7-2
かさり、かさりと。工房の採光窓の下、静かに頁を繰る。
迷宮への侵入が規制されて以来、店舗部分には出ずにこの場所で本を読むことが増えた。
時刻は昼を過ぎた頃だろうか。
昨日と打って変わって雲一つ無く晴れているお陰か、外からは眩しい陽射しが飛び込んできている。春らしい暖かく包み込むような優しさと異なる、くっきりと陰影を強調するような暑さを感じる白い光である。
標高は高くもなく近くに海や大きな河川も無い為か、例年夏になれば街には茹だるような暑気が満ちることになる。
人間の冒険者と比較すれば機械人形は環境に左右されにくい為幾分マシなのだろうが、機体にあまり熱が篭らないように注意はしなければならない。そろそろ、いくつか対策装備を倉庫から引き出しても良いのかもしれない。
「んぅぅ…くぁ……おはようぅ」
昨年使用した物を倉庫のどこにしまったかと思いを馳せている最中、どこからともなくふにゃりとした眠たげな声が届く。
「おはようございます」
反射的に声のした方に視線を向けると、のそのそとベッドから身体を起こすレイシアの姿があった。
まだうまく開かない眼をくしくしと擦りつつ、覚束ない足取りでこちらに近付くと丸椅子に腰掛ける。ぐうっと凝り固まった筋肉を伸ばし、小振りな口を大きく開けて"くあぁ"と長く欠伸をして見せた。
「食欲はありますか?いつものトマトのスープがありますよ」
「おぉ…ありがたい。それじゃあ少し貰おうかな。ありがとさん」
少しお待ちくださいね、と読んでいた本を調合台に置くと炊事場に脚を運ぶ。
スープパンの下。板状の魔具から延びるコードを手繰り寄せると、指先で衣服を捲り上げ先端のプラグを腰部の吸引供給機に取り付ける。ほんの一瞬、微かに世界の明度が低くなると眼前の魔具に刻まれた"放熱"の魔術回路が淡く浮かび上がった。
活動に支障をきたさない程度のマナ消費であれば、対象と直接接続を行うことで機械人形にも行使は可能である。調理用具などもその一例だ。
「…レイシア?スープと一緒に、パンは召し上がりますか?」
自身の挙動に問題が無い事を確認し終え、工房にいるレイシアに投げかける。スープを温める横で、慣れた手付きでトレンチに一通りの物を載せていく。
「あぁ……それじゃあ、それも少しだけお願いするよ」
気の抜けた様な返事を聞き届けると、彼女が気に入りのハード系の黒糖パンを数枚慎重に切り分けそれも温め始める。恐らく胃腸もまだ本調子ではないだろう、多くは用意せず望む物を適量準備すれば良い筈だ。
果汁と少々の生姜汁を加えたレモン水を注ぎ終えると、静かにトレンチを手にレイシアの元へ歩みを運ぶ。
「ふと、気になったのですが」
「ぉん?」
ことりことり、と食器を並べる硬い音を背景に何の気なしに問いかける。
「貴女には状態が元通りになる魔術が作用している筈ですが、二日酔いの原因となるアセトアルデヒドは体内でどのように処理されているのでしょう?」
「んぅ…さぁ?どうなっとるんだろうなぁ」
レイシアはレモン水の入ったグラスに口を付けながら視線を彷徨わせ一寸思考する。
「色々検証はしたが何もかもが元通り、と自身に都合の良いことばかりでは無いみたいでな。正直、自分の身体ではあるが分からんことの方が多いよ」
「そういうものですか」
「うん。不便なのか便利なのか…まぁ、厄介であることには違いないがね」
生きてくだけならそんなに気にすることはないさ、といつもの口調で雑に締めくくると、早速木匙を手にスープを口に運び始める。
無防備な顔で、全身に染み渡らせるようにゆっくりと楽しむその仕草も。眼を細め、緩んだ表情でふぅっと息をつくその一瞬も。この光景を見れるだけで、ただただ良かったと思えるのが不思議でならない。
──そんな彼女を眺めている最中。コンコンと、規則正しく響く軽い音が聞こえた気がした。
どうやらの気のせいではないらしい、同様に何かに気付いた様子のレイシアと視線が絡む。
「このままどうぞ。私が出ますね」
「…うん、すまないね。頼んだよ」
"レイシア"という過去にいた冒険者の存在を出来うる限り世間から遠ざける為に、必要の無い限りは店の表には出ないようにしている。と話してくれたのは昨夜の事。
人口の入れ替わりも激しい街ではあるものの、少数ではあるが長く住み続ける者も当然居る訳で。店の経営の際にも自身は裏側に注力し、特定の場所での他者との接触は最小限に積極的に交流を断ってきたらしい。冒険者を止めて以来、長らく続けてきた処世術だと言っていた。
"設定"では自身はレイシアの孫娘であり、老いさらばえた当の本人は家に引き篭もり時折水薬の作製を手がけている、のだとか言っていたか。
お任せください、と口にする代わりに彼女に目配せをすると入り口に歩を進める。近寄る際にもう一度、今度ははっきりとドアを叩く音が耳に届いた。
「今、お開けします」
外にいるはずであろう客に声を掛けると、ロックを外しドアノブに手を掛ける。
扉との隙間から漏れる光が徐々に大きくなる中、そこにいたのは──
「…久し振りだな、マギアさん」
肩幅のある頑丈な体つきをした見覚えのある男性、セスであった。




