13-1
他に物音のしない静かな部屋で、小さくため息をつく。膝の上に開いた本を閉じて視線を上げると、天窓の向こうに消え入りそうに瞬く星々が見えた。
ベースでの一件から凡そ一か月。購入の申し込みから重要事項の説明、売買契約など店舗の運営と並行しての諸々の対応は多忙ではあったが、レイシアの手を借りつつなんとか事を済ませることが出来ていた。
そして今は我が物となったベースで一人、日記に視線を落としている。
どんなに耳を澄ましても、雑多なざわめきすら聞こえない程度には夜も更けたらしい。というのも、この日記の執筆者──リズ=エルドンと言うらしいが、映像記憶/回想記憶を「参照する期間」の指定まではなかなか調整が難しかったようだった。頭に流れ込む見に覚えのない他者の記憶映像は数日分であったり数分であったりとまちまちであったが為に、噛み砕き飲み下していくのには予想外に時間を要していた。
できる限り早く読み解きたいが、情報を見落としたくもない。こういう時にこそレイシアの助力を得ることが出来れば良かったのだが、今回に限ってそれも難しかった。
「ぉん?…すまん、もっかい言ってくれんか?」
少し前のこと。作業の手を止め振り返ったレイシアが、微かに眉根を寄せながらこちらの顔を覗き込んでいた。
散々レイシアの手を借りたし、そんな彼女に「説明はしてもらう」と言われたのだ。当然彼女にもそれを知る権利がある。故にこうして話を聞いてもらおうとしていた、のだが。
「あちらの■■■で■■■■■■■■■■■れる■■■■■■■のです」
「……ふむ」
肝要な情報、もしくはそれに関わる何かを話そうと試みてもそれらはノイズとなってしまい、彼女には何も伝わらない状態だった。
「認知の歪曲か伝達阻害の類か、そこらの影響だろうな。似たような症状になっとる奴を見たことがある」
「伝達の、阻害…私に魔術がかけられているのですか…?」
「うむ。一切合切、外部にそれに関わる情報が漏洩されることを防ぎたい時に施すものだが……お前さん、何かよっぽどなものでも見つけたか、巻き込まれたみたいだな?」
「それは…困ります…」
ただでさえまともな説明すら出来ていなかったのだ。不確かで断片的な情報の共有すら出来ないともなると、流石にレイシアと合わせる顔がない。
「困るも何も仕方ないさ。まぁお前さんの意思とは関係なく、周りが"勝手に"それに気付ければ何が起きとるのか把握は出来るだろうが…ふむ。原因について、何かしら心当たりはあるか?」
「…それは……他の方が気付くというのは、恐らく難しいかと思われます」
あの日記を視認出来る状況が「窓など外部から視認出来ない密閉された状態であること」且つ、「屋内に機械人形のみが滞在している状態」である以上、人間である彼女がそれを知ることは不可能だろう。
「ふぅむ…そうか。…あぁ、しかしそれなら色々と納得できる。今の今までお前がそれらしいことを特に話さなかったのも、十中八九"認知の歪曲"の影響だろう。そうしない理由なんぞ後付けでいくらでも作ることが出来るからな」
「そのような自覚はなかったのですが…私は何かしらの魔術の影響を受けている、のですね?」
「恐らく。まぁ機械人形にも作用する魔術式があるなんぞ聞いたこと無いがなぁ…しかし、困った」
レイシアが一歩、距離を詰める。大きな二つの瞳が見上げるようにして私のことを直視していた。
「マギア、良いか?今回の問題は、お前さんがある程度主体となって解決せにゃならん。お前と一緒に度々訪れとったワシは"何かがある"ことすら気付かなかった。ギルドの連中もそうだろう。…逆に言えば、お前さんが一番核心に近いところにいるからこそ、その影響を強く受けとるとも考えられる」
彼女の小さな両の手が、私の左手を包み込むように握る。
「ワシに出来ることはするし、お前のソレとなった原因についても引き続き調べよう。が、現状はお前さんに頑張って貰わなきゃならん。覚悟を決めろ?」
勿論です、と小さく頷く。何があったかすら伝えることが出来ないのならば、せめて出来ることを。
「そもそもが散々私の我儘にレイシアを振り回してしまいましたから。本当に言い尽くせないほどです。私にできることであれば、全力で。…改めて、いつもありがとうございます」
"がんばれよ"と変わらぬ笑顔を向けてくれる彼女に微笑み返す機構すら存在しないのが、本当に残念だけれど。私が、精一杯頑張ろう。そう決意してから、毎夜見覚えのない記憶に意識を沈め続けていた。