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鉄塊のマギア  作者: 佐倉。
9章
100/138

9-11

「銃声で遮られましたけど、あれは確かに俺に助けを求めていました」


 薄い笑みを浮かべたまま、長く長く、息を吐く。

 ロルフは今、何を思っているのか。"やっと吐き出せた"という諦念、もしくは安堵か。"吐き出してしまった"という後悔か、それとも別の感情か。私には、その笑みの意味が分からなかった。

 僅かに俯く彼の視線の先には疲れ果てた姉の姿がある筈だが、その昏い瞳に彼女の姿はどう映っているのだろう。


「被術者次第で聞こえる声はそれぞれに変化する…だから、アイツの声が姉さんの声に聞こえてるのは俺だけなんだって、それは頭では理解しているんです」

「…仰る通りです。マンドレイクはあくまでも、"そういった性質を持つ音を用いる"というだけのものですから」

「耳当てを外さない限りは聞こえない。そんなことも分かってるんです、分かってるんですよ。…それでも、こちらに向けて声を発している姿だけは見えるんです」


 シーツの上に置かれた手を強く握りしめ、堰を切ったように矢継ぎ早に口から漏れ出るその語気は徐々に強くなっていく。


「姉さんの声で、姉さんの声を使って…!!どれもこれもが俺を殺すために声を投げかけてくるんです。死んだような濁った眼をした紛い物ごときが、他でもない姉さんの声で命乞いをするんですよ?!…それが、そんなの、許せる訳ないじゃないですか…!!」

「ロルフ様…」

「最初は戸惑いましたけど、そんなんじゃ駄目だって。こんなに醜悪な生き物は殺さないと駄目だと言い聞かせて必死に殺しました。二度と薄汚い真似事が出来ないように、痛めつけて痛めつけて、全力で殺しましたよ」

「……そう、ですか」


 瞬き一つせず、硬い表情のまま憎悪を語る彼はこちらを見ようとしない。否、今の彼の視線には何も映っていないのかもしれない。

 自分の中で肥大しどうしようもなくなった、溜まりに溜まった澱を吐き出すことに精一杯なのだ。私の言葉もまともに届いていない様子で、先ほどから怒りに震える声が病室に明瞭に響いている。

 私には、それを咎めることも出来ない。最も軽々に踏み入られたくなかった部分に無遠慮に触れられ、あまつさえそれを利用されたのだ。感情が酷く揺さぶられても仕方ないだろう。


「それから帰還すると同時に、迷宮が封鎖されました。…その間は、アイツらをいかに効率よく狩れるか情報を収集してましたね。過去に確認された場所に法則性がないかとか、長く狩りを続ける為にも収集品を卸せる相手を調べたり…やるべきことは山ほどありましたから」


 ──地下深くへ立ち入ることを禁止されることで生まれた、唯一の猶予期間。

 この一か月の間に、ヴィルジニアに相談出来ていれば何か変わったのだろうか。彼が脚を失うという結末を変えることは出来たのだろうか。

 しかしながらそれも難しかったのかもしれない。マンドレイクの声を耳にしたことも、それが他ならない"姉"のものに聞こえたことも。どちらかでも話せば、今後の迷宮への侵入を反対されることは目に見えて明らかなのだから。


「一か月は本当に、本当に長く感じましたね。…やっと封鎖が解除されて、俺は現状の確認をしようと迷宮に潜りました。そうしたら…あれだけ丹念に殺したにも関わらず、狩り終えた幹からも新しいマンドレイクが生えていたんです。青々と瑞々しい葉をつけて。こちらを見付けた途端、性懲りもなく声を張り上げてるんです」

「…有史以来、魔物が消失したことはありませんからね。当然、封鎖中は人の出入りはありませんから、解除後は魔物の活動が活発に見られる筈です」

「それで確信しました。何度でも何度でも、繰り返しとにかく一匹でも多く殺さないといけないって。こいつらを生かしておくことで良いことは何一つない、少なくとも俺と同じような境遇を持つ人間にとっては害悪でしかないんだって…」

