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続きです
自宅から自転車で約10分くらい、余裕を持てば充分間に合うくらいの場所に燕や姉達が通う学校【明嬢学園】は建っている。
かつてはお嬢様学校だった其処は男女共学制へと方針を変え。幼等部から教育熱心に且つのびのびと生徒を育て高等部、大学部、大学院に進むにつれて広大なカリキュラムを敷く、この県では有名な私立校となっている。
そしてまだあまり人の通っていない朝の通学路を、燕は颯爽と走っていた。
ロードワークを兼ねての通学
と帰宅してからの走り込みは燕が一年時にバスケット部に入部してからずっと続けている日課である。
細身だがその美麗な顔に釣り合う筋肉質な体躯を持つ父親に憧れている訳ではないものの、父親どころか下の姉にすら体格的に負けているため、筋肉を付けようと躍起になっていたのだ。
カタカタとスポーツバッグを揺らしながら信号を渡り、軽快にピッチを上げて走りぬけてゆく。
学校への近道に使う自然公園へ入り、ただまっすぐに突っ走る。止まる事はなく、少し冷たい風を心地よく感じていた。
そう、周りをよく見ていなかったのだ。
公園と住宅街を仕切る緑のフェンスを軽く飛び超え、降りた瞬間に通行していた誰かと正面衝突をしたのである。
「きゃあ!!!」
「うわっ!」
衝突者の頭部に顎を打ちつけバランスを崩し、べちゃりと横腹から転んだ燕はしばらく顎を押さえて悶絶した後慌てて起き上がりぶつかった相手に目を向ける。
男だったらともかく上げた悲鳴から見て相手は女の子だ、顔なんかに傷など付けたら大変な事になる。
尻餅を着いた少女は驚いたように辺りを見渡した後わたわたと地面を両手で探り近くに落ちていた眼鏡を拾い上げる。割れていない事に安堵したように微笑みを浮かべながらそれを掛けた。
その一連の動きを見て、謝ろうと口を開いたつばめは一瞬石化したのち、真っ青に変わる。
「花乙女…さん?」
黒髪を二つに結った其の眼鏡っ娘は、つばめの元クラスメイトであった。
「あ、乃南くん。おはようございます」
ぶつかったときに打ったであろう頭をさすりながら何事も無かったように笑う少女に困惑しつつ燕は立ち上がり、彼女の目の前へと歩いてゆく。
穏やかな微笑みが逆に何処か変な場所をぶつけたのではないかと心配するもその彼女が日常的に浮かべている微笑みに少しずつ心配も消えていった。
「何処かお怪我はありませんでしたか?」
「あ、ううん平気平気」
「よかったぁ…ごめんなさい、私ぼんやりしてて」
むしろ被害者側だと云うのに頭を押さえながら申し訳なさそうに謝る彼女に
(こっちこそホントごめん)
と罪悪感を募らせながら苦笑する燕は尻餅をついたままの少女に手を貸す。
「あ、ありがとうございます」
少しためらいながらもその手を取り、穏やかに礼を述べる彼女に口許を緩ませ照れくさそうに目線を逸らせた。
御覧の通り燕は目の前の眼鏡っ娘、花乙女 更紗に片思いをしている。
約二年前、教師をしている父親の転勤のためこちらに引越す関係で学校の初等部に編入し、その時に何かと優しく接してくれたこの少女に一目惚れしたのだ。
最近のマセた子供とは少し恋愛感覚がズレており、初心な部分があるためか、燕は二年経っても未だに告白も出来ず、このように小さな、他人からもあまり判らないようなアプローチを二年間程続けてきていたのである。
よいしょと少々婆くさい掛け声と共に立ち上がり、聖母のごとく微笑む更紗にドギマギと視線を地面へ逸らしたままゆっくりと握られていた手を離す。
地面から少し視点をずらせば彼女の膝に紅いものが流れている事に気付く。
「花乙女さん、それ、血…」
「あら?気付かなかったわ」
