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平吉と章吉の再会と恋路

 昭和16年 春。場所は、呉 呉駅。

 海軍の第一種下士官軍装を身に着けた木曽平吉は、列車から呉駅のホームに降りた。

 去年に呉から横須賀にってから、一年近くになるだろうか。術科学校を卒業して、すぐに呉へ帰るつもりではあったが、やはり自分は海軍の勤め人。航空母艦「瑞鶴」の仕事が忙しくて帰ることはできなかった。短い休暇をもらったので、平吉は今日、呉に訪れている。

 帰ってきた、ではなく”訪れている”になってしまっているのは、呉に自分の住む家は無いのだ。かつて、平吉が青海チンタオで買った女から性病をもらった不祥事から、交際相手の文江から同棲を拒絶されている。

 先に文江へ電報を打ち、再会の事を知らせており、その返事が『駅デマツ』とのことだが。長いこと会わなかったせいで、やはり文江の反応が怖い。いい顔をされるとは限らないのだ。

 しかし、やはり目標の海軍の下士官になった自分の姿を、やはり文江に一番に見てもらいたい。兵のときの正装はいわゆるセーラー服であるが、今は紺の詰襟の上着に、帽子は士官らも着けているつば付きの物。四年以上の苦労の末に手に入れた、平吉ら海軍下士官の立場と責任の象徴である。

「あの~、すいません。広島行きの下り列車はこのホームでよいのでしょうか?」

 兵吉が感慨にふけっていると、白い洋服を着た女性から話しかけられた。はて?、と兵吉が考えたが、今の自分の姿が国鉄の駅員に見えたようだ。

 なるほど、この軍装の少々野暮ったいところが駅員に見えなくもない。先程の感慨が飛んでしまった事は表情に出さず、平吉はその洋服の女性に自分が駅員ではない事を言おうとしたが。

「あ、お前、文江かよ」

「え・・・!?」

 話しかけてきた女性は文江だった。しばらくぶりなうえに、髪型を少し変えていたのですぐにはわからなかった。

「俺じゃ、平吉だよ、文ちゃん」

「あ・・、平ちゃんか? アンタ・・」

 駅員だと思っていた相手が、自分の待ち人だと気付いて呆けた表情になった文江。

(やっぱり、文ちゃんはキレイじゃのう。なんでワシは浮気なんかしたんじゃろうか?)

 平吉と同い年の文江は、24歳になるはずだ。女の盛りとされるハタチを越して、文江はさらに綺麗になったなあ、と平吉は感じた。

「久しぶりじゃのう。わざわざ、ホームで待ってくれるつもりじゃたんか? 文ちゃん」

「ええと・・・」

 返答に困ったのか、照れたように目をそらす文江。平吉は感極まって、文江の小柄な身体を抱きしめた。

「なにすんねんな! アンタは!!」

 平吉は、文江に拒絶されるように突き飛ばされた。平吉には、それが空白の一年に対する文江の答えのように思えた。



 同じ日。海軍の三等航空兵曹である木村章吉もやはり短い休暇を得て、呉の中沢ハルの住まいに上がりこんでいた。

「あ・・、なんか明るいなぁ。もう朝なんかよ」

 布団の中でだるそうに目を覚ました章吉。同じ布団の中で寝ていたハルは、クスリと笑ってそれに答える。

「お・は・よ。朝は朝じゃけど、もう9時まわっとるよ」

「もうそんな時間かいや! いつもは6時に起きとんじゃけどな! ・・っといっても、強制的に起こされてるんじゃけど」

「そりゃあ、アンタ、昨晩は遅ぉまで・・、ウフフッ、お盛んじゃったけぇなぁ」

 隣のハルは着物を脱いだまま裸で寝ていた。章吉もフンドシも付けてない姿でありお互い様だが。章吉はこの状況に、改めてくすぐったいような照れくささを感じた。

 章吉は、一度は深い傷を負った身体を鍛えなおし、航空機乗りへ復帰した。そして、再会した章吉とハルは、全快祝いと称して昨夜は遅くまで抱き合った。

「あー、さすがに、ちょっと腹へったなぁ・・」

「うん、ちょっと待っとって、なんか作るけん」

 ハルは、布団から抜け出して、自分の着物に手を伸ばした。章吉は、改めてハルのことをいい女だと思い直した。顔も好みなのではあるが、母親とも違う安心感がある。入院中に歩行訓練を渋った自分を、ハルが厳しく叱ってくれたことを思い出した。

