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鉄塊のマギア  作者: 佐倉。
6章
60/138

6-6

 一寸。

 卓上鏡に映る見慣れた筈の少女が誰なのか、理解出来なかった。


 先刻、肩まで届く髪をばっさりと切ったのは決して記憶違いではない。

 撫ぜる様に襟足を爽やかに通り抜けた清涼な朝の空気も、自らの頭に感じた軽やかな感覚も確かに覚えている筈なのに。

 鏡に映る長髪の少女は眉を顰め、驚きと困惑に眼を見開いたまま微動だにしない。自身に何が起こっているのか。どうしてこうなっているのか。原因は何なのか──


「そこで、ふと気付いたんだ」


 ──迷宮からの帰路の際。

 休憩を取らず、水薬すら使用せずにいたのに。さほど間を置かずとも、何故か魔術を連続して行使出来ていた。

 無茶をして作った筈の怪我も、傷跡どころか痣の一つも残さず綺麗に消えて元通りになっていた。

 そして今。先程確かに切り落とした筈の髪が元通りになっていた。


「"元通り"になるって事柄に、いくつか身に覚えがあった訳だ」


 まさか。そんな馬鹿げたことがある訳ない。そんな言葉が何度も頭を巡り満たす中、自然と脚は駆け出していた。


「走って走って、宿を駆け上がって。自分の部屋に篭ってな、試しにもう一回切り落としてみたんだ」


 目の前で語り聞かせる少女は、横で結っている長い髪を鋏で切る様に指で挟んで見せる。


「十分ちょっと、かな?元の長さに戻っておったよ。軽く指先を切ってみたりもしたが…まぁそっちも想像通りだな」


 必死に頭を巡らせる程に、霧の中で見付けた礼拝堂で巨大な白蛇の死骸から詠唱杖を引き抜いた時の事が頭を過ぎる。


 ──理解の及ばぬ物と対面したあの時。術式不明の詠唱杖が砕けた際、自身のマナが僅かに消費されていたことを覚えている。


 推測でしか無いが。

 痕跡を確認する事は出来なかった。出来なかったが、魔術は確かに発動していたのではないか。

 その発動した何らかの術式の影響を受け、私の身体はあの時点から止まったまま状態が"保存"されているのではなかろうか。その結果髪を切ろうと傷を作ろうと、変化することは無く時間が切り取られた様に元の状態に戻っているのではないか。


 そんな作用を及ぼす魔術は耳にした覚えが無いし、当然習得した覚えなぞ微塵も無い。しかし何かしらの変化は間違いなく起きている。でなければ、今目の前で起きている出来事への説明がつかなかった。


「…頭を抱えたよ。万が一を考えれば、誰にも相談することは出来ん内容だ」


 半信半疑に思いながらも残りの休日の全てを検証に費やしたが、結果として自身の推論への確信が強まるだけで。命を絶ったとしても元に戻るのか、ということだけは恐怖心で試すことが出来なかったが。