燕の指摘にようやく気付いた更紗は僅かに血の滲む膝を見やる。
自責の念に刈られて、ズボンのポケットを探り薄い空色のハンカチを取り出した。
「あの、更紗ちゃんコレ使って…」
「はい、何でしょうか?」
ハンカチを差し出した先には絆創膏の袋を破り、ぺたりと膝に貼り付ける更紗の姿。
さりげなく彼女の好感を上げる為に差し出した手は一気にやり場の無い手へと変化する。
不自然に笑いながらハンカチをポケットに突っ込む燕に少女はよく分からないとばかりに首を傾げ、絆創膏の破れた袋をポケットに入れた。
「更紗ー何やってんのよー!!」
住宅街の向こう、通学路となっている大通りから更紗を呼ぶ少女達の声が耳に入る。
それに気付いた更紗は弾けるように振り向き、そのまま慌てたように通学規定の茶色の鞄を持ち直した。
「いっけない私ったらまたっ…乃南くん本当にごめんなさい、それじゃあまた後でね!」
二年越しの片思い人がにっこりと燕にとっては必殺KOの無邪気で清楚な微笑みを投げかけて立ち去った後、燕は硬直したように動くことが出来なかった。
(更紗ちゃんに怪我させたのは申し訳ないけど…やっぱ可愛いなぁ)
彼の視線の先には楽しげに談笑しながら歩いてゆく彼女とその友達がおり、真ん中で可愛がられている彼女は本当に皆に愛されているのだと思う。
自分だけに向けられた微笑を思い出して思わずにやけた所で我に返り、頬を思い切りつねった。
「…馬鹿な事してないでガッコ行こう」
落ちたバッグを拾い上げて肩に掛け、1歩踏み出した所で柔らかい何かを踏む。
足の裏に感じる違和感に脚を上げると黒い毛並みの羊のマスコットがうつ伏せで落ちていた。
拾い上げると眼をつぶったそれはつばめの手のひらに収まるくらいの大きさで手触りもたいへん好いものである。
「…まさか」
脳内に浮かんだのは先程更紗と衝突した場面。
もしかしたらあの衝動で彼女が落としてしまったものかもしれない。
後で聞いてみようと踏みつけてしまったために付着してしまったマスコットの汚れを払い、スポーツバッグに押し込んで再び走り出す。
通学路を歩く学生達の声が、だんだんと賑わってきた。
体育館での始業式も、毎度毎度の先生の長いどうでもいい話も、先生方の諸注意も終わり、燕はホームルームの中でのんびりと自分の席でまどろんでいた。
クラス替えも、仲の良い数名の友人と同じクラスになり、同じサッカー部の人間の顔もちらほら見える。
時々前の席に座った友人から、他愛もない話を振られ、相槌を打ちながらよく晴れ渡った空を眺めていた。
窓ガラスに映る影に横を見やれば真面目に担任の中年教師の説明を聞き、メモを取っている更紗の姿がある。
教室で再び会い、柔らかな笑顔で
「また一年よろしくお願いしますね」
と言われた事がどれだけ嬉しかった事だろうか。
机に突っ伏し、ひとしきりニヤけていた時にホームルームは終わり解散となった。
部活も無く早々に帰宅しようと準備をしている彼女を呼びとめ、燕はスポーツバッグの中を探しながら朝に拾ったマスコットの話をする。
「花乙女さん、今日朝に羊のマスコット落とさなかった?」
「?いえ、兎のマスコットなら付けてますけど…」
彼女が持つ通学鞄にはよく見かけるハートを持つ緩んだ顔の白ウサギのマスコットが揺れている。
おかしいなと首を傾げながら鞄に目を移すと更におかしい事が発覚する。
スポーツバッグの底に入れておいたあのマスコットが無くなっていたのである。
不思議そうにこちらを見ている更紗に申し訳なさそうに御礼を言い、とりあえず彼女と別れた。
今朝見たマスコットは何かの見間違いだったのだろうか。手に残っている柔らかな感触を思い出してそれはないと否定した後、何処かで落としてしまったのだと自分に言い聞かせた。
