第12話 ベヒーモス
下の階層は上の階層とほぼ同じ造りだった。坑道が奥へと続き、天井から水滴が落ちる。
上の階との違いを強いて言えば、岩肌の濡れぐあいか。ヴァレンタインの足元が水浸しになっていた。
靴裏で踏みにじると、地面にぬめりがあり、滑りやすい。
流石のジェイドもこれでは大変だと、ヴァレンタインは天井を見上げたが……どこにいるかわからない。流石だ。
「向こうから何か聞こえませんか?」
ジョージが坑道の奥を指差した。
確かに、何か金属の擦れ合う音が聞こえる。それに鈍く、虫の羽音のような音も聞こえてくる。
敵の姿を確認してから陣形を組むのでは遅すぎる。
ヴァレンタインは皆に言った。
「ここは機動力よりも攻守の整った陣形『クロスライン』を選択する。ルーシィを中心に、レイルを前衛、後衛にエド、左右に俺とジョージが展開する。敵が複数ならルーシィの弓で牽制しながら真っ直ぐに進軍し、敵の懐に入って中から分散させる。もし敵が単数ならレイルを正面から当て、俺とジョージが左右に広がり、敵の背後に回り込む――」
坑道の奥、闇の中で何かが光った。
「かわせ!」
レイルの叫びに各々が反応する。左右に飛び退いた。巨大な物体が通り過ぎ、後方で炸裂する。
ヴァレンタインは飛んできた物を確認した。
巨大な両刃の斧が地面にめり込んでいた。刃も柄も金属製で、柄の先に分厚い鎖が付いている。ずっと奥、斧が飛んできたほうへと続いていた。
「鎖に注意を払いながらこのまま前進、敵の認識と同時に陣形『クロスライン』を展開する」
ヴァレンタインたちは坑道を進み、上の階層と似たような広い空間に出た。
斧を投げつけた主が姿を現す。
頭から爪先まで金属で覆われた、傷だらけの全身装甲、股から垂れた貫頭衣はぼろぼろで元が何色だったのかわからない茶色、斧と繋がった分厚い鎖が右腕に螺旋状に巻かれ、胴体にもぐるぐると斜め掛けにされている。
全ての装備品を合わせると相当な重量なはずなのにそれを感じさせず、金属音を軽快に鳴らしながら前進してくる。
ボスが鎖を引いた。
斧が激しく回転しながらボスの手元に戻る。鎖の巻かれていない手で受け止めた。
エドが顔を横に振った。頬がぶるぶる震える。
「あんな大きな斧を軽々と扱うなんて」
「エド、そんなにびびるなよ」
ジョージがメイスを取り出した。ルーシィも弓に矢をつがえた。
ヴァレンタインが片手を上げた。
「戦闘準備」
手はず通り、十字に陣形を組んだ。
ボスが斧を頭上で振り回し始める。先程聞いたあの虫の羽音が鳴り始めた。
じりじりとお互いに詰め寄る。
あと少しでヴァレンタインとジョージが左右に広がろうとする瞬間だった。
咆哮が空間を震わせた。耳が痛い。
足元が揺れ、ボスの背後にある壁にひびが入った。
ヴァレンタインのそばにコールマンが現れた。半透明で、向こう側が透けて見える。
ヴァレンタインは聞いた。
「どうしたんだ?」
「このダンジョンのかなり深い場所から高位のモンスターが這い上がって来ます」
「それは、どういう……」
「本来なら深部にいるほうが制約が軽く、楽に活動できるのですが……。よほど何か、衝動に駆られたのでしょう」
コールマンが険しい顔で目を向けた。壁が砕け散り、土埃の向こうに黒い影が現れた。大きい。赤く光る双眸に荒い鼻息、巨大な獣の頭が姿を現した。
「何あれ……豚?」
ルーシィの言葉にレイルが笑みを浮かべた。
「いや、猪だ。牙がある。角もあるから牛かもしれないな」
ヴァレンタインは騎士学校の図書館で読んだ図鑑を思い出した。
「そうかあれが『猪』か。だが胴体がない」
猪は頭部だけ、壁の向こうから鼻先を無理やりねじり込んだ形になっている。
見る限り、上下左右に少しばかり動かせる程度、壁が枷になっていてあまり自由は利かないようだ。
ヴァレンタインは獣と壁の隙間を見た。向こう側に星空が広がっている。
コールマンが言った。
「それが制約というものです。ダンジョンから這い出ようとすればするほどモンスターは能力が制限されます。この『ベヒーモス』は太古の魔獣が一匹ですが、その力ゆえに四肢が奪われてしまったようです」
「頭がこの大きさなら全身は一体……」
ジョージの顔が強張る。
ベヒーモスが鼻の穴を広げた。空気の流れが変わる。ヴァレンタインたちは吸い込まれそうになり、体が傾いた。
レイルがランスを地面に突き刺した。
他の者はその場にしゃがみこんだ。
