第6話 痛な情報屋(起)
【序章】
朝、キッチン備え付きのリビングで、焼きたての食パンにかじりついた。かりっ、と食欲のわくような音だけが一人暮らしの俺の部屋に響いた。
「……」かりっ。パンを飲み込む。……かりっ。
俺はこの焼きたての食パンをかじった時の「かりっ」という音と、もちっとした小麦粉特有の食感が好きだった。ただ、一人しかいないアパートの一番広いリビングに、BGMとしてその音だけなのは少し寂しい。だから俺は、無意識に近くに落ちていたテレビのリモコンを手に取って、赤くなっている電源ボタンを押した。
ぱっ、と真っ暗だったテレビ画面が映したのは、朝のニュース番組であった。アナウンサーが懸命に天気予報を伝えている。
『――以上、お天気でした』
と、お天気コーナーはすぐに終了して、続いてはこれも朝のニュースではかかせない星座占いのコーナー。いつもは大抵寝坊して遅刻ギリギリなので、朝にテレビを見ることは滅多にない。今日は久々に早起きしたから、こうしてテレビをのんびりと見ていられる猶予があるわけだ。
俺は手相占いなどは大嫌いだが、このような星座占いは嫌いではない。画面には「1位 ふたご座」と出て、今日の運勢が文字で書かれているのを、アナウンサーが読み上げている。
『1位はふたご座のあなたです――』
ラッキーポイントは「幼馴染の人」というアナウンサーの言葉が続く。
2位、3位、4位、5位と一斉に画面に登場するが、9月生まれの俺の星座、「乙女座」は未だランクインしていない。おいおい、ビリだけは勘弁してくれよ?
しかし、そんな俺の願いは神様までは届かず、そのあとの6位から11位にもランクインはしていなかった。
って、ことは……
「12位、確定じゃねえか……」
うわ……これはテンション下がる。朝の占いなんていつもは見ないものでくだらないとは思っていたが、見たら見たで順位が低いと今日1日が突然に憂鬱になる。早起きは三文の得と言いながら全然得という得に遭遇できていないんだが、それはどういうことだろうか。
「先週も、俺のプレイしていたファミコンの『ドラク●』のデータが消えてたもんなぁ……」
思えばそれが俺の不幸の始まりだったのかもしれない。復活の呪文なんてシステムがあるからいけないんだ。
でも確かに復活の呪文はミスなくメモしたはずなんだけどなぁ。何度も確認したのも覚えているし、これこそ怪奇現象だ。
『12位の方はごめんなさい、乙女座のあなたです。トラブルに巻き込まれて痛い目にあうかも』
「トラブル……ねぇ」
占いではそう言っているが、本当にトラブルなんてものが起こるのだろうか。確かにこの日本人というものは、太古の昔から神様の存在を信じてきた。それに俺は否定する気などないのだが、だからと言って、その神様が朝の占いなんかにご降臨なさることもないだろうし、これは気にしないのが一番だと判断する。
それに、12位だけに与えられた「12位のあなたへアドバイス」的なことも言ってくれるに違いない。
『ラッキーポイントは携帯電話』
「ケータイ?」ケータイに御利益があるのか。
『12位でも安心! 鼻に特徴のある人が、あなたに幸せを分けてくれそうです!』
それでは、いってらっしゃい、と占いが終わり、午前7時を告げる時報がピ――ッと鳴った。そのあとすぐにテレビを消し、食パンも占いを見ている間に食べ終えてしまい、またいつもの沈黙が戻ってくる。
「鼻に、特徴のある人……?」
……じゃ、ジャッ●ー?