「ロルフ」


 ──唐突に。

 憎悪に塗れた言葉をロルフが吐き終わるや否や、私のものとは異なる女性の硬い声が病室に小さく響いた。二人の視線が一点に集中する。小さな衣擦れの音と共に、突っ伏しているヴィルジニアの手にシーツが握られた。


「ね、えさん」


 驚愕した顔のロルフがたどたどしく姉を呼ぶと、彼女は緩慢な動作で体を起こしていた。後ろにいる私からは彼女の顔を伺うことは出来ないが、その後ろ姿は疲れ果て、寂しげに肩を落としているようにも見えた。


「…起きて、いらしたのですね」


 私の問いに彼女は無言のまま小さく頷いて返す。

 先ほどまで矢継ぎ早に口を開いていたロルフは一転して、沈痛な面持ちのまま静かに姉の様子を伺っているようだった。

 うなだれ、すぐ真横にいるロルフに目を向けぬまま。再び彼女の声が小さく響く。


「…あたしの声に聞こえたってだけじゃなくてさ。もしかして"それ"にあたしたちの約束を重ねて見ちゃったの?だから、あんなに無理をしてまで通い詰めたの?」

「……魔物を殺す、という約束、ですか」


 姉に言葉を返すことは出来ずに、ロルフは苦い表情を浮かべ視線を逸らす。

 現実的ではなく決して冴えた手段ではなかったのかもしれないが、二人は"迷宮遺児を減らす為"の手段として"魔物を殺すこと"を選んだ。そしそれは"無遠慮に心の奥底に踏み入るものを排除する為"の共通の手段ともなってしまった。

 今までと変わらず"魔物の命を奪い"、その結果"目の前に魔物の死骸が出来た"だけなのに、得られるものが全く変わってしまったのだ。


「……ううん、やっぱり今はいい。遮ってごめん。今は、貴方の言葉でちゃんと教えて」

「…ぁ…」


 ──重苦しい、無言の間。

 彼はそう促されたものの、目の前の姉に何をどう話すべきか戸惑っているのか、気まずそうに目を落としたままだ。傍目には陽だまりが満ちる安らかな空間である筈なのに、この小さな病室には何とも言えない緊張感が満ち満ちている。


「…一つ、よろしいでしょうか?」


 小さく手を上げながら声を出すと、ロルフの視線が静かにこちらに向けられる。出来るだけ声量に気を付けたつもりではあったのだが、思いの外自身の声が響いたことに内心少しだけ驚いてしまった。


「ニキア様からお伺いしましたが、採集を行わず別の個体の狩りを優先した事があった、と。事前に収集品を卸す先まで慎重に準備をしていた筈なのに、何故突然そのような心変わりをされたのですか?」


 今聞く必要もなかったのかもしれないが、何でも良かったのだ。話を切り出す切っ掛けになればと、その一心で質問を投げかける。

 しかし私の問いかけを耳にした途端、彼の眉間に深い皺が刻まれる。どうにも腑に落ちないという表情で思案するように視線を彷徨わせると、躊躇いがちに言葉を零し始めた。


「……時折、でしたけど。…あれ以来もう遮音装置を外したことはないのに、何故か声が聞こえたり…ほんの一瞬ですけど、マンドレイクの顔が、姉の顔と重なって見えた時があったんです」

「外してないのに?…それは確かなのですか?」


 返す問いに、ロルフが逡巡しながら頷いて見せる。

 彼の言うそれは明らかに症状が進行してしまったが故のものだろうが、しかし一度しか耳にしていない筈なのにそこまで深く影響が及んだ理由が分からない。ここまで来て嘘を吐く必要はないし、そこまで鮮烈な感情を引き起こすきっかけとなったものを覚え違いしているとも考えにくい。


