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珊瑚海の薄暮攻撃

 1942年(昭和17年)5月5日。珊瑚海、オーストラリア北東の海に航空母艦「翔鶴」、「瑞鶴」を中核とするMO機動部隊が入る。そして、翌日の6日、日本海軍の航空機は、ツラギ島の近海に空母を含む大部隊を発見した。

 これは、航空母艦「レキシントン」、「ヨークタウン」を中核とする米第17機動部隊である。もっとも、日本海軍にとっては、開戦以来から敵空母の所在をつかめないまま、ここまできているわけであり、これら敵機動部隊の詳細は不明のまま。友軍の拠点などを艦載機に空襲されて敵空母の存在を察知しつつも、正確な位置や規模をつかめない。空母「瑞鶴」ら五航戦はその対応に追われることもあり、成果も無し。言わば敵の見えない空母に翻弄されているようなものであった。

 しかし、敵空母の存在が脅威であり、位置がつかめない事はアメリカ海軍も同様である。現時点では、空母の数および艦載機の戦力では日本海軍が優勢であり、味方の航空母艦は絶対に失えない戦力であった。

 敵空母部隊発見の報に、五航戦の航空兵は興奮した。米空母は5ヶ月前の真珠湾攻撃にも生き残った。そして、今も日本本土を脅かしている米空母戦力との決戦を行うのだとの気勢を高めた。



 5月7日の早朝、「翔鶴」の索敵機より「敵空母を含む艦隊を発見」との報がある。MO機動部隊の空母「翔鶴」、「瑞鶴」は艦載機、計78機を発艦して攻撃に向かった。しかし、空母発見の報は誤報であり、攻撃隊が見つけたのは油槽船とその護衛艦らであった。MO機動部隊の攻撃隊はこれらを攻撃して、油槽船「ネオショー」と、駆逐艦「シムズ」を撃沈した。

 この攻撃を航空兵らが”ムダ足”と残念がっていたその頃、MO機動部隊とは別行動をとっていたMO攻略部隊が米機動部隊の総攻撃を受けていた。MO攻略部隊の航空戦力である軽空母「祥鳳」が敵艦載機の集中攻撃を受けた。米艦載機93機の総攻撃を受けた「祥鳳」は、あっけなく炎上して沈没した。

 この攻撃にはアメリカ側にも誤認があった。軽空母「祥鳳」をともなっていたMO攻略部隊のことを日本の機動部隊だと誤認したのだ。輸送中の陸上部隊を護衛する航空母艦を失ったMO攻略部隊は、一旦退いて「瑞鶴」らMO機動部隊の対応を待つことになった。制空権が無きまま陸上部隊を敵地に上陸させるのは無謀すぎたのだ。



 敵空母部隊の概略位置をつかんだMO機動部隊の司令官は、その日の午後2時に第二次攻撃隊を出した。艦上攻撃機、艦上爆撃機ら27機編成で行われたこの攻撃には、零戦の護衛は無し。戦闘機の護衛を付けなかったのは、攻撃の帰還時に暗くなり航法(自機の位置を計算し帰艦する)ができない零戦は出せないとのことだった。しかし、この戦闘機の護衛なしで戦果をあげるには半端な戦力の出撃は、大きく悔いを残すことになる。


 黄昏の珊瑚海の上空で激しい空戦が発生していた。MO機動部隊の艦攻隊が機銃をあびせられていた。

「いかん! いかんぞぉ!!」

 攻撃隊の隊長は、九七式艦攻の座席で唸った。後ろからは機銃の閃光が走り、周囲では味方が次々に炎上しては墜落していく。基本的に空戦能力の無い艦上攻撃機を守るべき零戦はここにはいない。最後尾の電信席では7.7mm機銃を後方に向かって射撃している。重い銃撃音が機内に響く。

 なぜ、このようなこのになったのかというと、攻撃隊が敵空母を求めて飛行していたところを背後から数機のグラマン戦闘機(F4Fワイルドキャット)に襲われたのだ。

「グラマン一機撃墜!」

 後方機銃を受けた敵機が一機墜落してくのが見えた。しかし、いまだ危機的状態であることに変わりない。隊長機は海面すれすれに飛行して、ぬうように退避を続ける。一機、また一機と味方の艦攻が火を吹いて落ちていく。この状況でもなお、艦攻隊は退避行動には重しである魚雷を抱いて、敵空母がいるであろう方向に飛び続ける。

 この間に敵戦闘機は数を増して10機ほどになった。損害が出ていない艦爆隊12機は隊列を整えて、生き残りの艦攻隊の上空を守り、旋廻機銃を敵戦闘機に向けて撃ち込む。それを受けたグラマン戦闘機が一機落ちていった。

 すると、グラマン戦闘機は追撃をあきらめて上空に飛び去っていった。

「行ったのか・・? 助かったぜ・・」

 艦爆隊隊長は安堵した。実際、このまま攻撃が続いていたら九九式艦爆では、グラマンには対抗できなかった。夜になったからなのか、それとも九九式艦爆の空戦能力を過大評価したのだろうか? (この撤退は日没が理由だった)

 空は黄昏からさらに暗くなり、薄明かり程度の明るさしかない。敵機に襲われたあげく、敵空母の発見もできなかった。しかし、闇に近い暗さでは正確な爆撃など不可能なのだった。攻撃隊は爆弾、魚雷を海上に棄てて、母艦に向けて帰還の途についた。

 攻撃隊が東に転進して40分ほど、艦爆隊隊長は、薄明の珊瑚海に航行する航空母艦2隻の大きな影を見つけた。航空母艦は航空機を収容しているところだった。

「やれやれ、今日は厄日だったぜ。朝は空母のかわりに標的が油船だし、午後は午後で・・」

 今日は多くの艦攻隊をやられてしまった。皆、真珠湾以来のつきあいだった。零戦の護衛が3機もついていればと、隊長は強く悔やんだ。

 先行する「翔鶴」の攻撃隊が母艦への帰艦のため、編隊を解散していた。

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