(更紗ちゃんのじゃないし、まぁいっか。)
「おーい燕ー飯買いに行こうぜー!!」
更紗と同じ様に一年の時からのクラスメイトが昼食に誘う声がする。
昼からの部活に臨むため、しっかりと腹ごしらえをしておくのだ。
「ワリッ今日弁当持ってきてるんだ!」
「なんだー?花乙女の愛妻弁当かー?」
「馬鹿言え、親父の弁当だよ」
野南家の家の事情を知っている数名の友人は、後で少しくれよとふざけたように言い、購買組は食堂まで財布を持って走っていった。
残った弁当組に呼ばれて、スポーツバッグから取り出した弁当を持って、空いている席に座る。
誰の席かは判らず、横に掛けられた体操服の鞄から女の子の席だと思われた。
他愛もない談笑をしながら燕は少し大きめのそれのバンダナを解き、蓋を開ける。
サフランの良い香りが燕の鼻を心地よく擽り、空腹の腹に期待を与えた。
「…え?」
蓋を持ったまま間抜けな声を上げて固まる燕。
蓋を開けた先に見たものは鷹也手製の弁当ではなく、サフランで色づけされた黄色いご飯粒を数個付けて目を瞑り、満足そうに腹を擦る、あの黒い羊のマスコットだったのである。
突然暗闇に光が差して眩しそうに目を開き、絶句したまま動かない燕に気付いてマスコットは短い手を上げた。
「よぉ」
短く掛けられたその少年めいた声に我に帰った燕は思わず弁当を掴み。
「うおおおおおおぉぉぉぁぁぁああああ!!!」
そのまま窓から投げ捨てた。
鞄に入っていなかったマスコットが弁当箱の中に入っていた、しかも中身を全部食べ切って。
いきなり非現実を突きつけられた燕は必死で脳内整理をしていくものの、部活仲間の驚いたような冷ややかな視線に気が付き苦笑いをした。
「っ…ハハッ虫が入ってて。吃驚した」
多少苦しい言い訳ではあるものの何とか冷たい視線から逃れ、先程のマスコットの有無を確かめるため、そのまま教室を出て行ったのである。
中等部の校舎、二年生の教室が連なる此処と、中等部、高等部が共同で利用され、憩いの場所となっている中庭が存在する。
芝生や季節の花々が植えられ、其処は庭園と呼べる、立派なものであった。
此の中庭のために専門の庭師がいるらしいから此処の理事長がいかに気に入っているかが判る。
始業式ともあって人の少ない中庭の植え込みの影、燕は地面に放り出され転がった弁当箱と身体を投げ出し伸びている羊を見つけたのである。
「やっぱりあった…」
毛虫か何かを摘まむように親指と人差し指でマスコットをつまみ上げ、軽く揺らす。
しかし、依然目を回したままの其れに面倒になったのか、実力行使、つまり平手で遠慮なしに羊の小さな頬を打ったのである。
一発、もう一発。
「ん…い、い…痛いんじゃわりゃァ!!」
痛みに意識が覚醒したのか振り下ろされた手を白刃取りで止められ、驚いたように身体を摘まんでいた手を離す。
そのまま重力に従いポヨンともんどりうって地面に落ちたマスコットは起き上がって文句を垂れながら立ち上がる。
「ったく初対面の奴に平手張る奴がおるかい、これやから野蛮な地球人は……ん?」
真っ赤になった頬をさすりつつこちらを見上げる羊を、燕は化け物を見るような寒い目で固まっている。
その目の前でくいくいと短い手を振りつつ羊が声を掛けた。
「おーい兄ちゃーん、目ぇ死んでるで「おわっ!」
何度かの呼びかけの後、ようやく思考回路が正常になってきた悲鳴を上げた燕は慌てて周りを見渡し植え込みの影に隠れるように座る。
チョコチョコと可愛らしく歩いてきて足元に寄って来る羊を恐る恐る摘まみ上げ、不自然な程爽やかに微笑んだ。
「さて、何から聞こうか」
「んー、さっきの弁当の感想とか?」
「んなもん何の役にも立たねぇよ、お前は何モンだ?何で俺の弁当箱にいるんだ?何無断で人様の栄養源食い荒らしてるンだ?」