「気のせいかとも思いましたけど、本当に聞こえたし見えたんです。だから…頭で理解はしてても、姉の姿に見える死体を直視し続けるのは少し抵抗感があって…採集作業が出来なかったんです」


 成程、と呟きながら今度は私が頭を捻ってしまう。

 エールソン、そしてレイシアも"僅かな接触であれば、被術者をすぐに引き離せば問題ない"という共通した認識を持っていたが、その認識が間違いであり問題だったというのだろうか。どこか納得の出来ない状況に頭を巡らせていると、ふと一つの可能性が思いついた。


「…もしかして、なのですが。私たちが宿を訪れた夜に単身迷宮へ向かわれたのも、何かしらの幻覚や幻聴が原因だったのですか?」


 "聞こえない状態でも声が聞こえる"のであれば、その症状は迷宮外でも起こりえたのではないだろうか。あまりにも不自然且つ無謀な行動ではあるが、症状が進行した故に正常な判断が下せなかったのではと、そう思えたのだ。

 しかしそれをに耳にした彼は、小さく唸りながら申し訳なさそうな顔を浮かべた。


「いいえ。実を、言うと…姉さんとマギアさんが宿に来た時、"噂"の話を切り出したじゃないですか?だから"もう知られるのも時間の問題なんだな"って、内心かなり焦ってしまったんです」

「…焦った、ですか?」

「えぇ。あの時には、脚の調子もあまり良くありませんでしたから。潜ることを止められる前に"一体でも多く殺さないと"と。…マギアさんが身体の調子を調べはじめた時は、バレるんじゃないかと本当に焦ったんです」

「……まさか、あの返答も虚勢だったのですか?」


 ──彼の言葉と頷くその動作に、頭を殴られたような感覚を覚える。

 "表を走って見せようか"というあの挑発気味な言葉はただの見せかけだったということになる。

 扉を叩いた時に一度だけ聞こえた派手な物音も、つまりはうまく動くことが出来ないが故に立ててしまったのだろう。

 レイシアは私に"しっかり見てこい"と言っていたが、それは出来ていなかったのだ。私がもう少し強引に探っていればあの時点で彼を止めることが出来たのだろうか。今更"たられば"を考えてもどうしようもない。それを理解していても、どうしても頭から離れなかった。


 手を伸ばせばすぐにでも届きそうな僅かな空間に、再び重苦しい無言の間が落ちる。


 "ロルフの言葉で教えてほしい"


 先程そう言っていた姉に対し、何を打ち明けるべきなのかと必死に頭を巡らせていたのだろう。ロルフは深呼吸をすると、意を決したように口を開いた。


「…正直に言うとさ。狩りへ向かうことを止めようとする姉さんを、煩わしく感じたこともあったんだ。姉さんは魔物が憎いんじゃなかったのか、姉さんはこの生き物の醜悪さを知らないからそんな風でいられるんだ、誰かが殺さないといけないんだ、って。正しいことをやっていたつもりだったんだ」

「……」

「魔物を殺して、地道に力を身に着けて、次の段階へ進んでいく。昔から繰り返してきたソレが、特定の魔物を対象にするようになっただけ。ただそれだけなんだって、あまり深く考えずに納得出来てたんだ。自分の中にある憎しみや怒りは、本当に鮮明だったから」


 弟の言葉に、ヴィルジニアは何も返さない。身じろぎ一つもせず、ただただロルフの隣で耳を傾けている。それでも、訥々と時間をかけ、思案して。過去の自分に必死に思考を巡らせながら、彼はたどたどしくも言葉を紡ぐ。


「…叫び声を上げたくなるのを必死に抑えて、それでも怒りで震えが止まらなかった。自分の中でいつまでも膨れ上がる真っ黒い気持ちをどうしようもなくて。ただただ"許せない"って気持ちで動いてた気がする」


 "振り回して、本当に自分勝手でごめん"

