「瑞鶴」艦爆隊の突撃
1942年(昭和17年)10月26日。空母「翔鶴」、「瑞鶴」らの第三艦隊は、アメリカ軍の飛行艇が飛び去ったあとに反転北上する。この非積極的行動が、ある意味成果をあげた。
アメリカ軍の空母「エンタープライズ」から第三艦隊に向けて発進した艦載機35機が、第三艦隊の位置を見失ったのだ。母艦「エンタープライズ」では第三艦隊の新しい位置情報を把握しながらも、無線封止を維持するために航空隊に連絡しなかった。その結果、「エンタープライズ」の航空隊は燃料切れなどの事故で8機を失うことになる。
26日の午前5時頃。索敵に当たっていた空母「翔鶴」の艦攻から敵発見電が入る。第三艦隊の空母「翔鶴」、「瑞鶴」、「瑞鳳」では第一次攻撃隊の発進準備が行われる。
空母「瑞鶴」では、零戦8機、九九式艦爆21機が発進することとなった。
艦爆隊では、新しく採用された単横陣一斉急降下攻撃法が採用されることになっていた。
従来の、単縦陣から先頭の隊長機から順番に降下していく攻撃法では、敵艦の対空砲から狙われやすく、敵艦の回避も容易である。しかし、一列横陣から一斉攻撃すれば、敵艦は射撃も回避も困難であろう
。
第三艦隊の3隻の空母から、合計62機の第一次攻撃隊が発進した。
この第一次攻撃隊に、空母「瑞鶴」の零戦搭乗員の木村章吉も加わっていた。
(新しく採用された単横陣一斉急降下攻撃法・・か、上手くいってくれれば・・。いや!俺たち零戦隊が奮闘しなければ上手くいかないんだよ! 絶対に成功させてやるよ!)
「瑞鶴」艦爆隊21機を護衛するのは零戦8機。艦爆隊に向かってくるの戦闘機は30機か、40機か。敵戦闘機に襲われて、乱戦状態になれば艦爆隊は突撃の単横陣に移れないのだ。
敵の戦闘機の半数が艦爆隊に襲いかかると考えて、艦爆隊が敵戦闘機と5分以上の空中戦闘を行えば、艦爆隊は攻撃能力をほぼ失う結果になるだろう。
敵前10マイル(約16km)の「突撃隊形作レ」まで敵戦闘機が現れなければ敵空母への攻撃は成功。逆に15マイル(約24km)以上手前で敵戦闘機に襲われれば艦爆隊は撃墜されて、敵空母への攻撃は失敗であろうと見られていた。
時刻は午前6時55。「瑞鶴」の艦爆隊は高度5000mから海面に敵艦隊とおぼしき航跡を発見する。輪形陣である。中心に目標である敵空母があるのは間違いない。
このとき海上に発見した空母は「ホーネット」であった。半年前の4月18日に日本本土への初空襲(ドーリットル空襲)を行った空母である。そして、あのミッドウェー海戦に参加し、戦果をあげている空母でもある。
この時点で、艦影を見ただけの日本軍航空兵らには敵空母の詳細までわかるはずもない。しかし、日本軍航空兵にとって空母「ホーネット」は、重ね重ねの雪辱を晴らす宿敵であった。
空母「ホーネット」は重巡2、軽巡1、駆逐艦6を伴っていた。このときアメリカ軍が採用していた輪形陣とは、空母を中心として周囲の全方位を護衛の艦船で囲む艦隊陣形である。全方位に対する漏れない索敵と、何よりも陣の中心になるほど濃密な対空砲火が特徴であった。
「突撃隊形作レ」
目標である敵空母を発見した「瑞鶴」の艦爆隊21機は、しめし合わせた通りに、単横陣を形成していった。敵戦闘機はまだ現れていない。艦爆隊の護衛を務める零戦隊の各機は、ソロモン海の空の中に敵機の機影を必死に探した。敵を見落とす、すなわち敗北と死の世界なのだ。
「全軍突撃セヨ」
