありません。私は、貴女が何を仰っているのか分かりかねます」
そも私はこの施設を訪れた事も無ければ、装置も初めて目にする筈で。それに対しどんな感想を抱くべきだというのか。それとも、この装置も私が失念している事柄に関わる何かなのだろうか。
ナインは何も答えない。じぃっと、薄く開いた瞼の間から冷たい緑色の瞳でただただこちらを覗いている。
「いえ、それならそれで良いのです」
ふつり、と。途端、彼女は私に対し興味を無くした様に瞳を閉じ顔を伏せる。
しかしながら。私は彼女に対し尋ねなければならない事があるのだ。その機会を逃す手は無い。
「…あの時。三階層の時、貴女は私に何をしたのですか?」
ずっと気になっていたこと。明確な意思をもってなされた、私の中にある何かへの干渉行為。いくら考えても分からない経験の無い何かについて私は問い質す。
「貴女の中に積み上げられたものを、少々覗かせていただきました」
彼女は悪気も無く、実に簡潔に答える。
「私の記憶情報を閲覧していた、ということですか?」
「記憶情報…いえ、そこまで仔細には把握出来かねますが…貴女が"得たモノ"と言った方が正しいかもしれません」
彼女の言っている事が益々分からない。あまりにも要領を得ない回答に疑問は増すばかりである。
「私が対となる戦闘行為型の後発機体である為、少々強引に閲覧することが出来たのです。…ご不快な思いをさせてしまったのであれば、謝罪いたします」
そう告げる彼女の首が、僅かに前方に傾いた様に見えた。
頚部が固定され、あまり精緻な動作が出来ないその身体で頭を下げているのだろうか。
「…私が何を失ってしまったのか、具体的には貴女は口にすることが出来ないのですね?」
「はい、申し上げた通りです」
「では貴女は何故、私に何をしたのかわざわざ教えてくれたのですか?」
一切を秘匿する気なのであれば、情報の欠片ですら相手に伝える必要は無い。
五階層でウィルマに聞かれた時にしたように、一切を拒絶し跳ね除けてしまえば良いのだ。それを徹底する、ということは至極当然であろう。
しかしながら、それは違った。
私の質問に対して彼女の発言の端々にはそれが徹底されておらず、どこか矛盾が存在する様に感じられるのだ。
彼女はしばらく沈思黙考すると、ぎこちない動作で口を開く。
「対応に、困惑してしまったのです」
「…困惑、ですか?」
彼女らしくないとも言える、思いがけず人間らしい回答に鸚鵡返しに答えてしまう。
「…私達に搭載された共有することが出来ない部位を。それを遺失しながら、結果的には目的に近付いている浅層の個体とは、初めて接触しましたので」
続く言葉を待つも、それきり瞼と同じようにぴったりと小さな口は閉じられたままだった。
──相変わらず、彼女の発言には理解出来ない内容が多過ぎる。
機械人形という物体は何か明確な目的を抱えており、ナインが何かを知っている事は確実であろう。
"私達"と言う発言を信じるのであれば、それはナインに限らず機械人形全てが把握している筈、なのだが何らかの制限でそれは誰とも共有が出来ない。
機械人形が発見されて以来、それが誰にも把握されていないところを見るにそれは成功しているのだろう。
ここまではハッキリと理解出来た。のだが──
「…不明であるということが分かった、というだけでは何も進まないですね」
つい呻く様に呟いてしまう。
結局の所、何か秘密がある、という事を把握出来ただけで自身の置かれた状況は殆ど何も変化していない。全く、どうしたものか。
頭を傾げていると、ただただ静かに佇んでいたナインがいつの間にかゆるりとこちらに歩を進めていた。
「そろそろ戻りましょうか。マギアさん」
すれ違いざまにそう言い残すと、彼女は変わらぬ様子で礼拝堂に向かっていく。
私は一人、青白い燐光の舞う部屋に取り残された。
"これを見ても特に思う所はありませんか?"
ナインが私に問うた言葉が木霊する。
見上げても、一切の濁りの無い清澄な結晶は物言わず周囲に燐光を散らしているだけだった。




