マリアナの七面鳥撃ち
1943年(昭和18年)。かつて、ソロモン海で激しい空母同士の海戦を行った日米両軍だが、空母同士の戦闘は無かった。南太平洋海戦以後からアメリカ海軍の空母の動きが無かったために、日本海軍も合わせるように空母を危険にさらす行動を控えたためだ。
航空母艦「瑞鶴」は敵空母との海戦も無く、主に母港の呉とトラック泊地を行ったり来たりの任務である。「瑞鶴」乗組員にしてみれば、昭和18年は平穏の年であったろう。
しかし一方では、ガダルカナル島へのアメリカ軍上陸以降、連合軍の戦力増強とラバウル方面への圧迫は強まる一方であり、木村章吉ら「瑞鶴」の飛行兵は母艦からラバウル基地へと居場所を移して、強大化する連合軍との激しい消耗戦に参加することになる。
空母「瑞鶴」は温存されて、開戦以来損害無き幸運艦のままでありながら、海軍航空戦力は序々に弱体化していった。
1943年(昭和18年) 8月 海軍の鎮守府がある舞鶴(京都)。
「おお! 文江か! こっちだ、こっち」
「ああ、アンタか! なんか久しぶりに会うみたいじゃなぁ」
海軍下士官の白い軍装を身に着けた木曽平吉は、駅で妻の文江を迎えた。文江は腕に赤ん坊を抱いている。
「おお!おお! これが俺の子かよ! 早く、早く抱かせてくれや」
平吉は文江の腕から赤ん坊を受け取ると幸せそうに笑った。
「女の子なんじゃろ? 名前は・・?」
「まだじゃ」
「そうなんか。俺はだいたい決めてある、男なら勝男、女なら勝子。勝つの一字を必ず入れるんじゃ」
「ハイハイ、日本が戦争に勝てるように、じゃろ。そういうの多いみたいじゃしな。もっとも・・」
「もっとも?」
文江は少々呆れた顔をして。
「そんなんで戦争に勝てるんじゃったら苦労は無いけどな」
文江は庶民の生活がどんどん苦しくなっているのを感じていた。大本営発表では日本が勝利を重ねているはずなのにである。
「何をゆっとるかあ。おまじないとは違うんで! 国民一人一人の必勝の信念が戦争を勝たしめるんじゃ。のう、勝子よ」
平吉は腕の中の赤ん坊に笑いかけた。
「アホ! 勝手に名前を付けんな! その子の名はウチら夫婦で話あうんじゃ! それにしてもアンタさ・・」
「なんじゃ?」
「いや・・、アンタ子供は欲しくなかったんじゃなかったんか?」
「誰がそんなこと言ったんじゃ?」
「アンタじゃアンタ! ウチの妊娠を知ったときの態度ときたら・・、最悪じゃったろ」
平吉は苦い顔をして首を振った。
「あん時の俺は腐っとった。船を降ろされて、役割も目標も失って・・。お前にもダメな態度を取ったかもしれん」
「”かもしれん”じゃない!!」
文江が大声を出して怒ったので平吉はビクッと震えた。
「ウチは・・ウチはなあ・・」
「ああ!ええと、じゃが今は違うで! 今はここ舞鶴の海軍機関学校で教員を命じられたんじゃ」
「ハァ? 海軍って工機学校とか術科学校とかいっぱい学校があるんじゃねえ」
「違うで! 海軍機関学校っちゅうのは、機関科の士官を養成する言わば士官学校なんじゃ! あの江田島の海軍兵学校と同等のすごい学校なんじゃ」
文江はキョトンとしていたが、平吉の意気揚々とした表情を見て微笑んだ。
「それは良かった! 教員になるの夢じゃったもんねえ、アンタ良かったよ!」
平吉、文江の夫婦、もとい子供も合わせた3人は舞鶴の新しい住居へ向かって歩き出した。
文江は機関学校のことは良くわからなかったが、平吉の表情で悟った。そして、妻として夫のやりがいに連れ添うことに幸せを見つけようと誓った。
(私は腹の中の子を堕胎させようとした。自棄になっていた夫と同じように自棄になっていたのだ)
そうしていたら、今の幸せな無かっただろうし、きっと一生後悔しただろうと文江は内心震えた。この秘密は墓場まで持っていこうと思った文江だった。
戦後、『押入れからわざと落ちて、初の子をおろそうとした』という文江のエピソードは子や孫に伝えられることになる。文江自身が嬉々としてそれを話の種にしたからである。
1944年(昭和19年)に入ると南方最大の日本海軍航空基地であるラバウルが連合軍の空襲を受けるようになってきた。この頃には、虎の子の零戦も敵の新鋭機ヘルキャットなどに性能で押されるようになっていた。そして戦闘機を操る搭乗員においては熟練の者は数少なくなっており、配備されたばかりの新兵搭乗員が初の出撃で戦死するという状況が発生する。国力を背景に物量で押してくる連合軍に対し、日本海軍の優位性は全く失われていた。
