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勝利に酔う日本

 1941年(昭和16年)12月11日。タイ王国へと進駐した歩兵第41連隊。

 第41連隊を含む、第5師団は、タイとイギリス領マレーの国境近くのジットラに築かれたジットラ・ラインと呼ばれる防御陣地に夜襲をしかけることになっていた。その陣地には英印軍の約6000名の兵士が立てこもり、これの突破には多大な犠牲が予想された。

 夜になり苅田進一は、翌日の夜襲に備えて、内心では震えていた。タイ王国進駐を始めてから、一部のタイ軍とのこぜりあいがあり、戦死者もでた。しかし、今度の敵はイギリスである。タイ王国のように話し合いは通じぬであろう相手だ。

 近くでは、上官の後藤中尉が部下たちを励まして回っている。『いよいよだな!』と笑顔を見せているが、それは小隊長としての表の顔なのだろうか、と苅田は思った。

「苅田くん、いや・・、苅田上等兵殿」

 苅田は声をかけられ、見れば先輩の本田一等兵だった。彼には新兵の頃にイジメを受けていたので、苅田は身構えた。

「いえ、君付けでかまいませんよ」

「あ、うん。お前に渡したいものがあってな」

 本田は、腹巻きのような物を差し出した。

「千人針だよ、知ってるだろう? 着けていると敵の弾に当たらないってアレさ」

 千人針については苅田も知っていた。腹巻に千人が針を通し、武運を祈るというものではある。しかし、しょせんおまじないに過ぎないのであり、苅田自身は持っていない物ではある。

「は、ありがとうございます・・」

 苅田は、正直、自分が本田から何かもらうとは思っていなかった。

「親戚が送ってくれたからひとつ余ったんだよ。俺は、北島兵長のような実戦経験は無い。後輩にしてやれるのはこれくらいなんだよ」

「は、はぁ・・」

「ひとつ、願いがあるんだ」

「な、なんでしょうか?」

 本田は、真顔で苅田の顔を見つめていた。

「明日の陣地戦。もし、俺が戦死したら、俺の家族に伝えてほしい・・。『勇敢に戦った。無駄死にでは無かった』、とな」

 苅田は、彼の言葉に思った。戦いへの不安は誰にもあるのだと。たとえ、本田のような後輩イジメにいそしんでいた者でも。

「ええと・・・、私がですか? 私もあっけなく死ぬかもしれませんよ。伝言を私にというのは・・」

「貴様は、小隊長の従卒だろう? 生き残るとしたら、安全なお前なんだよ」

 自分が小隊長のそばで安全だという彼の言い分に、苅田は苦笑いしながらも承諾した。

「わかりました、故国に帰ったら必ずや・・」

 本田は、持ち場に戻るために振り返る。彼はその姿勢のままで、つぶやく。

「最後になって今さらだがよ、色々すまなかった」

 すまないとは、かつてのイジメのことだろう。表情を見せぬかのように立ち去った。そんな本田を見送って、彼も真人間のまま死に赴きたいのであろうと、そう苅田は思った。



 翌日の、第5師団によるジットラ・ラインへの攻撃は、午前4時に始まった。

 参加した兵士の誰もが、小マジノ線と称された陣地からの猛反撃を予想した。しかし、異変が起きた。

 第5師団の先頭を進んでいた、戦車十数両からなる特別挺身隊が敵陣地に突入したのだ。特別挺身隊は、陣地からの猛烈な砲撃を受けて犠牲を出す。しかし、その日の午後5時になって英印軍はジットラ・ラインから撤退を始めた。

 結果として、ジットラ・ラインは日本軍の一部の部隊によって、わずか一日で突破されたのだ。この大勝利には、大本営も驚いたという。


「どうも、英印軍は撤退を始めたようだぞ」

「なんだってぇ!? なんか、あっけなかったな」

 第41連隊の兵らは、生き残ったことを素直に喜び、そして勝利を実感した。

「あっけないことない! 俺たちが強いってことよ」

 後藤中尉は、自分の手柄のように胸を張ってみせた。部下達は皆、笑った。

「これはまだ噂だが、日本海軍がハワイの真珠湾を奇襲してアメリカの戦艦を全て沈めたそうだ」

 後藤が、噂話をぶちまけると、部下達は皆、遠地での海軍の大勝利に沸いた。

「ということは、日本はイギリスだけでなくアメリカにまで戦争を仕掛けた・・ってことですよね?」

 ひとり不安な表情でそう言った苅田だが、本田がそんな苅田の肩に腕を回す。

「心配するなよ! 日本がイギリスだろうが、アメリカだろうが相手にして負けるかよ!」

 本田は、昨夜にあった死の不安はどこへやらの顔で笑っていた。

「そうですよね~」

 苅田も調子に乗って笑う。そして、彼らは万歳三唱を日本軍の勝利に捧げた。



 それより約半月後の12月24日。航空母艦「瑞鶴」は母港である呉に寄航した。

 兵らは半舷上陸をして、久しぶりの呉の街を楽しんだ。街の人々は、大々的に報じられた真珠湾攻撃の大勝を知っており、皆口々に海軍兵の偉業を称えた。しかし、防諜のため兵らは作戦の内容を口にはできず、市民には空母「瑞鶴」が作戦に参加したことを知らない者もいたという。


 空母「瑞鶴」から半舷上陸した木曽平吉は、久しぶりに妻の文江の待つ下宿へと帰っていた。

「なぁなぁ、いいだろ?」

「あんねぇ、さっきからやめてって言ってるでしょうが」

「俺ら夫婦じゃねねぇか。俺、今日は日が暮れる前に艦に戻らにゃいけんのだ」

 平吉は、文江の身体をコチョコチョと触っている。しかし、文江の方は内職の仕事の手を止められない。

「見てわからんかぁ? ウチ、仕事中なんやって!! 海軍は休みでも、ウチは休みじゃないの!」

「い、いいじゃねぇか。こちとら、ハワイくんだりまで行って・・、いやなんでもない。夫婦らしいことしようぜ。何月かぶりに会ったんだしよ」

 平吉は、文江の尻をムギュとつかんだ。

 文江も平吉が無事帰ったことを喜んでいたのだ。しかし、平吉の行動は良くなかった。平吉の半舷上陸は、妻に殴られることで終わった。

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