無傷の幸運空母「瑞鶴」
南太平洋海戦において、第三艦隊の艦載機による攻撃で大破、炎上した米空母「ホーネット」は航行能力を失い漂流状態になる。動力を一部復旧し、重巡洋館「ノーザンプトン」による曳航が試みられるも、そこへ日本軍の第2次攻撃、第3次攻撃を受けた。魚雷、急降下爆撃で損傷を受けた「ホーネット」はついに総員退艦する。総員退艦後にも乗員のいなくなった「ホーネット」は爆弾一発の命中弾を受ける。
アメリカ軍は空母「ホーネット」の放棄を決定する。駆逐艦「マスティン」、「アンダーソン」に処分を命じる。空母が敵軍に拿捕されるよりも、海の底に沈めることを選んだということだ。駆逐艦2隻は魚雷12本に砲弾430発を「ホーネット」に撃ちこんだ。しかし、「ホーネット」は沈まず、日本艦隊の接近を察知した駆逐艦らは、「ホーネット」を残して退避していった。
1942年(昭和17年)10月27日 午前1時頃。
駆逐艦「秋雲」の艦上では海に沈みゆく敵空母「ホーネット」を見送っていた。
「あれが日本を空襲したホーネットですか」
「沈めてしまうのも・・、なんて言っていいのか、もったいないですよね~」
「引っ張っていけるのならそうしてるさ! 本土を空襲した空母を国民に見せればこの上ない戦意高揚になるんだぜ」
空母「ホーネット」は大きく傾斜した状態で、いたるところから火を噴いていた。時間的に深夜であるので、その姿は船体の炎によってしか見れないが。
「あんなに火を噴いていたら引っ張っていけないだろう。敵さんもロープで引っ張っていこうとしていたみたいだがね」
日本軍は「ホーネット」の曳航を断念し、アメリカ軍と同様に雷撃処分が決定する。そして、駆逐艦「秋雲」、「巻雲」から魚雷が撃ち込まれたところだった。
「秋雲」の艦長は思案していた。軍令部に戦果の証でもある空母「ホーネット」の姿を写真撮影するように一度は命じたのだったが。
「昼間だったら映像でも写真でも撮れるんだが。深夜の今じゃさすがに無理があるか・・。こうなったら・・」
「秋雲」の艦長は、絵のうまい信号員に沈みゆく「ホーネット」をスケッチさせた。真珠湾攻撃のあと、日本軍の大きな戦果は、特撮映画や絵画という形で国民に喧伝され、おおいに喜ばせたのだった。このスケッチは日本海軍の戦果を残す意味で、貴重なものになるであろう。
艦長はスケッチができるようにと、沈みゆく「ホーネット」にサーチライトの光を当てるよう命じた。
「何をライト点けてんだよ! 敵潜水艦に我が艦の位置を教えるようなもんじゃねえか!!」
その事情を知らない乗員達は大騒ぎした。僚艦の「巻雲」からは「如何セシヤ」と信号が送られてくる。大胆とも無謀ともいえる行動により、スケッチを命じられた信号員は沈みゆく「ホーネット」の姿を残すことができた。
「東京空襲の仇をとったぞ!」
「我が日本海軍は無敵なり!」
「秋雲」の乗員はサンタクルーズ諸島沖に沈む空母「ホーネット」に勝利の声をあげた。
空母「瑞鶴」は今回の戦いでも敵の攻撃を全く受けなかった。真珠湾攻撃以来、ただの一弾たりとも当たっていない幸運艦であり、優秀な艦載機航空隊によって敵空母を沈めるという大きな戦果をあげることに成功したのだ。
しかし、その華々しさの実態としては、「瑞鶴」から大きく離れた僚艦「翔鶴」が敵の集中攻撃を受けたから「瑞鶴」は結果的に無傷だった。そして敵空母を沈める代償として、優秀な攻撃隊隊員の多くが撃墜されて戦死した。攻撃の要となる飛行隊長のほとんどが未帰還になったのだ。大きく破損した「翔鶴」の修理もそうなのだが、艦載機搭乗員の人員の補填。戦力の立て直しに大きな時間がかかるのは明白であった。
「そうですか・・、飛行隊長のほとんどがやられましたか」
零戦搭乗員の木村章吉は、ベッドで横たわっている同僚の本郷を見舞っていた。本郷は空戦中に被弾し、左腕の一部を切断するという重傷を負ってしまった。
「ああ、ウチの艦爆隊も半数以上が帰ってこなかった。あ、いや、戦果をあげたんだから奴らも立派なもんさ。戦果といえばよ! 俺ぁ、今回2機落としたんだぜ。これで通算撃墜成績5機さ。エースって呼ばれてもいいんじゃねえの?」
「良かったですね・・。俺は今回も撃墜成績なしでした」
本郷はプイと横を向いてしまった。木村は本郷を元気づけるつもりで言った言葉が外したかと反省した。
「それは! また今度の機会に・・、いや、すまん・・・」
負傷で片腕になってしまった本郷は飛行資格を取り消される。今度の機会など無いのだった。
「しかし、まぁ良かったじゃねえか」
「何が良かったんですか!?」
木村は本郷の反発に驚いた。この後輩は自分に反抗的な態度は一度も取らなかったのだが。
「いや・・、だから決まってるじゃねえか。こうして生きて還ってきたことだよ。いや、腕のことは残念だった。飛行機乗りの俺らしかそれはわかんねぇ」
「飛べなくなるってのは・・・、死ぬよりもつらい・・です」
木村は本郷の言葉で思い出した。かつて、脚を撃たれて呉海軍病院に入院したときのこと、面倒を見てくれた中沢ハルにそう弱音を吐いたことがあった。
「それは・・、俺も・・そう、だった」
「まぁ、海軍兵学校出の士官と違って、兵あがりの俺は兵曹長への道も絶たれてクビですよ。片腕になってあとはなんの仕事ができるのかなぁ」
木村には本郷へかける言葉が見つけられなかった。今回の激しい戦いでは、生きて帰ってこられたことが何よりのことであるし、本郷は胸を張って普段の生活に戻ればいい。それは正論ではあるのだが、飛ぶ鳥がいきなり翼をもがれたような失意もまた当然のものだった。
診療室を出た木村のところへ、興奮した感じの下士官、兵が十名近く押し寄せるようにやってきた。
「おお、木村君。やっと会えたわ。今度は完勝なんだってな! さっそくだが俺らに戦いの話を聞かせてくれんか」
そう言う下士官の顔を見れば、海兵団の同期である木曽平吉だった。他の者も顔に覚えがある同年兵が多かった。
「機関科の俺にもわかるように武勇伝を教えてくれんか」
「空母3隻も沈めたって本当か!?」
「瑞鶴に敵が近づいてこれんかったんは、君らのおかげじゃ!」
さっそく”完勝”の喜びが皆に伝わっとるんか、と木村は思った。空母3隻撃沈は戦果が盛られてると思ったのだが。
「どうした? 元気ないのう。疲れとるんじゃったら、話はまた今度でも・・」
木曽からそう言われて、自分が暗い顔をしていることに気付いた木村。
「いいや! 大丈夫じゃ、武勇伝を聞かせてやるわ! まぁ、ここだとなんじゃし落ち着ける場所に行こうや!」
診療室に近いこの場所では、本郷にとって耳障りになるであろう。木村は皆を引き連れて移動した。母艦「瑞鶴」を守った英雄のひとりである本郷への、木村の気づかいだった。