傷ついた翼
第二次大戦時の戦闘機同士の空中戦というと、格闘戦であったというイメージが強い。それは間違ってはいない。決闘や試合のように、航空兵たちは訓練を重ねていたわけだし、空中での戦いでは、操縦者の技量および、操る戦闘機の性能が勝敗を分けていたからだ。
しかし、高い撃墜成績を誇る操縦者ほど、不意打ちを重視していた。敵機の操縦席から見えない位置から近づいて、必殺の一撃を当てる。戦闘のたびに、敵機と決闘のような勝負をしていたのでは、長い戦争は生き残れないということだったのだろう。
逆に言うと、戦場の空では常に不意打ちを警戒しなければ、長生きできないのであった。
支那上空。木村三等航空兵曹は、九六式艦上戦闘機で敵機のカーチス・ホークⅢを除々に追い詰めていた。木村は敵機を照準に収め、機銃を打ち込むと、敵機は火を噴いた。
(やった!!)
ガッガッガッ!! その瞬間、木村の機体に衝撃が走り、翼に発火した。
「撃たれた!?」
どこから!? 走った火線から、後方から撃たれたということぐらいしかわからなかった。木村にとっての初めての被弾であった。敵機を追い回すのに必死で、後方の警戒を怠っていた。悔やまれるが、後の祭りだ。
木村の機体は、急速に落下していく。機体がきりもみ状態に入った。
俺はこのまま、自分を撃った敵の姿を見ることもなく死ぬのかよ。
木村は、意識が薄れていった。
「うわぁ!!!」
木村は、呉の海軍病院で目が覚めた。
「けっ、夢か。いや、夢じゃねぇけどよ」
「また悪い夢を見たん?」
ベッドのそばでつきそっていた女性、中沢ハルが心配そうに声をかけた。
「ああ・・・」
木村は、支那戦線で撃墜されて、重傷といってもいい傷を負ってしまった。そして、こうして内地に送られている。
運が悪かったのか、または運よくなのか? 同年兵が多く戦死してしまったこと、支那の地に降りて、友軍に救助されたことを考えれば、運よくの方なのだろう。
(しかし、負傷した状態で、きりもみから機体を戻して、よく脱出できたものだぜ)
木村は、思い出しても嫌な汗をかいてしまう。しかも、被弾後の記憶があいまいなだけに、今、生きていることが不思議にも思えてくる。
「クソッ!!」
しかし、木村は八つ当たりするように、壁を叩いた。それでも、自分の今の現状がくやしいのだった。パイロットにとって、飛べないことは死ぬよりつらいのだった。
そばのハルは、びっくりしたような顔で見ていた。木村の八つ当たりに驚いたのだろう。木村は、ふてた笑いを浮かべた。
「ハルさん、こんな飛べなくなったパイロットにくっついていても、しょうがないんじゃないのか? 他にいい男がいるだろう?」
そう木村に言われたハルは。
「そりゃ、アンタとくっついたのは、パイロットだったってのが理由よ。パイロットは人気あったしね。でも、私が、好きになった相手を見捨てるような人間だと思われるのは心外だわよ」
木村は、きまずそうにうつむいた。少し自分を恥じた木村だった。
「それにさ、『飛べなくなった』ってのはさすがに、あきらめ早すぎるんじゃないの? だいたいさ・・」
ハルは、病室の中を見渡した。
「もっと重傷の人だっているじゃない、ね」
「・・・ああ、返す言葉もないよ」
木村は、自らの不明を恥じ、再起を誓った。
陸軍の召集を受けた、苅田進一は、ひさかたぶりに故郷に帰ってきた。地元の広島県にある司令部に出向かなければならないので、そのついでということもあった。
「進一よぉ、なんか、ずいぶんと久しぶりじゃったのう! なんで里帰りせんかったんじゃ?」
長く息子に会ってない父は、進一の帰郷を喜んだ。
