被害担当艦「翔鶴」
1942年(昭和17年)10月26日 6時頃。
第三艦隊旗艦、航空母艦「翔鶴」。かつてこの艦は、海戦史上初の空母同士の戦闘である珊瑚海海戦にて敵艦載機の攻撃を受けて大破した。その時には僚艦である空母「瑞鶴」はスコールの中に逃れて無傷であった。それを合わせて、空母「翔鶴」は”被害担当艦”と誰が呼ぶともなく言われたのだが。
空母「翔鶴」は第二次攻撃隊まで発艦させた。つまり、艦内の格納庫内を空にして、被弾時の誘爆要素を無くした。あわせて、艦内の可燃物を海上に投棄し、飛行甲板は水びたしにした。不要の爆弾や魚雷は頑丈な弾薬庫にしまってある。
「次の被害担当艦は瑞鶴にお願いしたいものだがな・・・」
「翔鶴」の艦長は双眼鏡をのぞきながら、そうつぶやいた。
同日 6時40分。
空母「翔鶴」のレーダーが南東145kmの距離に敵機群を発見する。このレーダーは珊瑚海海戦後の呉での修理の際に「翔鶴」に取り付けられたものである。
「戦闘用意!」
艦長は下令した。前衛の駆逐艦からは「敵機大群、貴方に向かう」と連絡があった。敵機は明らかに本艦「翔鶴」に向かってきている。艦隊編成のときから各空母の間隔は8kmあったのだが、空母「翔鶴」は艦載機発艦のために風上に向かう必要があり、僚艦の「瑞鶴」から約20kmと「翔鶴」は孤立する形になった。今回も被害担当艦は「翔鶴」になった。
空母の上空を守る直援機は、翔鶴10機、瑞鶴5機の零戦15機。急降下爆撃機15機を発見し襲いかかった。
7時18分。空母「翔鶴」、防空指揮所の艦長の双眼鏡に零戦に追われながらも接近する爆撃機多数が見えた。敵機は雲の中に飛び込んで零戦をかわしていたが、姿を現して突撃隊形に入った。
「撃ち方始め!」
艦長の命令で対空砲火は砲門を開いた。呉での修理時に対空砲も増強されたのだが。
(ミッドウェーの悪夢の再来か!)
このとき空母「翔鶴」に乗艦していた第三艦隊司令官は、ミッドウェーで敗れた機動部隊の指揮を取っていた。そのときに空母「赤城」を奇襲した急降下爆撃機の姿を今に重ねて見た。
「取舵一杯!」
艦長が命令を叫ぶ。しかし、航海長が独断で面舵一杯をした。珊瑚海海戦の経験上、敵機に向かう形で転舵する選択をしたのだという。
零戦に落とされながらも、戦闘機の援護なしで生き残った11機のドーントレス急降下爆撃機は次々と450kg爆弾を投下していく。
バガーン!
第三艦隊司令官にとってはミッドウェーの再現ではあるが、空母「翔鶴」の乗員たちにとっては珊瑚海海戦の惨劇の再現だった。
飛行甲板を突き抜けた450kg爆弾は格納庫内で爆発した。大穴が開いた飛行甲板は大きく波打った。飛行機が発艦ずみであり、その誘爆はまぬがれたが、格納庫内に待機していた兵員は爆風で吹き飛ばされた。艦内に火災が発生し、対空砲の砲弾が誘爆を起こして破片をまき散らす。
空母「翔鶴」は計4発の爆弾が命中して大破した。しかし、機関部に損傷が及ばなかったなど致命傷にはならず、珊瑚海海戦の経験が被害を抑えたといえる。
「これは・・・」
消火指揮のために艦橋から格納庫に降りてきた艦長が見たものは、水浸しになった格納庫に浮く人間の破片、首や手足などである。味方の爆弾の誘爆こそ防がれたものの、ここで起きた爆発がすさまじいものであったことを語っている。
艦橋では第三艦隊司令官が参謀長と相談していた。
「すぐにこの翔鶴はトラックに回航させる。司令部は長良(軽巡洋艦)に移すことにしよう。すぐ信号を送ってくれ」
司令官はミッドウェーの敗戦時に、燃える空母「赤城」から軽巡「長良」に移って難を逃れている。ここでもミッドウェーの再現というわけであるが、戦闘中に逃げるように旗艦を移すというのも印象は良くない。
ただ、飛行甲板が使用不能なうえに、無線の発信(司令官の発令)が不能になってしまった空母「翔鶴」。司令部をそのような状態の「翔鶴」に残し、このまま前進すれば敵の再攻撃の標的になるというのも正論ではある。
「しかし・・、今、移乗するのは危険です。海上に止まって長良のカッターを待つというのは、それこそ敵の標的です」
参謀の一人が進言した。
「うむ、どうするかな・・」
「長官、本艦を北上させて敵の攻撃範囲内から出て移乗すべきではないですか」
そのとき艦長が艦橋に上がってきた。
司令官が艦隊を北上させる旨を艦長に伝えると、艦長は怒った。
「どういうことですか! このまま翔鶴を前進させてください! このまま前進すれば敵の攻撃は本艦に集中することになります。その間に瑞鶴や準鷹の攻撃隊が敵空母に止めを刺せば、本艦は囮の役目をはたせるのです!」
「しかし、翔鶴はこのまま戦場にいても空母の役目を果たせないだろう!? 翔鶴は日本で2隻しかない制式空母なのは知っているだろうが!」
艦長は報国精神の強い人物だったという。被害を恐れて転進という判断は許せないものがあった。しかし、ミッドウェーの大敗を経験した司令官と参謀長の慎重論には正しい部分もある。
艦長の精神論と、参謀長の慎重論が戦わされたが、最後には上官である参謀長が一喝してケリを付けた。
「貴様! 司令部の命令が聞けんか!」
進言を退けられた艦長は黙って不満を抑えた。そして、司令官らと顔を逸らせるように艦内の消火指揮に戻っていった。
空母「翔鶴」は、損傷を受けた小型空母「瑞鳳」及び護衛の駆逐艦「嵐」らと共に北方へ退避を始めた。
同日 8時15分。空母「翔鶴」大破に先立って発進していた日本軍第二次攻撃隊は、空母「エンタープライズ」と大破漂流中の空母「ホーネット」を発見する。第二次攻撃隊は空母「エンタープライズ」に攻撃を集中した。
「翔鶴」艦爆隊の放った爆弾は2発命中弾になり、空母「エンタープライズ」の飛行甲板を貫通して艦内に火災を発生させた。「翔鶴」艦爆隊の健闘は図らずも母艦「翔鶴」の意趣返しになったのかもしれない。
その後、空母「エンタープライズ」は空母「ホーネット」の艦載機を収容後、発着艦不能となり戦線から離脱することになる。
南太平洋海戦の結果として、アメリカ海軍は空母「ホーネット」撃沈、空母「エンタープライズ」戦線離脱となり、一時的に稼動可能な空母がゼロになるという事態になった。
アメリカ側に「史上最悪の海軍記念日」と言わしめた戦果は日本海軍の勝利と言え、かつて技量不足から「妾の子」と揶揄された空母「翔鶴」、「瑞鶴」の搭乗員らが、ミッドウェー敗戦の雪辱を遂げたわけでもある。
ただし、南太平洋海戦の本来の目的であるガダルカナル島攻撃は果たせなかった。そして何より、艦爆隊、艦攻隊に多くの犠牲を出して、艦載機搭乗員(養成に長期間が必要)が壊滅状態になってしまった。
小国日本にとって立ち直れない傷を負ったという点では、この戦いで日本海軍は敗北したのかもしれない。