 布団から裸で出たハルの身体を、章吉は盗み見るように眺めた。女にしては長身なハルの脚を、下から眺めまわした。改めて見ると、ハルの脚は結構長い。視線をあげると、背を向けているハルの尻が目に映る。章吉は食い入るように、その無防備な尻を見つめた。が、ハルが羽織った着物によって、彼女の裸は章吉の野蛮な視線をさえぎるように隠された。たまらず、章吉はハルに襲いかかる。

「待てッ! お前!服着るなっ、脱ぐんだよッ!!」

「ちょっ・・!! でもっ! 食事っ・・、作らないと・・あ、んッ・・」

「いいんだよ! お前で、お腹いっぱいにすっからよ!!」

 章吉は、ハルが着かかっていた着物を、ちぎるように剥ぎ取った。



 平吉は、文江の小さな背中を追うように歩いていた。互いに無言であった。

 うれしいはずの二人の再会が、文江から突き飛ばされるという拒絶で始まってしまったのがつらい。

「なんで、アンタ黙ってるんか?」

 不意に文江から言われ、おや?、と思って平吉が見ると、文江はうらめしそうな目で見ている。

「まさかアンタ、なんかやましいことでもあるんじゃ?」

「無いってよ!」

 一度、買春などをやってから、そこは改めた平吉は否定した。黙っていたのは、気まずいという事なのだが。

「おかしいんじゃアンタは。いきなり抱きついてきたと思えば、シカトじゃし」

 どうも平吉の対応に怒っているような、そうでもないような。

「え、と。怒ったんか? アレ、嫌だったか?」

「怒ったに決まっとるじゃろぉ? 人前であんなこと! 恥ずかしいぃわぁ、もお!」

 確かに、駅のホームで抱きついたのはバカだった。だからと言って、人目の無いところでもう一度、同じことを試すというのも今さら気まずい。


 二人は、文江の下宿の近くまで来たときに、通りに面した家から娘が現れた。

「あら、ハルさんじゃないね。ひさしぶりに見るようなけど、元気じゃったかね」

 文江からハルと呼ばれた娘は、笑顔で頭を下げた。なんとなく、よそよそしそうな雰囲気であったが。彼女の住まいの奥からは、男の声で彼女を呼ぶ声が聞こえた。ハルは呆れたような声でそれに返した。

「だーかーら! 休日だからって、ぶっ通しでアンタの相手をしてらんないの! アタシはよ」

 よそよそしい理由は、男なんだなと思った平吉。見れば、若くてきれいな娘ではあり、男のひとりはいるだろう。ハルは、平吉に気付くと会釈をした。平吉もそれに会釈で返す。

 文江とハルは、世間話をしていたが、ハルの方が買出しがあるということで行ってしまったので、長話にはいたらなかった。

「あの人は・・?」

「近所同士の友達ってとこじゃ。同い年ってことで気があったってのもあるんじゃけど」

 平吉が文江にハルのことを聞くと、そういう答えが返ってきた。

(そっかあ、俺らと同じ24歳ってことね、若く見えるけどな)



 文江の下宿で、ひさかたぶりにくつろぐ平吉だった。

「まぁ、自分の家だと思って、ゆっくりしんさいよ」

 文江がそんなことを言う。元はといえば、ここは俺の住まいでもあったんだぞ、とも思ったが、うれしくもある。

「俺よ、やっとこ下士官になれたんだよ。今年の初めによ」

「それは・・、見ればわかる」

 そういう反応かよ!、と平吉は思った。服装を見ればさすがにわかるという意味なのだろうが、平吉にとってみれば、身を立てるという意味で重要な目標だったのだ。がっかり感があった。