「近い近い、顔が近い」
一つ質問していく度に顔を近付けられ、小さな手で燕の鼻先を押しやる。
一定に保たれた距離の中、プランと足を宙に浮かせたまま羊はコホンと一つ咳払いをし、ニヤリと笑みを浮かべた。
「ワイはリル、地球の愛を守るためにやってきたんや」
首根っこを摘まんだままの羊から発せられた少年特有のボーイソプラノは的確に燕の耳に伝えられる。
思い切り訝しげな顔をしている燕に知って知らずか羊…いや、リルは得意げな顔で続ける。
「ワイらの同胞にこの星の人間の愛を奪って支配しようとする阿呆がおってな、こいつらを倒す手伝いをホンマ不本意やねんけど兄ちゃんに手伝って欲しいねんゃあだだだだ!!」
調子のよい説明口調は伸びてきたもう一本の手により途切れさせられる。
頭を掴んで、ググと力を込められて危うく真っ二つに引き千切られそうになり、脚をバタつかせる。
「ちょっ何するんや!痛いいたい!」
「あれ?中に電池入ってるんじゃ」
「入っとるか!正真正銘のナマモノやっ千切れる千切れる!!」
電池のような細長く固い物体が無いか握り締めたり容赦のない力で抓ったりするも、玩具特有の機械を見つける事はなく、腹を掻っ捌くという最悪の行為だけはやめにして、ぐったりとしているリルを開放する。
華奢な体つきなものの、ちっぽけな羊のぬいぐるみでは力の差は圧倒的なもので、危うく圧死しかけたリルは、冷や汗を流しながら呼吸を整える。
「わ、悪かったよ。でもそんな子供騙しな話、存在する筈ないだろ?」
「あー…あるんやってソレが。やないとワイの存在は何になるねん」
「う、でも自分達の仲間の悪行なんだろ?尻拭いなら自分でしろよ!」
「多分そう云われると思ってんけどー何かオマエみたいな『いかにも薄幸キャラ』やったらグダグダなままに流されるかなーって」
「流されてたまるかっ!!」
最初は小声でヒソヒソと話していた燕の声もだんだんと大きくなってくる。
昼食を摂っていた高等部の恋人達や中等部の少女達が怪訝そうに茂みの向こうを見ている事をリルに指摘され、ギョロリと辺りを見渡してから再び小声で話し始めた。
「とにかく俺は信じないから。そこいらの幼稚園児でも騙してろ」
地面に座ってこちらをつぶらな瞳で見上げる羊の頭を指で軽く小突き、立ち上がる。
サッと周りの視線が不自然に散るのを肌で感じて、不機嫌に顔を顰めた。
「ま、待ってぇや!ワイも1回派手に戦って力がないねん、オマエが手ぇ貸してくれへんと大変な事になるっ!」
「最近の玩具はウザイ程精密なんだな…電池切れるまでそうしとけば?」
短い足を動かして燕に歩み寄るリルに背を向けて茂みから出ようとする燕。
その背後から自信に満ち溢れた第三者の声が響いた。
「…やぁっと探したわヨぅ王子サマ☆可愛い坊やも一緒じゃなぁい」
薔薇の噎せ返る香りがふわりと広がる。
「…ローズマリー…もう来よったか!!」
振り返る先には長身の影。
金髪の長い髪にがっちりとした身体を飾る、香りと同じ薔薇色のスリットの深いドレスとヒール。
黒い毛皮のストールで肩口を隠し、それに軽く口付ける唇も真っ赤なルージュで彩られている。
噴水の上に拳一つ程浮き、腕を組んで、どう見ても女性とは云えない厳ついオカマは嫣然と微笑みながらこちらを見下ろしていた。
「…何だあの色物!!」
一瞬の空白の後、脳内に侵入してきた情報に対処しきれず、凍結していた燕が我に返り、振り返る。
リルは威嚇するようにフーッと牙を剥きながら目の前に現れたオカマを睨みつけ、低くトーンを押さえた声で言う。
「コイツがワイが言っていた人間の愛を奪おうとしている、『サクラビト』や」
警戒心むき出しにしながら目の前の人物…ていうかオカマを睨みつけるリルに彼はぷぅと頬を膨らませる。