「いやぁ、まぁ、色々と忙しくてよ。すまんなぁ」
避けるように帰郷しなかった進一であったが、久しぶりに見る実家は変わってなかった。変わっていたところは、兄の嫁と2歳になる兄の男子が家族に加わっていたことか。そして、兄自身は陸軍に召集されたあとで、すでに家にはいなかった。
「しっかし、軍部の奴らは何をやっとるんじゃあ。跡継ぎの司郎だけじゃなくて、お前のことまで引っ張るとはよぉ。支那の戦線は拡大するばかりと聞いとるで」
「いやぁ、まぁ仕方ないんじゃないか?」
腹を立てる父に、進一はあいまいに答えてみせたが。
「仕方ないで済むかいや! 命がかかわることなんで」
確かにこの当時、仕方ない仕方ないで流されてしまう日本人の悪い風潮があったともいえる。
「まぁ・・・、仕方ないんじゃろうなぁ。ワシの力じゃどうにもならん。特高(特別高等警察)が恐ろしくて皆、モノもよう言えん」
進一は、無理に明るい顔を作った。
「父さん、俺は必ず帰ってくるで、会社の上司が、『伍長で帰ってくれば推薦する』っていってくれたんじゃ。きっと、いい成績をあげて満期を迎える」
「馬鹿野郎! 成績とかより生きて帰ってこい!」
父親は進一の頭を軽くこづいた。
「なんだ父さん、俺が戦地へ行くの前提かよ、内地勤務かもしれんじゃろ」
「いや、司郎のやつが入る連隊は支那へ行っとる。司郎がソッチへ送られるのは時間の問題なんだとよ」
誰でも最前線などに送られたくない。自分も兄のように、支那なんぞへ送られるのだろうかと、進一は不安になってきた。
「まぁ、ワシにできるのは、お前を盛大に送り出すことくらいじゃ」
「ええっ! あの、バンザーイ、バンザーイで送り出すやつか? 恥ずかしいわい!」
親子は二人、苦笑いを交わすのであった。
海軍病院では、木村章吉がリハビリを行っていた。現在は、航空機の操縦はおろか、歩くのもままならないのだ。
「つっ・・・、駄目だ、痛ぇ・・」
木村は手すりにつかまって、歩く訓練をしていたが負傷した脚の痛みがひどい。そばでは、ハルが心配そうに見つめている。
「あ~駄目だ! 今日はここまでにしよう」
「章吉さん! だめですよ! また飛べるようになりたいって言ったじゃないですか!」
「だ~から、明日続けると言っている」
「いいえ、あなたは明日も同じ事を言います。一時の痛みを恐れていますから」
ハルの言葉に木村はムッとした。
「俺は重傷なんだよ! この脚を機銃弾が貫通したんだよ!少しずれていたら心臓を貫いていたんだ! お前なんかにわかるかよ、戦地の空に飛び立つ恐ろしさがよ!」
「それは、わかりません」
ピッ、と事の重さを否定するようなハルの返事に、木村は黙らされた。ハルは、ふーっと溜め息をついて言葉をつなげる。
「私は、看護婦をしていたので傷のことは少しはわかります。弾は脚を貫通して、幸い動脈や神経を傷つけていません。骨も腱も無事だったんです。前にも言ったとおり、もっと重傷の人にくらべれば・・・」
「・・わかってンよ!」
「脚や腕を切断した人だって、大勢いる・・」
「だーからっ! うるせえんだよ!!」
木村は顔を真っ赤にして怒った。
「そりゃ歩けるようにはなるさ! でも俺は戦闘機乗りなんだよ!、重いフットペダルを支えるための・・、俺の強靭な脚が取り戻せるかどうか・・・」
「だったら、なおさら・・!!」
「だから、うるせえよ! お前は俺のなんなんだよ!? お前なんか二度と顔を見たくねえよ!」
「・・・!!」
ハルは顔を赤くして震えた。そして、駆けるように病室を出て行った。
「・・・フン。なんなんだよ・・・」
木村はふてくされたような顔をして、松葉杖を使って自分のベッドに向かった。