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差し込む光は弱く、濃紫色の影が遍く漂うその場所は何もかもが陰鬱に染まっていた。
手の届く範囲ですら見誤りそうになる致死の霧の中。四方からはいくつものくぐもった呼吸音と、金属のぶつかり合う高い音が耳に届く。そして、そこかしこにはぼんやりとした燈色の明かりが心許なく揺れている。
それは夜の海に航路を導く灯台の明かりであり、命の灯火そのものでもあった。
不意に手元に視線を落とす。
りん、とカンテラに取り付けた薄荷色の鉱石が音も無く揺れると、柔かに弱光を反射させていた。
───
──
見渡す限り色は薄く、荒涼とした五階層を進んで暫く経った頃。
どこからでも望むことが出来る紫色をした積乱雲の様な絶壁が、次第にその姿をはっきりと浮き彫りにしていた。
「さて。皆、見えてるとは思うがあと少しで突入するぞ」
中央部の巨孔近くに存在する下降施設を目指し行軍を続ける最中、くぐもり聞き取りにくくなったセスの声が響く。まだ毒の濃度は薄い場所ではあるが、人間の冒険者達は万全を期して防毒用のゴーグルとマスクを装着していた。
「一応共有しとくが、中央部は視界がだいぶ悪くなる。はぐれないように突入前からカンテラは灯しておいてくれ。あとはまぁ…中に入っても念の為に"ソレ"は取り付けといてくれな」
──この階層に踏み入れる前にウィルマに渡された、質素な作りの首飾り。
薄荷色の清澄な六角柱で作られたそれを指先で摘むようにしながら注視する。冷ややかな光を返すそれはただの装飾品でなく、露光することで近辺の光の進行に影響し狭い範囲の影を消してしまう魔具であった。
「こいつで足元の影を消さないと、いつ魔蛇が飛び移って来るか分からねぇからな。言われなくてもこの階層じゃ外しゃしねぇよ」
「動き早いから面倒だもんねぇ。…まぁ流石に、霧の中までは追って来れないみたいだけど」
「まぁまぁ。付けとくだけで良いんだし念の為だよ、念の為」
未だ消耗も少なく、比較的余裕のある皆は当たり障りの無い無駄話を交わしていた。
ここまで数日、全体を見れば流石にいくらか負傷者が出てはいるようだが、先遣隊からは特段の異常を知らせる報告も無い。このままの調子で下降施設まで辿り付ければ一段落、という認識で問題は無いだろう。
──ふと、遠くに聳える紫色の壁から視線を降ろす。この惨状を目にするのは何度目か。
両断されて、潰されて。思い思いの手段で殺され周囲に体液を撒き散らした魔蛇たちの遺骸を横目に、ただただ進んでいく。
「…哨戒の先行部隊がガッツリ狩ってくれるからな。いくら飢えてても、こんだけ血と人の匂いがする方向にはそう寄って来ねぇだろ」
「周囲の動体反応は行軍している部隊と一定の距離を保ったままです。警戒は怠らないで下さい」
私の視線に気が付いたティルがぽそりと漏らすと、探査装置を浮かべたナインがすかさず口を挟む。
「あぁ、そりゃ言われなくても勿論だ。…しかし、アンタのソレは随分と便利なんだな。ありがたい限りだよ」
「私に搭載されている機能はその為に存在します。優れていなければ意味がありません」
そうかい、と表情も変えず無愛想に返事をするティルを横目に、ゴーグルの奥で眼を爛々とさせたウィルマがひょこりと顔を出す。
「ふぅん。あたし戦闘行為型の機械人形の人と組むのってナインさんが初めてなんだけど、ホント凄いのね。…ねぇ、貴女って魔物を殲滅する為に作られてるの?」
「申し訳ありません、お答え出来かねます」
──ばさりと一言。
余分な言葉すらも無く、切り捨てる様な回答にウィルマは見て分かる程に困惑する。
「んー…貴女もそうなんだねぇ…ねぇ?機械人形が私達に危害を与える様な事って、無いんだよね?」
「自身の安全を守る場合を除き、人間の方々に危害を加えるよう設計はされておりません。ご安心下さい」
「勿論そんなことはしないけど…それじゃ、何で基本的には人間に対して行動が制限されているの?」
「申し訳ありません、お答え出来かねます」
──彼女の何かに火がついたのだろう。
彼女はにべも無い返答をものともせず、セスと並んで進行を続けるナインに質問をいくつも投げかける。
そういえば以前、彼女は私にも同じ様な質問をしたことを思い出す。元々の関心事であったのかもしれないが、ウィルマという女性は知的好奇心にとても素直な一面があるようだ。
「むぅ…それじゃ、なんで民生用だったり戦闘行為用だったり、色んなタイプの機械人形が存在するの?」
「申し訳ありません、お答え出来かねます」
「…ウィルマ。興味があるのは分かるけど、あんまりしつこくするなよ?悪い癖だぞ」
芳しくない返事に腕を組み、うんうんと唸るウィルマにセスが嗜める様に口を挟む。
「えぇ、二人は気にならないの?…んー、それじゃコレで最後!お約束だけど、貴女だったり貴女を作った人の目的って何なの?」
「……」
そう珍しくも無い質問に、ナインは一蹴するような回答をするのだろうと皆が思っていた。しかしながら予想に反し、彼女は口を噤んだまま押し黙っている。
「…あれ?ナイン、さん?」
異常を察知したのか、ウィルマは僅かに困惑しながら彼女の名を呼ぶ。ふわりと滑る様に進んでいた彼女はゆるやかに失速しその歩を止めると、表情も感じさせない様子でぼうっと佇んで見えた。
「はい、なんでしょうか?ウィルマ様」
数秒か、十数秒か。不自然な間を置いて、ナインがウィルマに向き直る。
「…う、うぅん?あー…やっぱり、何度も聞いてしつこかったかな。ごめんね?」
「申し訳ありません、私に何かお尋ねでしたでしょうか?」
──ウィルマはただただ首を傾げる。
彼女の性格もそうであるが、相変わらず遊びの無い口調で聞き返す辺り、ナインは真面目に聞き返しているのは明らかで。だからこそ、困惑してしまう。
「いや、えぇっと。……貴女の作られた目的って、何なのかなぁって」
「大変申し訳ありません、私では分かりかねます」
「ウィルマ、分かりきってた事だろ?機械人形から自身の詳しい事は何も聞き出せないって」
そうなるだろうと予想出来ていたと言わんばかりに、呆れた視線を二人から向けられたウィルマは眉を顰めつつ唸っている。一方で、特段気にする様子も無いナインは積乱雲に向かって再び歩を進め始めていた。
──ぴちゃり、と足下から粘着質な異音がする。
これで、何度目か。
気付けば周囲にはつい先程広がっていた光景と同じような、魔蛇の死骸の山が築かれていた。
ソレらを横目に、ソレらから零れた命を踏み締めながら。私達は歩を進め続けた。




