思春期特命大臣
翔太は平凡な中学二年生だった。
背も高い方ではなく、成績も運動もまずまずだった。
いわば、ごく平均的な中学生と言っていいだろう。
そんな翔太が本屋で雑誌の立ち読みをしていると、
背後から黒服の男に両腕を掴まれた。
「静かに。私は決して怪しい者では御座いません。
私はある方からの命令で来た者です」
男はそう言い、翔太に名刺を渡してきた。
思春期省 第一秘書 木村一郎
「思春期省? 何の冗談ですか? 僕が知っている省は、
経済産業省とか財務省とか防衛省とか……ムグッ!」
黒服の男が慌てて翔太の口を抑えた。
「詳しい話は後です。国の極秘事項なのですから。さあ、一緒に参りましょう」
今時、こんな話を真に受ける中学生がいるのだろうか?
いや、いないはずだ。
小さい頃から母親に口酸っぱく「知らない人についていっちゃダメよ」と
何度言われたことか。
翔太は抵抗しようと、全身に力を込めた。
まさにその瞬間、黒服の男は名刺を裏返して見せた。そこには
「黒服のおじさんを信用して下さい。
お父さんが高級車を貰いました。 母より」
……と書かれていた。
その筆跡は、特徴的で誰にも真似できない母の物だった。
***
リムジンに乗せられて着いたのは超高層ビルの前だった。
ガラス張りのエレベーターで五十階まで上がると、
目の前に「特命政務官執務室」と表札のついた立派な扉があった。
部屋に案内された翔太は立派な執務机に座らされた。
革張りの椅子が柔らかすぎて体が沈むのが少し気持ち悪かった。
「遅ればせながら自己紹介させていただきます。私は木村と申します。
思春期大臣の第一秘書を務めさせていただいております。
実は是非貴方に「政務官」に就いていただきたいのです。
これは大臣直々のお話です」
翔太は驚き、すぐさま首を横に振った。
「まだ僕は中学生なんですよ。選挙権だってまだ無いのに無理です!」
帰ろうと翔太が立ちあがると、木村は焦った様子で引き止めた。
「翔太君、お待ち下さい。この職務は貴方位の年の方にしか出来ないのです。
その名も『初恋政務官』です」
「初恋政務官?」
木村は棚から書類を取り出してきて翔太にわたした。
書類には初恋政務官について記載されているようだったが、
どのページにも真っ赤な「極秘」の印が押されていた。
「国民の誰もが思春期には悩むものです。その悩みを健全に乗り越える事で
我が国の社会は向上し少子化を克服していくのです。
思春期省とは日々国民から送られてくる青春の悩みや相談事を
簡単明瞭に解決する省です。
その中でも最も重要な初恋を主に取り扱う役職が初恋政務官であり、
思春期の事が一番分かる中学生から選抜されるのです。
将来、立派な選挙権を行使できるようにね」
翔太は男の真面目ぶりが馬鹿らしかった。
「初恋に関する諸問題の対策を発案したら、
すぐさまレポートにして思春期大臣に提出願います。
思春期大臣は貴方の対策案レポートを元に国会で答弁されますので」
「はあ、何だか難しそうですねえ。
それに僕はまだ初恋経験がないので無理ですね。では失礼」
翔太が冷たい態度で帰ろうとすると男は再び翔太の肩を掴んで引き止めた。
「当たり前です。
何度も恋をしまくったチャラ男に初恋政務官を任せられる訳がありません。
あなたのようなモテない感じの初恋初心者こそが相応しいのです」
「なんか失礼だなあ」
「まあ習うより慣れろです。
依頼に答える内に良い対策案が出せるようになります。
まずはやってみましょうよ」
翔太は渋々、投書の手紙に目を通した。
『私は横浜市立藍城第二中学に通っている、中学二年生の女子です。
私には気になる男の子が二人います。
一人はラグビー部の主将で一人は吹奏楽部の部長です。
先日、二人から同時に告白されました。
どちらも優しく良い人で中々一人に決められません。
私はどうすれば良いのでしょう』
手紙を読み終えた翔太は顔をしかめた。
藍城第二中学校といえば翔太の学校だ。そして、
ラグビー部の主将も吹奏楽部の部長も女好きのチャラ野郎として有名なのだ。
この手紙の女子も二人に狙われ、もてあそばれようとしているのに気が付かず
有頂天になってしまっている哀れな子なのだろう。
「木村さん、いきなり難問ですね。まあ僕は本人ではないし。
どうでも良いと思いますよ。まあ、適当にどっちかに決めれば?
