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鉄塊のマギア  作者: 佐倉。
6章
59/138

6-5

 耳が痛くなる程の静けさが満ちたその場所に、しばらくただただ言葉を失い立ち尽くしていた。


 身廊の束ね柱は天井まですらりと伸び、滑らかなヴォールトを形作っている。

 壁面の明かり取りに用いられているステンドグラスには花明るい着色硝子が用いられては居ないが、リムで手の込んだ意匠が細やかに施されていた。


 ──静かに立ち上がり埃を払うと、衣擦れの音だけがやたら大きく響いた。


 天井が高く開放感がある為か。外から見た時よりも不思議と室内は広く感じられる。

 恐らくその先に祭壇があるのだろう。几帳面に並ぶ木製の長椅子はそのどれもが同じ方向を向いて静かに佇んでいた。

 直感でしかないが、見て回ったどこよりもここが特別な意味を持つ部屋だとすぐに分かった。


「穴の向こうにそれを告げるとアイツら大層羨ましがっとっての、"どうにかそっちに行くから待ってろ!"と走り回っておったよ」


 まぁ合流まで呆けているのも時間が惜しい。

 何か無いかと壁際から身廊まで歩を進めると、薄暗いその先にあるものが目に入った。


 ──最奥の内陣。

 石畳が抉れ穴が開き、長椅子の数々が薙ぎ倒され砕けた跡の先。


 祭壇があるであろう場所に、灰で出来たかのような巨大な白蛇の死体が鎌首をもたげた格好で鎮座している。鋭利な牙を見せ付ける様に大口を開け、今にも動き出しそうな程の躍動感を持つそれは、襲いかかろうとするその時のまま時間が止まっているようだった。


 ──息を呑む。

 遠目に分かる程、今にも崩れ落ちそうな真白な朽ちた様相であるにも関わらず。僅かに差し込む光が浮き彫りにするその姿には言い様の無い神々しさがあった。


 歩く振動ですらそれを崩してしまいそうな、そんな気がして。

 静かにひそやかな足取りで歩を進めるが、それでも体表が僅かに砂の様に流れ崩れていることが見て取れた。


 よくよく見れば、その蛇はただ巨大なだけでないことに気が付く。

 五階層、霧の外で見られる蛇の魔物と異なり、その太い首元には枷の様な装飾具がいくつか嵌められている。眼窩や口元などの鱗は他部位と比べ肥大し鋭くなっており、一部は剥離し外側に突き出してまるで棘の山の様であった。


 慎重に観察を続けると、身体中に創傷があることに気付く。

 周囲の状況から見て、ここでこの魔物は何かしらと争ったのだろう。それが一体いつ頃で、どんな経緯があったのかは知る由も無いが──

 そして、回り込むようにしながら眺める最中。大きく開かれた下顎の付け根に、棒状の何かが深々と突き刺さっているのが伺えた。


 まじまじと異物に眼を凝らす。

 細い木製の棒だろうか?特段に装飾はされておらず、布が巻かれているらしい。時間の経過か布の一部は解けておりゆらゆらと靡き、そのまま崩れてしまいそうな程に風化しながらも垂れ下がっていた。


 ──それは、詠唱杖(スペルロッド)の柄であった。


「ふふ、心臓が跳ねたよ。…未踏の霧の中で発見した遺物だからな。しかも詠唱杖だ、魔術師(メイジ)だったワシには垂涎の一品よ」


 魔術の発動に必須となる要素、魔術式。

 何を行うにも形を与える為のその"式"は必須であり、破綻さえしていなければ理論上は形而上的なものにでさえ影響を与えることが可能だと言われている。


 魔術に携わるものにとって、それは全ての可能性を秘めるものである。長い年月をかけ、時には世代を越え重ねてきた"生"そのものだとも言えるのだ。


 刻まれた式の内容は分からない。分からないが。

 地表にいるであろう冒険者の誰も踏み入れたことの無い場所に。今自身の目の前に。それが刻まれた物がある。


 ──それを認識した瞬間。興味が、好奇心が。身体を突き動かしていた。


 逸る気持ちの中、残った理性がほんの僅かに警鐘を鳴らす。

 事故防止の為、マナ遮断の効果のある手袋に雑に手を突っ込む。今この時も、音も立てずさらさらとその身体を崩し続けている灰の蛇に歩み寄り、僅かに姿を見せている詠唱杖に手を伸ばす。


 息を止め、爪先立ちに精一杯手を伸ばすと、目標に指が掛かる。


 手に緩やかに力を込め、慎重に、慎重に引き寄せていく。口内はからからに乾き、自身の心臓の音が何倍も大きく聞こえるようだった。

 慎重に引き抜こうとしているにも関わらず、白蛇の傷口からはぽろぽろと灰が零れ身体に積もっていく。深々と刺さっていた詠唱杖の全てを引き抜いた時には、肩まで灰で白く染まっていた。


