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「あの…本当に戦えないんですか?」
「はい。私は戦闘行為を行う用には作られておりませんので、微塵も戦えません。…出来る事といえば、魔物の前で走り回って囮になること位だと思われます」
仄暗い道を進みながら質問をすると、すっきりとした返答が帰ってきた。
あのアンバランスな腕では走り回るのが難しそうなのは容易に想像出来る。機敏には動けないだろうし、そんなことをしても字面通り多少の時間稼りにしかならないだろう。
確かに依頼書には"戦闘行為を行える方"と記載してあった。が、初依頼の初級冒険者一人が戦闘要員というのは不安を覚えてしまう。
歩く度にゆらゆらと心許なく揺れるカンテラの明かりも、不安を煽る原因なのかもしれない。
───
──
待ち合わせた僕たちは、広場の北側に聳え立つ枯死した巨樹を目指した。
幹周は30Mを越し、途中で折れてしまっているがその幹高も20Mほどあるだろう。この街の象徴であり一際目を引く存在である。
その巨樹の根元にある樹洞は、地下へ地下へと続いていた。
それが「迷宮の入り口」である。
衛兵にギルド登録を示す色証と依頼書を軽く見せ、樹洞をくぐると──目の前には真っ青な一面が広がる。
視界の端から端まで届く程巨大。侵入してすぐの場所には意匠の施された豪壮な白い門がどっしりと鎮座していた。通常なら扉があるであろう部分には、澄み切った青い"膜"の様なものが水面の様に絶えず静かに揺れている。
この門は魔物が外に出ない様にする為の工夫らしい。結界の様なものなのだろう。
一切躊躇無く先を行く彼女に遅れない様、同じく門を潜っていく。等間隔に設置されている水面に何度か飛び込みつつ緩やかに下って行くと、開けた空間に出る。
ここまで一本道。目の前に扇状に広がる黒々とした空間が、迷宮の第一階層と呼称される場所の取り付きだった。
「…思っていたより、結構暗いんですね」
──迷宮の中は、結構明るいんだ。
昔話に聞かされた迷宮の四方山話の一つは、そこまで正しくは無かったらしい。
道中にはマナを吸収して薄明かりを放つ苔が自生し、目の前に広がる暗闇の中にはポツポツと照明が浮かんで見える程度だろうか。
過去に探索で用いられた照明が安全確保も兼ねてそのまま放置されているのだが、それだけではとても視界が確保されたとは言いにくかった。
「それでは、クロア様」
「は、はい!なんでしょう!」
一歩先を歩いていた彼女が振り向く。僕の物か、彼女の手元のランタンか。灯火を反照する大きな瞳がこちらをしっかりと覗き込む。
「ここから北東へ向けて進行したいと思います。尚、道中無理のない程度には素材採集も併行して参りますので、お力添えをお願い致します」
「わ、分かりました。…えと、収集依頼も初めてなので、ご迷惑をおかけするかもしれません。何かありましたらすぐに仰ってください」
自然と身体に力が入っていたのが分かる。
分からない場所。照らしきれない薄闇。ゆらゆらと揺れる心許ない小さな明かり。間違いなく、緊張していた。胸に手をあて、一度大きく呼吸をする。
マギアは軽く頷くと、歩を進めた。
───
──
しばらく洞穴を進行すると、彼女は古びた照明の近くで立ち止まる。
振り返り、ランタンの灯りで指し示すように視線を誘導すると、そこには照明の支柱に巻き付くように育つ小さな果樹の様なものが見て取れた。
「…クラニアの木、ですね」
器用にバックパックを下ろし地面に置くと、中から10cm程度の高さの瓶を取り出す。覗き込むと、様々な大きさの仕切りがされておりバックパックの中は綺麗に整理されていた。
