2-5
起きて早々に装備を整えると、そろそろと縦穴に足を踏み入れる。
高さ、幅は共に3M程度だろうか。螺旋状に掘られた下坂が、勾配も緩やかに続いていた。壁面に手を添えながら慎重に歩を進めると、時折指先に溝のような凹みが当る。
規則正しく、一定の間隔で刻まれた様に見える不思議な痕跡。渦巻くように刻まれたその溝は、巨大な何かが回転しながら通った痕の様にも思えた。
カツン、カツンと三人の硬い足音が響く。
同じ場所を歩き続けているような、何かの体内を歩いているような。不安になる感覚が付き纏う。一切変化の無い景色が続く為、どれくらい下ったのかすら把握しにくい。
そんな道程が二十分程度経った頃だろうか。ヴィルジニアが口を開く。
「…ねぇ、なんか変な臭いしない?というかちょっとクサい…?」
彼女は眉を顰め、警戒の色を顕わにする。
「あぁ…それですと、もうそろそろ二階層に着くと思われます。お二人はこちらで鼻と口元を覆ってください」
立ち止まると、二人には事前に用意していたマスクを渡す。解毒薬に浸した布を用いた手製の物であり、この先を探索するのに必須の道具である。
改めて準備を整え数分後。突如、圧迫感を感じる縦穴の終わりが目の前に姿を現した。
──第二階層。
一階層と比較して天上が低く、幾分狭苦しい雰囲気が漂う場所だった。周囲を囲むごつごつとした岩肌と、細く延びる先の見えない通路は"坑道"という表現が実に適しているように思える。
事前に確認した地図では、細い通路が蜘蛛の巣のように張り巡らされている様だった。
「ここからの道中なのですが、スライムと洞穴鼠に注意してください」
それを耳にしたロルフは、腰帯に結び付けていた松明に持ち換える。
ラットは炎を怖がりはしないが、松明は視界の確保以外にも投げたり押し付けたりと出来る事が多少は増える。他の冒険者から教わったことだろう。
「普通の鼠と同じく臆病なので、袋路等に集団でいることが多いです。暗いだけではなく、壁面にも凹凸があります。視界が確保し辛いので警戒しつつ、ゆっくり進行しましょう」
「分かりました、気を付けます。目指す先は…」
ロルフが松明で足元を照らすと、人の足跡が多数。こんな場所でも同じ事を考えて進入している他の一党は居る様だ。
「足跡の少ない方角に向かいましょうか。俺が先頭で良いですか?」
ヴィルジニアはすんすんと鼻を鳴らしながら、辺りをキョロキョロと見回している。漂う異臭が気になっているのだろう。
「はい、問題ありません」
「…うん、了解ー」
気にはなるが、特に何も見当たらなかったのか。姉がこちらに向き直るのを確認してから、ロルフは進行を始めた。
───
──
洞穴鼠と数度目の交戦中だろうか。
「ラットのいる辺り、くっさい…マスクしてても臭いで頭痛い…」
ついにヴィルジニアが腹の底から捻り出す様に低く呻いた。
「ギーギーうるさいし、ダニもついてるし本当無理…」
肋の浮いた痩せぎすの体をしたそれらは素早く動き回り、眼をギラつかせながら常に隙を狙い"獲物"に飛び掛かってくる。不細工な鳴き声で威嚇を続け、更にその声を聞き付けた他の鼠が獲物に群がる様に文字通り鼠算に増えて行く──倒してもキリのない、長期戦になりやすい厄介さがあった。
不細工な牙を剥き勢いよく飛び掛かるラットに、ロルフがメイスを袈裟に振り下ろす。
すれ違うようにしながら頚椎を砕かれたソレはそのままの勢いで跳ねる様に地べたを転がると、後方から何度目かの短い悲鳴が上がった。
「仕方ないだろ…こっちも、余裕無い…!姉さんも撃って!」
ロルフが息を整えつつ体勢を低く構えると、小盾を前にしながら次のラットを相手取る。
