2-8
「それでは、撤退しましょう」
三人は巨大なファイアウィスプに占拠された広間を迂回し、一階層へ続く階層経路を目指していた。
"引き返し別の経路で地上に戻る"と口にした時、ロルフは幾分驚いた様子ではあったが行動は迅速だった。最短の迂回路を確認、共有すると早速進行を始めていた。
「…あの、マギアさん。一つだけいいですか?」
真っ直ぐに進行方向を見据えたまま、松明を手に薄闇を切り拓くロルフが尋ねる。
「さっきのウィスプですけど、えっと…何かしら対処、というか。討伐する手段はなかったんでしょうか?」
「…ロルフ、アレ倒せると思うの?」
ヴィルジニアが若干呆れた様に返す。
「いや、分かんないけど…それでも魔物はさ、殺せるなら殺したほうが良いだろ?ウィスプは厳密には生き物ではないんだろうけど…少なくとも、あんなとこで放置するより安全だ」
「そうかもしれないけどさぁ…アレは無理だよ。危ないって」
あまり乗り気では無い様子のヴィルジニアは、幾分落ち着いた声色で諭すように口を開く。
一方、質問を投げかけられた機械人形は"そうですね"と呟くと、僅かに歩調を緩めつつ思案していた。
「…まず。最初に説明した通りではありますが、ウィスプはそれ自体を囲うようにする、もしくは周囲の燃料の供給を断つという方法以外では、討伐方法が確立されていません」
「まぁ実体が無いのであれば切り殺すなんて出来ないしね」
進行を止めたマギアがしゃがみバックパックの肩紐に手をかけると、それに気付いたヴィルジニアが先を行く弟の服を引っ張る。
「はい。爆発等の衝撃や風で燃料を散らす、という手段もあるようですが…唯でさえ狭く袋路も形成され易い二階層ではあまり効果的ではありません」
「うぅん…瓶もあんまり効果が無い程度に濃度が高いんだよね?散らしてもあっちこっちに燃え広がりそう…」
眉を顰めながらヴィルジニアが口にするが、その危険性も決して否定出来ないだろう。
「それは…うん、爆破は無いな。崩落でもしたら元も子もないし」
「あとは、赤蝕石の瓶の残りが僅かでした」
"残りはこれだけですね"と、バックパックの引き出しを二人に開けて見せる。
──そこにある"残弾"は三個。心許ない状況を見たロルフが声を漏らす。
「たった三個、か…うぅん、倒せなかったにしても、それを使って何か他の手段は試せなかったかな」
「それは、どうでしょうね。…もしかすれば進展が見出せたのかもしれませんが、何かを試行するにも心許ない数です。今回はたまたま帰還するタイミングでしたので」
未知の要素を持つ対象に、試行錯誤すら行うことが難しいというのは危険極まりない。無謀とも言えるだろう。
「私が、心配性なだけなのかもしれませんが…」
改めてバックパックを背負い直しながら、マギアが言葉を続ける。
「ウィスプは基本的に水辺にのみ出現すると言われていますが、それはあくまで通説です。何らかの理由で、全く水気の無い場所に、それこそ今目の前に突然出現する可能性も決して否定は出来ません」
──今、唐突に目の前にウィスプが出現したとしたら。
すぅっと。何も無い薄闇が広がる坑道にその白い指が伸びると、二人がそれを視線で追いかける。
「その様な報告は今迄一切ありません。文字通りの"万が一"ではあるのです。…ですが、その万が一と遭遇した時を生き残るためにも、帰還する迄は対処出来る手段を全て使い切るべきではないと思うのです」
「…はぁ。成程。手段も物資も、今回は難しかったんですね」
ちらと、唸るロルフの様子をヴィルジニアが伺う。
「あとは…そうですね、今は平時より迷宮に進入している冒険者様が多くいらっしゃいます」
通過するだけでなく、自分たちと同じ目的で二階層を訪れるパーティも多数いるだろう。自分たちと同様に、ウィスプへの一般的な対処法として赤蝕石の粉末を用意しているパーティも、多くいるだろう。
そうなのであれば。自分たちと同じ様に、規格外の脅威に打つ手を持たないパーティもいるだろう。
「他の方々が、あの炎を前にどんな行動に出るかは分かりません」
「…アレを相手に無茶をするかも、ってことですか?」
「んー、でもあれだけおっきいの討伐出来たら、炎の欠片を凄い量独り占めだろうしねぇ」
稼ぎを目的に侵入した者であれば、アレは確かに垂涎の的であるかもしれない。みすみす見逃したいとは思わない筈であろう。
「深層と比較すれば濃度も高くはありませんが、迷宮内では常にマナが湧出します。それを燃料とするウィスプであれば、状況も容易に変化するでしょう。…ともすれば、もう先ほどと状況が変わっている恐れもありますね」
「だからこそ…いや、うん……そっか」
──頭をがしがしと掻きながら、ロルフは押し黙る。
「…ロルフ様の言う通り、放置する事は得策ではありません。今は急ぎギルドに報告を行い、注意喚起を行っていただくべきだと判断しました」
「…まぁそれに、本来ならあたしたちが戦闘役だからね。あたしたちがどうにかしなきゃいけないんだよ。…戦闘役が倒せないものは、どうしようもないよね」
ヴィルジニアが言葉を紡ぐ。アレは倒せない、というその事実を改めて強調するように。
「…確かに、そうですね。すみません、ありがとうございます」
ロルフが静かに同意すると、軽く頭を下げ今一度ゆっくりと歩を進め始める。
先程と一変して、音が消えたように静かになる。カツン、カツンと響く三人分の足音がやたらと大きく感じられた。
──しばらくして、真っ直ぐと前を見据えていた彼が立ち止まり、こちらを振り返る。
「そろそろ、一階層への登り口が見えてきます。急ぎましょう」
いつも通りの控え目で穏やかな声が耳に届く。
松明に照らされた彼は、僅かに疲れた様にも、陰りがある様にも見えた気がした。