艦爆隊は敵空母に突撃に入る。敵空母まで数kmまで急接近、50~60度の高角度でダイブし、敵空母の甲板へ正確に爆弾を命中させるのだ。それは、ミッドウェーで敵艦爆隊の攻撃により沈んだ日本の4空母の意趣返し(復讐)にもなる事であった。
「艦爆隊よ! このまま攻撃に入ってくれ・・!」
突撃隊形の横陣に移った「瑞鶴」の艦爆隊へ木村は祈るように声をかけた。だが、その木村の視界に黒い機影が多数入ってきた。グラマン戦闘機(F4Fワイルドキャット)であった。
「あ~・・30?、いや、40機はいるかぁ。やっぱし一戦交えないといかんかぁ」
木村には元来、”死して本望”という考え方は無かった。あこがれで海軍に入ったとはいえ、結局は下士官である。だが、木村は今日ばかりは”生”を捨てた。この愛機で敵機を3機も4機も相手にしなければ、敵空母に突入していく艦爆隊が屠られるのだ。
九九式艦上爆撃機。水平に飛行しつつ爆弾を投下する爆撃機とは違い、目標に対して急降下しつつ投弾して爆撃を行う機体である。
最高速度がグラマン戦闘機より遅いために、後方より追いつかれてしまう。そのために機首固定機銃と別に、後部座席に後方旋廻機銃が備えれられている。
この機銃は7.7mmと小口径であり、グラマン戦闘機の13mm機銃と火力が劣っているばかりではない。後方機銃から撃ち出された弾丸は気流の影響を強く受けて、弾道が大きく流れてしまう。そのために、機首から撃ち出される機銃と比較して、後方機銃の命中率は低い。後方機銃を撃つ機銃手は、曳光弾の軌跡から弾道を修正しつつ敵機に命中させなければ、目標への攻撃が失敗なだけでなく操縦手もろとも撃墜死ということになる。
グラマン戦闘機に追いつかれた九九式艦爆の後部座席では、偵察員の下士官が後方に向けて7.7mm機銃を乱射していた。
操縦手は機体を横滑りさせて敵機の機銃を必死にかわしている。後部座席の偵察員は実戦で機銃を撃つのは初めてであった。後方機銃が必要になる状況というのを考えれば、これは不思議ではない。
彼は必死になって曳光弾の軌跡を見ながら、敵機に機銃弾が命中する手ごたえを感じた。
(やった!!)
しかし、7.7mmの機銃弾はあっけなく敵機の機体に弾かれてしまった。
(この機銃弾は・・、グラマンの風防にさえもはねかえされる)
直後、グラマン戦闘機から撃たれた13mm機銃弾が、九九式艦爆の機体を貫いた。機体が大きく震え、エンジンから発火した。
(!!!)
偵察員は振り返った。操縦席では被弾した操縦手が血しぶきを散らして絶命していた。操縦手を失った機体は迷走を始めて海面へと落ちていく。
(やられたっ! 機体がきりもみを始める前に脱出を!)
そう考えた彼だが、思い直した。いや、このまま死のう、と。この海面で脱出に成功しても敵の捕虜になるだけ。真珠湾以来の戦友であった操縦手と共に逝こうと決めた。
(すまない。俺は機体もお前も守ってやれなかった)
敵に投下するための250kg爆弾を抱えたまま墜ちるのは、やはり無念ではあった。彼の目には、敵空母へと向かう「瑞鶴」の九九式艦爆の編隊が見えた。
(お前達はきっと敵空母にたどりついてくれ・・。俺たちの犠牲が無駄では無かったと示してくれ)
燃料に火が回った九九式艦爆の機体は、空中で爆発した。
性能の陳腐化、高い致死率から九九式艦爆は『九九式棺桶』、『窮々式艦爆』とも揶揄されることになるが、それはあくまで後の事である。