表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鉄塊のマギア  作者: 佐倉。
10章
106/138

10-ep

 一面に広がる青墨色が一段と濃くなったように感じられる頃。

 気だるげな足取りで脱衣所を後にしながら、レイシアがその小さい体でぐぅっと伸びをして呟いた。


「いやぁ、あっついあつい…こりゃアイスでも欲しいとこだな。今食べたら絶対おいしい奴だ」


 熱が籠っているのか、隣の彼女は僅かに紅潮した顔をぱたぱたと手で仰ぐ。うっすらと汗ばむ肌理の細かい肌に数本の髪の毛が張り付いているのがちらりと見えた。


「アイスですか。何度か訪れているとのことですが、こちらで何か気に入りの風味はあるのですか?」

「そうさなぁ…前回来た時はな、出てすぐのとこの売店で凍らせて細かく砕いたイチゴをバニラに混ぜてあるのがあったんだが…今も扱っとるかなぁ。あれは実に旨かったんだよぉ…!!」


 そのアイスがいかに素晴らしかったかと語り聞かせる彼女の言葉に耳を傾けていると、突き当りの向こうから年若い入浴客の一団が楽し気な声と共に姿を現した。途端、話を切り上げたレイシアが"こほん"とわざとらしく咳払いをして私の前へと歩みを進めると、それとほぼ同時に一団の視線が私の右腕にすぅっと集まったのが分かった。

 ──彼女たちの興味の対象が私に移り変わったのは言うまでもない。ほんの一瞬、物珍しそうにこちらに視線を向けてはいたが、何も見なかったと言わんばかりに次々に視線を散らす。私たちから分かりやすく距離取りながら"夜景が楽しみだ"と歓談を再開してはいるものの、余程気になるのか数名は盗み見るようにちらちらと視線を向けていた。

 一行の足音が遠くなってしばらくすると、小さく溜息を吐いてレイシアが見上げるように覗き込んできた。


「…初めての温泉はどうだった?」


 猫を被ったよそ行きの顔と声色のままで、彼女は苦笑いしながら問いかける。


「いくら人目を気にするなと言ってもコレじゃあね。…はぁ……今度はもう少し人の少ない時期か、そういう場所を選ぶわ。ごめんね、こんなとこに無理やり連れ回して」

「いいえ、レイシアは何も気にする必要はありません。私には足を浸す程度しか出来ませんでしたが、湯煙越しに見える月も、遠くまで広がる風景も。とても素晴らしかったです」

「そうかそうか」


 彼女はどこか申し訳ないような曖昧な笑顔を浮かべながら、私の言葉に相槌を打つ。


「はい。何より信頼の置ける家族が隣にいることで、街の外でも憂慮せず活動することが可能だと分かりましたから。何も問題ありません」

「……そっか」


 噛み締めるような間を置いてレイシアが小さく頷いた。

 花が綻ぶような微笑みを浮かべると、彼女はくるりと踵を返しぺたぺたと足音を響かせながら歩を進めていく。気のせいか、その足取りは先ほどよりも幾分軽くなったように見えた。


 廊下の突き当りで待つレイシアに追いつくと、そこから忙しそうに接客をこなす受付の女性の姿が目に入った。日の出ていた時分より幾分人足は少なくなってはいるが、それでも出入口を行き来する客足は途絶えない。随分と慣れた手つきでてきぱきと客を捌き続けている様子だったが、偶然にも客の切れ目に私たちと目線が結ばれた。


「あら、もう外も暗いけどお嬢ちゃんたちだけで大丈夫?忘れ物とかも無いかい?気をつけて帰るんだよぉ?」


 私たちが近付くと、女性は顔に優しい表情を出して目尻に笑い皺を作りながら気さくに話しかけてくる。レイシアの方も手慣れた所作でめいっぱいの笑顔を浮かべるとハキハキと言葉を返した。


「ありがとうお姉さん!大丈夫よ、休憩所でお父さんとお母さんも待ってるもの。温泉、ホントに気持ちよかったです。何度でも入りたくなっちゃいますね」

「あらあら。ふふ、アナタみたいにちっちゃい子も気に入ってくれたのなら嬉しいわぁ。そっちの機械人形のお姉さんとまた一緒においでね?」

「はい、勿論です!ね?マギア」

「えぇ、快適な時間を提供していただき、ありがとうございました」

「いえいえ、それなら良かったわぁ」


 この時、ふと気付いた。

 笑顔で言葉を交わしてはいるが、受付の女性の視線は私から片時も離れることはなかったのだ。

 ただ不思議なことに、その瞳には今までとは異なる印象を受ける。好奇や奇異の色ではなく、どこか懐かしい景色を眺めているような、そんな何かが込められているように感じられたのだ。無言のままに見合う私たちに気付いたのか、怪訝に思ったレイシアは遮るように声を上げる。


「マギアがどうかしたの?ちゃんと料金も払ったし、お湯だって汚してないわよ?」


 私の前に歩み出た彼女が僅かばかりに語気を強めて言うと、女性はかぶりを振った。


「あぁ、いやね。アタシもここで働いて長いけど、ほら、アナタみたいな髪色の人形さんって珍しいじゃない?だからついつい見惚れちゃって…気を悪くしたならごめんなさいね?」


 街の外で機械人形が人目を惹くのはもう慣れたことだし、その視線に悪意は感じられない以上は責める必要もない。とやかく言うべきでないと分かると、レイシアは身を引き横目で私の様子を伺っている。


