止まらないポートモレスビー攻略作戦
1942年(昭和17年)5月15日。場所は、南方の日本海軍の基地があるトラック諸島。
航空母艦「瑞鶴」および「翔鶴」は、MO攻略作戦の中止により、内地に向けて帰還の途についている。そして、瑞鶴の乗組員である木曽平吉と木村章吉は、トラックにつかの間の上陸をしていた。
「好きで海軍に入ったんじゃねぇ!ってのは、俺ら志願兵でも多いわなぁ。木曽さんもそうだったんか」
「そうじゃ! お前とは、九州の炭鉱で一緒だったじゃねえかよ。安定した仕事があったらそんなとこで働くかよ!」
木曽と木村は、海兵団の同年兵同士、久しぶりに談話していた。海兵団卒業前に別れて5年にもなるだろうか。一度、呉の街で再会したことはあるのだが。
「まぁ、海軍の下士官ってのは、家を出た次男坊、三男坊って奴が多いわな。木曽さんもそうだったんか?」
木村にそれを言われて、木曽平吉は表情を曇らせた。
「何か、変なこと聞いたか? 嫌なら答えんでも・・」
「・・俺は農家の長男なんじゃ。だが、小さい頃おふくろが死んで、親父に後妻が来た。そして弟ができた。その弟が家の跡継ぎ、っちゅうわけよ」
「そ、そりゃあ・・」
木村は、言葉につまった。この当時、家主の長男が家の財産の相続権を持つというのが通例である。あまり聞く話ではない。
「後妻、つまり俺の継母には俺は邪魔者じゃったってことよ! 俺は自分から家を出て東京に、弟が家の跡継ぎ。その弟も陸軍に志願して、支那に行っとるけん皮肉なものよの」
「そ、そっかぁ」
「い、いや、跡目のことはええんじゃ。弟のことは好きじゃ、俺の自慢よ。アイツ支那じゃ、馬に乗って騎兵なんかやっとるらしいで。ただ、継母のことは許せん! あのババアより先に死ぬわけにはいかん、って兵士になった今でも思うで」
木村は気まずそうにうなずいた。木村のような両親がそろって健在な者にとっては、木曽のような境遇の者の気持ちは推し量れない。
海兵団で同部屋だった二人だが、初めてお互いの境遇を話し合った。そして、話は木曽の東京時代の話になった。田舎者の木村が、帝都東京に強く興味を持ったのだ。
「木曽さんって、師範学校に通ってたんかよ。しかも夜学で」
「ああ、ちと教員になるのは失敗したんじゃけどな」
「東京で、ずっと一人暮らしじゃったんか?」
「まあそうじゃけど、近所にいた早稲田大学の学生と助け合って生活しとった。互いに夜学で余裕なかったしな」
木曽平吉は、海兵団よりも以前の、自分が十代だった頃を思い出す。そして、東京時代のときに親密だった一人の苦学生のことを思い出す。
あの人は、名前はたしか・・、カンダ? 苅田・・進一だったな。あの人はしっかり就職して、大手の鉄工会社に勤めることができた。自分とは大違いだが、あの人は今、どうしているだろうか? このご時勢では徴兵されて戦地にいるだろうか? いや、今は30近い歳のはずで、大卒のあの人は普通に会社員をしているだろう。
「そっか、やっぱ、何よりも大切なのは友人だよな!」
木曽は、木村のその言葉にハッ、となった。木曽と苅田とは、”友人”と呼び合ったことが無かったことがなく、それを恥じたのだった。確かに二人は、互いに友人であった。軍の同年兵などより、厚い関わりがあったのだ。
木曽はいつか苅田と連絡を取って、ゆっくり話をしようと決めた。それは、戦争が終わってからになるかもしれないけど。
その頃、陸軍の第41連隊の兵士である苅田進一は、ラバウルにいた。第41連隊の将兵はニューギニア島のポートモレスビー攻略のために、ここラバウルに集結していた。空母「瑞鶴」らMO機動部隊の撤退により一度は頓挫しかかったポートモレスビー攻略だが、止まることが許されない日本軍は別方面からの攻略準備を進めている。
もっとも、一介の陸軍兵である苅田には、そのような裏事情など知らない。命令があれば、死地でも行くというだけなのだ。
「去年暮れの開戦からもう半年になるんかなぁ。前には”実戦経験無し”、とか震えてたのが嘘のようだぜ」
「ええ、そうですね」
小隊長の後藤中尉に、当番兵(従卒)の苅田は答えた。開戦と同時に第41連隊はマレー作戦に参加した。難攻不落とされたジットラ・ライン(陣地)を一晩で攻略もした。もっともこれは、事前に入念な工作があり、さほど精強でもないインド兵の陣地が弱体化したところへ、少数の機械化部隊が突入したという裏事情もある。
そして、第41連隊は、クアラルンプール占領、シンガポール占領に参加した。占領後のシンガポール市街での戦勝行進に参加した時には、苅田も誇らしい気持ちになったものだった。
「この半年で本当に、アッチコッチに行きましたからね」
3月には、アメリカの植民地であるフィリピンに渡って平定作戦に参加し、今は海軍の基地であるラバウルに来ている。
苅田は、対米英開戦前とは別世界の戦いの日々を思い返す。その中にはシンガポールでの華僑(中華系住人)の粛清など、嫌な仕事もあったのだった。
(この戦争に正義なんてあるんですかねえ?)
苅田は心の中でつぶやくのだが、それは士官である後藤中尉には声に出して問えないことだった。
苅田が机の上に目をやると、一丁の拳銃が目についた。それは目の前に座っている後藤中尉のものだとすぐわかる。苅田は興味本位でそれを見つめていた。拳銃は士官のシンボルでもあるからだ。
「ん? これに興味があるのか? なんなら、使ってみるか?」
「ええ!? 興味はありますけど、”使ってみるか?”ってのは冗談でしょう?」
苅田の視線に気付いた後藤中尉から、この拳銃を使うか?などと声をかけられて、苅田は戸惑った。
「ああ、弾は入ってないからな。引き金ひくなりかまわないよ」
「・・・!、そ、そうですよね。弾は普段抜いてますよね」
「そうじゃねえよ、それには弾を込めたことが無いんだ」
「ええ!? いや、しかし!」
後藤中尉の意外な言葉に、苅田は驚いた。そうだとすれば、小銃を持たない後藤中尉は、この半年に各地を転戦していた間、銃で武装していなかったことになる。
後藤は、苅田にニィ、と笑った。
「俺たち士官が拳銃を持っている理由を教えてやるよ。ひとつは部下を処刑するため。逃亡したり、重大な命令違反とかな」
苅田は恐ろしくなって、ゴクリと唾を飲んだ。後藤は笑顔のままで、ひとつ付け加える。
「もうひとつの理由は、自決用・・だよ。俺を良く知ってるお前なら、俺がその拳銃を飾りとして扱ってる理由わかったろ」