第6話 酒場ファイト
ヴァレンタインはチェルシー商会が手配した宿、夜の雫亭に泊まっていた。クレアも一緒でヴァレンタインの隣の隣の部屋に泊まっている。ちなみに隣の部屋に泊まっているのはマクベスだった。
ヴァレンタインは服を脱ぎ、客室の浴室に入った。包帯と湿布を外し、患部に触れてみる。痛みはなく、腫れも引いていた。ヨモツ草が効いたようだ。
宿の者が用意したお湯で体を洗う。タオルで水滴を拭き取り、浴室を出て裸のままベッドに横たわった。
目を瞑り、昼間のことを思い出す。指輪が赤みを帯びて、炎に包まれる右手。
あのあと、渋るマクベスをなだめ、クレアも指輪を試したのだが同じ現象は起きなかった。
「神器か」
騎士学校で学んだ歴史によれば、神器とは王国建国の王『太陽王』が万物から神々の存在を切り離した際に生まれた物質らしい。
その形は決まっておらず、チェルシー商会で出会った指輪もあれば王国王家に伝わるような剣もある。
いずれも神秘的な力を有し、奇跡を起こせると言う。
そうは習っていても、ヴァレンタインが実際に目撃したのはあの指輪が初めてだった。いや、思い返せば、あのノースランド城を制圧したブラッドという男が持っていた槍もそうだったのかもしれない。
ヴァレンタインは体を起こした。
薪ストーブで部屋の中が暖められているとは言え、裸のままでは湯冷めしてしまう。
服を着ようとベッドに腰かけたら天井裏でネズミが鳴いた。
「……ジェイドか?」
「若様、ただいま戻りました。遅くなり申し訳ありません」
「皆は元気だったか?」
「はい、里の者たちも若様の身を案じておりました」
「そうか、それはありがたいことだ」
「若様」
「何だ?」
「お土産があります」
「土産?」
「じつはあの方の使者が再三、里を訪れていまして」
「あの方?」
「はい、あの、ご学友の……」
「……それで?」
「文を何通か預かっているのですが」
「燃やすんだ」
「はい?」
「燃やすんだ」
「……いいんですか?」
「構わない」
「…………わかりました」
ジェイドはため息をつくと、小さな声で言った。
「若様はあの方にだけは素直じゃありませんね」
「何か言ったか?」
「いいえ」
「俺は自由の身になったんだ。これからは自分で自分の服を選ぶ生活を送るんだ。今日は失敗したが……」
「何やら、私が留守の間、色々大変だったご様子で……」
ヴァレンタインはジェイドがいない間に起きた出来事を説明した。
「――なんと! それは真ですか! 私があの小屋に誘導しなければ……」
「気にするな、あれはお前のせいではない。それに、あの小屋の一件で色々な人と出会えた。職も得ることができた」
「チェルシー商会ですか……。若様のような高貴な御方がなさることではないと思うのですが……」
ジェイドは不満そうだ。
「……人が来ます。スカートの擦れる音、足取りの軽さ、若い娘です」
ドアのノックが聞こえ、女の声がした。
「ヴァル? 私、エリスだけど、入っていい?」
「どうぞ」
エリスがドアを開けた。灰色のケープを身につけ、首回りをすっぽり包む黒いシャツ、丈の短い灰色のスカート、脚には黒のストッキング、白いハーフブーツを履いていた。
「具合はどう? 良いようだったら一緒にお酒でも――」
エリスの顔が強張る。
ヴァレンタインは裸のままベッドから立ち上がった。
「こんばんは」
エリスの顔が見る見る赤くなった、逃げ出した――。
「――もう、信じられない……」
不機嫌なエリスがようやく口を利いた。二人は酒場のカウンターで長椅子に座り、ワインを飲んでいた。
