第二次ソロモン海戦
1942年(昭和17年)8月16日。航空母艦「瑞鶴」、「翔鶴」と新たに一航戦に加わった空母「龍驤」を主戦力とした機動部隊は瀬戸内の柱島泊地を出航する。「瑞鶴」と「翔鶴」が合わせて作戦行動に入るのは、約3ヶ月ぶりとなる。
今回の機動部隊の出撃は、アメリカ軍のガダルカナル島上陸を受けてのものであり、アメリカ海軍の航空母艦「サラトガ」、「ワスプ」、「エンタープライズ」らに対抗するためのものであった。
一航戦ら第三艦隊が日本を発った二日後、陸軍の一木支隊のうち約1000名がガダルカナル島に上陸する。この時点で日本軍上層部は、ガダルカナル島にアメリカ軍海兵隊の一個師団もの大兵力が上陸していることを知らない。敵軍に対する、過少評価的な誤認。それがガダルカナル島で将兵らの大きな犠牲を生むことになる。
8月20日。日本軍の偵察機が、ガダルカナル島南東で空母を含む艦隊を発見する。これを受けて第三艦隊はトラック寄港をとりやめて南下する。先発してトラックにあった重巡5隻を主戦力とする第二艦隊も同日出撃した。
8月21日。ガダルカナル島の陸軍一木支隊は、アメリカ海兵隊に攻撃する。事前に誤認情報が飛び交い、目的地の飛行場に敵の残存兵力がいるのみと考えていたのだ。一木支隊は敵軍の強力な防御陣地につきあたり、敵の火力の前に大きな犠牲を出す。
翌朝には残存兵が後退を図るも、最後には包囲掃討されて一木支隊は全滅した。
8月24日。第三艦隊は、空母「龍驤」、重巡「利根」、駆逐艦「時津風」、「天津風」を分離してガダルカナル攻撃に向かわせる。3隻の空母のうちの一隻である「龍驤」を分けて当たらせたのは囮の目的があったようだが。
アメリカ海軍はこの空母「龍驤」の艦隊を発見し、空母「サラトガ」から攻撃隊が発進する。その後に、別の偵察機から、空母「瑞鶴」、「翔鶴」らの本隊を発見との報が入る。
珊瑚海海戦にてアメリカ海軍は、先に発見した軽空母(祥鳳)の艦隊を主艦隊と誤認したわけだが、似たような状況になりつつあった。アメリカ海軍の司令官は、緊急的に第二次攻撃隊を空母「瑞鶴」、「翔鶴」らに向かわせるが、空母「龍驤」に向かった空母「サラトガ」の航空隊とは連絡が取れなかった。
このときアメリカ海軍の司令官はなおも、空母「サラトガ」、「エンタープライズ」の飛行甲板に50機以上のグラマン戦闘機を残していた。これが、両空母の危機を救ったといわれている。
一方、空母「サラトガ」の艦載機38機に襲われた「龍剰」らの囮艦隊だが、空母「龍驤」が爆弾4発、魚雷1本を受けて炎上する。「龍剰」は北方へ退避を図るも、あえなく沈没した。
空母「瑞鶴」、「翔鶴」ら第三艦隊本隊は「敵艦隊発見」の報を受けて攻撃隊を発進させる。
空母「翔鶴」が攻撃隊を出して8分後に急降下爆撃機2機の奇襲を受けて、至近弾2発となっている。
続いて、空母「瑞鶴」が攻撃隊を発進する。両空母合わせて70機以上の攻撃隊が、2隻の空母を含むアメリカ艦隊を攻撃したのは午後2時28分のことであった。
空母「ワスプ」が別行動であったアメリカ艦隊は、空母「サラトガ」、「エンタープライズ」の二空母のそれぞれを中心とした輪形陣を組んでいた。アメリカ海軍は、ミッドウェーにおける日本の空母の大損害に習い、空母同士が固まって行動することを強く戒めていたのだ。そして、艦隊の上空にはグラマン戦闘機53機が直援し日本海軍の攻撃隊を迎え撃つ。