「やってるけど、早くてなかなか当たらないんだって…!」
いざ相手をすると実に厄介な魔物だった。
詠唱杖を構えると、ヴィルジニアが何度目かの雷撃を放つ。放たれた雷撃はようやく鼠を直撃し、ラットは硬直するように身を跳ねさせる。体表を焦がし、低く濁った声を吐き出しながら横たわった"ソレ"は、ぴくりともせず不快な臭いを漂わせていた。
──どうやら最後の一匹だったらしい。小さな足音が止むと、二人分の弾むような呼吸音が静寂の中に大きく聞こえた。
「うぅ…焦げて余計くっさい…」
ロルフはメイスに付着した体液を振り払いつつ、涙目になりつつあるヴィルジニアに近寄る。
「…姉さん、振り向かない方が良いぞ」
「……」
怯えつつ、彼女が振り返る。
そこにはラットの死体から切歯を切り取る見慣れた機械人形──マギアの姿があった。
口をこじ開け、足で固定し、工具をねじ込み、体重をかけ折るように捻じ切っていく。
粘着質な水音と、硬質な物体が折れる耳に障る音を辺りに響かせながら。転々としている死骸に近寄り、麻袋に黙々と切歯を詰め込んでいく。
──ヴィルジニアの顔から、目に見えて血の気が引いていくのが分かった。
「だから振り向くなって言ったのに…」
「あんな風に言われたら誰だって振り向くでしょ…!」
地表で見られる一般的な鼠と殆ど似通った特性を持つ洞穴鼠だが、口腔内で衰弱毒を生成する特徴を持つ。
冒険者の使用する魔具、武器、薬剤等々"毒"には実に多種多様な使い道があるが、しかしながら当然そのものが危険物である為、決して入手も容易ではない。マギアが集めているそれも大事な収集物なのだ。
──やり場の無い抗議の声を弟にぶつけつつ、気を落ち着かせるためにヴィルジニアが深呼吸をしていると。後ろから聞き慣れた抑揚の無い声がした。
「…お疲れ様です。こちらは終わりましたが、お二人共お怪我はありませんか」
近寄ってきた機械人形の肘下まである厚手の防護手袋は、体液や血液でドロドロになっていた。
「えっと、すみません。…先にソレ、新しい物に換えた方がいいと思います」
やっと落ち着いてきた姉に凄惨な跡を見せないよう、ロルフが一歩前に出るように間に割って入った。
ロルフの視線を追うようにして自身の左手を一瞥すると、状況を理解したのか"失礼しました"とマギアが詫びる。屈み、つま先で指を踏むようにして手袋を器用に外すと、取り出した新しい物をロルフに手渡す。
「お手数をおかけしますが、装着をお願い致します」
──目の前に、すらりと白い手が差し出される。
指は長くしなやかで、関節部分は球体ではあるが滑らかさや柔らかさを感じさせる。丸みを帯びた彼女の手腕は、まるで生きている人間の様で。
しかしながら時折触れる指先からは、冷たい感触と人間の肌とは異なる不思議な質感が返ってくる。
硬さと柔らかさ。静物であり、生物の様で。反する要素が混在する不思議な存在に思えた。
「ありがとうございます」
「…いえ」
マギアの手袋の装着を手伝うのは初めてではないのだが、なかなか慣れないなとロルフは心中で呟く。
こういう身体に触れる様な事も、いつもは姉さんがやってくれているのだが…そう思いながらヴィルジニアに視線を向けると、先程より幾分顔色が良くなっているように見えた。
「…大丈夫、かな?そろそろ行ける?」
「ふぅ…、うん、大丈夫大丈夫」
それに安堵すると、ロルフが松明を進行方向に向ける。
しかしながら、今回の目的である炎の欠片は未だ入手出来ていない。姉が疲れ果ててしまう前に見付かると良いのだが──自然と握る手に力が入る。
揺らめく明かりを頼りに、再び薄闇に向け一歩踏み出した。




