---
あれからどれだけ走ったか。
開けた場所に出ると、引いていた女の手を放しその場に膝をついた。
ギリギリと締め付けられるように肺が痛んだ。バクバクと脈打つ心臓を落ち着かせようと、大口を開けて何度も必死に空気を吸う。こんな思いをする度に煙草なんて止めれば良かったといつも思う。
女の方は膝立ちになって俯いたまま、静かに泣いている様だった。
勘弁してくれ、仕方ないじゃないか。あのまま逃げずに俺一人で死にゃ良かったって言うのか?本当にわざとじゃなかったんだから。
──本当にクソだ。世の中どうしようもないクソだらけだ。
そもそも親が残したバカみたいな額の借金さえ無けりゃこんな場所に潜ることなんてせずに済んだんだ。俺がこさえた訳でも無いのに、この首輪がある限り街から逃げることすら叶わない。本当にクソみたいな人生だ。
それに今回は次の取り立てまでもう猶予が無かっただけで、普段は階層を降りてこんな風にうろついたりもしない。なんだって今回に限ってこうなるんだ。
いつもは適当に採取出来る収集品やら他の冒険者の残したお零れに預かる所謂"スカベンジャー"と呼ばれる類の人間なんだから。自分の安全が一番に決まってる。
取り立ての額に届かない時にだけ、こうして炎の欠片を取りに足を延ばす。危険ではあるが、こんな良く分からない石ころの一つか二つがあるだけでいつもより楽になるんだから仕方ない。魔物の生態は普通の動物と似ている故、いつもと同じルートで縄張りを避けて動けばどうにかなる。そのハズだったのに。
──その矢先でコレだ。気が付いた時にはそこら中に鼠がいやがった。
なんとか息を整えて顔を上げる。
ゆっくりと顔を上げると、女の頭に小奇麗な髪飾りがあることに気が付いた。俺より一回り近く年若そうな癖に、こんな場所に自分を飾る物を着けてこれる程余裕があったとは。憎たらしい。
──あぁ。そうか。
考えが過る。
人間一人分くらいなら、鼠かスライムが消してしまえるのではなかろうか?
コイツは今こちらを気にするほどの余裕も無い。逃げるのに夢中で今日の稼ぎは全部置いてきてしまったんだ、手ぶらで帰れば取り立てをやり過ごせる当てもない。
連れの男もあんな状況ならまず助かることは無い、そちらから足が付くことはないだろう。それにこのままこの女を地上に連れ帰ったとすれば、落ち着いた頃に何らかのトラブルになるのが目に見えている。どんな理由があろうと、人を恨むことなんて止められるもんじゃないんだから。
──それなら。
俺だって精一杯やってるんだ、ほんの少しくらい報われたって良いじゃないか。
「…大丈夫、きっと大丈夫だから」
それは自分でも驚くくらいに優しい声だった。項垂れる女に語り掛けながらその背後に回ると、静かに武器を振りかぶった。