「コイツだなんて冷たいわぁ王子様、アタシにはローズマリーという名前があるのにぃ」
「馴れ馴れしく喋りかけるなカマ野郎がーー!!」
そのまま唇に指を持っていって小首を傾げるローズマリーに、大きく絶叫する。
彼の仕草の一つ一つが生理的に受け付けないらしく、背筋を寒くさせながら噴水を睨み上げた。
「さっきの戦いでオマエも力なんか、もうないやろ!?何しに来おってん!!」
「ぁら、力の余裕がない時に襲撃を掛けてはいけないなんてルール、ないわよねぇ??」
言葉の応酬を繰り広げる二人(一人と一匹)にすっかり置いてけぼりにされ、燕は冷や汗を流しながら辺りを見渡す。
数人の生徒が昼食を取っていた憩いの場には、最早自分達の誰もおらず、校舎の窓から数人、此方を眺めている人間もいた。
その中にいた友人の好奇の目と視線が合ってしまい、スッと静かに目を逸らした。
オカマも羊も言い分は分かったから、校外でやれ。
リルの隣で立つ燕の冷ややかな視線を、余裕のある微笑みで受け止め、ローズマリーはストールの中から一つ、子猫のぬいぐるみを取り出す。
キジトラ模様の、玩具屋でよく見かける量産型の其れの手を少し握って動かした後、ほとんど人がいなくなった庭園を見渡して小さくため息をつく。
「もっと御客様がいらっしゃったら燃えるのにぃ」
そう言ってぬいぐるみを空高く放り投げた。
ふわりと舞い上がるぬいぐるみはある一点で落ちることなく停止するようにふわふわと漂う。
その布で出来た身体を何処から流れてきたのか桜の花びらが取り囲み、纏わり付く。
くるくると舞う薄桃色の花びらは少しずつ淡い桃色の光を放ち、ぬいぐるみの身体を包み込む。
その光が凝縮し、散った後にはリルと同じような、子猫のぬいぐるみが瞬きをした後こちらを見ていた。
「アタシの可愛い『サクラノ』ちゃんよ、思う存分戯れて下さいな王子様」
羽が地面に落ちるように軽やかに地面に降り立つとチョコチョコとこちらに向かい歩いてくる。
人間を脅かす敵と聞いて身体を強張らせていた燕だが、小さな正体を目の当たりにして表情を緩ませる。
「ちょ、おま、コレ…」
「油断したらアカンで兄ちゃん、こいつら可愛い顔してえげつな…痛い、いだだだだだだだーー!!」
体格的に小さく、力など無に近い羊は子猫にとっても恰好の標的であり、一気に間合いを詰められて、肉球に隠された鋭利な爪でバリバリと引っ掻いてくる。
「ちょっコレ洒落になら…王子なんだから顔はやめてー!」
と顔を庇いながらごろごろ転がる羊のぬいぐるみと、それを動物の本能むき出しで追う子猫のぬいぐるみに、燕は思わず噴き出した。
「ほらぁ王子様、転がってるだけじゃあサクラノちゃんに布と綿にバラされちゃうわよぉ〜?」
割れた顎に手をやりながらクスクス笑いながら目の前の寸劇に声をかけるローズマリーに、「じゃかましいわ!!」と言い返し、繰り出されてくる爪から顔を覆いながら叫ぶ。
「兄ちゃん今のうちに変身するんや!」
「や、コレと戦うとかオレただのヤバイ中学生じゃねえか!それに変身とか非現実的すぎるだろ!?」
短い手から投げられた其れを辛うじて受け取りながら困惑したように問いかける燕。
薄く赤薔薇の刻印と謎の文字が彫られた品の良い金時計が、ゆっくりと開かれた手のひらに乗っていた。
子猫の猫パンチから逃れたリルは燕に助けを求め、その足にしがみつく。
その様子を見ながらローズマリーはにんまりと笑った。
「あらあら坊や、その王子様が言っている事は本当よぉ?」
盛大に筋肉で盛り上がった胸元から懐中時計…何やら華美な細工がほどこされた銀細工のもの…を取り出し、ほくそ笑みながら其れを閉じる。
その瞬間目の前でリルを、獲物として見ていた子猫の身体が膨れ上がり、一瞬にして巨大化したのだ。
そして話は冒頭に戻る。