エリスはすでに三本空けているが平然としている。
「あのとき何で裸だったの? 今はそんなにいい服を着てるのに」
ヴァレンタインは昼間プレゼントしてもらった服を着ていた。
「シャワーを浴びて少し考えごとをしていたら、つい服を着るのを忘れてしまった。不快に感じたならごめん」
「……まあ、いいけど」
エリスはグラスに口をつけた。
「よかった、機嫌が直って」
ヴァレンタインも口をつける。グラスを置くと言った。
「それにしても、よく俺の部屋がわかりましたね」
「レイル君に聞いたんだ。お酒が飲みたくて。ほら一人で飲んでも美味しくないでしょ。それに酒場だとナンパや酔っ払いに絡まれそうだし」
「レイルを誘えばいいじゃないですか。彼は飲まないんですか?」
「うん。帝国の兵士さんは翌日が休みじゃないと飲まないんだ」
「流石ですね、負けるわけだ……」
「負ける?」
ヴァレンタインは首を振った。
「何でもないです」
自分の前に置いてあったクルミの小皿をエリスに勧めた。
エリスが一つ取り、口に運んだ。そして笑った。
「どうしました?」
「うん、ちょっと楽しくて。私、薬師の先生から免許をもらって帝国軍に就職して、この村に赴任してきて、もう三ヶ月経つんだけど、いまだに一緒にお酒を飲める人がいなくて、だから楽しくて。ね、ヴァルは何歳?」
「二十です」
「本当に!」エリスが驚いた。「私もそう、二十歳」
「そうなんですか? 俺よりも年上かと思ってました」
「何? それって老けてるってこと?」
「違います。手当てしてくれたときの受け答えがしっかりしていたので」
「ああ、そういうこと」
「あんた可愛いな」
突然、酔っ払いがエリスの隣に座った。旅の装いから村の人間ではないようだ。カウンターに肘をつき、エリスの手を握る。
「なあ、あっちのテーブルで一緒に飲もうぜ」
エリスはヴァレンタインの顔を見て、ほらね、という顔をした。
「ありがとう、でも彼がいるのでごめんなさい」
エリスは軽くあしらおうとするが、酔っ払いはしつこかった。エリスの肩に腕を回し、耳元で囁いた。
「こんなマッチ棒ほっとけって、男は筋肉だろ?」
確かに、男の腕は太くて逞しい。筋肉質だ。ヴァレンタインはグラスに口をつけながら横目で見ている。
「……しつこい」
エリスが言った。男の腕をはねのけ、胸ぐらをつかんだ。
「てめえ、しつこいんだよ!」
その豹変振りにヴァレンタインは口からワインをぼたぼたこぼした。他の客たちが目を向けてくる。
「汗臭いし、口臭いし、もっと体に気を使いなさいよ! 病気したらお母さんが泣いちゃうでしょう!」
「な、な……」
酔っ払いは言葉が出ないようだ。周りの客たちがにやにやしている。くすくすと笑い出した。
誰かが言った。
「いいぞ姉ちゃん!」
別の誰かも言う。
「もっと言ったれ!」
酔っ払いは居づらくなったのか、その場を立ち去り、店を出て行った。
拍手が起こる。
エリスは立ち上がり、手を上げ応じた。ヴァレンタインの隣に座ると、胸ぐらをつかみ、顔を近づけた。
「あんた、さっさと助けなさいよ!」
瞳が潤んでいた。今にも涙がこぼれそうだ。ヴァレンタインは言った。
「昔、似たような状況で助けたら、ものすごく怒られたことがあって、ごめん」
「……それって、女のひと? 男のひと?」
「……さあ、どっちだろう?」
二人の背後で笑い声がした。振り返るとゴーグルを首にかけた若い男が立っていた。
金髪で、丈の長さが腰までしかないボア付きの革製ジャンパー、柄や鍔が金色の綺羅びやかな片手剣を腰にぶら下げ、日に焼けた顔に白い歯が覗いている。