 寂しそうな表情を浮かべ胸中を吐露していたロルフが、うなだれるように姉に深く頭を下げ呟いた。彼の柔らかそうな赤色の髪が、差し込む陽を受けて一層明るく見える。それはまるで、初めて彼と出会った時に目にした光景と同じようで──一秒が数分にも感じられる様な、不思議な感覚を覚えた。


 再び訪れた短い無言の中、静かに話を聞いていたヴィルジニアが大きな大きな溜息をついた。


「…ロルフはさ、自分の中にいる"ヴィルジニア"に勝手に触られて捻じ曲げられたことを怒ってる。でもそれは貴方自身の中にいる"ヴィルジニア"であって、今隣にいる"あたし"じゃないよね?」

「でも…確かにそうかもしれないけれど、自分が大事に思うものに無遠慮に触られたら、それは不愉快だろう?誰にも触れて欲しくない部分ってあるじゃないか。それでも姉さんは、我慢しろって言うの?」

「そもそも事の発端は貴方の自業自得じゃない。嘘ついて、自分で耳当てを外して。結局マギアさんまで振り回してる。本当に自分勝手にしか思えない」


 自覚がある故に痛い所を突かれると"ごめん"とただただ謝罪の言葉を口にするしかないロルフは、申し訳なさげに目を落していた。

 もう一度。ヴィルジニアが、大きく息を吐く。目を覚ましてから身じろぎ一つしなかった彼女が、微かにロルフの方に頭を傾けながら口を開いた。


「何で話してくれなかったんだろう、そんなにあたしって頼りなかったのかなって、そんな風にも思った。……けど、でもね?貴方の立場に自分を置き換えて考えるとね。声を聞いてみたかったっていう事も、話せる訳がないって気持ちもちょっとは分かる気はするの」


 "正直に言うと、今は凄く困惑してる"

 気のせいか。そう零すヴィルジニアの声は、小さく震えているようにも聞こえた。


「頭の中がぐちゃぐちゃで、あまり冷静じゃないだろうし…あたしだけじゃなくてきっと貴方も、これから時間をかけて受け入れていかないといけないことが沢山あるんだと思う」


 姉弟を取り巻く環境は大きく変わる。

 私生活は勿論の事、彼らの支えとなっていた"約束"もまず果たすことは出来なくなっただろう。出来ることと出来ないことの擦り合わせを行い、今まで培ってきた小さな一つ一つの当たり前とも向き合わなければならない。それはきっと、今すぐに覚悟出来るものではないだろう。


「ただ一つ言えることは、あたしはこれからもロルフの隣にいるってこと。貴方の姉で、唯一の家族なんだから。…話しにくいことなんてこれからもいくらでも出てくると思うけど、出来る限りあたしのことを頼って欲しいの」


 沈痛な面持ちのまま、ロルフは姉の言葉に頷き返すだけだ。

 ふわりと、柔らかな風が窓から吹き込む。二人の髪が揺れ、病室に漂う固く重い空気を穏やかに動かした。


「ロルフの中にいるあたしじゃなくて、貴方の隣にいるあたしに話しかけて。だって、一人じゃ出来ないことなんて、これからいくらでも出てくるでしょ?」


 そう言いながらヴィルジニアはゆっくりと手を伸ばす。彼女の細く白い指は彼の左脚を捉えることはなく、シーツの上で砂を撫でるような乾いた衣擦れの音を立てるだけだ。そこには無いものに指を這わせ確かめるような所作に、二人の視線は自然と指先に集まっていた。


「貴方の脚はこんな風になってしまったけれど、それでも生きていかないといけないんだから」


 "どうすれば良いのか、二人で見付けていこう?"


 後ろにいた私からは、ヴィルジニアの様子を伺うことは出来なかったが。

 そう語りかける彼女と視線を合わせたロルフは大きく目を見開いたかと思うと、途端顔をくしゃくしゃにしながら瞳を潤ませて。幼子のように"ごめん"と、何度も何度も小さく呟くばかりだった。

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