と書きますか?」
木村は翔太の余りの適当さに半ば呆れ、半ば怒りながら答えた。
「この税金泥棒が! 片方に決めたら残りは振られるでしょうが。
そっちの方の精神的被害はどうするのです!
野党からそこを責められたらどう答弁するつもりですか」
立腹した翔太はわざと冷たく言った。
「は? 僕は初恋もまだなんですよ。
当然、振られた事も無いんだから知りませんよ」
木村は怒りの余り翔太を強引に押し退け席に着いた。
「私が一度見本を見せます!」
そう言い木村はスラスラとレポートを書き上げた。
そのタイトルは……
『ボーイフレンド二人を同時管理する政策』というものだった。
「ふふふ、二つの大国に挟まれたらどちらにもいい顔をするのが
政治と言うものです」
翔太は木村の素早さに驚いたが、レポート自体は酷いとしか思えなかった。
同時管理というのは二股をかけるということだからだ。
「後は、このレポートを国会議事堂内の思春期大臣執務室まで届ければ職務完了です。
ただしリムジンは使えません」
「え、何故ですか?」
「政務官が青春に相応しい人材であることを証明するために、
爽やかな汗とともに走って届けるのです。天候に関わらずですよ」
翔太は呆れた。
この部屋から国会議事堂まで約五キロはある。
その道を雨だろうが雷だろうが走らなければならないというのか。
翔太が窓から下を見下ろして大通りを確認すると、
スーツ姿の男が何人も国会議事堂に向かって全力疾走しているのが見えた。
翔太は馬鹿馬鹿しくなった。
父には高級車を返してもらおう。
今までのボロい自動車で我が家は十分ではないか。
翔太はレポートと投書を木村に返そうとして何気なく投書の主の名前を確認した。
有名なチャラ男たちにひっかかる女子は、どの組の誰だか興味があったからだ。
そして名前を見て翔太は驚き固まった。
「どうしました? 翔太君」
木村に聞かれた翔太は慌てながら言った。
「な、何でもないですよ。木村さん、こ、この投書はどこに届いた物なんですか?」
「もちろん思春期大臣宛てですよ。」
投書に書かれていた名前は、翔太が好きな女子の名だったのだ。
木村には「初恋はまだ」と嘘をついたが、
本当は好きな女子の事で頭がいっぱいだったのだった。
「こんな、この子があんなチャラ男達に惹かれるなんて……
これはきっとインチキ手紙だ。あの子を政治利用する魂胆なんだ」
「翔太くん、どうしました。顔が青白いですよ。ミイラかゾンビの様ですよ」
突然、翔太は木村の書いたレポートをビリビリに破った。
そして猛然と机に飛びつくと素早く新しいレポートを書き上げた。
「畜生! 大臣に確かめてやる!」
翔太は新しいレポートを手に飛び出し、
国会議事堂へ向けて汗まみれで全力疾走した。
翔太は息を切らせて国会議事堂の思春期特命大臣の部屋までたどりついた。
そして、大臣に手紙が本物か確かめようと扉を開けた。
「こんにちは! 初恋政務官です! ってええっ?」
なんと目の前にいたのは、翔太が好きな女の子だったのだ。
翔太は言葉を失って彼女を見つめた。
「な、なんで君がここにいるんだ?」
「それは私が思春期特命大臣だからよ」
「ええっ?」
よく見れば彼女は翔太のものよりも更に立派な机に座っていた。
机上には『思春期特命大臣』と書かれたプレートが輝いていた。
「変な男の人から大臣になれって言われたの。
お父さんも「高級車なんかいらん!」って一度は断ってくれたんだけど、
結局、高級マンションをもらって断れなくなったの」
翔太は自分の父親を少し哀れに思った。
「僕が初恋政務官だと知っていて投書を?」
彼女は俯きながら頷いた。
「あ、あの投書は嘘の投書なんだろう?」
「本物よ。二人に告白されたのも本当よ」
翔太の胸がズキリと痛んだ。
「でも、私は大臣だから政務官を信用する。貴方のレポートを見せてくれない?」
ハッとした翔太は、赤い顔をして少しニヤけながらレポートを出した。そこには
『二大国と距離を取り、第三の男子と付き合う道を探る政策』
と書かれていた。
( END )