7-ep
抜けるような青。思い思いに漂う真白。
吸い込まれ、落ちていく様な錯覚さえ覚える程に澄んだ初夏の空の下に佇んでいた。
ざわざわと、朝も早い時刻から雑多な声や響きが遠く近くで交差する。
枯樹の真表の広場は依頼を受領した冒険者だけでなく、集う冒険者たちを目当てにした商人や見物人で溢れていた。
ずしり、と。肩帯を食い込ませ重量を主張する、自身の半身ほどもあろう"箱"のようなバックパックを慎重に背負い直す。私たち一行は群集から僅かに離れた片隅で静かに待機していた。
「しかしまぁなんだ。私たちにとって五階層ってのは、何かと縁があるな」
──喧騒と僅かに距離を置き、切り離された様な空気に浸っていると不意に。
昨夜、荷造りの最中にレイシアと交わした穏やかな時間を思い出す。
「お前が依頼で五階層に行くのは、初めてだっけか?」
「初めてとも、そうでもないとも言えるのでしょうね。出自や引き上げられた場所から推測すれば初めてではない筈ですが、記憶にはありませんので…」
バックパックを覗き込みつつ淡々と作業を続けるレイシアが差し出した小さな手の平に、軟膏を詰めた小瓶を静かに乗せる。自身だけでは効率的では無い為、荷を造る際はレイシアに助力を得ることが常であった。この光景も久方振りに思える。
「まぁそればかりは仕方ないだろ。…んーで、今回は縦穴の下降施設の辺りまで向かう、と」
「はい、その通りです。下降施設が最終目的地で、そこからは折り返しになります」
仄明るく、揺れる光源で手元が照らされる中。彼女は手にした小瓶の合間に緩衝材の綿を詰め、慣れた手付きで仕舞っていく。
「そうかそうか。うん、まぁお前は知らんだろうが…下降施設に使われとる場所が、わしらが白蛇を見付けた建造物だよ」
「…そう、なのですか?」
彼女の痛苦と苦悩が始まった場所。今ではそこが、更なる探求への道を切り開く要所として用いられているとは想像もしなかった。
「当時からしてもそれなりに頑健なまま残っておったし、中央の縦穴からもそう遠くないからな。改修を施して利用しとるんだと」
当時は限られたごく一部の冒険者のみが足を踏み入れることが出来た場所なのだ、彼女にとっても一段と思い入れのある場所であることは想像に難くない。
「…今回は、あまり色々と見て回れる状況では無いと思いますが。どういう場所なのか、しっかり見てきますね」
"そうするといい"と、レイシアは柔らかい声色で感慨深そうに零す。
「相当に手は加えられとるだろうし、多くの冒険者が立ち入る場所になって随分経つからな。もう当時の面影も残っとらんだろうな」
「…少々残念ではありますね。元より望み薄ではありますが、僅かでも情報が得られれば良かったのですが」
「使えるもんがあれば使う、そういうもんさ。それにまぁ、ワシも今はやりたい事もあるでな。情報の収集は今更焦るもんでもないさ。…というか」
何個目になるか、消耗品を詰め終えた引き棚を注意深く押し込むと彼女はこちらを覗き込む。
「ワシだけじゃなくて、お前さんにとっても関係のある階層だろうよ?」
──自身が生まれ、魔物に襲われ記憶を失い再び新しい生を始めることになった階層。二度生まれたと表現出来る重要な場所、ではあるのだが。
「…そう、なのですが。どうすれば良いのか、分からないのです」
記憶も、記録も残されていない自身の過去をどのように探れば良いのか。
倒れていた自身の周囲に手がかりとなる持ち物が散乱していたのだとしたら今このような境遇にはなっていないだろう。仮にそのような物品を見逃していたのだとしても、冒険者の人足が自然と集中する場所に数年前の物が残ってる筈は無い。