「まぁ、ずいぶんとかかったよね。昭和11年に海軍入ってからじゃけえ、おおかた5年?」

 と、文江は言った。悪気は無いのだろうが、文江の反応は平吉の期待通りのものではなかった。


 だんだんと日も暮れてきた、文江から『夜も暮れてきたので帰れ』などと言われるのではないかと恐れていたりもしたのだが、文江とは久しぶりに同じ屋根の下で寝ることになった。

「平ちゃんも、長旅で疲れたじゃろうけぇ。電気切って寝ようよ」

 平吉は焦った。『ぼやぼやしてると日が暮れる』とか言うが、本当に日が暮れてしまった。明日には、もう自分は神戸に帰らないといけないのだ。文江に会って、ぜひ言わなければいけないことがあった。

「文江! 俺は・・!」

「な! なんよ? まさか、あの時の夜這いの続きをしようってんじゃ?」

「違うって! 俺は、海軍に入って・・下士官になったら文ちゃんに言おうと思っとったことがある」

 夜這いなどとか、戦艦「日向」で青海チンタオに行く前にそんな事もあったりしたのだが、平吉は茶化されて終わりにされたくなかった。

「俺と・・、結婚してください!!」

 平吉は、畳の上に土下座をして頭を下げた。普通に考えれば、大の男がみっともないのだが、これが平吉の精一杯の行動だった。

 文江は長く無言だった。沈黙に耐えられず、平吉は頭を上げて文江の顔を見た。

「少し・・・、いや一晩でも考えさして欲しい・・」

 文江のこの返事に、平吉は怒ったように反論した。

「なんでだよ! 19の時お前は『後がない』とか言うとったやんか! 俺もそれで気を揉んだりして・・!!」

「なんで、そんな事を覚えとるんじゃアンタは! それは5年も前じゃ! 5年もてば考えも変わるって!」

 なぜか、ケンカのようになってしまった。反省した平吉は、思い直した。

「悪かったよ、一晩と言わず考えてくれ。それが何年でもかまわんよ」

 平吉は、部屋の電灯を消して布団に潜り込んだ。文江がどんな表情をしていたのか、それは見なかった。



「も、もぉ・・、許してぇ。身体が持たんよぉ、アンタ」

 ハルは、夕食が終わったやいなや章吉に襲われた。半日ほど”おあずけ”をされた章吉は、狂ったようにハルの身体をむさぼった。

「あ・・、こういうの嫌いなんか? ハルさん」

「ううん、好き・・だよ」

 章吉は喜んで、ハルに抱きついた。

「ならいいや! 俺らが夫婦めおとになったあと、不都合はないやな」

「本気?」

 ハルは真顔で、章吉の顔を見つめた。

「ああ、今まで”いつ死ぬかわからんから女はつくらん”とかカッコつけみたいに考えてたが、無しだわ。俺は、生きる理由を作りたい。ハルさん、俺と夫婦になってくれんか」

 ハルは喜ばしい顔をしたのだが、暗い表情になって答える。

「私は、章吉さんに黙っていたことがある。はように言うべきじゃったんじゃけど。それを聞いて、私と別れると言うなら構わない・・」

「な、なんなんじゃ? 人殺しでもしたっていうんかよ!?ハルさんはよ!」

 章吉の反応に、ハルはビックリして、違う違うと手を振った。

「私ね。年齢、サバを読んどったんよ。2年前に、章吉さんは自分がハタチだと言った時に、私は合わせるように自分もハタチだと言った。でも、私はその時、22だった・・」

 章吉は、ちょっとポカンとした表情になったが、笑い出した。

「なんなんじゃ。秘密ってのはそんなことかいよ! なら今、24じゃないか。別れるのどうのという事かい?」

「な! だって、だって・・! 男って年上の女房ってのは、嫌がるんじゃ・・と思ってさ」

「あー、いや。ハルさんが年上なんは知っとった。2年前に、ハタチって言ったのは逆サバを読んだんじゃ。あのとき、俺は19という歳にイチ足して、ハタチって言ったんじゃ」