米空母はレーダーで88マイル(約160km)の距離から日本の攻撃隊を捕捉しており、グラマン戦闘機が迎撃にあたる。しかし零戦隊と交戦しているうちに空母「翔鶴」の艦爆隊は空母「エンタープライズ」に襲いかかる。空母の護衛に当たっている戦艦「ノースカロライナ」らが、艦爆隊へ激しい対空砲火を浴びせる。
空母「翔鶴」の艦爆隊はその状況にありながら、空母「エンタープライズ」に250kg爆弾の命中弾3発を与えたのだった。
空母「エンタープライズ」は中破して炎上し、わずかに傾斜した。沈没してもおかしくない大損害であるのだが、1時間以内に甲板の穴はふさがれ、艦載機収容可能な状態に復旧したのである。アメリカ海軍の空母は高いダメージコントロール能力を持ちつつあった。
一方、空母「瑞鶴」の攻撃隊は苦戦していた。艦爆隊が空母「サラトガ」を狙うも、投弾前後に敵戦闘機に撃たれてしまう。空母「サラトガ」に250kgを2発以上命中と報告するも、実際に命中弾は無い。空母「瑞鶴」の艦爆隊は全滅に近い損害を出した。
その後両軍ともに第二次攻撃を考えていたが成らず、この海戦は日本海軍の空母一隻沈没、そして撤退という形で終結した。この海戦はのちに『第二次ソロモン海戦』と名付けられる。
1942年(昭和17年)8月下旬。ニューギニア島。
陸軍第41連隊に所属する苅田進一上等兵は、ラバウルを経てニューギニア島ブナ地区に上陸していた。
苅田は、小隊長である後藤中尉の当番兵(従卒)を勤めていたが、当番兵交代の時間になっていた。
「後藤小隊長、本田参りました!」
苅田の先輩にあたる本田一等兵が後藤に敬礼をした。
「おお、本田か、今日からよろしく頼むぞ!」
そう言って後藤はうなずいていた。この本田は、苅田が新兵のときに陰湿なイジメを仕掛けてきたことがあり、苅田にとってはやはり苦手な部分も残る先輩なのだが。
「あれ? 本田さん。今日は何か任されたんですか?」
「何か、じゃねえよ。今日から俺も当番兵だよ」
「えええ!?」
苅田はビックリしてしまった。本田という人物と、従卒という役目が結びつかなかったのであるが。
「えええ、じゃねえよ! タコ! 恥ずかしながら、後輩のお前に追い越されたままじゃ、気が済まなかったんだよ。あと、ホレ、これを見ろよ」
本田は襟に階級章を指でつついた。赤字に星3つの上等兵の証しである。
「昇進して貴様と同じ上等兵よ。今まで”さん付け”してくれてたけど、今日からは本田上等兵と呼べ」
苅田は本田の心意気を悟った。本田への気持ちの中に敬意が生まれたのだった。苅田はかしこまって敬礼する。
「ハッ! 本田上等兵殿!!」
「う、”ドノ”までいらねぇよ・・」
やりとりと聞いていた後藤は思わず笑った。そして言う。
「まぁ、本田くん。君は好かない部分もあるのだが、俺は好き嫌いで評価はしないからな。当番兵にしたのは他にいないからだよ」
「て、手厳しいなあ。小隊長殿~」
そんな本田に、苅田は優しく声をかけた。
「新しい当番兵には、本田上等兵しかいないってことですよ」
後藤を中心をした小隊数十名は、戦いを通して一家のような絆を作り上げていったのだった。その裏では、当番兵の欠員が出た理由として、一人また一人と戦いに倒れていくのではあったが。
第41連隊ら南海支隊はオーエンスタンレー山脈を陸路突破して、ポートモレスビー攻略に向かうことになる。第41連隊にとって、この行軍が死出の旅路となった。