「…昨夜、あらかた話したと思うが。お前を引き上げた冒険者の一党は、死亡者が出てから解散しとる。活動記録も無いらしいから、もう街に残っとらん可能性が高いだろうね」
「望みがあるとするなら、自身の眠っていた人形部屋、くらいでしょうか。…ギルドに保存されている報告書では、何かが残っていたという記録もありませんが」
自身に刻印されているものと同様の型番が記されたメンテナンスポッドが鎮座する人形部屋があったと、数年前にヤコが教えてくれたことがある。
五階層西部。縦穴から遠く離れた場所に存在する、石柱の根元にいくつか並んだ建造物群の一つ。他となんら変わりなく、ポッド以外はパーツや器具の一つすら残っていなかったらしい。
手渡された薄い報告書一枚に書かれた簡素な内容。それが全てだった。
「…まぁ…どれだけ望み薄だろうが、一つ一つ愚直に遡っていくしかないわな。そこが全てだろうからね」
──彼女自身、レイシアもそうしたように。
何もかもが不透明だとしても、求める以上それに近寄るしかない。例え成果が得られずとも続けるしかないのだろう。
「なぁ?やっぱり知りたいか?お前の前の持ち主とやらを」
「…はい。知りたい、です」
「それじゃ知れたとして、それからどうしたい?」
レイシアの柔らかく静かな問いに、ただただ窮する。
洋燈の微かに揺れる灯りに照らし出される少女の大きな瞳が、迷う事無くこちらを覗き込んでいる。物音一つしない、夜の静けさがこんなにも気になった事は無かっただろう。
「…分かりません。ですが、この店も、この場所で得られたのも。失いたくありません」
迷って、悩んで。考えた筈ではあったのだが、いざ漏れ出た曖昧な返答に我ながら呆れてしまう。
手を伸ばしたその先で得られたもの次第では、今の生活を変化せざるを得ない事もあるだろう。望む形と異なり、大事に思っているものを手放す必要すらある場合だってあるだろう。
私の求めることと事実は決して相容れない事だってある。それでも──
「…うん。それで良いんじゃないかな」
一瞬。レイシアは僅かに眼を見開いたと思うと、穏やかに表情を緩ませていた。
それが洋燈の色なのか、彼女の纏う空気なのかは定かでは無いが。彼女の顔はとても優しく暖かなものに見える。
「お前さんが自分自身の意思で、ちゃんと悩んでるならそれで良いんだ。…うん、むしろ少し安心したよ。ふふ、お前の道が見付ると良いね」
私の顔を覗き込みながら、レイシアは諭すように語り掛ける。
私より頭一つ以上小さい筈の少女が、私の頭にその小さな手を伸ばすと。いつか、私が目を覚ました時にアイザックがしてくれた様に。
物柔らかに頭を撫ぜる。
「それにまぁ、お前さんにこの店を止められるとワシの懐具合も寂しくなっちまうからな。そこはなんとか頑張って貰わないとね」
「…お互い、分からない事だらけですが。これからも助力をお願いします、レイシア」
白い歯を覗かせて、悪戯っぽいいつもの表情で茶化すレイシアはとても楽しげに見えた気がした。
「──アさん?マギアさん、大丈夫かい?」
耳慣れた慣れたセスの声に、意識が現実に戻される。
視線を移すと、哨戒依頼を受諾した先遣部隊がいよいよ枯樹への侵入を始めている。
「申し訳ありません、少々考え事を。はい、準備は出来ております」
私を呼んだ声の方へ振り返ると、そこには装備で身を固めたセス、ティル、ウィルマの見慣れた三人。そして──
「皆様、今回はどうぞよろしくお願い致します」
両腕、両足が備わっていない見慣れぬ機械人形が、一人。
複数設えられた眼球はしっかりと閉じられたまま、硬く冷たい声でそう語りかける奇異な形をした"戦闘用の機械人形"が地面から僅かにその身体を浮かせながら、慇懃に会釈をして見せた。