「…まぁ、こうなってしまった以上どうにかするしかないからな。早速原因と思われる五階層で何か無いか探して回る、といきたい所だが…」


 ──当然ながら、深層への出立である為潜入は相応に時間を要する事となる。

 状況次第で五階層まで到達出来ずに引き返すことも勿論あるし、階層そのものに漂う毒気がどうしても微量ながら体内に蓄積する為に、侵入の間隔を長く取る必要もあった。

 同行するメンバーは当たり前に負傷もすれば、消耗もする。そうである以上は無理はさせられない。今迄当たり前の様に行ってきた諸々は鈍重に感じられ、気は急いていった。


「自分は休憩も毒気を抜く期間すらも必要が無い訳だからな。…だから……その頃くらいからかな、募集を出しとる他の一党に混じる機会もちょいちょい増えていったんだ」


 相手方からすれば僅かでも情報が得られる上、経験者が居れば生存率も上がる。決して悪い話ではない。

 短いスパンで潜ることをあれやこれやと聞かれる事もあったが、都合の良い理屈を並べて誤魔化し言いくるめながら、とにかく侵入出来る一党を渡り歩いた。

 当然やり慣れないことを受け持つこともあったが、今までに無い刺激はどこか愉しくも感じられたこともあった。


 ──結局、霧の中にも外側にも。自身にかけられた魔術に関わる発見は無く徒労に終わったが。


「何ヶ月か経った頃か、何度目だったのか…馴染みのメンバーの回復期間が終わったからな。また私から五階層の探索を提案した、んだが…」


 レイシアは目を伏せ僅かに逡巡すると、言葉を詰まらせ一つ弱々しく息を吐く。


「階層に入る直前に取った休憩の時にね。ここ最近の行動や違和感についてとうとう聞かれてしまってな」


 同じペースで魔術を行使している筈なのにハンガーノックはおろか威力の低下も起こさず、いつも一人だけ地表に着く頃には無傷同然で。目的が分からないにしろ、休憩もする事無く一党を渡り歩いては足繁く迷宮に侵入し続けている。

 元々互いに良く知った関係なのだ。彼らが違和感を覚えるのは自然な事だろうし、いつ何の気なしに話題になったとしてもおかしくはなかった。偶々今回がその時だっただけなのだ。


「成長期の女子(おなご)がいつまで経っても容姿が変わらんのもおかしな話だしな」


 笑顔を作り、冗談めかして言うその姿はどこか痛々しく見える。


「理由が理由だからな、当然打ち明けることは出来ない。…けれどあの時、間違いなく揺れ動いてしまったんだ。…魔術師でない者には縁遠い、理解が難しいことだよ」


 ──それは偏に魔術師の在り方が原因であった。


 研鑽を通し何に/何処に。至らんとするのか。

 それぞれに所以はあるだろうが、その手段となる魔術式は前述の通り例外無く魔術師にとっての"全て"である為に秘匿性が高かった。


 届かない事を承知しながらも、それでも尚地を這う様に手中の僅かな煌きに研鑽を重ね、夢想に手を伸ばし続けた者達がいた。長く受け継がれ幾重にも積み重ねられてきた結晶にほんの一文字列、一つの線を刻むことに自身の全てを費やした者達がいた。

 努力や才は当然のこととし、そういう者達が積み上げた"生"そのものが魔術式なのである。


 その為か、理解し制御し易い初歩的、基礎的な術式とは異なる"特異な魔術式"は殊更秘とされる傾向があった。

 他者では知り得ない特異な力を行使出来るという事は同時に、既知の術式に対しても未到の干渉が出来る可能性があるということである。運用効率や効果は二の次に、そのものの価値は自ずと高まるのは当然だろう。


 ──そして、自身の推測が正しいとしたら。

 魔術史上でも類を見ない垂涎の術式は遺失し、稀有な被作用体だけが残っているという事になる。

 そんな情報が漏れようものなら、"多少"攻撃的な手段となったとしてもそれを収奪することを考える者は決して少なくは無いだろう。自身の境遇も、それと関わる人間の境遇にも大きく影響を与える事は想像に難く無かった。


「不本意に話が漏れるってことは往々にしてある、それは誰でも変わらんじゃろ。ただ……いつまでも成果を挙げられない冒険を続ける訳にもいかん。ずっと空回りが続いてたし…何より焦りもあったんだよ。休憩の後も、頭からどうしても離れなかった」