【見舞い】
まぁ、さっきも似たようなことは言ったが、朝の占いに俺の人生を左右するほどの効果は無い。例えば、もし今日俺が死ぬとしたら、それは紛れもない「偶然」であり、占いが1位だろうと12位だろうと、運命には逆らえずに、そのまま死ぬに違いない。
俺は、気にする素振り無しに顔でも洗うか、と洗面所に向かうべく朝でまだだるい体を動かして立ち上がる。その時、
『♪~』
俺のケータイが鳴った。この着メロはメール受信の際になるもの。こんな朝からメールしてくるなんて、一体誰だろう、とケータイの画面を覗く。
「えっ、三樹さん!?」
意外にも、俺にメールを送ってきたのはあの三樹さんだった。でも、彼女は俺のアドレスを知っていな……
「あっ、そうか……」
昨日学校で「アドレス交換しませんか?」という彼女の提案に乗って、アドレスをお互いに交換したんだったっけ、と忘れかけていた事実を思い出す。
それにしても、考えれば考えるほど、益々わからなくなってくる。三樹さんが朝から俺にメールしてくるなんてことは、何かあったのだろうか。心配になった俺は、すぐにでもメールを確認することにした。
From:三樹さん
タイトル:きょう
本文:占い12位でしたけrど、今日は学校をお休みなされた方がいいんじゃないですか?
「いやいやいやいや……」
今日の占いビリだったので、今日は学校休みまーす☆ てへぺろ☆ なんて学校に伝えても怒られるだけだよ三樹さん!
「え……あれ?」
ちょっと待って。この三樹さんのメール、何かひっかかる点があるような気がする。
それが最初は何だったのか分からなかったが、1分ほどして、ひっかかっていた謎が明らかになる。
「……な、何で俺が乙女座だってことを知ってるんだろう」
ケータイのプロフィールには誕生日が書かれているから、それを見たとか? いや、そもそも昨日送ったのはアドレスだけで、プロフィールページは交換していない。
だったら、彼女に俺が誕生日を話したから? そんな話はしていないはず。
「……」
考えると恐ろしくなってくるので、このメールに深く関わることを止めた。三樹さんさすがです、と思うしか、ないよね。
【ごめん】
久々の早起きとなった俺、片瀬文也は、悪友のユウキと二人、全力疾走で走っていた。
「な、何で俺早起きしたのに遅刻ギリギリなんだよ!」
はっ、はっ、と上がった行きで文句をたれる。答えは簡単。あのあと余裕を持って家を出て、いつも一緒に登校しているこの悪友を呼ぶ為に、彼の家まで迎えに行き、「あと少しで支度終わるから待っててくれ」という言葉に釣られ、コイツが家から出てきたのは、いつもと変わらない時間になってしまっていた。
いつもと変わらない時間と言うのは、俺たちにとって遅刻ギリギリを差す。
「急げ! 電車に乗れさえすれば勝ちだ!」
何でお前が俺より先に走って命令してるんだよ!? 一体何様だ、と心の中で声を張り上げた。
「謝れよ! とりあえず詫びることがあるだろう!?」
せめて謝罪の言葉があってもいいだろう。こうなった原因は全部お前によるものなんだし。
「はっ……はっ……」
「……はっ、はっ……」
しばらく走りながら、無言に時間が続き、そのあとにユウキがこう言った。
「前にお前の家にあったメモ帳に書いてあった復活の呪文を勝手に一文字変えてごめん」
「てめぇかあぁぁぁああああ!」
おかげでセーブデータ見事に全部吹っ飛んだわ!