日本海軍の拠点であり、後方から南方戦線を支えていたトラック島に、敵機動艦隊が迫っていることをGF司令部は察知した。そして戦艦「武蔵」、「長門」、「扶桑」などのGF主力は内地へ向かって移動する。世界最大の戦艦でありGFの旗艦である戦艦「武蔵」でさえ敵空襲を避けて逃げ回る存在でしかなかった。
2月17日 トラック島は敵の大空襲を受けて、基地は焼かれ航空機の大部分を失った。
2月20日 航空戦力の損耗が激しくなったため、ラバウル航空基地は全航空兵力を撤収する。
日本海軍は南方への布石を失い、総力を結集して艦隊決戦に挑む体制に入った。
1944年(昭和19年)6月19日 マリアナ諸島沖。
押し寄せるアメリカ機動部隊を迎え撃つべく、日本海軍の全てを結集した機動部隊がここにあった。
正規空母「大鳳」、「翔鶴」、「瑞鶴」の3隻、小型空母の6隻も合わせると合計9隻の空母があった。航空機は一説によると498機。そして今まで温存されてきた戦艦「大和」、「武蔵」などの重火力艦もこの戦いには参加している。数字だけを見ると、あの真珠湾攻撃を上回る日本海軍史上最大の戦力がここに集結した。
『もし、今次の決戦でその目的を達成出来なければ、たとえ水上艦艇が残ったにしても、その存在の意義はない。』
艦隊を率いるGF司令長官はこう訓示したという。実際に、内地に備蓄していた石油は底をついていたのだ。誇張でもない。
機動部隊は敵艦載機の航続距離外から艦載機を発進させる、いわゆる「アウトレンジ戦法」を方針としていた。
木村章吉は「瑞鶴」の艦上で出撃を待っていた。
「アウトレンジ~ね。確かに敵機の行動範囲外に母艦がいれば安全だわな。自分らは川のこっち側にいて、俺ら飛行兵は対岸の火事に飛び込んでいけって言うようなもんだよ」
木村は零戦搭乗員らの顔を見渡した。真珠湾攻撃に参加したときの仲間はそこにはもう一人もいなかった。技量なのか悪運なのか、自分が最古参になってしまった。
出撃の号令がかかった。木村は愛機の零戦52型に乗り込んだ。操縦席には女性の写真が貼ってある。呉にいるときに交際していた女だが、開戦してからずっと会ってないわけで、近いうちに戦死するであろう自分には過去の女だった。
「ま~、付けてたら死なないというお守りみたいなもんだなコレ。名はハル、苗字が思い出せねえ」
空母「瑞鶴」は第一次、第二次に分けて攻撃隊を発進させた。あろうことか、友軍の艦艇の上空を通過する際に誤射されて3機が撃墜される。この時点の日本海軍の練度を現してしまった事故だった。
「瑞鶴」の攻撃隊が敵艦隊に到達した頃には、攻撃隊の姿はレーダーで探知されていた。攻撃隊の上空に陣取っていたヘルキャット多数が襲い掛かってきた。新型機の天山、彗星に乗るも練度が低い搭乗員らは、敵機をかわす術も知らず次々に撃墜されていく。わずかに敵艦隊に到達できた攻撃機も重厚な対空火力で撃墜された。敵艦艇へ攻撃するも、それはいずれも小破止まりであった。
この様相はアメリカ軍から『マリアナ沖の七面鳥撃ち』と揶揄されることになる。
「アッハハハハ!」
木村はヘルキャットの尾翼に20mm機銃を命中させた。そのヘルキャットはきりもみをして墜ちていった。木村は特に意味の無い笑いが止まらなかった。
「これで2機! 通算撃墜スコア10機、どうだ! だから何だってんだって話だよ!」
80機はいたはずの味方機はほとんどいなくなった。かつて無敵を誇っていた味方の零戦もあっけなく落とされていった。完全な敗北だった。
ババババ!
死角から機体を敵機に撃たれてしまった。
「くそったれ!」
木村の愛機は海面に向かって落ちていく。
「あー、これって支那で落とされたときと同じだわ。自分を撃った敵も見れずになんか悔しいわ~」
どうでも良くなってきた木村だが、操縦席のハルの写真が目に入った。虚ろな意識でこの女のことを思い出してきた。
(そういや、こいつ中沢ハルって名だったな。撃墜の傷を癒してくれたのもコイツだったけ)
せんべい布団の中で飽きるまで抱き合ったことも思い出してきて、変な話だが下半身が熱くなってきた。そして、その後に言った自分の言葉。
「あ~、そうだわ俺ってばコイツに『俺は生きる理由を作りたい。俺と夫婦になってくれんか』みたいなこと言ったんだわ。完全に忘れてたわ!」
木村は操縦かんを握り締めた。木村の機体は海面にしぶきを上げて落ちた。
このマリアナ沖海戦と呼ばれた戦いで、空母は「翔鶴」、「大鳳」、「飛鷹」が失われ、航空機はあわせて476機が失われた。海戦に参加した戦艦などの艦艇は活躍の場も無く撤退していった。
この戦いで、強大化したアメリカ艦隊に対し、通常航空攻撃では戦果があげられないことが表されてしまう。そして、日本軍は体当たり自爆攻撃、いわゆる”特攻”を行っていくようになる。
おそらく次が最終回になります