「育成にマナが必要なのでしょう、迷宮の外ではあまり見られない低木の植物です。先端の柔らかい葉には微弱ですが治癒の力が宿っていますので、広く水薬の素材にとして用いられています」
「こんなとこで育つんですね…それじゃ僕は、今後も採集依頼でお世話になるかもしれないですね」
「そうですね。果実も同様に素材や触媒になりますし、加工すれば食用にも用いられますから」
外套の下に、数々の採集道具や工具が収納されたベルトがちらりと見える。器用に鋏やナイフを持ち替えながら、いくつかの瓶の中にクラニアの葉や少量の樹皮、赤い果樹を丁寧に詰めていく。
「クラニアは照明植生で、光合成も行う必要があります。この様な照明の周りに生育していますので、収集依頼の際はそういう場所を探すと良いかもしれません」
「なるほどぉ…」
淡々と。そして丁寧に。
彼女は説明しながら作業をこなす。一方僕は辺りに魔物がいないかを注意しつつ、手元を照らせるよう後ろからランタンを掲げていた。揺らめく明かりが、収集瓶やナイフの縁を時折キラリと光らせている。
「…さて、この程度にしておきましょう。少量ずつ頂く事で、今後も継続して採集する事が可能になりますから」
瓶詰めにした収集品、採集道具を元通りに収納すると、彼女はピンと背筋を伸ばし立ち上がる。
それからも時折素材となる植物や鉱石、昆虫の死骸等を採集しつつ洞穴を進んでいく。
都度彼女は物品の特徴、採集方法を説明してくれるが、そのどれもが地表では見た事のない珍妙な物で興味が尽きなかった。
元々迷宮についての面白おかしい噂を聞いて胸を高鳴らせながら育ったのだ。実物を前に興味が湧いて出るのも当たり前のことだろう。
初めての依頼の緊張と、先の分からない薄闇の中。
そういった中でも、作業を覚えそれを達成する事を繰り返していくと少しずつ恐怖は和らいでいく。自分の認知出来る範囲が少しずつ広がっていく。分からない場所が、頭の中でじわりじわりと説明出来る物事で塗り潰されていく。自身の足元が見えてくるような不思議な感覚が心地よく感じられるのだ。
時間が経つ毎に少しずつ緊張は解け、いつしか好奇と興味がぐいぐいと顔を擡げ始めていた。
──2度目の休憩を追えた後。迷宮に進入してからおおよそ2時間程が経過した頃だろうか。
先を歩いていたマギアがぴたと立ち止まると、岩壁に身を隠しながら目前の薄闇をじっと見詰める。
「…マギアさん…?何かあるんですか?」
様子を察し、小声で投げかける。
「…そうですね。はい、回収作業を行いたいのですが。…やはり、魔物の討伐が必要となるようです」
「魔物…!は、はい!」
──その言葉に、緊張が高まる。
腰に下げた変哲の無い刀剣。僕が唯一持っている武器。
彼女の見詰める薄闇から目を離さないようにしながら探る様に手を回すと、馴染んだヒルトに手が当たる。無事握りを掴めたことに僅かに安堵する。
マギアがカンテラを高く掲げる。
揺れる光に照らし出されたのは──粘性の液体状の生物。スライムだった。
「え…あれ、スライムですか?でもスライムならここまで来る間にも何度か…」
ここまで来る間に何度かスライムとは遭遇していたが、全て大回りに回避してきた。
スライムとは戦わずにいたため、今回討伐の対象となる魔物はスライム以外、と勝手に思い込んでいたのだ。となると、目の前のスライムは他と異なる討伐する必要がある"何か"があるという事なのだろうか。
薄闇の中、風も無いのにゆらぐ水溜りの様なものにじっと目を凝らす。
──瞬間。動く液体の中に、鈍く光る何かが見えた様な気がした。
少しずつ少しずつ。
それがこちらに近付いて来るにつれて、姿がはっきりと照らし出される。
ずるずると、耳障りな小さい音を立てながら近付いて来るその中にあるものは。
"刀身が歪んだダガー"だった。