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南太平洋海戦の始まり

 第二次ソロモン海戦後、空母「瑞鶴」はトラック島に帰投。その後短期間、索敵活動をしている。

 そして、空母「瑞鶴」は僚艦「翔鶴」らと第三艦隊を編成して、10月11日トラック島を出撃し、ソロモン東方海面に向かう。


 1942年(昭和17年)10月中旬。航空母艦「瑞鶴」艦上にて。

 空母「瑞鶴」の乗組員で、海兵団の同期である下士官の木曽平吉と木村章吉は久しぶりに雑談をしていた。

「お前が航空兵だから聞くんだがよ・・」

「ん・・?」

 木曽が木村に話しかけるが、互いに浮かない表情にはなっている。

「戦いはどうなってるんだ?」

「どう、ってのは?」

「いや、航空兵らからしか見えない、敵艦との戦いだよ。機関科の俺らにはわからないんだよ」

 ふうん、とつぶやいて、木村はあごをつまんだ。

「我らが母艦「瑞鶴」は真珠湾以来、ただの一弾たりともくらっていない強運と強さを持つ航空母艦だ」

「いや、そうじゃなくってよ」

 僚艦「翔鶴」が大破するなどの戦いをくぐり抜けて、空母「瑞鶴」が損傷なしなのは木曽にもわかることだ。

「ミッドウェーで4隻の航空母艦が沈められて・・もっとも国民には伏せられてるが、それからアメリカ海軍と優勢に戦っているのかよ?」

「その4隻だけじゃない、小型空母とはいえ「祥鳳」、そして今回の「龍驤」も沈んでいる。それに瑞鶴に損害が無いと言っても船体の話で、航空隊に多くの損害が出ている。今回のサラトガ型空母をやったときに艦爆隊の半数がやられて・・」

 木村が木曽を見ると、暗い表情になっているのに気付いた。もっとも、このような話の内容では笑って聞く方がおかしいのだが。

「だがよ! 珊瑚海のときには2隻、ミッドウェーのときに1隻、今回のソロモン海で1隻ないし2隻の空母はやってる。戦果はあがってるんだよ、死んだ奴らも決して犬死じゃねえんだよ」

「お、おお!そうだな、すまなかったな」

 木村は苦笑いした。

「何か『すまなかった』なんだよ」

「いやなんか、お前ら航空兵の働きを疑ったみたいでよ。俺のような機関兵がよ」

「何言ってる! お前らがいるから瑞鶴が動くんじゃねえか」

 木村は木曽の身体をこづいた。不安を取り除いたかのように、二人とも笑っていた。

 しかし、木曽と同じように木村も不安を抱えていたのだ。むしろ、航空兵らが死に行く様を見る立場として、そのこごりは大きい。先に挙げた敵空母撃破の戦果にしても、戦闘中の航空兵らの目視による拡大解釈的な予想と言えないこともない。

「ところで、木村くん。立ち入ったことなんだが」

「あ、なんだ?」

 突然、木曽が思い出したように尋ねてきた。

「あー・・、うむ、なんでもない」

「なんじゃ! 言いかけて止めるのは最悪じゃが!」

「あ~、いや女のことじゃ。すまん、お前に聞くことじゃなかったわ」

 木曽は気まずそうに立ち去ってしまった。木村は、女のことならまかせろや、と思ったが『立ち入ったこと』という部分が気にはなった。


 木曽は木村に、呉で二度会った女性、中沢ハルのことについて聞きかけるとこだった。女房もちの身でありながら、若い女であるハルのことが気にはなっていた。

 ハルは自分のことを木村の遊び相手だと言った。そのことについて、木村に問えばどのような答えが返ってきただろうか?

 いかんせん、何があろうと当人同士のことだし、一度空に飛び立てば帰ってこないかもしれない木村にそれを問うべきことでもなかった。



 一方、ミッドウェー海戦などで日本海軍に多大な損害を与えていたアメリカ海軍だが、内実は苦しかった。

 珊瑚海海戦では、空母「レキシントン」沈没。ミッドウェー海戦では空母「ヨークタウン」沈没。第二次ソロモン海戦後の哨戒中に日本軍の潜水艦による雷撃で、空母「サラトガ」損傷により戦線離脱、空母「ワスプ」沈没。10月上旬の時点では、アメリカ海軍の可動空母は「ホーネット」一隻のみであった。

 一介の航空兵の木村や、日本軍首脳部が、戦果があがっていると思ったのも間違いではない。

 アメリカ軍は、空母「エンタープライズ」を真珠湾にて急ピッチで修復し、空母「ホーネット」と合流させる。この2隻の空母が南下してくる日本の機動部隊を迎え撃つことになる。



 10月23日以降、ソロモン海へ向かう空母「翔鶴」、「瑞鶴」、「瑞鳳」らの第三艦隊では南下するか否かで、論争が起きていたという。連合艦隊司令部から南下を命じられており、多くの参謀がそれを求めていた。

 しかし、参謀長からは慎重論が出る。まず敵の位置がつかめないことと、南下すればほぼ敵の哨戒機につかまるのとである。

 敵空母の位置がつかめないまま一方的に空母4隻が沈められたミッドウェー海戦の戦訓。そして、現在貴重な空母を一隻たりとも沈められてはいけないという感情もあった。

 第三艦隊司令官は、この参謀長を「機動部隊が腰抜けと見られてはいけない、危険だが南下して、敵を発見しだい反転でどうだろう」と説得した。

 10月25日、空母「瑞鶴」ら第三艦隊は20ノットの速度で南下を開始した。

 第三艦隊は敵襲を予想して、前衛に戦艦、巡洋艦などを配し、その50マイル(80km)後方に空母を配す。それぞれの空母の間隔はおよそ8km。

 後世から見れば海戦の素人でも疑問しか浮かばない陣形ではある。当時の日本海軍参謀らはこのような戦術を本気で考案していたのである。

 25日の深夜、第三艦隊は敵の飛行艇の触接をうける。この敵機が触接をやめ、飛び去ったと見ると、第三艦隊司令長官は艦隊に反転北上を命じた。

 のちに、『南太平洋海戦』と呼ばれる戦いの始まりである。

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