「あんたの彼女、凄いな」
「彼女? 彼女は――」
エリスがヴァレンタインの膝に頭を乗せた。
「エリス?」
エリスは寝息を立てている。
「さっきので相当気を張ったんだろうな」
ゴーグルの男がジャンパーを脱ぎセーター姿になった。ジャンパーをエリスのスカートに被せた。
「……そうか」
ヴァレンタインはエリスの乱れた黒髪を整えた。
「俺は相変わらず女心がわかってないな」
ゴーグルの男が笑った。
「安心しな。俺にも女心はわからん!」
自信満々に言った。
ヴァレンタインはおかしくなり、思わず笑った。ゴーグルの男も笑う。
「おい、いたぞ! あそこだ!」さっきの酔っ払いが仲間を連れて戻ってきた。「あのアマなめやがって」
ヴァレンタインはエリスの頭を抱え起こし、カウンター席に寝かせた。ジャンパーを肩にかける。
クロークの前を開き、腰に差したダマスカスの小剣に手をかけた。ゴーグルの男がさっと手を伸ばし押しとどめた。
「そいつは野暮ってもんだぜ。こいつは戦争じゃない、ただの喧嘩だ」
ゴーグルの男は酔っ払いたちの前に立ちはだかった。
「何だ、お前は?」
「俺か、俺は通りすがりの勇者様だ」
酒場の店員が来て騒ぎの仲裁に入るも酔っ払いたちは全く聞き入れず、一人が店員を押しやり、もう一人がゴーグルの男に殴りかかる。
ゴーグルの男はかわし、左フック、逆に殴り倒した。
乱闘が始まった。ゴーグルの男が酔っ払いたちを殴ってはかわし、殴ってはかわし、笑みを浮かべながら翻弄する。
その鮮やかな立ち回りに客たちが歓声を上げた。酒場は異様な熱気に包まれた。
最初に絡んできた酔っ払いがゴーグルの男に殴られ、カウンターにぶつかった。置いてあるワイン瓶を手に取り、ヴァレンタインに殴りかかる。
横からグラスが飛んできて酔っ払いの頭に当たった。
投げたのはカウンター席の隅に座る、全身黒ずくめの洋服を着た男だった。男は親指を立てた。
つばのある中折れ帽子を目深に被っているため顔は見えないが、ヴァレンタインには誰だかわかった。ジェイドだ。
酔っ払いはふらつきながらも瓶を振り上げ、今度はすやすや眠るエリスに襲い掛かった。もう相手が女性だろうが寝ていようがお構いなしだ。
ヴァレンタインは庇うため片腕を差し出した。
「馬鹿が……」
ゴーグルの男が腰にぶら下げた片手剣の柄を左手で握り、右腕を振り上げる。セーターの袖が金色に輝き、籠手らしきものに包まれた。
酔っ払いが薄い光に包まれ動きを止める。瓶を床に落とし、しゃがみ込みむと頭を抱え「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」と必死に謝りだした。
ヴァレンタインはあの片手剣が喜び、笑っているような気がした。
「喧嘩はどこだ!」
「こっちです!」
誰かが通報したのだろう、帝国軍の兵士がぞろぞろと駆けつけた。
「お前か、エリスさんまで」
兵士の中にはレイルもいた。
ヴァレンタインたちはカウンターで眠るエリスを残し、酒場の奥で事情を聴かれた。床に伸びている酔っ払いたちは兵士たちに立たされ、連行された。
「……なるほど、先に絡んできたのはあの男たちで、先に手を出したのもあの男たち」
レイルは紙を載せた木の板を手に持ち、携帯用のつけペンで書き込んでいる。
「だが、先にエリスさんが男の胸ぐらをつかみ罵っていたという目撃情報もあるが」
「いや、それは違う。最初に男が絡んできたのが発端だ。彼女はそれを拒否しただけだ」
「……わかった。お前はともかく、エリスさんは信じよう」