 ──魔術の研鑽に身を置くことをしない人間を巻き込むような危険な行為は、普通ならしない。普通なら。

 ただもしも。打ち明けることで彼らが協力してくれたなら。万が一にも、ほんの僅かでも。事態が進展することがあるのなら。


 そんな在り得ないだろう"もしも"に悶々としながら皆の後ろを付いて歩いていたその時。意識の外から届いたメンバーの声に視線を上げる。

 皆の四方に散った視線の先、聳え立つ柱の間。溶け込んだ黒い影から這い出すように頭を擡げ、冷えた鋭い眼でこちらの様子を伺う魔蛇の群れがあった。


「あ奴らの狩場だったのかは知らんがな、慌てて杖を構えた時には既にそこかしこに蛇の姿があったよ」


 ──どう突破するか。

 混乱する思考を抑え付け無理矢理に頭を切り替える。周囲のメンバーは一足早く臨戦態勢を取り、既に馴染んだ得物を手にしていた。

 間を置かずして。自身の腿程はあろう太さの胴をした魔蛇の一群が勢い良く飛び出してくると戦闘は始まった。


「決して、不慣れな相手じゃあない筈だった。こいつらとはもう何度も相手取ってきたからな、今回もどうにかなると。どこかそう思っていた」


 押し寄せる波の様な襲撃を捌きつつ、なんとか退路を切り拓く。状況を共有しつつも全員の意思はそこに集中していた。それは間違いなかった。


 ──ただ。一つだけ。小さな一つの事に気付くのが、僅かに遅かった。


 自身の身体に異変が起きて数ヶ月。

 その頃には、昔馴染みのメンバーよりも他の一党、臨時的に組まれた一党と迷宮に潜る時間の方が長くなっていた。

 人間とは実に多種多様なもので。同じ構成、同じ道具、装備を有していても質や思考の偏り、経験の差が行動に大きく作用し"長所や短所"という形でそれらが現れる。当然各人がそれを活かし、補う様に動くことを意識する。一党というのは大小様々な歯車が噛み合って機能する装置である。


「…担当しておった補助魔術の精度や、攻撃魔術のアシストのタイミングに微妙にズレがあった」


 ──急を要し思考が定まっていなかった為か、素早く瞬時の対応を求められる状況故か。

 それとも、自身の立ち回りを度々変えることを続けていたことが原因か。自身の歯車だけがどこかぎこちなく動いていた事を覚えている。


 時間にして数分。四方でずりずりと不快な這い回る音を立てつつ滑るように影から影を潜り、意識の外から牙を剥き続ける魔蛇の猛攻をなんとか凌いでいた最中。

 視界の端。前衛を務める軽戦士(スカーミッシャー)の作る足元の影が、僅かに揺らいだ様に見えた。既に目前の数匹と対峙しており、彼女自身はそれに気付いていない。恐らく気付いたのは私だけだったのだろう。


「…挽回することに頭が一杯で。焦っていたんだと、思う。…声をあげるのが遅かったんだ」


 次の瞬間。影の中で蠢動するモノが、彼女の背後で弾けた。


 ──彼女を盾にするつもりか、私の立ち位置からでは直接攻撃出来ない対角線上に。小さな歪みを狙い澄ました様に。

 防具と防具の合間に鋭利な牙が突き立てられる。楔帷子で肌への直接の接触は防げたかもしれないが、咬合で僅かに動きを阻害するとその筋肉質な長い身体は彼女の腕から首に巻き付けられた。


 組み付く蛇をとにかく剥がす為、焦燥しつつもがく彼女に傷を負わせることを承知で魔術を放つ。獲物を締め殺さんと筋肉を固くする魔物の体表で小さい炸裂が起こると、拘束は緩み彼女は微かによろめきながら息を整える。

 しかしながら、綻びを見逃すまいと。影を渡ったいくつかの群れから数匹が四方から再び殺到して──


「……私が、原因なんだよ。やるべきことが出来なかった」


 ──今も焼き付いている。

 殺到する魔蛇の群れが、身体の至る所を締め上げながら深々と牙を突き立て容赦無く毒を注ぎ込む。ぎちぎちと音をさせながら蠢く肉の塊に武器を振り、魔術を放とうともそれらは間断無く殺到し続け、僅かでも隙を見せようものなら他の得物にも飛び掛かる。

 防具の隙間から垣間見える皮膚は黒ずんだ青紫色に染まり、痙攣は緩やかになっていく。


 思考は白く停止し、叫び、必死に掻き分け、咬創を作りながら無様に魔術を放つ。


 ──刃の様な鱗に覆われた硬い肉の奥から、驚愕と痛苦に満ちた彼女の虚ろな瞳がいつまでもこちらを覗いている様な気がしてならなかった。

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