「・・・ってことは、今は章吉さんは21で、私が24・・か」

 好きな男と、3歳も年上なのを知って、悩み顔になったハルだった。章吉は、ハルを畳の上に押さえつけるように寝かせる。

「そんなことで悩むなんて、ハルさんもかわいいとこあるや」

 章吉は、ハルの着物の前をはだけさせて、胸をあらわにした。章吉は、ハルの艶やかな身体を眺めて言う。

「今、気付いた。俺がハルさんに持っていた安心感。俺は、姉の存在を求めていたんじゃ。今晩からハルさんは、俺のあねさん女房じゃ」

 章吉は、ハルの胸に口づけた。ハルは、アンタは姉にこんなことすんの?と思ったが、その章吉の頭を優しく抱いた。



 完全に気まずい平吉のプロポーズから、一晩明けた。平吉は、今日中に神戸に戻らなければいけないので、紺の軍装に袖を通して午前に下宿を出る。駅まで見送ると言って、ついて来た文江の表情は暗い。

 昨夜の求婚の返事は聞けなかったのだが、何年でも待つと自分で言ったからには、それは問わなかった。

「お前・・! もしかして木曽さんか?」

 男の声に平吉が振り向けば、なにか見覚えのある顔。たしか、呉の海兵団時代の・・・?

「ワシじゃ! 木村章吉じゃ! 海兵団で同じ教班じゃったろ」

「! ああ、俺らの教班で唯一、航空兵に合格した・・!」

 平吉と章吉は、海兵団のときに別れて以来、会っていない。おおかた4年ぶりに会ったということで、積もる話で互いに盛り上がった。

「しかし、お互いに呉鎮守府の下なわけで、こうして呉で会うのもすごい偶然でもないんか」

「まー、そうだな。また仕事で一緒になるかもしれんし」

 そこへ、昨日通りで会った中沢ハルがやってきた。ハルは平吉らを見ると挨拶をした、が、章吉は甘えるようにハルに抱きついた。

「ちょっと、さすがにみんなの前で・・!」

「いいだろう、ちょっとくらいは・・」

 べたべたとハルにひっつく章吉を見て平吉は、ハルの男とは章吉のことだったのか?、と思った。

「あ・・、お前ハルさんとデキてたんか・・?」

「なんじゃお前、ハルとも知り合いなんか? あー、このハルは昨夜から俺の女房になったんじゃ。自慢の姐さん女房じゃ!」

 そのハルは顔を真っ赤にして。

「ちょっと! 正式に、女房って言うには色々と手続きってものがあるんよ!」

「その手続きなら昨晩もヤッたろうが! ハルさん」

「そうじゃなく・・って、バカ!」

 そのやりとりを見ていた文江は、微笑んでお辞儀をする。

「ハルさん、おめでとうございます」

「文江さんまで、むぅぅ・・」

 平吉ら3人は、どっと笑った。

 そして、章吉は改まった感じで、平吉に問うた。

「あ、こちらの方は? ・・木曽さんの妹さん?」

 章吉から、傍らの文江について問われた。しかし、文江のことを妹と間違われるのも久々ではある。平吉は、どう説明しようかと考えた、が。

「あ、はじめまして。私、木曽平吉の婚約者、木曽文江といいます」

 文江は、そういってペコリとお辞儀をした。平吉は驚いて文江を見た。

 かつては平吉が文江を許婚などと呼んだことはあっても、文江がそれを認める発言をしたのはこれが初めてであった。平吉が文江の顔を見ると、文江は微笑み返した。それは振り切れたような、いい笑顔に見えた。

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