「いえ、問題ありませんよ」

「……まぁ、マギアが良いなら良いけど…」

「ごめんなさいね?…でもそっちの人形のアナタ、大事にして貰ってるのね。本当にキレイだから一目で分かるわ」


 女性はまるで自分のことのように嬉しそうに零す。

 機械人形という存在に特別な思い入れがあるのか、はたまた人目を憚ることなく自身と同等に機械人形(わたし)を扱い、並び立たせようとする"少女"に何かしらの感情を抱いているのかは定かではないけれど。

 ただ、彼女は私たちに他の誰かを重ねて見ていることだけは分かった。


「…えぇ。彼女は私にとって、掛け替えのない大切な家族ですから」

「まぁ!そうなのね!」


 私の言葉に破顔して喜ぶ女性を眺めていると、左手に何かが触れる。

 顔を向けると、横に並び立つレイシアが私の手を取っていた。照れくさそうに、でもどこか力強い瞳でこちらを見据える彼女の存在はとても心強く思えた。

 "家族皆でまた来てね"と喜色満面に口にする女性に小さく礼をすると、私たちはその視線を背に温浴施設を後にした。


 ──あれは、私がここに就いてしばらくのことだったか。

 とある機械人形が入口を潜ってきた時のことを、今でも覚えている。

 宝石のような青緑色の透き通る髪がサラリと風に揺れ、背後から差し込む陽光できらきらと輝くあの光景は、まるで子供の頃に読んだお伽話の一節の様で。言葉も忘れ、放心するように見つめていたっけ。機械人形のに完成された美しさに、ただただ見惚れてしまったのだ。

 今日のあのお客さんは…あの時と同じ人形さんかと思ったけれど、きっと別の子なのだろう。絹織物のような艶のある長髪だったし、何より腕もあんな大木みたいなアンバランスなものが付いてはいなかった筈だ。

 …まぁ、どちらでも良いか。大事に思う者同士、あんな風に良好な関係を築けているならそれで良いんだから。あの子たち、また二人で来て欲しいな。

 そんな小さな願いを込めながら、二人の後姿が人混みに消えるまでただただ無言で見守っていた。


 ───

 ──


 南門を潜り、夜に煌々と浮かび上がる見慣れた街の通りを進んでしばらくした頃。通りの向こうからほんの一度だけ、行商人たちの呼びかけに紛れて声にならないどよめきが起きた。

 周囲にいた者たちがそちらに視線を向けるが、ここからでは何も見えない上に声にならない音は既に掻き消えてしまっている。元々小さな小競り合いや酒が入り声を張り上げる者も少なくはない"あまり穏やかではない地区"ということもあり、皆も間を置かずに興味を失くしている様子だった。

 私たちも気にする必要は無いだろう。帰路に就くため足を踏み出すと、先ほどまで隣にいた筈のレイシアの姿がいない。


「…レイシア?」


 辺りを見渡すと、少女は後方で立ち止まったまま先ほど音のした方向へとじぃっと視線を向けている。歩み寄り小声で彼女の名を呼んでも、上の空でその足が動く気配はない。


「……ごめんね、ちょっと良い?」


 短くそう告げるなり、レイシアは安宿の並ぶ雑多な通りから細々とした路地へと入っていく。彼女の後を追って薄暗く心細い小道を抜けると、何の変哲もない平屋建ての建物の前に小さな人だかりが出来ていた。

 立ち並ぶ宿の中に佇むその建物は、一見すると特段珍しくもない所謂"ベース"の様に見えた。


 ──入れ替わり等が少なく特定の冒険者だけで長く協力関係を結ぶ一党が、より円滑に関係を維持する為にプライベートな空間を設けることがある。

 認識や知識の共有は勿論、各々の装備品や消耗品等を纏めて保管することも可能になるし、宿としての機能を果たすことも出来る。人数が多く、その関係性が長くなればなる程にそこを拠点とし迷宮へ潜る一党は多く見られるのだ。

 そして冒険者たちが利用する安価な宿が立ち並ぶこの南区には、同じく多くの基地(ベース)が存在していた。


 一歩引いた場所から注意深く観察すると、魔術師然とした姿の者が多く、その中にはギルドの職員らしき恰好をした者も見て取れた。書類を片手に難しい顔をして言い合っている様子だが、あのベースで何かしらのトラブルでもあったのだろうか。


「事件、でしょうか?」

「ん~、事件と言ったら事件かもだが…まぁ今のとこはそこまでじゃないよ。こんな時間までご苦労なことじゃの」


 得心がいったというように頷きながら言い切るレイシアに、疑念を感じながら目を向ける。間髪入れずそう言うからには、彼女はここで何が起こっているのか把握しているに違いなかった。


「あちらで何が起こっているか、ご存じなのですか?」


 レイシアは無言で相槌を打つと、私に向けしゃがむようちょいちょいと手招きをする。少女の高さに合わせるように膝を折ると、耳元で小さな声が囁いた。


「ほれ、お前も噂を集めとったなら耳にしてないか?南区のとある場所に、ずぅっと人の出入りが無い"幽霊基地(ベース)"があるんだと」


 土の乾いた匂いを乗せた温い風が、そよりと頬を撫でた。

 容赦のない陽射しに晒され続けた空気は、この時間になっても街の至る所に垂れ込めている。戸惑いも歓声も綯い交ぜになった騒めきの中で、私たちは遠巻きにその光景を眺めていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