全身装甲のボスは斧を逆さにして地面に立て、じっと立っている。
吸い切ったのか、空気の流れが止まった。ベヒーモスが口を開いた。口の中に真っ赤な液体が溜まっている。
広間が一気に熱くなった。
粘着質のよだれが垂れて地面に触れた。肉の焼けるような音が聞こえ、蒸気が立ち昇る。地面が溶けた。
暗闇に包まれた喉の奥から炎がやってくる。
吐き出される間際だった。
全身装甲のボスが体を回転、斧をベヒーモスに投げつけた。ベヒーモスの頭に当たり、口が閉じて、鼻の穴から炎が軽く漏れ出る。
ボスは鎖を引いて、もう一度振り回し、殴りつけた。
レイルが言った。
「なぜ化け物同士が戦っているんだ!」
「多分、コールマンが言っていた生態系に関わりがある」
騎士学校で習った自然の摂理。生存競争。天敵と弱肉強食。
ボスがベヒーモスを斧で何度も殴りつける。
だがベヒーモスには傷一つつかない。全く効いていないようだ。
ボスの攻撃に慣れたのか、動きを読んだのか、ベヒーモスが鎖に噛み付いた。引っ張り、ボスを空に浮かせた。さらにぐっと引き寄せ、口を大きく開けて飲み込んだ。
噛み砕く音が聞こえる。
噛み砕けない音が鳴った。
ベヒーモスの咀嚼が止まり、口の中から何かが吐き出された。
両刃の斧だった。熱で鎖は溶け、全体が真っ赤になっている。触れた地面を溶かした。
……炎を吐かれたら不味い。空気を吸わせてはいけない。
ヴァレンタインは号令をかけた。
「陣形を組め! 各々、翼を広げよ! 鳥が羽ばたくよう、左右に広がるんだ! 敵に息を吸わせるな!」
ヴァレンタインはやや変則的に陣形『大鳥』を展開し、ベヒーモスに攻撃をしかけた。
鳥が翼を羽ばたかせ、空から急降下して獲物を捕らえるように、攻撃即離脱、個々の一撃は弱くなるが、回避率は相当に上がる。
ヴァレンタインたちは両翼から交互に攻撃を繰り出し、ベヒーモスを追い込んだ。
だが、やはり全くの無傷、ランスで刺そうがメイスで殴ろうがどうにもならない。
唯一傷つけることができたのはヴァレンタインのダマスカスの小剣だけだったが、それもかすり傷程度。
しかし、それでも諦めずに体力の続く限り、しぶとく攻撃を続けた結果、ベヒーモスが鼻先を振り、壁の向こう側へと戻っていった。
ヴァレンタインたちは全員、息を切らしながらその場に倒れ込んだ。長い距離を全速力で走ったような状態になり、喘いだ。
コールマンが言った。
「まさかベヒーモスを撃退するとは……」
ヴァレンタインたちはまだ息が整わない。
「経緯はどうであれ、一応ボスは倒されたようなのでダンジョンの外に出られます。それに新しい神器を入手されたようなので、これより関連する情報を開示します」
コールマンが板を操作し、読み上げる。
「そこに落ちている斧は神器『ゴズアックス』、牛頭天王の力が封じられています」
「……ごずてんのう、ですか。変わった響きですね……」
ジョージが呼吸を整えながら兜を外した。短髪の頭から湯気が上がっている。
「牛頭天王はそこそこ名の知られた神の一柱です」
ルーシィが起き上がる。女の子座りで言った。
「聞いたこともない神様だけど」
「そのようですね。全ての世界に共通しているわけではない、一部の地域だけ、知る人ぞ知る神ですから。次に神器についてですが、神に位があるように、神器にも位があります。神の位によって、またその神の力がどれほど封じられているかによってSSS、SS、S、A、B、C、D、E、Fの九段階に分けられ、その斧はAランクに分類されます」
エドが斧に近寄り、持ち上げようとする――。
「……う、だはっ。無理、重たい」
「その神器は重たさで使用者を判断するようです」
他の者も試したが、持ち上げられたのはヴァレンタインとレイルだけだった。
「お二人は牛頭天王と相性が良いようですね」
「全然体格が違うのに、あと性格も」
ルーシィがヴァレンタインとレイルの顔を見比べる。
「体格は関係ありません。その神に好まれるか、愛されるかによって相性が決まります」
「そういうものなの」
「そういうものです。神と人は違いますから……。さて、この神器の使い方はあとで開発していただくとして、どうします? 先に進みますか、それとも」
「当然、撤退だ」
レイルはランスを左手に持ち、『ゴズアックス』を右肩に担いだ。ヴァレンタインに目を向ける。
ヴァレンタインは頷いた。
「ああ、帰ろう。外の世界へ」