早朝の神奈川県に、俺の叫び声が響きわたった。
【息切れ】
プシュー……という音が鳴ると同時に小田急線の扉が閉まる。何とか間に合ったと思って安心したのか、いきなりどっと怒涛の勢いで汗が吹き出てくる。
「はぁ……はぁ……」
そして、息切れもかなり激しい。あの食パン1個全てのカロリーを使い果たしたな……俺。手を膝に当て、腰を曲げ、息が整うのを待つことにした。
「はーっ……はーっ……」
一方のユウキも大分お疲れの様子。コイツはただの自業自得。これで少しぐらい反省してもらいたい。
走りだった電車。加速していく小田急線区間準急は、百合ケ丘駅を目指す。
「はぁ……はぁ……」
「はーっ……はーっ……はーっ……」
「はぁっ、はぁっ」
「息」と言う名の楽器で奏でる絶妙|(望)な不協和音。今聞こえてきたのは3人の息だから三重奏……って、
「「ええっ……!?」」
何で3人!? と見てみると、俺とユウキの他に、もう1人、俺たちがよく知っている人物が立っていた。目の焦点が合っておらず文字通り昇天しているようで、まるでどこか別世界にトリップしているようだ。
「何……してんの……はぁっ……み、三樹さん……はぁっ……」
まだ完全に整っていない荒い息で、俺はいつの間に現れた三樹さんの名を呼んだ。
【同士】
「……あっ、片瀬くんにユウキ……はぁっ、さん……」
数秒して俺たちに気づいてくれた三樹さんが、少し驚くように声を上げた。
「大分三樹さんも息切れしているみたいだね」
苦笑いで三樹さんに言ってみると、「そうなんですよね」と可愛らしく舌を出して答えを返した。
「もしかして……片瀬くんたちも……ですか?」
「はぁっ……はぁっ……ま、まあね……」
たちも、とは言っても悪いのは全部コイツなんだけどな。きっ、とユウキを睨む俺。
「やっぱり……」
彼女が笑顔になる。
「片瀬くんたちも妄想してハァハァ(*´д`*)してたんですよね! 一緒だぁっ!」
「「一緒にすんな」」
三樹さんとはベクトルが違っている。うん。
【三樹ワールド】
「でも、妄想で興奮するって、三樹さんは何を想像してたわけ?」
「おっ、それ気になる気になる」
ユウキが声を張り上げて俺の意見に同意した。
「それはいつもの通り片瀬くんたちが裸のお付き……おっと……」
言葉の途中、彼女の鼻からたらーっと赤いモノが垂れる。
「三樹さん、鼻血鼻血!」「ほいよ」
これも最近日常の一コマになりかけている自分の青春が恐ろしい。ユウキが既にポケットティッシュをスタンバイしていたので、それを取って三樹さんの手に渡る。どうも、と小さく頭を下げた。あ、いま血が垂れた。
「すみません……。いつも興奮するとイっちゃうんですよねー」
「皆が誤解するような言い方するの止めようね?」
ここは電車の中ですよ?
「でもさすがに興奮することはあっても、鼻血までは出ないかなぁ」
よくラノベやマンガなどでエロいことを想像して鼻血を出す人が居るが、現実ではそう簡単に鼻血なんて出ないものだ。
そんなことを彼女に言ってみたら、
「えーっ、そうですかぁ……? 変なのー」
「通学中の電車の中で妄想して興奮して鼻血出してその後処理をしている三樹さんだけには言われたくなかったよ」
「変」という言葉の意味がゲシュタルト崩壊。そんなことお構い無しに、小田急線はどんどんと加速を続けていった。
【流行りのあの人】
三樹さんに会うと、俺とユウキのBLネタを延々と語られるものだから溜ったものじゃない。それが朝なら尚更疲れがどっと来る。
「占い通りトラブルに巻き込まれたかな……」
「は? 占い?」
俺から意外な単語が口から出たからか、疑問を覚えたのはユウキだった。ま、彼はいつも俺が朝テレビを見ないことを知っているからな。
「今日偶然見た朝の占いが12位でさ、何かしらのトラブルに巻き込まれるかもー、ってさ。朝から嫌なこと聞いちまっいたよ。遅刻しそうにもなるし」
占い自体それほど気にしていなかったが、12位でこんな不幸なことがありそう、なんて言われて本当にそれがあったらとても嬉しいとは思えない。Mの人なら嬉しいんだろうけどな。
「ラッキーポイントはケータイで、幸せを分けてくれるのは鼻に特徴のある人らしい」
「鼻……って、ジャッ●ー?」
やっぱり皆ジャッ●ーなの? あの人の鼻は気になるからなぁ。
【ラッキーガール】
「でもそう簡単に鼻に特徴のある人なんて……」
ここで、俺の脳裏に青い稲妻が走った。
あ、もちろん何かひらめいたことを例えた表現だから、本当に稲妻が走ってるわけじゃないからな? 走ったら死ぬよ、俺。
「って、そんなことより……」
俺が見つめているのは、ようやく鼻血が止まった三樹さん。「?」と何故俺が自分を見ているんだろう……と首を傾げる彼女を尻目に、俺の頭の中で映像の処理とそれに対する計算が始まる。
朝、俺は彼女と『ケータイ』でメールをした。その彼女――つまり三樹さんは、妄想するとすぐに鼻血を出す『鼻に特徴がある人』だ。
「もしかして……?」
彼女、相当なラッキーガールなんかじゃないのか?