 思わず腹の底から長い長い安堵の息が零れ出る。

 無事やりきったことに張り詰めていた糸は僅かに緩んだが、緊張で微かに指が震えていた。


 さて、と手元に視線を落とす。

 その詠唱杖は一見すると、現在地表に流通している物とそう姿形は変わらない様に思えた。問題は何の魔術式が刻まれているか、その一点だ。


 胸を高鳴らせながら眼前に近付け観察しようとしたその時。──瞬間、杖に刻まれた紋に淡く青白い光が走ると同時に視界が白一色に奪われた。


 それは数秒か、十数秒の出来事か。あまりの眩さに目を逸らす。


 閃光は既に掻き消えたようではあったが、瞼の裏ではちかちかと星が瞬いている程で。眉根を顰めながらやっとのことで瞳を開けると、その手にあった詠唱杖は粉々に砕け無数の木片に姿を変えていた。

 眼前に神々しく鎮座していた灰の白蛇もその姿を崩し、同化する様にさらさらと風に流れていく。


「…何が起こったのか、分からなかったよ」


 しばらくただただ呆然として、その場から動くことが出来なかった。


 ──私は何をした?何もしてはいない筈ではないか?

 確実にマナを遮断する手袋を嵌めた側で遺物を握っていた。それなのになぜ魔術式が反応した?なぜそのようなことが起きた?


 混乱する中、頭を振ってとにかく一つ一つを確認する。自身のマナが多少減っていることから、何かしらの魔術が行使されたことは感覚で分かる。分かるが、それが何かは分からない。周囲を見渡しても、何かが発動した痕跡は見当たらないのだ。


 全て、何事も無かったかのように手の平から流れ落ちた。唯一無二の機会を活かすことが出来なかった。証拠すら残せずに。

 それに気付くと、じわじわと湧き上がる怒りと悔しさで仕方なかった。


「…数分後、瓦礫を退かしてやってきたパーティのメンバーと合流してな。一緒に礼拝堂の調査を行って、無事帰還となったよ。…道すがら、魔術を行使してもマナの枯渇をあまり感じなくてな?八つ当たり気味にばかすか魔術を打ったのを覚えておるよ」


 勿論礼拝堂で発見した巨大な白蛇や詠唱杖のことも話したが、如何せん証拠は一切無い。


「パーティのメンバーがどれほど信じてくれたかは分からんが…結局、ギルドにその出来事だけは報告出来なかったよ」


 ──数日かけて帰還した後。

 誰も殆ど手を付けられていない霧の内部での建造物の発見、という報告に冒険者達は俄かに沸き立った。

 私自身その光景を眺めているのは悪い気はしなかったし、どこか好い気になっていたと思う。


「それで意気揚々と宿に帰ってな、風呂に入ろうとした訳だが…ふと、な。帰路の最中、存外派手に作ってしまった右脚の痣が見当たらんことに気が付いたのよ」


 気が立っていた為に少し無茶をした結果作った傷。自業自得に他ならなかった。


「勘違いではない筈だったが、まぁ治癒魔術が効いたのかもしれん。ワシとしても痣が消えて無くなるのであれば助かるからな。その時はそこまで気にしとらんかったんだ」


 ──それから数日後。何でもない一日がずっと始まる筈だった。


「休養も兼ねて纏まった休日を取っておったのよ。んで、その日は朝から通りをぶらぶらしとったんだが、気分転換に髪を切ろうと思ってね」


 "今のお前さんと同じくらいにしたんだぞ?"、と静かに話を聞いている碧色のショートボブの機械人形と瞳を合わせると、ふっと表情を緩める。


「昔から長い髪でいることに慣れてはいたが、やはり乾かすのも面倒に思う事はあったしちょいちょい挟むこともあったからな。折角思い立ったならと、バッサリやったんだ」


 鏡で何度か確認したが、それはもう狙い通りばっちり決まっていた。

 思いの外に髪の毛というものは重い、心なしか頭が爽やかに軽くなったように感じた事を覚えている。


「身軽になった気持ちで店を出て、それからは露店を冷やかして歩いとったんだ」


 ──その中の一つ。装飾品を扱う何でも無い露店の前で足が止まる。

 木製のフックに掛けられたシュシュのデザインが気になったのだった。


「今し方髪を切ったばかりではあるが、まぁまた伸びた時に使えば良いかと思ってな」


 商品をよく見ようと、前屈みに顔を近付け手を伸ばす。途端。どこか見覚えのある黒い髪が、肌を撫ぜながら視界の左右を遮った。


「はは、そりゃもう何が起こったか分からんで店の前で固まったわな」


 自分の髪だと思えず、咄嗟に飛び退き必死に払い除けるように手を動かすが、しかしそこから伝わる感覚は間違えようの無い長年のものであった。


 ──店主の怪訝そうな視線を横目に卓上鏡を覗き込む。

 そこに映る少女は、髪を切る前の姿そのままだった。

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