4-5
闇の中、意識を取り戻す。これで何度目になるだろうか。
未だ瞳は光を捉えてはいないが、ぱたぱたと周囲を歩き回る軽い音だけが聞こえている。
「…さ、これでどうかの」
──聞き覚えのある少女の声。
それに続く様に瞳は光を捉え、ゆっくりと世界が像を結んでいく、と──視界に写る景色が前回と異なることに気付く。
起こされたことで視点が高くなり、周囲が見渡せる状態になっている。先程からそれなりに時間も経ったのか、部屋は茜色に染まっていた。
様々な器具が所狭しと置いてあるが、しかし小奇麗に保たれた石造りの部屋。その一角にいる私を、先程の二人が覗き込んでいる。
「…お、起きたか?…おはよう。気分はどうだい?」
笑顔を浮かべているのだが、老人の表情にはどこかくたびれた様な雰囲気が滲んで見えた。
「おはよう ご ざいます。問題 ございません」
──そう返して、再び気付く。
彼の方を向いて話せる。老人の傍らに立つ少女に頭ごと向け視線を動かすと、もう一度彼の方に頭を動かす。緩やかな往復。自らの意思で頭部が稼動出来る証左であった。
ゆるゆると視線を下ろすと、そこには無数のケーブルが繋がれた自身の胴体があった。
…下半身が見当たらない。鳩尾から下部、それと右腕が見当たらない。現在まともに稼動するのは頭部と左腕のみのようだ。
「すまんなぁ…朝から頑張りはしたんだが、頭と胴体を繋ぐので精一杯でなぁ…今はこれで我慢してくれるか」
身体を見回す私に、老人は申し訳なさそうに頭を下げる。
「いえ、謝罪してい ただくようなことはご ざいません。ご尽力していただ き、ありがたく思います」
──未だ、理解出来ていないことだらけだが。
恐らく、悪い様にはされていないのだろう。目の前の二人から悪意を感じられないからか、不思議と不安は感じない。
「うんうん、丁寧な挨拶が出来る子は好きだよ。さぁて…それじゃ遅くなったけども、改めて」
整った白い歯を見せながら、少女が投げ出されていた私の左手を取る。
「あたしはレイシア。レイシア=オルトハーグ。まぁ今後も付き合いがあるかは分からんが、よろしくな。んでこっちのが…」
ちらと横目で、隣の老人を見遣る。
「初めましてだね。…こほっ、んっ…私の名はアイザック。この工房、というか店だな。ここの主人をしとる」
──レイシア、そしてアイザック。
どちらも聞き覚えの無い名だった。よくよく見渡すと分かるが、このアイザックという人物の工房にも見覚えが無いように思える。どうにも、上手く思考が纏まらない。
「んで、だ。…起きたばっかりで申し訳ないが。お前さん、自分のことは何か分かるかい?」
レイシアと名乗った少女が左手を握ったまま問いかけてくる。
「私の事…私は、マギアと申します」
「マギア…うん。お前さんはマギアと言うのか。よしよし、他は何か分かるか?」
他とは何なのか?思考する。思考する、が。次の言葉が、継げない。何も告げることが出来なかった。
「……」
──何も、思い出せない。
自身の後に続く地面が途切れ、底の見えない切り立った崖の際に成っている様に。何度振り返っても、その先には何も続いていない。
ストンと、音も無く落ちるだけの深く深く暗い洞穴が口を開けている。
頭に開いた洞に吸い込まれ落ちていくような。不確かな不安がぼやけた頭に満ちていく。
「そうか…いやね、さっきも言うたがな。お前さん、怪我しとる状態で見付かっての。後頭部から右側頭部…まぁ頭が結構大きく欠損しとったのよ」
少女が自身の右側こめかみを指先でこつこつと叩いて見せる。当然、その様な経緯に至る様な記憶は残っていない。
「他の箇所にもかなりの損傷が見られたが、メモリ…というか記憶装置だな、そこもダメージがあったかようでな。…その影響で、恐らくだが諸々に欠如が見られると思う」
「…成程」
神妙な顔で続けるアイザックと名乗った老人の言葉に、そうとしか答える事が出来なかった。
記憶というものは、確かにその者を構成する重要な一因であることは間違いない。間違いないが、それが壊れてしまったのであれば。物理的に失われてしまったのであれば。それを取り戻す術は残されていないだろう。
「…ふむ。あっさりとした反応だの。まぁ、取り乱されるよりかは楽じゃが」
興味深い観察対象を見付けたような瞳で、少女がじぃっと覗き込んでくる。
「そうなの、でしょうか」
何を失ったのか、それにすら気が付かないのであれば。悲しむことも思いを馳せることすらも、無駄であり必要が無いというだけだった。
「まぁ…言わずもがな過去も大事だけれども。生きていく以上は今もこれからも、同じ位に大事だからな。積み重ねる手伝いは、いくらでもしよう」
励まそうとしてくれているのか。手を取る私たちを穏やかな顔で見守っていた彼が、語りかけてくる。
──唐突に。茫洋とした水面に小さな木の葉が浮き上がるように。彼の言葉を聴いていると、一つだけとあることを思い出した。
「…一点、だけ。思い出せたことがあります。私は民生用の機械人形、のようです」
不安げに揺れ、浮かんではまた沈みそうになる記憶の一欠片を必死に掬おうとする。
「民生用…?民生用、か…」
眉を顰めながらレイシアが鸚鵡返しに呟くと、彼女はそのまま考え込んでしまう。
「…今日はもう疲れちまったし、こいつもこうなるとしばらくは作業も進まんだろう。作業の続きは明日にしようか」
老人は大袈裟に肩を竦める様にして見せると、愛嬌のある砕けた笑顔をこちらに向けた。
「どうする?明日の朝まで寝ておくか?必要があれば、電源を落とすが…」
「いえ、このままで結構です。お気遣いありがとうございます」
「ん…そうか。分かった。何かあれば直ぐに声をかけてくれな」
考え込むレイシアの手を引くようにして彼が部屋を出て行くと、茜色に染まる部屋がしんと静かになる。
自身の側面。壁面に設えられた採光窓から、斜陽が差し込んでいる。
直射日光を避ける様な配慮なのかもしれない。部屋にくっきりとした陰影を落とす陽の光は私の前を通り過ぎ、決して降り注ぐことは無い。
暗くは無いが、暖かく照らし出されることも無い場所で。それを前に私は動けずにいる。
室内を漂う幾つかの埃が、細く絞られた陽光にちらちらと照らされては光を失っていく。
窓の形に切り取られた空が暗くなるまで、物音一つも立てずに。ただただ外を見詰めていた。