トラブルメーカーの彼女がラッキーガールなんてギャップに、俺は堪えきれずにぷっ、と笑いを吹き出した。
【釣られたな】
駆け足で校門をくぐり、何とか遅刻せずに下駄箱までたどり着く。占いでビリだったものだから、展開的に登校している途中に様々なトラブルに巻き込まれて結局遅刻、なんていう有り勝ちな展開に話が流れるとは思っていたが、現実はやはり現実だった、と安堵の息をついた。
「……もっと早く起きろよな、ユウキ」
そんな愚痴をこぼしながら自分の下駄箱を開ける。下駄箱の中は一枚の仕切り板で仕切られ、二つの空間に分かれている。上側の空間には上履きを、下側の空間には、今俺が履いていた運動靴を入れる。
上から上履きを取り出し、運動靴を下に入れるのがいつも通りというわけなのだが、下の層の方に何かが入っているのを見つけた。それを手に伸ばして、引っ張り出す。どうやら封筒のようで、さっさと中を見てやろうと封を開けた。
「……え」
思わず声を失った。俺の手に握られているのは「片瀬文也さん」と書かれた紙切れだった。俗に人々はこれを『手紙』と呼んだりする。
(まままま、まさかっ……!)
思わず気が動転する。愛する人へ送る手紙、つまりこれは、あの「ラブレター」と呼ばれるものではないだろうか。
「……」
人という生き物は実に貪欲で、自分一人が得をするようなことやものが見つかると、その得という幸せを他人に分けるようなことはせず、途端にそれを隠したくなる。
その法則に従った俺は、ユウキや三樹さんにこの手紙が見つからないように、さっと慌てて背中の方に回した。
「ん……どした?」
クラスが違うので下駄箱も当然俺とは違うユウキが、ひょこっ、と別の下駄箱の方から顔を出し、その能天気な声を出した。
ユウキ……俺はお前を超えてみせるぞ! 俺は感情を殺して「なんでもねえよ」の一言だけを彼に伝え、
「お、俺用事思い出したからさ! 先行ってるわ!」
後はこの手紙を出した女の子と交際開始でめでたしめでたし。ちょっと棒読みになってしまったようにも聞こえたが、二人は「そっかー」「そうですか」と納得してくれたようだ。俺は「じゃあな!」と言わんばかりにぶんぶんと手を振って、さっきまで走って疲れはてていた体を無視して全力ダッシュで階段をかけのぼり、男子トイレの個室に直行する。
「……」
思わず緊張して、胸の鼓動が高ぶっているのが分かる。ラブレターなんて今時、都市伝説になっているぐらいのものだ。一体どんな子なんだろうと妄想が進む。しかもこの封筒、ずっしりとした重みがある。手作りクッキーでも入ってるのかなぁ。
「それじゃ、開けさせていただきましょうか!」
カモン、俺の青春――――――。
どさどさどさっ。
何の音だろう。俺は最初、その音の正体に気付かなかった。封を開けて、手紙を取り出したら、その手紙と同時に何かが下から封筒から落ちたことが分かる。「何だこれ」落ちたのはどうやら何枚かの写真のようだった。下に散らばった裏返しになった写真を手にとって表にすると、とんでもないものが映し出されていた。
どうして……どうして……
――俺とユウキの二人がお互いに顔を赤らめて抱き合っているんだろう……
続いて、手紙に目を通す。「片瀬文也殿」と書かれたその手紙。封筒にも俺の名前が書かれていたし、俺宛てに間違いはないようだ。
『この写真を学園新聞の見出しに使わせていただきますが、ご了承下さい。 新聞部部長 片岡 信』
ぱぁん!
俺の青春が、音を上げてはじけ飛んだ。
シリーズものなので次回に続く形になります。