レイルは紙に書き記した。
「それで、あなたは?」
レイルはゴーグルの男に目を向ける。
男は首のゴーグルを引き上げ目にかけた。右腕を包んでいた金色の籠手はいつの間にか消えている。
「俺は絡まれた恋人たちを助けただけだ」
レイルが首を傾げた。
「……あなたはどこかで……」
「もう夜も遅い、そろそろ宿に帰るんじゃ」
とんがり帽子を被った老人が酒場の奥に歩いてきた。巨大な分厚い本を背に担いでいる。長く垂らした白いあごひげを触りながら言った。
「今宵は久方ぶりにエキサイチングな夜じゃった。こんなことならイトちゃんも連れてくればよかったかのう」
ゴーグルの男が答えた。
「何言ってんだ。酒場に子供を連れてこれるか」
「子供ではないぞ。見た目は幼いが、あれでも立派な大人じゃ」
「そうかよ。俺からしてみれば胸のない女は子供だ」
「ほれ、アホなことを言ってないで、はよ帰るぞ」
「そうだな。じゃ、俺たちは帰るんで」
「待て」
レイルが止めた。
「話はまだ終わってない」
老人が言った。
「宿に子供を待たせてるんじゃ。今夜はもう帰らせてもらえないかの」
さっきと真逆のことを言う老人にゴーグルの男はゴーグルを外し、覚めた眼差しで老人の顔を見つめる。
「何かあれば月の森亭まで、わしらはそこに泊まっておるからの」
「わかりました。事件の処理が済むまで村を出ないでください」
二人は承諾した。立ち去る間際、ゴーグルの男がジャンパーを回収する。代わりにヴァレンタインが自分のクロークをエリスに被せた。
「またな! 楽しかったぜ」
ゴーグルの男が手を差し出した。
「俺もだ」
ヴァレンタインは手を握り返した。
「今度は楽しい酒を飲もう」
「ああ、楽しみにしてる。行くぜ、ブライアン……ブライアン?」
ブライアンと呼ばれた、とんがり帽子の老人がヴァレンタインの顔を見つめている。先ほどの、とぼけた顔とは違って真顔だったが、すぐさま笑顔になった。
ブライアンはヴァレンタインにウィンクをくれると、あごひげを触りながらゴーグルの男と一緒に酒場を出て行った。
その後、ヴァレンタインはレイルから厳重注意を受け、解放された。酒場の損害は男たちのほうに請求するらしい。
エリスを肩に担いで酒場を出た。
寒々とした夜更けに宿へと戻る。途中、エリスの住み処を知らないことに気づき、レイルに聞こうと酒場に戻るが、彼を含めた帝国軍の兵士たちはすでに撤収していた。酒場の店員が鼻歌を歌い掃除をしている。
結局、ヴァレンタインは自分の宿に連れ帰ることにした。エリスの職場である詰所にまで聞きに行くのは流石に問題があると考えた。
フロントのカウンター奥で仮眠を取っていた宿の主人を起こし、客室のオイルランプに火を点けてもらう。
薪ストーブにも火を点ける。
主人が用いたのは火打石ではなくマッチと呼ばれる木の棒だった。近年、王国帝国問わず、急に出回り始めた便利な道具で簡単に火が点けられる。
「では、ごゆっくり。あまり汚さないでくださいね」
と言って主人は部屋を出て行った。
ヴァレンタインはエリスをベッドに寝かせ、上半身を立たせた。背後から手を回しケープを脱がせる。仰向けに寝かせ、両膝を真っ直ぐに伸ばすと衣服を整える。毛布をかけた。
ケープと自分のクロークを外套掛けにかけ、髪のリボンを解いてバスルームで顔を洗う。
タオルで水気を拭き取り、ランプの灯りを弱め、消した。ベッドに潜り込んだ。
エリスの体温でベッドの中はほのかに温かい。それにこの匂い、何だか懐かしい感じがする。
ヴァレンタインはエリスに自分の身を寄せ、目を閉じた。